第35話
「この有様さ。だから僕らは敵わなかった。説明してもわかってもらえない。むしろその徒労は自分たちに向かう。間違ってるのは自分の方に思えてくるからね。僕は自分の人生を恨んでなんかいない。ただ自分以外の者から勝手にカテゴライズされたくもない。昔より理解は進んだなんていうけど、理解なんてものはそもそも望んでないんだ。僕は普通に僕なだけだから。『あなたはその生き方でよいのです』なんて他人に承認される必要なんてそもそも求めてない。僕にとってはこれ以外の僕の人生はない。誰にとってもそうであるように。それを『同じ人はたくさんいますから大丈夫です』なんて言われても困るよ。そんなやつら知らないよ。一緒にしないで欲しい――」
神藤は話しながら自分の言葉に興奮してきたのか拳を握りしめる。
「――僕から言わせてもらえば『マイノリティに対する理解』なんてものこそ煩わしく嫌悪するものさ。悪意がないのは痛いほどわかっている。だけど他人と一緒にされて可哀想な人扱いされてどこに救いがあるんだ? 被害者として生きてないマイノリティはいちゃいけないのか。そんな思いも彼女の笑顔の前には通じない。こっちの調子が悪い時に無限のポジティブさを発揮されると、その存在は疎ましくなっちゃう。あの時もミッシェルに縛られなければどうなってたかわからないね」
「違いますよ。神藤さんは辛くても頑張っているんです。挫けそうでも、いつもみんなを笑わせてくれるんです」
ただ意味が上滑りしている。
ここまで言っても、彼女の笑顔は消えない。
「いつだって
「登美さんは特別ですよ。私にはそんなこととてもできません」
舞座はまるで笑顔で刑を執行する処刑人のようだった。
無敵だ。
こちらが何を言っても傷一つ負わずに向かってくる。
追いつめられた人間が勝手に狂ってしまう。
「
「大丈夫ですよ。みんなで頑張りましょう。動画だってきっと多くの人が見てくれます。皆さんの頑張りに気づいてくれます」
「あの動画をアップしたのは舞座さん?」
「はい。そうです」
屈託なく舞座は答えた。
あぁ、おかしい。
蜘蛛の巣だ。
ここにいる人間はみんな蜘蛛の巣に捕らえられてもがいている。
善意と良識の糸に囚われているのだ。
言葉が出てこない。
なんと言えば通じるのか予想がつかない。
それでもボクは、一言一言に棘の生えたような言葉を口から吐き出し、舞座に届ける。
「舞座さん。儀武院さんは人を感動させるために自傷行為をしているわけじゃない。神藤くんは人々に勇気を与えるためにゲイなわけじゃない」
「でも、素晴らしいことじゃないですか」
「批判する人、悪くいう人、彼らを傷つける人が出てくる」
「きちんと伝えれば、そんなことはありません。みなさんわかってくれます」
「そうだとしても君が決めることじゃない。傷つくのは彼女たちなんだ」
「それでも人に喜びを伝えられるならいいじゃないですか。傷ついた意味があるじゃないですか」
晴れやかな笑顔で舞座はそう言い切った。
そして沈黙。
そう、言葉ではもう何も届かないと観念したような沈黙が支配する。
これか。
この声の届かなさに絶望して儀武院は逃げたのか。
きっと何度も言ったのだろう。
そのたびに弾き返される。
きっと彼女はもう、そうするしかなかったのだ。
放っておけば暴走してしまう恐怖。
『リストカットをしてますが健気なアイドル志望がいます』なんて興味を煽る形で世間に出されてしまったらもう後戻りはできない。
神藤も同じだろう。
今、自分の言葉があまりにも舞座に届かないことを知ると、そうするしかなかった気持ちがわかってしまうのだ。
ボクたちは良識を持っている。
善良であろうとしている。
人を傷つけるなんて悪いことだと思っている。
空気を読み、いざこざを避け、お互いを尊重してぶつかり合わない世界こそ素晴らしいものだと信じている。
そう育てられたんだ。
それこそがまっとうな人間の目指す良い社会だと教えこまれてきたんだ。
あぁ、絡め取られてしまう。
吹奏楽部の調律の音がぐるぐると周り、校舎の脇の湿った空気が重くのしかかる。
その時、ボクの脇腹をマイッチング・ステップこと理蘭が突いた。
「通常の言葉では通じない。だからこそ劇的であることを求められたの。その『劇的である』という環境が怪奇蜘蛛男を呼んだのよ。それを退治するのは、やっぱりヒーローが相応しいわ。マイティ・ジャンプ、あなたの出番よ」
ボクが舞座の目の前にが進み出ると、それに合わせたように吹奏楽部の音が消えた。
「舞座さん。あなたのせいです」
吹奏楽部のファンファーレが一気に鳴り響いた。
「え?」
舞座の表情が曇り、瞳が不安定に揺れ、いつも相手を見つめているはずの彼女の視線は外れ虚空をさまよった。
「あなたのせいで不幸になったんだ。あなたの無自覚で残酷な言葉が人を傷つけたんだ」
舞座は動きを止めた。
そして錆びて動きの悪くなったロボットのようにぎこちなく周りを見渡す。
そこに並んでいるのは目だった。
今までと同じ目。
舞座に対して伝えるべき言葉を持った目だ。
今まで舞座が見えなかった感情だ。
「どうして?」
そう言った瞬間に、舞座の足元がふらついた。
誰も動かず、手も差し伸べない。
ゆらりとバランスを崩す舞座。
瞳が大きく開いてく。
さっきまで笑顔だったものが、恐怖の表情に移り変わっていった。
「あれ? どういうことですか? 私が、私が悪かったんですか? え? 本当に? どうして」
「そうです」
「はっ、はぁはぁ。私が悪かったの? ええっ?」
舞座の呼吸が浅くなる。
彼女が直面している未知の感情。
それはボクたちには当たり前の痛みだ。
しかし舞座は初めてそれを知った。
暗い感情の底へと引きずり込まれる。
彼女はそれに耐えられるのだろうか。
まるで自分の傷のようにその痛みを思っている時に、脳天気な
「あ、おい。これ見ろよ。すげえことになってんぞ、演劇部の動画」
昼沢が持っていたタブレットをボクの顔の前に突きつける。
「どれ?」
「そこじゃない。スクロールして」
「なんでそう……近い、顔近いよ」
「あ、クリックしちゃった。ちょっと待って。お、メッセージきてるわ、誰だろ」
昼沢は緊張感なくタブレットを操作して、切迫したボクたちを置いてけぼりにする。
「なんなんだ。この緊迫した流れをぶった切っておきながら、なんでそうゆるふわムードなんだ。ミッシェル、こいつ縛っておいてくれ」
「ほら、これこれ。大炎上! まとめサイトにとりあげられてるぅ~!」
ミッシェルが縛る前に昼沢はタブレットをボクの顔の前に差し出した。
そこには、贔利に対する批判、そして演劇部に対する中傷がどこまでも続いていた。
その画面をみんなに自慢するように昼沢はグルグルと回って見せつけた。
「私が? 私のせいで、そんな。だって……」
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