152節

152 鉄穴凛子

 何言ってるんだろあのオッサン。私はそんなことを考えながらノートを必死に取っている。ちんぷんかんぷんだが、まあ、あとで図書館に張り付いて本を漁れば多少理解出来るだろう。取り敢えず、今は書き取らねば。

 しかし、相変わらずその教授――事実その不親切な講義姿勢で悪名高い――の言っていることが訳分からないので、私は、彼が黒板から離れて、つまり板書を放棄して呪文のような文言を吐き出すのに専念し始めやがったのを機に、退屈を紛らわせるため、自分一人の考え事に没入するのであった。

 こういう思索の際に私が扱うことが一番多いのは、やっぱり、二年前のあれだ。なんだか、他の生き残りの連中は忘れただのなんだのと言っていたし、私も、医者に余計な心配や施術をされるのを嫌がって「感染中のことは綺麗さっぱり全部忘れました。」なんてほざいてみたが、しかし実際には、私は最後の数週間のことを精緻に記憶している。鏑木が織田だか誰だかを射殺してきたと言いだして私が彼女の胸倉を摑んだ時、その少し前から、私は全ての出来事を憶えているのだ。そう、全て、憶えている。私が愚かしくも彼らを軽蔑していたこと、そして、彼らもまた愚かしいことに、そんな生意気な私を全力で護ってくれたこと、私は、それらを決して忘れないだろう。絶対に、忘れてやるものか。傲慢で、しかも無力この上ない存在であった私を護り、そして鏑木に至っては糧となることを望みすらした、彼らからの、最早私なんかには分不相応な献身、その上に私の命は生き永らえているのだ。これによって私は、彼らに恥ずかしくない生き方をせねばなるまいと思い、誓い、高校生活に戻ってからは、他に何も思いつかぬこともあり、取り敢えず只管に勉強したのだ。その結果として現在、誰に言っても恥ずかしくない、この国の五指に入るであろう大学に通っている。合格の折り、お父さんは、これで母さんも喜んでいるだろうと、大層嬉しがったが、私の努力の根柢は、この命を拵え育んでくれた両親ではなく、寧ろ、命を抛ちつつ命を護ってくれたかつての仲間達によるのであった。とりわけ、鏑木、私は彼女への恩、そして彼女への憧憬を決して忘れることはないだろう。強く、優しく、そして凛々しかった彼女。

 私は今舐めた態度で講義に臨んでいる訳だが、断じて、これはこの教授が至極やる気のない講義を展開しているせいであり(学期末の授業アンケートの時には見てろよこの野郎。)、普段の講義は真剣に受けているわけで、事実成績も上々である。これも、彼らへの私なりの恩返しと言うか、そういうものなのだ。私はこうやって、せめて真面目に生きていくことで、有能に生きていくことで、彼らの死が無駄にならないように、つまり、彼らの、誕生からあの時までの人生を無駄にしないように努めている。そうしなければ、あまりに彼らが浮かばれないでないか。私よりもずっと逞しく、ずっと賢しかった彼ら。

 そう――自分で言うのもなんだが――彼らは私の営みによっていくらかでも救われる筈なのだが、しかし、他の連中はどうなのだろうか。躑躅森が零していた、ミチカワやアシハラと言う名前の男達、簑毛夫婦が言及していたフシミスズなる人物、綾戸が挙げたエバタという名、そして何よりも、霊場の精神を塗り潰す程の魅力を持っていた筈のアマネという女、彼らは、そう、綺麗さっぱり忘れられてしまっているらしいのだ。あまりに、不便ふびんではなかろうか。当然彼らは、あの最後の日に集まった各々の生存にいくらか、いや、恐らくは大いに寄与した筈で、それが、まるで何もなかったかのようにされてしまっている。唯一の語り部が記憶を奪われたことで永遠に失われる彼らの英雄譚、あまりに、理不尽ではなかろうか、哀しくは、なかろうか。

 私以外の生き残りは、今、どうしているのだろうか。簑毛と旧姓箱卸が(案の定)結婚したことは、式に喚べないことを叮嚀に詫びる手紙によって知らされていたが――そりゃまあ、めでたい式において「こちら共に殺し合い生活を生き延びた方々です。」何て血腥い紹介不可能だろ――残りの面々については全く分からない。特に霊場のことが気になる。彼女が臆面もなく姉と呼んで慕っていたアマネキョウコ、当時霊場は、その人格を、知性が不足している憾みはあれど概ね受け継ぐことが出来たと、とても嬉しそうに語っていて、事実治療を経て記憶を失っても、人形のような顔と口調を恢復することはついぞなかったが、今現在はどうなのだろうか。もしも彼女が今も、豊かな表情と滔々たる女性らしい口調をそれぞれ毀たずに保持し、かつ少しでも知性を身に付けようと努め続けているのであれば、アマネが霊場へもたらした影響は、単に存命だけでなく、あらゆる意味で今も息づいているということになるのだが。すなわちそうであるのならば、アマネキョウコの人生に意味が生まれる訳だ。顔も知らないが、かつて難敵であった女傑、すなわち私よりも余程生き残るべきであった女性の人生に意味が生まれる、これは、非常に重要なことだろう。

 ここまで考えて、私は思いついた。そうか、別に必ずしも直接記憶していなくとも良いのか。そう、例えば霊場の場合、もしも彼女が今もアマネらしいのであれば、アマネキョウコという人物は、あるいはそれが為したことは、現在も息づいていることになると今確認したわけだが、ここまで強烈でなくとも、ある人物からの影響が精神の中に根付くというのは充分可能なのではないだろうか。私が鏑木達によって少しはまともな性根を持った人間に直されたように、躑躅森や簑毛に綾戸、その他彼らも、いくらかでも心の形をかつての仲間達によって変貌させられたのではないだろうか。記憶が伴わない以上、それは意識下のものとなってしまうかもしれないが、しかし、それでも、何もないのに比べれば、どれ程かの死者達の魂が救われることになるだろう。

 愛すべき生き残り達よ。あの時の霊場にも言ったが、長生きしろよな、お前ら。諸君らが一刻一刻を生きることが、その息吹こそが、名も忘れた仲間達への最高の鎮魂歌となるようだからさ。

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