第33話

 部室の前。


 まだ明るいのにやはりジメッとしていて気温も低く感じる。

 吹奏楽部の調律の音が鳴ったり途切れたりで相変わらず頭に響く。


 理蘭りらんはミッシェルを連れて部室の中に入り、ドアを閉めるように言った。

 ボクは体重をかけ、錆びついたドアを閉める。

 しばらく待つと、理蘭の声が部室の中から聞こえた。


「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」と助けを求めているような声だ。


 なんだか嫌な予感がして他の人の顔を見回す。


 理蘭は真相を知っている者だ。

 そしてミッシェルはこの件に密接に関わっているらしい。

 もし、ミッシェルが蜘蛛男だとしたら、この機に乗じて理蘭のことを。

 そんな考えが頭をよぎり、ボクはドアに駆け寄った。


「大丈夫か?」

「心配ないかもだ」


 背中から返事をされて振り返るとそこにいたのはミッシェル。


「どうして? いつ出たんだ?」


 ミッシェルは返事をせずに部室を目で促す。

 ボクは体重をかけてドアを一気に開けた。


「お嬢ちゃん。手伝って。おじょ……」


 そこにはラックにしがみついてアンバランスな姿勢で声を上げるマイッチング・ステップの姿が。

 そしてその頭上に、天井はなかった。

 部室内は明るく、陽の光が直接注ぎ込んでいた。

 理蘭はボクたちに気づき、ラックからゆっくりと降りると上を指差す。


「開くのよ。この天井」


 それは一目瞭然だった。

 まるで天井全体がドアのように開き、つっかえ棒で固定されていた。


「なんでこんな風になってるんだ」

「忍者は天井から出入りするものよ。開かなければ困るじゃない」

「よくご存知かもだ」


 理蘭の言葉にミッシェルが深く頷く。


「忍者? 忍者って! その設定なに? 一般常識みたいに言わないでくれよ」

「いや、忍者なら天井から行くだろ」


 昼沢ひるざわがさも当然のように言った。

 他の演劇部部員も納得したように頷いている。


 そうなのか?

 おかしいと思ってるのはボクだけなのか?

 忍者だからOKって理由はまかり通っていいものだったのか。


儀武院ぎぶいんさんは部室で舞座まいざさんが撮影をしに来るのを知った。そしてその情報を教えてくれたミッシェルさんに助けを求めた。すでに助ける気でいたミッシェルさんは、部室の天井を持ち上げて儀武院さんを救い出した」


「でもボクは他に出口が無いか一応調べたんだよ? 天井が開くなら気づいたはずだ」


「ちょっと調べて開くようなものではないわ。薄いと言っても鉄板。この広さなら5、60キロはあるんじゃないかしら。片方だけを持ち上げるとしたら、そこを支点として反対の端が力点となるテコの原理で半分の重量、それでも30キロくらいはあるはず。不安定な体勢で片手で持ち上げられるようなものではないわ。これをなしえるのは、常日頃から鍛えている忍者だけよ」


 そう言って理蘭はミッシェルに向かって拍手をした。


 ミッシェルはもじもじしながら首をすくめる。


 そして理蘭の拍手には誰も追従しなかった。


 舞座は眉を下げ、困惑しながらも無理をして作った笑顔で問いかける。


「そんなわけありません。ミッシェルさんはあの時、分身の術をしていたようです。見ていた人がいるんです」

「だから分身していたのでしょう。何もおかしくないわ」


 理蘭が当然のように答えた。

 彼女には事件のあらましの時にそう説明したかもしれない。

 でも、そういう意味ではないのだ。


「いや、違うんだ。分身って、そういうのじゃなくて。あそこでミッシェルは反復横跳びをしていたんだ」


 ボクは理蘭の脇に寄って忠告をする。


「反復横跳びと分身の術は全く違うものね。分身の術は分身の術。反復横跳びは反復横跳びよ。ミッシェルさんがしていたのは分身の術でしょ。ね?」


 理蘭がそう尋ねるとミッシェルは頷いて懐から、花柄の忍者装束と金髪のかつらを取り出した。


 そのセットは……。

 ボクの脳裏に思い返された映像は、ミッシェルが背中を向けて反復横跳びをしていた姿だ。

 それは顔を見なくても当然ミッシェルだと思う、金髪で花柄の忍者装束の人間など、この学校に二人といるはずがないからだ。

 そう思っていた。


「お嬢ちゃんは忍者よ、はじめから嘘は何一つついてないわ。勝手に信じない人間がいただけ」

「じゃ、あれは誰か他の、分身ってことか」

「忍者だから」


 ミッシェルはそう、いつもの言葉で断言した。

 忍者だから、そうなのか。

 忍者だから分身の術が使えたというわけではないだろう、でも金髪のかつらをかぶりミッシェルと同じ装束を着た後ろ姿の他の生徒がいたら、それはミッシェルだと思ってしまう。

 忍者だから、普通の格好ではないから、同一人物だと思い込んでしまう。

 その心理が分身の術ということだったのか。


「じゃあ、なんで儀武院さんはネットに絡まってたんだ?」

「一度は脱出した部室、でも彼女には戻らなければならない理由があったのよ」

「……スマホか」

「舞座さんたちが部室から離れるのを見計らって儀武院さんは部室内に戻ろうとした。しかし足場代わりにしていたネットに引っかかりあえなく転落した」

「ネットはどこから?」


 ボクの疑問に答えたのはミッシェルだった。

 彼女は懐からネットをすら~っと引っ張り出す。


「忍者だから」


「その理屈はいいのか? 多くの謎がそこに集約されてる気がするが」

「この部屋は密室でもないし、この話はミステリィ小説でもないの。現実で起こっていることよ。常識があれば忍者が出てきた時点でミステリィだと思う人間はいないわ」


 舞座は理蘭に食い下がる。


「ドアはミッシェルさんが開いたのですか?」


 理蘭はそれに答えずに部室のドアを閉めた。

 ミッシェルが部室の屋根に飛び乗る。

 しかし、下からでは部室の高さがあるために開いた天井や彼女の姿は見えなかった。

 全員が部室の上を見るために距離を取る。

 天井がその重さによって勢い良く倒れてくるのが見えた。

 天井が閉まったのと同時に、ドアが勢い良く開き、隣の部室にぶつかり鉄板のたわむ音を立ててゆっくりと戻ってきた。


「儀武院さんが転落した拍子に開いていた天井が閉じたのね。天井が勢い良く閉じると部室の中の気圧は高まるわ。それに押されてドアが開いたのよ」


 あの錆びついたドアはきちんと閉まりきってなかったのだろう。


 一応、最初の事件に関しては説明がついた。

 しかし、何一つ解決していない気がする。

 だったらなぜ、儀武院は蜘蛛男だなんて言ったんだ。

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