第25話

 ボクは逃げるようにして視聴覚室を出た。

 動機が激しく呼吸がおぼつかないのは、階段を一気に駆け上がったからじゃない。

 見つけてしまった。

 すべての原因を。


 胸の奥から沸き上がってくる理不尽への怒り、そして頭の中で渦巻いていた謎。

 暴力とは言い切れない。

 でも、教師という逆らえない立場を利用してのモラルハラスメント。

 それに対して、演劇部の部員たちはSOSを発信してたんじゃないか。


 追い詰められた儀武院ぎぶいん和門わもんもただ甚振いたぶられるだけの人形のようだった。

 この残酷な時間が早く過ぎ去って欲しいとでも願っているようだった。

 しかしどんなに辛くても、先生が相手では何も言えないだろう。

 訴え出たところで、閉鎖的な空間の中で行われることだけに、握りつぶされる恐れもある。

 そんな事態になれば状況は更に悪化する。

 逆に生徒として学校生活は追い込まれ、余計に苦しい思いをするかもしれない。


 だから、助けを求めたんだ。

 誰か他の者に、演劇部の内部の者でななく、無関係で証言できる人物に。

 怪奇蜘蛛男という一連の騒動は、この演劇部の悲惨な現状を訴えるための苦肉の策だったんだ。


 緊張で乾く喉にツバを飲み込む。

 目の前に悪がいる。

 そしてボクはヒーローだ。

 たとえ敵がどんな相手でも、敵わないとしても、傷ついている人たちを見捨てることはできない。

 恐怖のせいか、興奮のせいか、手が震える。


「落ち着くので?」


 不意に声をかけられ、驚いて振り向くと、そこにはひょうたんを差し出したミッシェルがいた。

 ボクはミッシェルから小ぶりのひょうたんを受け取ると、栓を開けて喉に流し込んだ。

 ドルルっとした粘性の物質が喉にへばりつく。


「濃っ!」

「ポタージュを?」

「なんでポタージュ! サラサラ感とか重視してくれよ! のどごし悪すぎる」

「栄養豊富かもだ」


 ボクの知らないところで世の中にはネットリしたものしか愛さない宗教でも流行ってるのだろうか。


「あいつだったんだな、怪人蜘蛛男は」

「わかったかもだ?」

「とぼけなくてもいい。儀武院さんも神藤の事件も、全部SOSだったんだろ。歪んだ世界を正したくて、でもどうにもできなくて、だから起こったんだ」

「全部お見通しなので?」

「もちろんだ」


 その時、ボクに駆け寄る一人の影があった。


「坊や、紹介しなさい」


 理蘭りらんだった。


 ボクは理蘭が走る姿を初めてみたかもしれない。

 彼女はほんの数メートルのダッシュで死にそうなほど息を乱して言った。


「今、ものすごく緊迫した場面なんだけど。紹介って?」


 ボクがそう聞き返すと、理蘭はスカートの裾を払い、居住まいを正してミッシェルに向き合う。


「お嬢ちゃん、忍者ね。球歌たまうた流」

「存知なので?」


 初対面のはずなのに、理蘭とミッシェルは打ち解けた表情で会話をする。

 完全にボクは置いてきぼりになり、口を挟むように紹介をした。


「こちらは忍者のミッシェル。で、雛羽すうう理蘭さん、ボクの……クラスメイト」

「日本の忍者は第四次忍者大戦で絶滅したと思ったけど。球歌流が外国で生きてたなんてね」


 理蘭は新発見をした科学者のような嬉しそうな表情で言った。


「なんだ、そのとってつけた設定。初めて聞いた」

「一般に知られていないから忍者の歴史なのよ」

「だって忍者なんているわけないだろ」

「本人も忍者だって言ってるのよ、忍者に決まってるじゃない」

「いやいや、自称っていうことがあるだろ。それにミッシェルはまだ一度もゴザルって言ってない」


 理蘭とミッシェルは顔を合わせ、哀れみを込めた視線でボクを見た。


「……ひょっとして、現実とフィクションの区別がつかないのかしら?」

「ぐぬぅ、忍者が出てきた時点で、そんなこと言われたくないよ」

「お嬢ちゃん、は言える?」


 ミッシェルはコクリと頷くと、派手な忍者装束の胸に手を差し込んだ。


「はぁ~、胸がチクチク痛む。これってひょっとして恋なので? と思ったらマキビシ胸に刺さってたかもだ!」

! ほら、本物の忍者よ」


 理蘭はの言葉に合わせて手を叩いてこっちを伺った。


にそれほどの証拠能力があるのか?」

「忍者じゃない坊やにが言えるのかしら?」

「そりゃ、言えないし考えたこともないよ。なら言える」


 そう答えると理蘭は顎を少し持ち上げ、かつてないほど目を見開き、小さい黒目でボクを見下した。


 ミッシェルがボクと理蘭のやりとりをみて、明らかにキラキラさせた目で理蘭を見つめる。


「なぜ忍者に詳しいので?」

「そうだよ。なんで雛羽はそんなに忍者に詳しいんだ!」


 理蘭は目を細めて辺りを少し見回し、一拍おいて答えた。


「ファンだからよ」

「ファンって。軽い! もっと縁のある人物とか、研究家とかじゃないのか」


 理蘭とミッシェルのすっとぼけたやりとりに付き合ってる場合じゃない。

 ボクは演劇部の闇を見た。

 今、彼女たちを助けられるのはボクしかいない。


「理蘭、全部わかったよ」

「そう。よかったわ。これ以上首を突っ込むのはよくないもの」

「何言ってるんだ。ボクが解決する。ボクが蜘蛛男を倒すんだ!」


 理蘭は目を細め、口元をへの字にしてボクを見る。


「どうしてそうなるのかしら」

「理蘭だって見ればわかるよ。これはボクの事件だ。ボクじゃなきゃダメなんだ。マイティ・ジャンプじゃなければ!」


 そう言ってボクは制服の胸を開いた。

 下に着込んだラバースーツが顕になる。

 赤いスーツにオレンジのライン。

 背中のマントを引っ張って整える。

 ズボンを脱ぎ捨て、腰のベルトをグッと締め、武器の内蔵された大きなバックルを装着する。

 そのバックルにはMJの文字が浮き彫りにされている。

 ボクの戦い。

 二代目マイティ・ジャンプ初めての戦いだ。


「わかってるのよね?」


 理蘭は首を傾げて上目遣いでボクを伺う。

 ボクはマスクを被って力強く頷いた。


「お嬢ちゃん、私も見たいわ。協力してくれる?」

「変装せにゃコトだ」

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