151節

151 簑毛圭人

 僕は、生家の居間、一階の店舗の上の階に設えられたそれにおいて、ぐだっと横たわっている。今日もへとへとだ。勿論、親父や沙保里に比べたら労働時間は短い筈なのだが、しかし、どうにもああいう力仕事は苦手で。

 僕は高校を出た後、この家業、今も下できびきび行われているそれを継ぐべく、必死な修業を始めるつもりだった。駆け出しの板前見習いが偉い目に遭っているのを、否応無しに僕はしばしば認めつつ育ってきたが、それでも、僕は親父の仕事を恰好良く思ったし、親父そのものも恰好良いと感じていたので、死ぬ気で修業をこなす覚悟を決めていたのだ。しかしなあ、よもやあんな出来事に見舞われるとは。もう、僕は庖丁を持つことは出来まい。厨房に近づくことすら憚られるので、あれだけ好きだった料理もめっきりしていない。そんなわけで、高校から何となく斡旋された工員としての仕事を、僕は何となくこなす日々なのである。

 あの出来事、そう、あの、ヴィールス漏出がもたらした、この上ない悲劇。沙保里はそこでの記憶の大部分を失っている様だけれども、幸いだろう。僕は、結構な部分を記憶してしまっていた。竿漕さんと筒丸さん――後に敵対することになる彼女ら――達とともに、たまたま見かけた男女を強襲し、そして、いとも簡単に殺害した場面、まるでそこで、一本に繋がる記憶の聯関を輪切りに断ち割って、用途に適さぬ方をシンクに棄てたかのごとく、それより前の記憶は一切ないのだが、それ以降のことについては全てを詳らかに記憶していた。恐らく、命懸けの戦いという状況が、火事場の馬鹿力と同じ機構によって僕の記憶力を――忌ま忌ましいことに――したたか増強させたのだろう。そしてまた、輪切りにされたものの常として、そう、まさに大根と全く同じように、僕はその断面こそを最も良く把握することが出来てしまうのであった。僕が人を、長過ぎる庖丁で殺し、また、筒丸さんが筆舌に尽くし難い凄惨な手段を用いて女性を殺害した情景、僕はそれを特にまざまざと、昨日のことのように憶えているのだった。どう考えても、最悪だ。何故、よりにもよって僕の脳はこの場面を輪切りにしてしまったのか、もう数分後の場面に刃を落としてくれれば、こうも苦しまずに済んだだろうに。

 苦しむと言っても、ふとした拍子で大声を出して呻きだすとか、寝床でいきなりがばりと身を起こすとか、そういう、あからさまな苦悩症状は一切なかった。ただ、庖丁を持とうとする度にあの場面を思い出すことが、そしてそれによって庖丁を持てないことが、五十肩の罹患者が腕を上げられなくて辛いと言うのと同じように、辛いのだ。思い通りに行かずに身を焼く、そう言う意味でのみ僕は苦しんでいる。

 その場面の記憶において恐ろしいのは、凄惨さ自体もそうだし、筒丸さんの聖具から匂い立った香ばしい薫りもそうだが、その他に、当時の僕の感情というものもある。名も知らぬ男子学生を、切り伏した、というよりは、真っ二つにしたその瞬間の僕が感じたことは、「筒丸さんの方は無事に終わったか?」とか、「これで食事にありつけるな。」とか、精々そんなところだったのだ。つまり、自責の念とか、あるいは、せめて血腥さへの嫌悪とかそういうものは一切なく、ただ、日常的な行為として殺人を行ったのだ。一体、それまでの、闇に葬られし約二ヶ月において、僕はどの様な日々を過ごしていたのだろう。何が僕をその様な冷血漢に仕立て上げたのだろう。その部分を一切思い出せないというのは、寧ろ、救いなのかもしれないが。

 僕の心を奪う場面は他にもいくつかあった。その中には、竿漕さんと箱卸さん――我が伴侶、沙保里の旧姓――との間の大舌戦とか、また沙保里と共にオキタ達を撃退した時のこととか、そういった場面がある。これらの場面によって僕は沙保里の秀でた理智を思いださせられ、果たして彼女が板前になってしまったらその知性を活かすことが叶うのだろうかと少し憾めしく思いながらも、やはり、それらよりも重要な場面があるのだ。最後の最後、彼女と初めて固く抱きあった……いや、その前だ前、武智君を鉄穴が射殺した瞬間のことである。

 彼が、そして竿漕さんが訴えていたことを全て鑑みるに、果たしてあの武智君は本当に死なねばならなかったのかと、いく度も考えさせられるのだ。勿論、ヴィールス治療の枠が七人分しかなかった以上、誰かがあそこで死なねばならなかった訳で、また、全ての死の罪と原因はあのヴィールス――あるいはそれを漏らした大馬鹿野郎――に帰属されるべきだろうが、すなわち、彼個人としては、何も負い目がないのにもかかわらず突然訳の分からないヴィールスに感染し、発症され、そしてあの凄惨な世界に連れてこられたのである。人の肉を喰らってでも生き延びようとした彼だ。余程元の居場所に、やり残したことというか、未練があったに違いない、それこそ、僕が家業を継ぐべく生還を目指していたのと同じように(僕の場合は図らずも反故になったが。)。そして、その彼の、人食と言う更なる禁忌を犯してでも達せねばならなかったことが、人食家であるという風評によって名誉を毀たれることで達成せし得なくなる場合、彼は、それによってどれだけ絶望するだろう、そしてそれをどれだけ怖れるだろう。ならば、彼が大量の端末を抱えることで唯一の生還、完全な証拠の湮滅を伴う完全な勝利を求めたことに対して、そこまで責めることが出来るのだろうか。あのときの霊場は、あるいは、霊場の身に降りていた周の魂は、彼の行為を下賤の極みと糾弾したが、本当にそうなのだろうか。目的のために如何なる手段も憚らなかった彼の精神は、もはや高潔ですらあったのではないだろうか。分からない。肝腎の霊場は記憶をすっかり無くしていたようだったし、余計な問いかけによって、実は冬眠しているだけかもしれぬそれを呼び覚まし、彼女を激しく傷つける権利など僕にないのだから、そして沙保里に対しても同じなのだから、僕は僕一人でこの問題、武智恵の行動の正当性と、その死の正当性について考えなければならないだろう。彼は鉄穴より弱かったから鉄穴に殺された、それは勿論そうなのだが、もっとより深く考えねばなるまい。だって、あの状況で鉄穴の戦闘能力と、武智君との主張との間には何ら関係がなかったのだから、やはりこの問題は、実際の生死や勝敗とは無関係に考えるべきだろう。武智恵は罪人であったか、そして、その罪は死に値したか。

 僕は、高校を出てからは特にこんなことばかりを考えて日々を過ごしていた。図書館から本を借りてみて、哲学の入門書、特にトロッコ問題とか臓器籤とかを扱うようなものを読み漁ったりもしている。しかしまだよく分からない。そして答えが出るかどうかも分からない。とにかく僕は、長い間このことについて、そして他のあまりの多くのこと、あの生活で得た生と死の体験について考え続けることになるだろう。一時期、こうした思索から得られた結果を纏めたら世のためになるかと思ったこともあったが、しかしそんなことをしては沙保里や他の生き残りに対してあまりに迷惑がかかる。せめて、もっとあの事件が風化してから、そしてあの事件の雰囲気を行間から消臭しきる伎倆や賢さを僕が得てから、匿名でそうすべきだ。それまでは、僕は無気力な若者として、機械的に機械を弄り、そして沙保里と愉しく語らうだけの人間として、ただだらだらと過ごすことになるだろうか。まあ、いい、これで良いのだろう。我武者らに努力することは、寧ろ誰にでも出来るのだ。あの殺し合いから生還して、そしてあの殺し合いの記憶により苛まれている者にのみ可能な、この、くすんだ紫色の怠惰、僕はこれを、僕だけが出来ることとして噛みしめていきたい、果たしていきたい。寧ろこれこそが、僕の責務ではないだろうか。僕がしなければならない、重要な仕事、

 ちらりと時計を見ると、日付が変わっていた、うむ。そろそろ親父達が片づけを終えて上がってくる頃だろう。お茶を煎れる準備でもしておこうか。本当は眠りたくて堪らないが、しかし、明日は僕もこの店も、つまり、僕も沙保里も休みなのだ。ならば、そう簡単に眠る訳にはいかないだろう、特に、今宵ばかりは。

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