第3話

 学校が終わるとボクは、いつものようにマイティ・ジャンプ秘密基地にて装備の手入れをすることにしている。


 トルソーにはマイティ・ジャンプの改良中のスーツがかかっている。

 壁には縁の刺繍が入った白いマント。

 スーツは鮮やかな赤、脇から腿にかけてオレンジのラインが走る。

 プロテクターの仕込まれたラバースーツで、銃弾は弾けないまでも、ちょっとやそっとの衝撃ならまったく効かない。

 マスクもファイアトーンの縁取りが虎の顔のように流れるデザインで、外は超硬質、中は軟性素材でできている。

 薄いながらも市販のヘルメットに引けを取らない安全性だ。

 ベルトやグローブ、ブーツには武器や工具が仕込まれている。

 作業台には水につけた砥石や機械油が整理して並んでいる。


 子供が遊びで作ったような秘密基地などではなく、マンションの一室、元々キッチンカウンターだったものを改造した製作工房だ。


 ボク、比糸びいと愛生いとおは普通の高校生だ。

 特殊能力もなければ、変わった環境で育ったわけでもない。

 家にいる時は平凡な両親の前で善良な息子を演じるし、家庭にヒーローを持ち込むようなことはしない。

 だから、こういったヒーロー活動をするための拠点が必要になる。


 どうしてこれほどまでにヒーロー活動をする上で恵まれているのかというと、ボクはマイティ・ジャンプの二代目だからだ。

 この秘密基地は初代マイティ・ジャンプが住んでいたマンションで、ボクはそれを借り受けた。

 高校生では金銭的にもとても手の出ない装備品やコスチューム、手に入りにくい資料など、ほとんどのものを初代マイティ・ジャンプから継承されている。

 その受け継いだ思いの分だけ、半端な覚悟でヒーロー活動をするわけにはいかない。


「ただいま」


 ドアが静かに開き、女の子が入ってきた。

 玄関に座り込んで靴を丁寧に脱ぎ、こちらを振り返る。

 一つに結った長い黒髪がゆったりと踊る。

 雛羽すうう理蘭りらんだ。


 相変わらず不機嫌なのか何も考えていないのか、状態の読み取れない表情をしている。

 半月形の目は、眠そうに半分閉じられ、小さな黒目が揺れる。

 唇は大きく口角が少し上がっている。

 口元は笑っているのに、目元は怒っているように見えるいつもの顔。

 肌は白く、パーツの一つ一つは丁寧に作られていて人形のようでもある。


 ボクのようなどこにでもあるパーツを適当に配置しましたという顔とは精度が違う。


「おかえり。参ったよな、さっきは」


 そう言うと理蘭は口の端を片方だけ持ちあげて息を吐き出す。


「クラスの人達はあとで噂したんじゃないかしら? 『天使が舞い降りた』なんて。今まで手の届かない存在だったのに、親しみやすいところを見せてしまったわね」

「あれで見せてたのか。まぁ、確かに噂にはなっていた」

「困ったものね。出来る限り人に影響を与えないよう、静かに過ごしたいのに。生きている以上はそれも無理なのよね。人が私に聖女のように振る舞うことを期待しているのはわかっているわ。でも私はただの美少女に過ぎない。『あなたの心に抱いている女神とは違うのよ』なんて打ち明けたら酷でしょうね。言葉は残酷なくらいに精神を定着させてしまうから」


 理蘭は確かにそれなりのルックスではあるが、それを上回る大言壮語である。

 驚いたことに彼女は冗談で言っているわけではない。


「そのうち、わかってくれる人も現れるかもしれないな。5億人に一人くらいの確率で」

「わかってもらわなくてもいいのよ。幻想を言語化して明確になんてしない方がいいの。他人が私のことを天女だと思い込んでいたら、その人にとっては天女でかまわないわ。私にはその想いを背負う義理はないけれども、わざわざ否定するのも可哀想だもの。それに――」


 理蘭は目を細めて、小さくため息を吐く。


「――世に溢れた愚かな人が口走る『本当の自分をわかって欲しい』なんて言葉は、自分が一番油断した、だらしのない、無様な姿でも嫌いにならないでくれって都合のいい注文をつけてるだけだもの」


「少なくともボクはが天使でも聖女でも女神でも天女でもないことを知ってるよ」

「あらそう。でも、それも誤解かもしれないわよ」


 そう言って理蘭は洗面所に手を洗いに行った。


 理蘭との会話は、いつもだいたいこんな感じだ。

 学校では不気味だと恐れられているけれど、二人きりになるとそんなことはない。

 むしろきっかけさえあれば饒舌な方だろう。


 理蘭と話していると、彼女の言葉に翻弄されて思考が麻痺してしまう。

 そして会話の後に襲ってくるのは猛烈な焦燥感だ。

 彼女の、あの傍若無人な言動に憧れている自分に気づくからだ。


 理蘭は間違いなく個性的だ。

 それも度が過ぎていて奇人といってもいいだろう。

 対してボクは個性というようなものは何も持ち得ていない。

 人より秀でたものはないし、かと言って劣ってるような部分もないとは思う。

 普通のどこにでもいるつまらない人間。

 それこそがボクの一番のコンプレックスだ。


 何もない自分が許せないからこそ、ボクはヒーローという他とは違う存在に焦がれ、マイティ・ジャンプになったのだ。

 でも、ヒーローになったからと言ってそれで自分の心が満たされるという簡単な話ではなかった。

 ボク自身の性格や思考は、外側が変わったところで何も変わらない。


 個性的な言動をしてみようと思うこともある。

 しかしいざそうしようとしても、周りの目を気にしてしまい、逸脱する勇気が出ない。

 昼沢ひるざわに茶化された時も、胸を張ってヒーローが好きなことを公言すればよかったはずだ。

 だけど、それを笑われでもしたら立ち直れない。

 どうでもいいことならいい。

 背が低いことや、顔がぼんやりしてることをからかわれても、苦笑いで逃げることができる。

 でも、ヒーローが好きだという自分の一番大切なところを否定されたら、すべてを失ってしまう。

 そんなことを考えすぎて、周囲の顔色をうかがい、恥をかかないように生きてきた。


 そんなボクの悩みを、個性的な人間は軽々とまたいでいく。

 理蘭の言動は、『変に思われても気にしない覚悟』というような気合の入ったものですらない。

 ただ当たり前の振る舞いとして、彼女は自由に世界を闊歩する。


 そうしたくてもできないボクの卑小ひしょうな心をあざ笑うように。

 彼女の普通が羨ましく、余計に自分が惨めに感じてしまう。


 ボクのそんな気持ちを知りもしない理蘭は、着替えてくるとソファに座り、横においてある籐の籠から毛糸と編み針を取り出す。

 そしていつものようにものすごいスピードで手を動かして編み始めた。


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