146節
146 鉄穴凛子
ミナゴロシ! その衝撃的な響きによって私の虚勢はまた
私が口を開く。
「何故、何故、私達が鏖になるのよ? しかも、その端末を弄ぶことと何の関係があるのさ。」
ミノモは、ハコオロシとひっついたままでまた喋りだす。
「だってさ、この殺し合い、普通の方法では鏖なんて不可能なんだよ。残りが七人になった時点で終了なのだから、どうしたって自分以外に六名の帰還を認めざるを得ない。
これを打ち破るには、つまり、自分だけが生き残りになるにはどうすればいいか。簡単だ。端末の脱着を利用して、自分一人の身によって七人以上の生存を保証、あるいは偽証すればいい。早い話が、七つの端末を身に纏うんだ。」
すぐ横のハコオロシが、ミノモの顔を見上げつつ、
「え、そんな、そんなこと可能なの?」
「さっき僕が緑川の端末にまやかしの生存判定を与えた時は、全くもって上手くいった。その、女性と思しき緑川の……女性だったよね?」
「そうだよ。」と綾戸。
「では、そう、女身の緑川の手首と僕の手首では全く太さが違う筈なんだ。事実、さっきは拘束帯が不足気味で辟易したものだよ。しかしね、肝腎の判定においては一切問題なかった。適当に手首へ握りつけただけでも端末は完全に機能したし、実際綾戸さんとの通信すら可能だったんだ。と言うことはさ、この端末、存外いい加減なんだよ。これは低性能とか手抜きとかそういう意味ではなく、寧ろ、装着者の体調に変化があっても困らない様にという配慮な気もするけれども、とにかくこの端末は、装着者の血圧や脈搏、そして手首の細さなんかを見分けたりは一切しないようだ。ただ、一定以上の人間らしさが認められれば、きっと、生存判定を下してしまうんだと思う。例え、その端末が一度死を認定していたとしてもね。と言うことはだ、この端末、必ずしも手首に着けなくとも良いのではなかろうか、もうちょっと肘に近い辺りとか、あるいはもっと大胆に足首とか、そういう場所を総動員すれば、何とか七つの端末を装着出来るのかもしれない。」
佐藤が文句を言う。
「しかし、あなたは気軽に装着という言葉を使いますが、今のところ、その残り人数を誤魔化している者がどうやって一度ベルトを切り裂いた端末を再装着するのか、すなわち手首なり足首なりにぴったり固定するのかは、よく分かっていませんよ。すなわち理由の前に、可能かどうかも分かりません。」
「それは、確かにそうだ。どういう手段が使われているのかは考えないといけない。」
私が言い出す。
「それよりもさ、ええっと、あなたの話を纏めると、七つの端末を装着した奇人が一人きりでの生き残りを狙っているということだよね。まあ、その機構は分かったよ。でも、理由は? 何でそんな訳の分からないことまでして、唯一の生存者になりたがるのだろう。」
ミノモは少し顔を伏せてから、どうにか漏らすように、
「その〝奇人〟が本当に武智君であるのならば、恐らく、彼の負い目のせいだ。」
「負い目?」
「竿漕さんが僕達に人食行為のことを白状した時、彼女には一切臆面がなかった。それが僕と箱卸さんの神経を大いに逆撫でして彼女を窮させたくらいに、竿漕さんは堂々と、本当に、まるで先週末の旅行先で舌鼓を打った珍味の話でもするかのように平然と、人肉や仲間を喰らうことについて話したんだ。つまり、彼女はもしも最後まで生き残った後に、それが周囲に知られても、『生き残る為にやったことだ、何が悪い。』と、心の底からの確信と共に開き直ることが出来ただろう。一切の蟠りを覚えずに済んだだろう。しかし、残りの二人はどうなのだろうか。筒丸桃華は、そして何より、武智恵は、生還後、周囲に人食のことを知られて、それに耐え得る性格であっただろうか。実は少々、いや、かなり疑問なんだ。竿漕さんは極めて強かな女性だったから、そんな彼女でこそああ言う態度が取り得た訳で、つまり、尋常の精神では、そんなこと不可能ではないのだろうか、と。」
私は少し考えてから、
「成る程。」
とだけ呟いたが、霊場は納得しなかったようで、
「ミノモ、しかし、解せない、ことがある、」
「何だい?」
「今、……は、そう、その。タケチメグムが、七つの端末を纏いて、我々を脅かしていると、そう、言うのですね、」
「その通り。」
「では、やはり解せぬことがいくつも、ある、まず、既に七つの端末がタケチメグムの元にあるのであれば、何故、そのタケチメグムは、新たに、ツミキの端末を試みる必要があったのだろうか、つまり、それを装着してみて、カンナからの通信に戦く契機を得る、ことが、何故あったのだろうか、」
「そっかぁ。」と口を開いたのは箱卸。「じゃああれだね、恵君、と決まった訳じゃないけれどもとにかく今端末蒐集家と化している某は、もしかすると、まだ目標の端末数に到達していないのかもね。それで、ツミキさんの端末を装着してみることになり、操作に四苦八苦している間に、カンナさんから通信が来て、慌ててそれを壊すなり外すなりした、と。」
霊場は小さく頷いた。
「成る程、では、それは、それでよいと、しよう次の。疑問として、その、端末の、調達手段が、謎めいている、」
「どういう意味かな。」とだけ、ミノモ。
「言葉の、通りだが。そう、つまり、そのタケチメグムが、端末をどうやって得たのかが、わからない、と言っているので、」
少し、苛立たしげに眉を顰めたミノモが、
「何を言っているんだ、それは話したじゃないか。どうやっても何も、死体から端末を奪うだけだよ。ほら、そこのツミキさんがされたように、右手首の辺りを切断すれば、簡単だろう。ああ、言っていなかったけれども、武智君の聖具であれば、腕の切断なんて極めて容易だ。」
霊場は頻りに
「何度も言わせないで、下さい、その、端末の得る手段が、わからないと、」
「そっちこそ、同じことを言わせないでくれよ! 何度も何度も、さっきから説明しているだろう!」
恐らく霊場の捗々しからぬ語り口への苛立ちが大いに与した結果として、とうとう強い声を発したミノモの勢いに、霊場はちょっとのけぞって、某かを口籠り始めた。相変わらず紙幣の肖像のような顔面を微動だにさせない霊場ではあるが、しかし、もしかすると弱り切っているのかもしれない。なにせ、ただでさえまともに話せない彼女が、強烈にどやされたのであるから。実際ハコオロシに怒鳴られた時には、それ以降ハコオロシを刺激するのを憚っていたようだしね。
で、そんなハコオロシは、いきり立ったミノモを宥めようと必死になっているし、もしも平時であっても、よもやミノモに対抗する言葉を頑張って弁護する気にはなるまい。となれば、この哀れな霊場を護ってやれる人間は少ないわけで、私も、不足気味な知性を振り絞ってやるべきな気がする。しかし、本当に意味が分からないんだよなあ。正直ミノモが逆上するのも――短気だなぁとは思うけれども――分からなくはない。どうやっても何も、この、鏑木が受けた忌ま忌ましい仕打ち以外に何の説明が要ると言うのか。
「だから、その、そう、つまり、カンナの、いえ、ツミキの、死体が、いえ、死が、明滅したことが、」
「だから、ツミキの名前が消えたり現れたりしたのは、武智君か誰が彼女の端末を着け外ししたせいだと、さっき、箱卸さんが言ってくれたろう!」
ミノモはなんだかますます茹で上がっているし、しかもハコオロシを引き合いに出した以上、彼女からミノモへの援護はますます強まり、つまり、ますます霊場が窮することになっている。これは非常に
私が僅かな時間の内にそこまで心配していると、また、霊場の不器用な口が開かれ始めた。ここだ。この霊場の言葉から、彼女の主張を汲み取ってやらねば、全てが終わってしまうかもしれない。集中、せねば、
「だから、そう、いいですか、ツミキや、ミドリカワの名が、明滅するということから、その、端末の調達は、非常に困難、もしかすると、不可能であるのでは、と、すら、思われるので、」
また何かを怒鳴り散らそうと、ミノモが一つ息を吸う。やばい! 結局霊場が何を言いたいか全然分からなかった!
「そうか!」
しかし、霊場の言葉の次にこう叫んだのは、ミノモではなく、私のすぐそばの綾戸だった。劈かれた私の耳が恢復しきらない内に、彼女は興奮した様子で、
「霊場の言う通りかもしれない。成る程、この状況では、端末の調達は中々厄介だね。」
「どういう意味だ?」と中途半端な声音のミノモ。
「つまりさ、確かにその、緑川や鏑木の名前が私や鉄穴の端末上で出たり消えたりしたことが大問題なんだ。さっきハコオロシも言っていたけれども、すなわちこれは、一旦死亡判定を受けた人物も、一度生存判定に覆れば、また登録先の端末上に名前が浮かび上がるということなのだから。
となるとさ、そのタケチは、どうやっていくつもの端末を確保したのだろうね。だって、今ここには殆ど全ての、所謂〝強豪組〟のメンバーが集まっているんだよ? そうしたら、その強豪組の内の誰かの名前が復活したら、ここに居る誰かが気が付く筈だ。丁度、鉄穴が鏑木の端末の蘇生に気が付いたように、……と、」
綾戸は霊場のほうを見やってから、
「こう言いたいんでしょ?」
霊場は頷いた。
「感謝、します、その通り。更に私は、迚野、那賀島、沖田の端末までも、登録する機会を、以前、得ていました。となると、本当に、我々の恢々たる天網が、見逃す余地は、限られてくる。那賀島らの一派、私達周姉様傘下、井戸本ら一向、葦原達、彼方勢、武智の党、これらのどこかに属する人間の、端末は使えない、我々の内の、誰かが気が付きますので。しかし、最終盤まで、逸れが、多数生き残った筈は、佐藤によると、ないのだから、彼ら逸れの死体を、タケチメグムがいくつも、いくつも発見、したというのは、やや、困難な、想像。私が、言いたかったのは、こういう、こと、だ、」
私は納得して、
「そうか、確かに謎だね。そこを説明しないと、あなたの話は受け入れ難いかもしれないよ、ミノモ。」
すっかり頭を冷やされたミノモは、難しげな顔をしてウンウンと唸ってみたが、しかし、この霊場の話に反駁出来ないようであった。横のハコオロシも同然の様子であることを認めたツツジモリが、
「じゃあ、ミノモの言っていたのは全部与太話だったってことか? 一から考え直しかよ。」
「アンタが何を考えたというのさ。」
この綾戸の揶揄いに躑躅森はすぐ反応して、
「何言っていやがる。そもそも、竿漕達が怪しいと指摘したのは、ミノモやハコオロシが認めるに気が進まなかった事実を指摘したのは、他ならぬこの俺だぜ。」
「そうだね。今アンタが与太話と論った話を始めたのは、他ならぬアンタ自身だったということだね。うん。」
ツツジモリの顔が口惜しげに、しかし本気で苛立っているようには見えない塩梅で歪む。それを受け止める綾戸の顔は、純正の愉快を浮かべていた。何でこの二人、出逢ったばかりなのにここまで仲がいいのだろう。馬が合わな過ぎて逆にあっているというか、そんな感じもする。体格も対照的だし。
「こんにゃろ、言ってくれるじゃねえか。」
綾戸は間を取ってから、
「それだけ? 中身のある言葉で抗えないの? ……まあ、でも、その必要もないと思うけれども。」
ツツジモリが怪訝そうに言う。
「どういう意味だよ。」
「だから、私は――甚だ不本意ながら――アンタの言いだしたことに反対ではないもの。つまり、ミノモの話も信用したいと思っている。」
まず霊場が反応した。彼女は綾戸を指し示しつつ、
「ということは、……は、」
顰む綾戸の眉。
「私の名前は空白でも三点リーダでもないのだけれども。よく分からないけどさ、呼称に悩むくらいならば、呼び捨てでも何でも良いから名前で呼んでよ。」
「では、綾戸は、私は指摘した点、綾戸が説明してくれた点について、自分で反駁を果たすことが、出来ると、言うのですね。つまり、我々の、夥しい、蜘蛛の巣のように蔓延る登録情報の亡霊を搔い潜って、タケチメグムが、端末を蒐集する手段が、ある、と。」
「あるよ。そもそもあなたは大きな勘違いをしている。私が、同志達全員を登録していたと、勝手な早合点をしているよね?」
驚いた私が声を出した。
「え、違うの?」
「違う違う。言ったでしょ、私達は確かに一団として行動していたけれども、しかし、あまりにも人数が多かったから、ロクに口も利いたことない同志が何人もいたんだよ。で、そんな状況だから端末の登録もついつい疎かにしがちで、自分あるいは井戸本様に近い辺りの人間以外は、殆ど登録していなかったんだ。」
「ん? でもよお、お前はともかく、全員登録を目指していた佐藤なら登録していたんじゃないのかよ。そういう面々も。」
「いえ、躑躅森さん。恐縮なんですが、先程申しましたように、井戸本組の全登録は全く間に合わなかったのですよ。その前に、残り人数が二十五人になってしまいまして。つまり、僕が登録していない内に死亡した井戸本の人員は、かなりの数に上る筈です。」
「成る程。」
わりかし元気になったミノモが、こうして、水を得たように喋り出したのはいいが、
「じゃあ、綾戸さんの仲間、つまり、井戸本組のメンバーから七人分の端末を回収すれば、今の状況でも、唯一の生き残り狙いが可能ということだね。」
その語調はだんだん尻窄みになっていった。
「弱ったな、しかし、そんな大人数、本当に搔き集められるのだろうか。高校側に加えて大学も彷徨けた時期に、そんな、特定の人種を五人も六人も死体にする、あるいは、死体として見つけることが可能だったのかな。しかもかなり時期が限られる。僕達が武智君と訣別した瞬間から始まり、残り人数が二十五人になる瞬間、あるいはもう少し先まで。こんな短い期間に、そんな芸当が可能だろうか。」
綾戸が平然と、
「巡り合わせによっては充分可能だったと思うけれども。ねえ、鉄穴?」
私は何を言われたのか分からず、数瞬呆けて、そして理解した瞬間には、あ、と叫んで、表情を凍りつかせてしまった。綾戸は――ああ、何と強かなことか!――この状況ですら私に気を遣ってくれて、
「御免なさい。軽率だった。」
そうこっちに呟いてから、皆に向かっても話し始めた。
「私は、というか、
ハコオロシが久々に口を開くに、
「と言うことは、その、累々たる井戸本組の構成員の死体に、恵君が出会していれば、充分な数の端末が確保可能だった訳だね。
ん? でも、おかしいな。七つの端末――つまり充分な数――がそこで調達出来たのであれば、何で恵君はツミキさんの端末を装着してみる必要があったのだろう。」
「ああ、もしかすると、私達の同志七人全員から端末を奪うのは困難だったのかもしれない。その、彼らは埋もれていたから。」
「ああ、ひょっとしてあれか!」と出し抜けに躑躅森が言い出す。「2D棟と2E棟の間のあそこだな! 確かに、とんでもないことになっていた。一人であれを掘り返しきる気にもならんだろうから、そりゃ、何個かは見逃すだろうよ。」
綾戸は何故か――……本当に、何故だ?――不愉快げな視線を一度躑躅森に当ててから、皆の方に向けて、
「と言う訳でだ。私は、ミノモの言うことに賛成だよ。その、タケチという男が黒幕であるという話、信用していいと思う。」
ここで佐藤が綾戸に問う。
「参考までに、その〝決戦〟において亡くなったあなたのお仲間七名の名前を挙げて頂けますか? 確かに僕が登録漏らしているのかどうかは、重要な情報でしょうから。」
「成る程、確かにそうだね。ええっと、ちょっと待ってよ、……
佐藤は、
「はい、それぞれのお名前を聞き及んだところまではありますが、しかし、いずれの方とも登録を為したことはありませんね。」
綾戸は満足そうに頷いてから、
「霊場、あんたもそろそろ納得したのではなくて?」
彼女は首肯した。
「はい。概ね、で。」
こうして全員が一応の納得を得、下手人、すなわち私達を陥れつつある何者かの正体がタケチメグムであるという仮説、あるいは結論が、まさしく揺るぎない事実であると思われるような空気が漂い始めた。長かった議論の、ようやくの結着。
ここで、ミノモが神妙な顔つきとなって、
「霊場さん、僕は、君に謝らなければならない。君が話すことを苦手にしているのは明々白々であったのに、僕は苛立って、君に無用な攻撃を行ってしまった。それに、本当は寧ろ礼を言わねばならないんだ。君が、佐藤と共に僕達を招集して見せたからこそ、ここまでの、事実の焙り出しを行うことが出来たんだから。ここに居る一人でも欠けていたら、一人分の情報や理智が欠けていたら、この結論には永遠に辿り着けなかった筈だよ。そして、そうだ、そのまま互いに敵対しあったまま、殺し合い、全滅し、武智君の一人勝ちを許すことになった筈だ。勿論佐藤にも礼を言うべきだけれども、まずは、君に言いたい。霊場さん、本当に有り難う。」
霊場は、物理的質量を持つかのような、重く、そして長い間を贅沢に取ってからミノモへ応じた。
「私が、今回のような、一見馬鹿げた、そして事実全く常軌を逸した会合を取り計らうことが出来たのは、血の繋がっていない方の姉、周姉様の残して下さった、いや、より言えば、霧崎や霜田、そして我が分身霊場千夏の残してくれた、多大なポイントがあったから。多大なポイントでもてなすことによって、あなた達を少しでも大人しくするというか、制禦することが可能であると思って、あなた達に対面する勇気が私の裡に湧いたからであるの。だから、そう、その感謝、少しだけでも私達の仲間、彼女達にも捧げてやって欲しい。それが、私にとっての最高の報いだから。」
私は目を剥いた。あの、壊れたカセットテープ再生機(お婆ちゃんの家で何度か見たぞ。)のような、辿々しい話し方しか出来なかった霊場が、滔々と、清らかに、その思いの丈を語ったからだ。
ミノモも感銘を受けたらしく、
「ああ、約束する。君の仲間への感謝も忘れない。しかし、驚かされたよ霊場さん、君がそんな、堂々と話すことが出来るだなんて。」
この言葉を受け止める霊場は、当然のことのように無表情だったのだが、一瞬だけ、その眉根が僅かに寄った気がした。気のせいかな、とも思ったが、そうじゃないかもしれない。だって、彼女はふらついた挙げ句に、近くに立っていた佐藤に身を支えられたから。
「大丈夫ですか?」と、吃りながらの佐藤の熱っぽい声。
「大丈夫、だけれども、一回、でも良い。から、綺麗に話そう、としたら凄く、疲れて、」
どんな仕組みだよ。
私がそういうどうでもいいことを思う間に、ハコオロシが張り切って、
「良し! じゃあ、もういいかな。もう、決定で良いかな。私達の敵が、武智恵であるということでさ、」
しかしこの空気に水を差す挙手が一つあった。ツツジモリだ。
「ちょっといいかい。」
「駄目。」
「なんでお前が是非を決めるんだよ、綾戸。」
「折角いい雰囲気だったのに、これ以上疑問があるわけ?」
「あるある、大有りだ。念の為に二つほど、問いたいな。」
「なら、言ってみなよ。」
「まず、今ミノモは、この協力態勢がなくば、タケチメグムの一人勝ちを許すことになっていただろう、と言ったが、本当にそうか?」
名指しされたミノモの返事。
「そうだと思うけれども、何が問題なのかな。」
「だってよ、この超飢餓状況、本来なら、霊場位しかまともに喰えない筈だろう。武智組としてのお前達がどれだけ富めていたのか知らないが、当然、今の二十五倍の値上げに対抗出来る位の貯蓄なんてなかった筈だ。」
「まあね。」
「となればよ、そのタケチも当然殆ど何も食べられない状況な筈で、」
「ほら、黙ってれば良かったんだよ。」と綾戸が勝手に
「いや、しかし、どうだ。例えばそこのツミキはまだ日数が経ってないから――死体にしては――全く見苦しくないが、しかし、もう数日も経てば、そろそろ俺達ですら直視に耐えられなくなるだろうよ。つまり、本格的な腐敗を始めるだろう。それじゃあよう、本当に、その、タケチの食人行為は大したアドヴァンテージになるのか? どうも、数食分しか得しない気がするのだがなあ、腐らない内に胃袋に
綾戸は真面目な表情を持ち出して、
「へえ、成る程ね。で? 何が言いたいの? 多分、タダの揚げ足取りじゃないんでしょ?」
「ああ。だから、その、ここまでのことをやらかしているタケチが、そんな手抜かりをするだろうかねと思ってよ。端末をじゃらじゃら複数個つけるんなら、戦闘は出来る限り回避すべきだが、しかし、そうしたら食料が――ポイントという意味でも新鮮な人体という意味でも――全く手に入らなくなってしまう。この、矛盾というか、苦悩というか、トラウマというか、」
「多分アンタが言いたいのは、〝ジレンマ〟。」と綾戸。
「おうそれだ、とにかくそういうジレンマを解決する方法を用意しないという拙策を、そんなに周到なタケチがやらかすだろうかね。もう一捻りあるんじゃないかと、俺は不安に思っているんだ。この、戦闘を回避する為に出歩かず、かつ、何となく生き残れるように食料は確保する。これを可能にする手段はあるのだろうかね、と今の内に考えておきたいんだ。」
ハコオロシが反応した。
「うーん。なんだろね。確かに武智君なら抜かりなく事を運ぼうとしそうだけれども、しかし、そんな方法あるかな。」
私は、おずおずと、
「あの、」
「なんじゃらほい。」とハコオロシ。
「ああ、いや、その、……〝肉〟を保存するのであれば、冷蔵庫か何かあれば、相当持つんじゃないかなって。」
ハコオロシは素っ気なく、
「そりゃまあね。でも、家庭科室の冷蔵庫は、誰かが奪い合ったんだか何だか知らないけれども、とにかく破壊されていたよ。ありゃ、使い物にならないね。その線はちょっと無理かな。」
しかし、いつの間にか立ち直っていたらしい霊場が、すっかり元通りの
「いや、それは、どうか。少なくとも。少し前には、尋常に、機能する冷蔵庫を、私は、見かけた。冷凍庫部分も、備えられて、」
「ん? そりゃ、どこでだ?」とツツジモリ。
「理科準備室。以前、霜田が、その図体を屈めて、中の薬品を、漁っていた。」
佐藤がすぐに、
「成る程! 薬品やサンプル保存用の冷蔵庫ですか。確かにそれならば発想が及び難いですから、箱卸さんの仰ったような奪い合いも起こり難いでしょうね。今の時点で無事でも、不思議はありません。」
「じゃあさ、」私が話し出す。「その、タケチは、理科準備室に潜んでいるってことかな。誰も来ないように、願いながら、さ。」
応じたのはミノモだ。
「そうかもしれない。ならば、僕達はそこに向かうべきだろうね。どの道、他に手がかりもないんだし、不在なら不在で、その冷蔵庫を破壊なり確保なりしておくことは有意義だろう。」
「悪くないね。ところで、躑躅森。」
「なんだよ、綾戸。」
「アンタがさっき言ってた、もう一つの問いたいこととやらって、何さ。」
彼は困りながら、
「あ、いや、まあなんだ。例え下手人がそのタケチだと特定出来たとしても、居場所も分からないでどうしろってんだ、って言おうとしたんだよ。もう、解決しちまった。」
「では、大丈夫かな。善は急げと言うことで、もう、理科準備室に向かいたいくらいなのだが。」
このミノモの言葉に頑張って逆らい、私は手を上げた。
「あの、」
「まだ何かあるの?」
「あるんだよ、綾戸さん。さっき佐藤の言っていた、その、タケチが端末を手首なり足首なりに保持する手段がまだ分かってないよね。分からないままでいい気もするけれども、折角なら、今の内に考えておいた方が良いのかなって。」
綾戸は顰めてみせつつ、
「確かにそれについてはよく分かっていないね。でも、今あなたも言ったように、どうでも良いのではない? 私達がそのタケチを殺すなり懲らしめるなり、いずれをするにせよ、端末の固定方法なんてどうでもいいもの。」
佐藤が言う。
「しかしまあ、理科準備室は少々遠いですからね。道中で考えてみれば良いのではないでしょうか。」
私は、何となく腑に落ちないながらも首肯した。そうしてから、気を取り直したかのようなミノモが、
「では、今度こそ良いかな。それとも、まだ何か問題があるかい、カンナさん。」
私は躊躇いながら人さし指を立てた。
「もう、ひとつだけ。」
「今度はなあに?」
綾戸の、揶揄いの中に温情を忍ばせた声がまた私にかかる。しかし私はそれに応えなかった、返答することがあまりに野暮に思えたからである。私の沈黙を訝しみ、顰む綾戸の顔に背を向け、私はしゃがみ込んだ。鏑木が、目の前に来る。
そこに鏡があるかのように両の手をぴったり張り付け、目を閉じ、
私は立ち上がろうとして、ふと、床に落ちている黒い質量に目を奪われた。そしてつい手を伸ばし、拾い上げる。うわ、
蹌踉めきながら振り向いた私を出迎えたのは、少し神妙さを帯びた綾戸の顔で、
「そんなもの、どうするつもり? 鏑木にとっては大切な武器であっただろうけれども、あなたにとってはがらくたでしょうに。」
私は、赤児の様な重み――物理的重量でもあり、感情的要求でもあるそれ――を帯び、主張する、胸に抱えたそれ、鏑木のエアガンに体のバランスを奪われつつ、何とか、
「持っていきたいの。皆は銃によって私を護ってくれた。だから、そう、これからの最後の戦いに銃を携えていくことで、皆を連れていけるんじゃないかと、つまり、皆がまた護ってくれるんじゃないかと、そして、皆を弔うことに繋がるんじゃないかと、私は、思うんだ。確かに多少身動きに難儀するけれども、でも確か、皆は私の戦闘力に期待していないのでしょう?」
綾戸の相好はすっかり重々しくなっていた。
「あなたが誰かを攻撃してくれることには確かに期待出来ないけれども、でも、そんなものを無用に抱かえていることで、私達があなたを守る上で邪魔になるかもしれない。つまり、あなたの生存に不利になるかもしれない。それでもいいなら、私は何も言わない。」
私はじっと綾戸の瞳を見返すことで、雄弁に肯った。溜め息一つついた綾戸が、皆の方へ向いてから、
「だってさ。もう問題ないようだし、行こう。」
ここでハコオロシは、その丸い顔を懸命に引き締めて、こう言った。
「今、カンナさんが言ったよね。最後の戦いだ、と。うん、そうだよ。きっとそう。この長い戦いが、今度こそ終わるんだ。私達の手で終わるんだ。後少し、後少しで私達は勝者となる、生き残りとなる。この、忌ま忌ましい世界から帰ることが出来る。
……さあ、行こう、私達の為に、そして、各のこれまで失ってきた仲間を弔う為に、各のこれまで屠って来た敵を弔う為に、今日で、全てを終わらせるんだ!」
彼女が振り上げた丸い鍋蓋、窓から突き刺さった陽光がそこで爆ぜ、まるで、アテナのイージスの様に神々しく煌めき、私達を否応なく鼓舞する。そこで私達は己がじし、おうだの、えいだの、勝手な雄叫びを上げて応えるのであった。
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