第12話 動く屍5
親分の腹具合はさておき、誰も住んでおらぬはずの屋敷に人がぞろぞろ入っていくのは、たいてい「良くないこと」が行われているからである。
「まて、英次郎……ここは慎重に行かねば……」
「親分?」
太一郎が知っている限り、良いことが行われていたためしはないのだ。御家人の子息を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
太一郎はすっと腰を落とし、自らそっと様子をうかがう。
「……英次郎、空き家というのは賭場になっているか破落戸が屯しているか……が相場であるでな」
「それにしては静かだぞ」
「うむ。抜け荷や過激派の密議……でもなさそうな」
「ぬ、抜け荷!? お、親分、それは我らの手に余る一大事……」
太一郎と英次郎は、互いに顔を見合わせて小さく頷き合い、二手に分かれた。
「ご免仕る」
と、玄関先で大声で呼ばわるのは英次郎、その間に母屋の縁側へ回り込むのは太一郎。御家人屋敷なぞ大差ない作りのため、はじめて訪れる場所でもだいたいの見当はつく。
「む、やはり誰も居らぬな……」
太一郎の声がやたらと響く。もとは庭だったであろう場所が更地になっているのは、そこがかつては畑だったからだろう。
だが、耕す者がいなくなって久しいのか、地面は固く、干からびた苗のようなものがいくつか、地面にへばりついている。
菜が青々と茂り鶏が元気に歩いている佐々木家の庭と比べるとなんとなく寂しい気持ちになる。なりながらも、太一郎は、朽ちた縁側にそっと足をかけた。ここにも、内職の荷があるのが通常であるが、それもない。もし、と声をかけた瞬間、ばきっ、と音がした。板を踏み抜いてしまった。
「しまった!」
太一郎が慌てたのは、建物を壊してしまったことではない。いつの間にか室内に着流しの男が数人と、女房と思しき女が立っていたからだ。
「ぐ……いつの間に」
雨戸が立てめぐらされているために屋内は暗い。
顔かたちや身に着けているものは判然としないが、若い男たちである。
そして、殺気は感じられぬが、どことなく底冷えのする異様な雰囲気を放つ男たちだ。
(どこから姿を現したのだ……?)
太一郎は、武芸はからきし駄目であるが、襲撃や喧嘩、修羅場なら相当数潜っている。そのため、害意や悪意、人の気配には敏い。
その自分が、気配を察知できなかったのだ。相当な手練れかもしれぬと、太一郎は用心深く庭へと下がった。
「相済まぬ。こちらは、松平さまのお屋敷ではございますまいか?」
男たちは無言のまま、ずるずると太一郎に迫ってくる。腰の刀を抜くでもなく、誰何するでもなく、迫ってくる。
それにしても、と、太一郎は首を傾げた。
「卵や野菜が腐ったときのようなこの臭気はいったい……」
男たちの一人が、ついに庭に降りてきた。その姿が白日の下にさらされた瞬間、太一郎は「ぎゃあ!」と、雄たけびを上げてしまった。
「し、屍……」
太一郎のただならぬ声を聞きつけた英次郎が、走ってくる。
「親分! どうした!」
「え、英次郎、来てはならぬぞっ……ばっ、ばけもの……!」
尻もちをついた太一郎に、別の男がとびかかった。座敷から庭へと助走もつけずに一気に距離を縮めた。桁外れの跳躍力である。
その拍子に、びたびたびたっ、と、粘りけのある緑色の液体が太一郎の身体に降り注いだ。
腐れた匂いが庭に充満した。
「ひっ……」
一方英次郎も、緊迫した気配を感じていた。来てはならぬと言われたものの、親分の悲鳴はただ事ではなかった。
友を見捨てるわけにはいかない。駆けつけた英次郎が見たのは――親分が、尻もちをついたまま動けなくなっている姿であった。
「親分!」
その親分に、何かが飛びかかった。
何が何やらわからぬまでも、とにかく何者かに襲われている親分を助けねば、と一歩踏み出した英次郎にも、武家の女房と思われる女が飛びついてきた。
「え、ど、どこから?」
こちらも、女とは思えぬほどの跳躍力で英次郎を地面に蹴り倒し、そのまま胸に飛び乗ってきた。
「ぐえぇ……」
仰向けに倒れた英次郎の胸の上に正座した女は、にやぁ、と笑った。その拍子に、頬や顎の肉がどろどろと溶けて英次郎に降り注ぐ。
「ぎゃあ……」
冷たい肉片と緑色の肌、赤く光る眼――まっとうな人間だとは思えない。
英次郎の背を冷たいものが撫で、強烈な吐き気が込み上げてきた。が、吐いている場合ではない。女がけたけたと笑う。
「ひっ……な、何者……」
顔の下半分が骨だけになった女が、乱れ髪をぶんぶん振り回しながら、耳障りな甲高い声で喚き散らす。
「ワレラ……死人」
英次郎の目が点になった。ぎこちなく太一郎を見れば、太一郎もまた腑に落ちぬという表情のまま崩れかけた男と対峙している。
「シカシ、未来永劫ノ命ヲ貰ッタ。素晴ラシイ」
「な、なに……?」
「身体ガ蘇ッタ、動ケル」
「死んでおるのに動いておるのか?」
そんな馬鹿な、と英次郎は呟いた。
一瞬、目の前の化け物は見世物小屋や芝居小屋の衣装を着ているのではないかと思った。が、べちゃべちゃと音を立てて落ちてくる緑色の液体の気持ち悪さ、屍が発する臭いは、作り物ではない。
「我ラ……ぞんび、ト異国デ呼バレル」
「ぞ、ぞんび!?」
「ソウヨ」
異国のものであるなら母・お絹にひとつ残らず知らせてあげたいと思うが、こればかりは伝えられない。
「貴方モぞんびニシテアゲマショウ。仲間、ホシイ」
「ど、どうやって……」
もがく英次郎の上に正座をし直した女は、
「ワレラガ相手ニ噛ミ付イテ、血ヲ一滴残ラズ啜リ、仮死状態ニスル。ソシテ、南蛮渡来ノ『秘伝ぞんび薬』に三日三晩浸スノ」
と、得意気に語ったのである。
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