第11話

 秘密基地に戻ってすぐ筋トレを始めた。

 悩んだ時、考えがまとまらない時は筋トレをするに限る。

 筋トレによって答えが出たり、解決するようなことはまずないけど、疲労と汗と満足感が悩みなどを押し流してくれる。


 ボクの胸中を占めていたのは、恐怖、不安、そして期待の高揚。

 居ても立ってもいられない気持ちを収めるべく、肉体をいじめる。


 理蘭りらんがいつものように静かにドアを開け帰ってきた。


 バーベルを投げ捨てるように置き、声をかけるために駆け寄った。


「お、おかえり。あの、いいかな?」

「帰ってくるなり、汗びっしょりでハァハァ息を荒げながら迫ってくる人物に、『いいです』と答えると思ってるのかしら?」

「違う。そういう意味で言ってるんじゃないよ」

「そういう意味ってどういう意味?」

「だからそうじゃなくて」

「言葉を濁さないで。私がどういう意味で拒否したと坊やは想像したわけ?」

「それは……エロいこと的な……」

「私が、エロいことを、坊やにされると想像したと思ったのね。エロいことって何かしら?」

「そんな具体的なことまで追及の手を休めないのか」

「責めているわけじゃないわ。尋ねてるだけ。坊やが考えたエロいことってどういうことなの?」

「つまり健全な男子なら誰でも考えるようなことだよ」

「エロいことを考えない男子は不健全なの?」


 なんて意地悪な問い詰め方だろう。

 理蘭のペースにハマったら埒が明かない。

 ボクはゆっくりと息を吸って吐いた。


「わかった。それについてはいつか必ず説明する。だから今はボクの話を聞いてくれ」

「お茶を淹れるまでは待てるでしょ」


 理蘭はボクの前を通り過ぎるといつものように洗面所に向かう。

 着替えをして身支度を整えた理蘭はキッチンでお湯を沸かし始めた。

 やがて火にかけたヤカンがシュンシュンと音を立て、彼女はそれをティーポットに注ぐ。

 そこからまたしばらく、紅茶が抽出されるまでの間に、テーブルにティーカップとクッキーを用意する。

 理蘭はティーカップに紅茶を注ぎ入れ、ようやく正面の椅子に腰掛けた。


「どうぞ召し上がれ」


 すぐにでも話を聞いてもらいたいと前のめりだった感情は、彼女のゆったりとした仕草に洗い流されていた。

 理蘭に促されるままにミルクティを飲み、話し始める。


 演劇部の手伝いをすることになったこと。

 舞座まいざやミッシェルのこと。

 そして、密室で蜘蛛の糸に絡め取られたかのように拘束されていた儀武院ぎぶいんのこと。

 その時に撮った動画を理蘭に見せながら説明をした。


「――蜘蛛男だって言うんだ。幸い怪我もなく、意識もはっきりしてるのに」

「そう。変わった人がいたのね」

「いや、いるわけないだろ。蜘蛛男なんて」

「坊やが言ったのよ」

「そうだよ。だけど冷静に考えてくれ。この世の中に怪人なんていない。世界征服を狙う悪の組織なんて無い。そんなのは全部フィクションの世界だ。そんなことは毎日毎日ヒーローのことばっかり考えてるボクが一番良く知っている」

「ヒーローはいるじゃない」

「みんなの心の中にとか言わないでくれ」

「そう。世の中にあるもの、現象は人が望んだもの。ヒーローも神も人が望むからそこに生まれ、そして存在するのよ。共同幻想は集団を統制するための知恵だもの」

「そういう、精神的なことじゃなくて、もっと現実的な話なんだよ。たとえ怪人じゃなかったとしてもありえないことが起きてるんだ」

「ありえているから起こっているのよ。ありえないというのはただの主観だわ」

「でも実際に不可能じゃないか。ボクはちゃんと調べたんだ。入り口は一つ、その前にはボクがいた。でもちょっと目を離した瞬間、誰もいないはずの部室で儀武院が何者か吊り下げられてたんだ。ある意味、密室とも言える」


 理蘭はゆっくりと目を閉じて、そのまましばらく黙ると、顔を上げてボクを見た。


「蜘蛛の糸でもなんでもない、ただのネットでしょ」

「そう、確かにそうなんだ。セパタクロー部で使ってたネットだった。でもネットだろうがロープだろうが人を拘束するには十分だ。儀武院はネットに絡められ、壁にはりつけにされていた。何者かによって」

「どうして何者かなの?」

「蜘蛛男にやられたって本人が言ってるんだよ。儀武院が一人でやったということはボクも考えた。でも不可能じゃないか。部室の奥の壁に逆さに吊るされる形は自分一人でやるには無理がある。絶対に不可能とはいえないけど、あんな格好で吊り下がるには支えになるものだって必要だし、それなりの筋力がないと無理だ。少なくともあれほどの短時間ではできない。百歩譲って一人であの格好ができたとしよう。でもドアを開ける人間がいない。あの部室のドアは勝手に開いたんだ。絶対に部室の奥からは届かない」

「そういうこともあるのね」

「あるわけないんだよ! 普通の人間には不可能だ」

「蜘蛛男なら可能というわけ?」

「それは……もし、そういう存在がいるのならば、人智を超えたことをするかもしれないじゃないか」

「人智を超えたことを考えてきたのは、いつだって人間なのよ」

「ほら、もっと見てくれよ」

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