第10話

 この部室の辺りは用のない限り立ち寄るような場所ではない。

 おまけに部室の向かいの校舎は教員室があるので、わざわざこの場所で寛ごうという生徒もいない。

 かと言って静かなわけではない。


 校舎の3階は音楽室になっているので、ずっと吹奏楽部の調律を合わせるような音が鳴り響いている。

 音楽になっていればまだいいのに、ラッパだかホーンだか、複雑な名前の金管楽器の唸るような音が一定の音量でずーっと鳴り、増えたり減ったりしてるとなんだかぼんやりとしてくる。


 日が当たらず、湿気が多く、まるで本当に異界に迷い込んでしまったかのような不安を覚える。

 舞座まいざが操作していたスマートフォンから顔を上げる。


儀武院ぎぶいんさんから返信がありません。中にはいないと思いますが開けてみましょう」


 舞座まいざがそういうのでボクは引手を握りドアに力をかけた。

 しかしコンテナのドアはびくともしない。

 蝶番から見て、引く以外は考えられないのだが。


「あ、大丈夫です。錆びついてるだけで開きにくいんですよ」


 そう言って舞座は身体を斜めにして体重をかけドアを勢い良く開く。

 ギッと鉄が擦れる音がしてドアが開いた。

 埃っぽさが鼻に飛び込み、カメラを覗きながらむせそうになった。


 高床式になっているコンテナの中は三畳ほどの広さの縦長だが、両脇にブルーシートに包まれた物が置いてあって空間は狭い。

 壁に立てかけられているのは大道具らしく、ところどころ木片やベニヤ板がブルーシートの隙間から覗いている。

 鉄製の無骨なラックと小道具類だけが青以外の色を構成していた。


「これは、思ったより狭いね」

「大道具の置き場所がなくて。本番前に作るからいいんですけど、その公演で使うものは処分できませんし、こうしておいてもカビちゃうんですよね。雨漏りするので」

「あんまり長くいたくないな」

「ふふふ。夏場なんてすごいですよ。もうサウナですから。冬場は下手に壁に触ると手がくっついちゃうくらいなんです」


 舞座は嬉しそうにそう言うが、壮絶な語り口にボクは少し引いた。

 確かに人間が過ごすようには造られていなそうだ。


 人影はない。

 真ん中になんとか人が通れる空間があるだけで両脇は書き割りのような大道具で占められた本当にただの箱という感じだ。

 ラックにはクリップライトがついていて、ドアを閉じたらそれをつけるのだろう。

 まだ陽が高いのでドアから入る明かりで十分に部室内は見て取れた。

 決して隠れられるような余裕はない。


「いませんね」

「いつもは異界との交信は部室でやってるんです。覗くと怒られるんですが、そういうのも動画に撮ったら面白いんじゃないかと思って」

「動画に撮るってことは伝えたんですか?」

「はい。こういうのもアイドルとしての注目されるきっかけになると思うんです。だって一生懸命やってるんですから。悪くいう人なんていませんよ」


 空っぽの部室の前で舞座はそう言って微笑んだ。

 跳ねた髪がゆったりと揺れる。

 まるで人を疑うことを知らない赤子のような純粋な笑顔だ。


 ボクはカメラを抱え、舞座のその姿を収めた。

 舞座は少し照れたように首をすくめる。


 ボクは世の中の人間がそれほど純粋ではないことも知っている。

 目立とうとするものを攻撃したがる人間は多い。

 頑張っているということが鼻につく人間だっているのだ。

 決して舞座の考えを否定したいわけじゃない。

 できればボクだって舞座の思う通りの世の中であって欲しいと望んでいる。

 カメラに付いた小さいモニターの中で笑う舞座には、人間に失望する痛みなんて味わって欲しくないと思った。


 無人のコンテナの中に、妙に意識が引っかかる部分があった。

 ボクは高くなった入り口に足をかけて中に入る。

 奥の方、直方体となっているコンテナの奥行きで手前から3分の2ほどの位置にそれはあった。

 手帳型のカバーのついたスマートフォンだった。

 画面が床の方向に向いているため、わずかに脇から光が漏れている。


 ボクがそれを拾い上げた瞬間、画面の明かりはフッと消えた。


 舞座にそれを見せると、彼女は儀武院のものだと即答した。


 画面はロックされていて操作はできなかった。


 舞座の話からして儀武院という人物がスマホを手放すとは思えない。

 それに伏せた状態で明かりが灯っていたということは、その直前まで誰かがスマホを操作していたということになる。


 とにかく、儀武院という生徒を探さなければ話は始まらない。

 吹奏楽部の幻惑的な音が響く中、ボクたちは部室を後にしようとした。

 ドアは錆びついてるために普通に押しただけではきちんと閉まらなかった。

 ドアに肩を押し付けて体重をかけるとギギッと錆びついた音が鳴り扉が沈んだ。


「確かにこれじゃ鍵はいらないな」


 ボクたちは視聴覚室に戻ろうと部室を後にした。

 部室から数歩進んだ時であった。

 勝手に部室のドアが開いた。

 勢い良く180度開いたドアは隣のコンテナにぶつかり、鉄板がたわむ音を立ててゆっくりと戻ってきた。


 ボクはカメラを持ったまま部室の中を覗く。

 急に暗いところを写したため、カメラの露光調整に時間がかかり画面はぼやけていた。

 ようやく明るさが調整されると、そこには巨大な蜘蛛の巣に絡め取られた獲物が写っていた。

 青白い肌、二本の足は天井に向かってくの字に曲がり、横に伸びた腕と一番下には逆さになった顔。

 そこから床に伸びるバネのような髪の毛。


 人間だった。


 カメラを外してよくみると、そこには網に絡まり壁に吊るされた少女がいた。

 あまりの異様な光景に、部室内はさっきよりも湿度が増し薄暗く不気味に感じた。


「どうしたの、登美とうみさん。大丈夫ですか?」


 舞座が駆け寄り切迫した口調で繰り返す。


 逆さ吊りになった儀武院登美の長いまつげがピクピクと揺れる。

 どうやら意識はあるようだ。


 青空を背に蜘蛛の糸に絡め取られた虫のように逆さ吊りにされた儀武院をボクと舞座でゆっくりと下ろす。


「怪奇蜘蛛男……」


 ボクがうっかりそう呟いてしまうと、舞座がボクの胸に飛び込んできた。


「それ、なんですか? 誰なんですか、蜘蛛男って。どういうことですか?」

「いや、違うんだ。なんでもない」


 取り乱した舞座はボクと儀武院を交互に見ながら、儀武院を抱きかかえる。


「蜘蛛男にやられたんですか?」


 儀武院の顔を覗き込み舞座がそう問いかける。


 そんなバカな話はない。

 蜘蛛男なんて怪人は存在しないし、ボクがうっかり口を滑らせた妄想でしかない。

 儀武院はゆっくりと天井を仰ぐと、コクンと顎を引いた。


「ええ。蜘蛛男にやられましたわ……」


 ボクは頭の奥が引きつり、気が遠くなるようなめまいを覚えた。

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