第20話 曰く付き長屋につき7
「……声の人、強いね」
浮羽が思わず呟く。
「ここまでお嬢……いや、浮羽を追いかけてきた連中は里の中でも手練れのはずなのに……あっさりと」
こくん、と浮羽も頷く。浮羽が自分の手をじっと見る。ぽん、と、青葉が浮羽の頭を撫でた。
「……そうだな。お嬢の腕前はあの里で一番だ」
「……うん」
その、最強の浮羽を倒すために送り込まれた手練れを、彼はあっさりと倒してしまったのである。
恐るべき青年剣士である。
その青年は、既に三人倒したというのに疲労も気負いも感じさせず、すたすたと歩いて長屋の共用井戸の前に立つ。さっと正眼に構えた姿は、あくまでも静かで、それでいて一筋の炎のようでもある。
そんな彼の前に、半円を描くように黒尽くめの男たちが並び、深く腰を落とす。
「さ、住人の中には朝早くから仕事に出る者もある。騒ぎは短い方が良い。さっさと済ませてしまおう」
言うが早いか、青年の方からあっという間に仕掛けていった。
切っ先での誘いに慌てて突っ込んでくる曲者の剣を擦りあげ跳ね飛ばす。虚空へ剣が飛び慌てる男の手首を切る。
かと思えば別の方角から投げられた鎖をわざと己の腕に巻き付け己の方へ引き寄せ、もんどりうった男の首筋を峰に返して打ち据え、沈める。
何もできずに唖然とする三人目には、正眼に構えたままするすると間合いを詰める。さすがにとんとんと後ろに飛んで間合いを外すが、生憎背中にはすぐに井戸がある。
「ぐ……」
「そなたら、大自然の中での立ち回りと町中での立ち回りは異なるぞ。それを考えに入れずに大勢で襲撃した時点で失敗であるな」
それでも曲者は諦めない。脇差を抜いてそろそろと青年の周囲を歩く。青年に隙らしい隙はないが、それでも剣を振り回さずにいられないのは力の差を感じているからだ。
青年は、何処までも落ち着いている。
黒尽くめの男は、くるくると立ち位置を変えながら、脇差で青年を誘うように仕掛ける。
が、変幻自在の剣の動きで翻弄されたのは黒尽くめの男の方だった。肩かと思えば足を狙われ、ふわりと飛び上がれば下りる先に切っ先がある。
「なにくそっ……」
無理に体を捻り、里に伝わる蹴り技を立て続けに繰り出したが、それもあっさり防がれる。
「ほう……見たためしの無い技だな。流派を問うても、教えてはくれぬか」
青年剣士は戦いを楽しむ余裕すらあるらしい。
「……貴様が知る必要はない。若造」
黒尽くめが不自然に揺れた。慌てて受け止めた英次郎がほんの一瞬、動きを止めた。が、直ぐに顔を顰めた。その頬を短刀が掠めた。
「ふっ、若造。油断大敵」
「どうかな?」
揉み合うほどのこともない。
敢え無く肩を打たれて、黒尽くめの男はどさりと崩れ落ちた。
辺りに、静寂が戻る。
「英次郎、お手柄じゃ!」
「英次郎さん、お見事です。腕をあげられましたな」
「親分、大家さん、慣れぬ動きをされて、幾分肝を冷やしました。彼らは江戸の者ではないですね。あんな流派、見たことがない……きっと、さまざまな飛び道具や薬草で襲撃する手はずだったのでしょう」
英次郎が、目を回している男の一人を仰向けに転がし、懐から小袋を引っ張り出した。
親分が小袋の中身を検分し、御禁制の品じゃな、と低く呟いた。
英次郎がなんと! と驚き、青葉と浮羽の背が震えた。
「本当に、殺しに来たんだ、わたしを……」
そっと引き戸を閉めた浮羽が、己の手をぐっと握って開いた。
襲撃が終わったと見て取った住人たちが、英次郎を囲んで騒いでいる。
が、浮羽にはそれがとても遠いものに思えた。
「わたしは……あそこには入れない」
この手は、物心ついてからずっと人殺しをしてきた手だ。人殺しをいいとも悪いとも知らぬころから、当たり前のこととして行っていた。
浮羽と青葉は、それを生業とする隠れ里にいたのだ。
青葉一人を連れて里を逃げてきたのには、わけがあった。だが、とてもここの住人や太一郎たちには言えない。事情を知れば、否応なく巻き込まれてしまう。
彼らを、巻き込めない。
ここを出たほうがいいだろうか、と、思案し始めた浮羽の思考を破ったのは、英次郎と呼ばれた剣客の嬉しそうな声だった。
「大家さん、かたじけない。それがし、若芽ご飯と菜っ葉の味噌汁で十分です。なんと、香の物に卵焼きまで! ご馳走だ、いただきます!」
あれだけの剣術遣いとは思えぬ、元気よく朗らかな声である。どうやら、曲者退治のお礼に、朝餉が振舞われることになったようだった。
「親分! 見ろ、味噌汁に浅蜊が入っているぞ」
どこまでも嬉しそうな英次郎の声に、青葉の頬が思わず緩む。
朝餉に香の物と卵焼きがついたらご馳走だと叫ぶ武士、おそらく貧乏御家人の倅だろう。
「あの、青葉」
「ん?」
「若芽ごはんってなぁに?」
「……ああ、そうか。いつも、里に伝わる飯ばかりで……食うたことがないか」
「ない」
「そうか、ならば今日は若芽ご飯に決まり」
こくん、と浮羽が嬉しそうに頷いた。
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