第13話 動く屍6
血を抜くだの薬につけるだの、聞くだに恐ろしい。想像しようとして失敗し、それでも嫌な感触だけはやたらと脳裏にこびりつく。
英次郎はぶるりと全身を震わせ、靄のように纏わりつく嫌悪感を振り払った。このような面妖なものに呑まれるわけにはいかない。ふ、と、丹田に力を込めて気を整える。
「ドウ? 仲間ニ……」
しかしそんな努力を嘲笑うかのように、女がケタケタと笑う。女の顔がドロドロと崩れる。英次郎は思わず、己の顔がぼたぼたと崩れるさまを想像してしまった。
「それがし、このままで結構でござる」
と叫び、力の限りで身体を捩って女のゾンビを振り飛ばした。
そのまま這いずりながら親分を助けに向かう。
「親分、親分」
「え、え、英次郎……き、きておる、女の……」
英次郎も、背後に迫る気配を嫌というほど感じている。
「キエェェェ……」
再び跳躍した女が、英次郎につかみかかる。が、ごろりと横に転がってかわし、ようやく立ち上がる。
「ふ、触れるなっ! 親分、誰でもよい、助けを呼んできてくれ」
合点承知、と叫んだ親分が俊敏に体を動かす。
それを視界の隅に捉えながら英次郎は剣を抜いてゾンビと距離をとる。室内から次々とゾンビが這い出てくる気配がし、英次郎の背筋が震える。
「かような奇妙奇天烈なものを江戸の町へ解き放つわけにはゆかぬ……」
来い、と、英次郎がゆっくりと正眼に構える。右から飛びかかってきた男のゾンビを切り飛ばし、後ろから飛びついてきたゾンビは体を沈めてかわす。びちゃ、ずる、と、とても人を斬ったとは思えぬ感触に英次郎の顔が引き攣る。
「仲間ニナレ、我ラノ仲間……」
顔の大半が骨と化した男が真正面から飛びかかってくるが、英次郎はそれを振り払った。緑色の粘液を撒き散らしながら男は弧を描いて宙を舞う。肉がぼとぼとと落ちてしまったため、目方は相当軽いらしい。宙でくるりくるりと回転して軽やかに地面に着地した。
ずるり、と、骨がむき出しになったが、怪我をした様子も痛みを感じている様子もない。
「痛みも恐怖もない、か……」
これは厄介だな、と、内心焦るが、襲い来る化け物を切り刻んで行く。ふと、英次郎の目が哀しげに揺れた。目の前にいる化け物が身につけている着物に覚えがあったのだ。
「やはり手の込んだ駆け落ちなどではなかったのだな……」
と、ほどなくして親分がどたどたと戻ってきた。
「え、英次郎、無事か……」
「もう刀がもたない。しからばこれにてご免。逃げよう、親分」
「マ、待ッテ……」
爪が鋭く伸びた両腕が英次郎の首に絡まった。ものすごい勢いで女の元に引き寄せられる。親分の焦ったような声が聞こえる。
「英次郎、英次郎!」
「ぐはっ……」
「ツカマエタ……イイオトコ……ホシイ……」
瞬時に強く締め上げられて身動きが取れなくなった英次郎の首筋に、けたけた笑う女ゾンビが唇を寄せる。
「アア……」
「う……ぐぅ……」
首筋に、がぶり、と噛み付かれた。痛みが走る。竹刀で打たれたときとも違う。刀で斬られたときとも違う。もがくうちに、英次郎が決して手放さない刀が、ぼとりと庭におちた。慌てて親分がそれを拾う。
「英次郎、しっかりいたせ!」
「ぐは、あ……おや、ぶ、ん……」
熱いような、痛いような。
あらん限りの力で女ゾンビの身体を押せば、めりめりと音がして抵抗がなくなった。どうやら、女ゾンビの胴体を突き破ってしまったらしい。
突き破られたほうはけろりとしているが、突き破ってしまった英次郎の衝撃と動揺は生半のものではない。
「ん、ぎゃ、あああ!」
さすがに恐慌状態に陥って喚き散らす英次郎の目の前で、突如、女ゾンビの顔が縦半分に割れた。
いったい何事、と思う間もなく女ゾンビの首から先が、ごとん、と地面に落ちた。
どさりと地面に投げ出された英次郎が見たものは、緑色の水たまりと人骨、そして――。
「え、英次郎、さっそく先ほどのな、道場での素振りが役立ったぞ……」
「親分!」
脇差を凛々しくも構えた、太一郎が居た。
「英次郎、無事か」
「た、助かった……」
抱き起こされて尚、英次郎の膝は笑う。親分が、地面に座らせてくれた。
「親分こそ、大丈夫か?」
「うむ。実はな、ゾンビに噛みつかれたまま門の外に転がり出たら、これまでに見たためしのない異人の集団が颯爽と現れて、わしを助けてくれたのじゃ。『ゾンビハンター』とか申す連中じゃそうな。あれじゃ」
はんたー、とは耳慣れぬ単語だが、それが何を示すのかすぐにわかった。武具を携帯した彼らは室内に踊り込み、あるいは庭を走り回り、片っ端からゾンビを倒していく。
「ゾンビは、首を落とせば死するそうな。いや、もともと死んでおるゆえ、死するはおかしいか。動きを止める、土に還る、が、正しいか」
ゾンビハンターの首領格と思われる大男が、庭に座り込む太一郎と英次郎の傍までやって来た。やたら鍔の広い被り物や小物入れが多数ついたうわぎなど、着ているもの身に着けているもの、すべて初めて見るものばかりである。
彼は異国の言葉で太一郎に話しかけ、太一郎も何やら応じている。
「親分、いつの間に異国の言葉を……!」
頭領――へんり、という名前らしい。へんりが太一郎と英次郎、ふたりの身体を丁寧に検め、英次郎の傷口に薬草を貼り付けていく。やけに涼しく良い香りのする薬草だった。
「爽やかで心地よいな」
英次郎が言えば、へんりはゆっくりと頷く。
「ヘンリーが、薬湯を煎じてくれるそうな。これを三日三晩飲めば我らはゾンビにはならぬとのこと」
「それがし、ゾンビになるところであったのか……かたじけない」
英次郎が律儀に頭を下げると、へんりも帽子を取って頭を下げた。緩やかに波打つ金色の髪がさらりと揺れた。
「……へんりは黄金色の髪と青い目、ですか。綺麗なのでつい、見惚れてしまいました」
ありがとう、と、へんりが握手を求め、英次郎は照れ臭そうに応じた。
太一郎とへんりが何やら言葉を交わすのを、英次郎はぼんやりと見つめていた。
「ふう、参ったな……」
開国したら、この国にも異国の人々が次々とやってくるのだという。
異国の人々や、異国の珍しい道具や食べ物は大歓迎だが、こういった「異国の化け物」は勘弁願いたい。
「英次郎、ここで不覚にもゾンビとなり、ハンターに始末された者どもを供養してやりたい。済まぬがどこでも構わぬ、御坊を呼んできてくれぬか」
承知、と言って屋敷を後にして数歩。
「ゾンビの供養をしてくれる坊主など、いるのであろうか……?」
お江戸広しといえども――。
ううむ、と、思わず唸ってしまう英次郎であった。
【了】
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