第34話


「次の神藤かむとさんが縛られていた事件は、もっとシンプルよ。忍者のミッシェルさんが部室の中に入り縛って外に出た」


 理蘭りらんがそう言うと、神藤は目をつむってゆっくりと頷いた。

 天井から出入りできるなら密室でも何でもない。

 ミッシェルは一番近くに一人でいたのだ。

 もはや疑うようなことは何一つなかった。


「状況の整理はこれで終わりよ。さぁ、すっきりしたでしょ」


 全然すっきりしなかった。

 そもそもなんでそんなことをしたのかがわからない。

 初めは贔利びいり先生に対する告発だと思った。


 舞座まいざが首を振りながら震える声で言う。


「わかりません。そんなわけないです。演劇部の皆さんは、夢を持ってたくましく生きています。そんなこと信じられません」

「きっと、あなたたちは壊れないように大切に大切にしてきたんでしょう。これ以上悪くなるのが怖くて。怯えて。でもおあいにく様。正義のヒーロー、マイティ・ジャンプには、そんな眠たい偽善は通用しないわ。魂をぶつけあうのが演劇とは随分格好よろしい言い方ですけど、共に舞台に立つ仲間に遠慮をして上っ面だけ取り繕って、それで魂がぶつかるのかしら?」


 理蘭の言葉に和門わもんがシャクリ上げて涙を流した。


「でも、できない……」

「しようとしたのよね。神藤さんの脚本はなかなか面白かったわ。よく考えられた告発でした」

「そうだろうとも。でも僕には蜘蛛男は倒せなかったよ。君たちはそれをやってくれるのかい?」


 神藤がそう尋ねる。

 理蘭はその視線を受け流すようにボクを見た。

 ボクはなにもわからないまま、覚悟だけを胸に頷いた。


「和門知恵ちえさん、随分と焦ってらしたのね。かるた部が憎かったのではなくて?」

「違います。知恵さんはそんなことは考えません。みんなを奮起させるためにそう言っていただけです。私は皆さんの頑張りを知ってます。だからこそ、きちんと伝えたいんです」


 理蘭の言葉に答えたのは和門ではなく舞座だった。


「舞座さんはそれで動画を撮ろうとしたのね」

「はい。私はただたくさんの人に知って貰えればいいなと思ってました。みんなの頑張ってる姿を。見てもらえさえすれば伝わるはずですから。苦しくても辛くても前向きに生きてる姿を見れば、誰だって感動するもの」

「他の部活の人達だって汗水たらして頑張ってるわ」

「違うんです。演劇部のみんなはもっとすごいんです。逆境の中で戦っています。私は感動しました。その感動を多くの人に見てもらわなければもったいないです」

「蜘蛛男に邪魔をされたけど、本当はどのくらい感動するものだったのかしら?」

比糸びいと愛生いとおさんというクラスメイトに協力してもらって、儀武院ぎぶいんさんの頑張ってる姿を撮ろうとしたんです」


 儀武院はそう言われていたたまれないように屈みこんでしまった。


 理蘭はそんな儀武院の腕を取る。

 そこにはリストカットの後が並ぶ。


「やめろよ」


 ボクが理蘭にそう言うと、舞座は表情をクルッと明るく変えて言った。


「とても良い子です。立派なんですよ。確かに儀武院さんは辛く悲しくやりきれない時に自傷行為に及んでしまうことがあります。だけど、それでも前向きに努力してます。アイドルを目指して。素晴らしいことだと思いませんか。恥ずかしがることなんてないんですよ」

「え、それ……」


 ボクは問いかけたくても言葉がうまく出なくなった。


「とっても繊細なんです。だから時として自分を傷つけてしまう。でも、それは他人を傷つけたくないという気高い心があるからです。感受性が強すぎる、それゆえに辛い思いもあるでしょう。だけど必死になって生きている、踊っている、そんな姿は美しいです。きっと誰もがその美しさに感動します」


 舞座の言葉に、声を失っていると、昼沢ひるざわが甲高い声で言った。


「おいおい、舞座。お前、サイテーじゃねぇか。ひでぇな」

「え……。私がですか?」


 舞座はきょとんとした顔で周囲を見回す。

 理蘭は神藤に向かって尋ねた。


神藤かむと憂康うきやすさん。健全な男子は常にエロいことを考えていると比糸愛生さんが言ってました。あなたもそうなんですか?」

「なるほど、彼がね。正直、そんな質問には答えたくないよ」


 ボクはただ理蘭と神藤のやりとりを口をあけっぱなしにしたままで見ていた。

 なんでボクの名前をフルネームで、よりによってこんな状況で出したんだ、という猛抗議が口から出そうになったが、マイティ・ジャンプである今のボクがそれを言うのはおかしい。

 別にBくんでもいいじゃないか。

 意地悪すぎるだろ。


「彼の姿を舞座未来さんは動画に撮影しようとしたのね」

「そうです、神藤さんは大変な道を歩んでいるんです。私たちには想像もできないような戦いを常々しているんです。だけど、誰よりもやさしく、誰よりも気遣いをして、部内に調和を作り出してくれているんです」


 神藤は、こんな大事なときにもヘラヘラと笑って言った。


「あなたの思っているとおりですよ」


 薄ぼんやりとした疑惑のようなものがボクの中で湧き上がり、それと同時に舞座の言葉がボクの思考を定着させた。


「神藤さんはゲイですが、私たちはそれを尊重しています。そしてその姿から勇気をもらってます。きっと多くの人も同じ気持ちを抱くはずなんです」


 クラっと目眩がした。


「うえっ、お前オカマかよ。やっぱりなー」


 昼沢が殴りたくなるような雑さで言葉を放つ。


 神藤は笑ってそれを受け流した。


 さっきまでヘラヘラしてると思っていた笑顔だ。

 しかし今に至っては、強固な意志で造り上げた彼の精一杯の武装に思えた。


 ボクは暗闇の中を確認するような気持ちで尋ねた。


「舞座さん、キミはそれを撮ろうとしたのか? その姿を、儀武院さんもそうだ。それを撮ってネットで流そうとしたのか?」

「はい、きっと多くの人が勇気づけられ、感動して、応援してくれるはずです」


 一点の曇りのない笑顔で舞座は答えた。

 怖かった。

 その無垢さが、人を信じるあどけなさが、凶悪な刃物のように見えた。

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