145節
145 箱卸沙保里
圭人君を護らないと! そう思って、重い鍋蓋を持ち上げつつ飛び出そうとした私を妨げたのは、やはり聖具を構えつつ立ち塞がった圭人君の背中であった。そうして私が彼に惚れなおしている間に、黒い影が、更に向こうの空間で迸る。墨のような紺色の制服を纏ったその影は、長過ぎる豊かな黒髪を孔雀の尾羽のように振り乱しつつ飛び出でてきて、やはり墨のように暗い色の傘を、まっすぐ、カンナの右手目掛けて突き出した。この神速の動きは、カンナのあまりに小さな聖具を、しかし正確に打ち据えて、弾けさせ、向かいの壁まですっ飛ばす。持ち主の意志に反して手を離れたヘラは、恐らくはその為に聖具としての性格を喪失し、壁を穿つことも割ることもなく、ただ、からん、と床に転がった。
カンナは一瞬何が起きたのか分からなかったようであったが、しかし、霊場に石突きを突きつけ直されて、ようやく戦き、腰を抜かして、
「あ、あぁあ、あ、」
言葉にならぬ言葉を、恐怖で閉じることすら出来ぬ口からぼろぼろ零し始めた。その、座り込んだことで低くなった喉元を執拗に傘の切っ先で追いかけた霊場は、少なくともここから垣間見える横顔からはいつもと同じに思える、そのビスクドールの様な無表情のままで、ぽつりと一言、
「どうする?」
「どうするも何も、」聖具を取り出そうとしたのかブレザの中に手を突っ込んだままで、腕の骨折患者の様に見える綾戸が、「殺す訳にはいかないでしょう。まだ、何も解決していないのだから。」
彼女は霊場を
「まず、落ち着きなさい。ね?」
ひとまず綾戸に任せることに決めた私達の内の佐藤が言う。
「流石のお手並みですね。霊場さん。」
彼女が腰から上だけで振り返って曰く、
「一人で、戦うのは今が初めてだった。でも、存外上手いこと、いって良かった、ただ、あの、カンナの、聖具は、没収していた方が、無難かも、しれない、」
霊場は床を見るようにしつつ、付け加えた。
「もし彼女を。生かすのならば、という、話だけれども、」
「生かしますよ。」と佐藤の慌てた声。「綾戸さんも言っていましたが、まだ問題は全く解決していないのです。彼方組の情報の唯一の源である彼女を死なせる訳にはいきません。まあその、聖具を預かるということは吝かでないですが。」
ちょっと遠くから出し抜けに綾戸が、
「この子がこれくらいの体形で良かったよ。もしも躑躅森と同じくらい――無駄に――ガタイが良かったら難儀したけれども、まあ、正直徒手なら恐るるに足りないでしょ。」
それだけ言ってまたカンナの方を向き、甲斐甲斐しく何かの言葉をかけ始めた彼女の背中に向かって、
「アイツ、俺への嫌みを言う為にわざわざ口を挟みやがったのかよ。」
そして圭人君。
「しかしまあ、言う通りじゃないかな。僕からも正直申せば、カンナさんが聖具を握っていても何かの助けになると思えないしね。危険は少ないに越したことはない。」
「じゃあ、とにかく拾ってくるね。」
私はそう言ってから、その霊場が弾き飛ばした聖具、お好み焼き用のヘラに駈け寄っていった。駈けたのは、別に私が健気であるからではない、背中を攻撃されては堪らないからだ。
壁際で寒々しく転がるそれをひょいと拾って振り返ると、座ったカンナのちいちゃい背中の奥に、同じく座り込んで対面する綾戸、そして、その彼女の後ろを覆うように佇む霊場の姿が見える。霊場は、右手に聖具をぶら下げたままで、つまりその気になれば半秒で綾戸の頭を砕くことが出来るだろう。そんな状況にも
そう思った私は、彼を一人きりにしたことを思い出して、急いで駈け戻り、ぶつけるようにして圭人君に身を寄せた。彼がちょっと蹌踉めく間に、綾戸がカンナへ言ったことといえば、
「いい、良く聞いて。鏑木は脚だけでなく、右手首もを切断されているでしょう。なら、そう、この様に鏑木を辱めた奴は、端末を奪う為にそうしたんだ。ということはさ、私達の内にそいつが居る訳ない。だって、私達はその、端末を弄んでいる奴を一所懸命捜してとっちめるなり殺すなりしようとしているのだから。そもそも、私達の中には誰も、本来のもの以外に余計な端末を、つまり、二つも三つも端末を腕に纏わせている奴なんていないでしょう?
そう、今あなたの裡に起きた憤激を向かわせるべき先は、私達が必死になって焙り出そうとしている、隠れ潜む生き残りなんだ。だから、まず落ち着いて、そしてそうしたらまた、その人物を捜すのに協力してよ。それでこそあなたも、鏑木さんの復仇を果たすことが出来るのだから。」
そもそもツミキを殺したのはカンナで、そうさせたのは綾戸の仲間の一人だ。ならばツミキの仇を、単に死体を切り刻んだだけの者へ――よりにもよってこの二人が――求めるのは、少々お門違いな気もする。しかしこの、目の前に転がる死の原因を転嫁しようという二人の試みを糾弾する勇気も理由も私になく、ただ、素直なカンナが少し落ち着いたのを感じ取って安心するのに留めた。
しかしツツジモリが口を開いて、
「そうは言うがよ、綾戸、本当にそうなのか。」
おい、余計なことを言うなよ。
「何が?」と、案の定穏やかでない、卸し金のようにざらついた返事が、振り返った綾戸からツツジモリへ飛んで行き、それに彼が応えては、
「だってよ、その、ツミキの端末を持ち去った奴と、脚を切断した奴、つまり、俺達が捜している隠れた生き残りと、カンナの仇が同一人物とは限らねえじゃないか。」
立ち上がり、ずかずかと歩み寄った綾戸はツツジモリの胸倉を恐らく摑み上げようとしたが、しかし、あまりの身長差によって、寧ろ綾戸がツツジモリの襟に縋っているようにも見える。しかしそれはあくまで遠目から見た印象であり、綾戸の、鬼のそれにも勝るかという険しい顔を見れば、誰もそんな勘違いはしないだろう。
彼女は、浴びる者を凍てつかせそうな囁き声で、
「この、馬鹿! しょうもない揚げ足取りをするな! 折角、鉄穴が平静を取り戻しつつあるのに、」
しかし意外であった。先程まで何度も綾戸に戦かされてきたツツジモリが、これほどまでに近くで彼女の悪意を浴びせられたのにも拘わらず、いたって平然としているのである。それに気が付いた綾戸が訝しげに眉根を寄せた隙に、彼は、
「真面目な話だ。つまり、その、手首の切断者と脚の切断者が同一人物であるかどうかは、重要なんだ。実は、寧ろ俺も、お前の考えと同じく――あるいはお前の出任せと同じく――ある一人の人物なり一つの集団なりの手によって、ツミキの手脚は纏めて断たれたと思っているのだがな。」
綾戸は、ツツジモリから感染した真面目な顔で手を離し、そうすると近過ぎることが気になったらしく、不快そうに二三歩後ずさった。その勝手に文句を言おうとしてかツツジモリが口を開きかけたのに先んじて、佐藤が、
「どういう意味でしょう。あなたは、この脚の切断に何らかの意味を見出したのですか? この行為が、この凌辱ないし冒瀆が、その下手人に何らかの具体的利益をもたらすと?」
ツツジモリは佐藤と目を合わせつつ口を開きなおした。
「その通り。」
彼はまた首を回して、ぴったりくっついているままの私と圭人君を見つつ、
「なあ、おまえらもそう思うだろう?」
一瞬、ツツジモリが何を言ってるのか分からなかったが、しかし、しかし、……ああ、しかし! 次の刹那には、私の精神が、まるで急に冬至をもたらされた北国の小湖のように、一瞬の内に、しかし轟々と凍てつき、思考が、そしてその他一切の機能が停止した。永劫とも思える時間の後、しかし恐らく実際には数瞬後に、この正体不明の衝撃が和らぎ始め、つまり分厚い氷が透けてくると、湖底に鎮座してたのは、……ああ、ああ、そうか、こんな、こんなことが、……こんなことが!
「箱卸さん、どうした、」
圭人君が、顫える私の身を支えてくれる。しかし、その体熱も私の裡の冬には対抗出来ず、むしろ彼の方までにその大寒気が、つまり戦きが、顫慄が伝播してしまい、圭人君の顔つきが少々情けなくなってしまった。
そんな私達に掛かるツツジモリの声。
「どうしたよ、そっちの彼氏さんは気が付かないのか?」
いや、別に、私と圭人君はそう言う仲じゃ…… って、そんな場合ではない! 私のせいで圭人君の意気が削がれてしまった以上、私が、舌を振るわなければならない。
「何を言ってるのさ、ツツジモリ。勝手な決めつけも甚だしいよ。そんな馬鹿げたことを根拠もなしに言わないでくれるかな。」
ツツジモリは鼻で笑いやがった。
「おいおい、大丈夫かよ。おまえこそ目茶苦茶なことを言っているぜ。だってよ、それ以外に、ツミキの死体を切断する理由があるのか? 意味があるのか?」
「恨みがあったのでしょ、丁度、鉄穴が激怒したのと同じ様にさ。ツミキの死体を刻むことで暗い、しかし深い快感を得ることが出来る、つまり、ツミキに対して大いなる怨嗟を抱いている奴がそうしたんだよ、多分。」
「そのわりには、綺麗な顔をしているがなぁ。」
私ははっとなって鏑木の死体をもう一度眺めた。うつ伏せの向きながら、しかし、
「おい。納得したかよ。」
私はそうツツジモリに促されて、意図的に脱線していた思考を元のレール上に引き戻されてしまった。ああ、そうだ、そうだ、顔を見たのはその為、傷がないかどうかを見る為だったが、確かに、その秀麗な顔立ちには傷の一つも穿たれておらず、血化粧が美しさを映えさせているのみだ。死ぬことで全ての美麗さを失った美鈴さんとは対照的に。
「つまりだ、もしも本当にツミキに恨みのある奴が、それを晴らす為にツミキの死体を弄んだのだとしたら、そんなに綺麗な顔を傷つけずに、脚だけ持ち去るなんて奇特なことをするだろうかね。しかも最初は仰向けだったんだぜ、嫌でも、その幸せそうですらある顔面が目に入っただろうよ。
つまり、ツミキの脚を切り取り去ったのには、実用的な理由があった筈で、そんな理由なんて、今お前が必死に否定しているそれぐらいしかないだろうよ、ハコオロシ。」
圭人君は、私のことをギュッとしてくれつつ、激してくれて、
「何が言いたいんだお前は!」
しかしとにかくツツジモリは乱れなかった。圭人君の方へは一瞥もくれず、ただ、私に向けて、
「おい、ハコオロシ、いい加減にしないとどんどん雰囲気が悪くなりそうだぜ。早く白状してくれよ、でないと、俺が言ってしまうぞ、この俺が、一切の気遣いも何も無しに、ただ言ってしまうんだぞ、それよりもお前がお前の言葉で語った方が、どれだけ救いになるだろうよ!」
私は皆を見渡した。霊場は…… よく分かんないからどうでも良いか。しかし綾戸は、じっと黙り込んで私の方を見やっている。そして佐藤も、いや、最早いつの間にか泣きやんでいたカンナまでもが、同じような沈黙をこちらに向けて、私の言葉をじっと待っているのだ。……ああ、畜生、言うしか、ないのか。
私は、彼に向けて軽い力を加えることで、圭人君に
「分かったよ、言うよ。全部話す。私達がかつて仲間と呼んでた彼らの
あっ、と間の抜けた声を上げてしまう圭人君をすぐ脇に認めつつ、私は出来る限り堂々と語り始めた。
「まず、私が気づいたのは、
私が全てを語り終えてから最初に開かれたのは、霊場の小振りな口であった。
「ということは、もしかして、あなた達、二人も、」
私はその顔を思い切り睨め付けて、
「違う!!」
その、全力が籠ったが為に半ば
「私は! そして圭人君も! そんな真似は絶対にしていない。人を喰らうだなんて、人の肉を口にするだなんて、そんなこと、そんなこと、……〝絶対〟にしていない!!」
ただでさえ病的な口下手である霊場は、私の剣幕に気圧されてか言葉を返すことが出来ず、代わって佐藤が、
「ハコオロシさん、別に霊場さんだってあなたの行いを論おうとしてあんなことを仰ったのではないのです。かつて食人者と生活を共にしていたという紛れもない事実に基づいて、あなた達二人もその様な人種であるという忌まわしい想像を得てしまい、それを打ち消したかっただけなのですよ。そう、怒らないで下さい。」
まあ、ね。そうなんだろうけれどもさ。
私が、肩の上下と息の乱れを何とかある程度まで抑えたところで、今度は綾戸が口を開いた。
「しかし、何でそこまで、」
「何が?」と私。
「いや、確かにカニバリズムがまともな行為とは思わないけれども、しかしさ、食べる物が無くなった時の最終手段として、有り得なくもないものだと思うんだよ。私は絶対に御免だけれども、そうじゃない奴もきっといるでしょう、生き残る方が重要だと思う奴も絶対にいる筈。私の今語っているこれは、つまり、人喰いに与しはしないがそこまで批判もしないと言う立場は、それなりに普通の考え方だと思うけれども。」
「それで?」
「だから私が言いたいのは、何故あなたはそんなに人食行為を忌み嫌うの、ということ。いくら何でも、少々軽蔑が苛烈過ぎると思うのだけど。」
私は少し躊躇ってから、結局言った。
「私もかつてはそう思っていたよ。別に、死体の肉を喰うところまでは、まあ、賛同や同調は出来ないけれども理解は出来る、そう思っていた。
でも彼ら、美舟さん、望君、桃華さんの行ったことはそれだけじゃないんだ。彼らは、私達の仲間、それまでの約二ヶ月苦楽を共にし、死線を一緒にくぐり抜けてきた美鈴さんを、」
綾戸が、びくりと体を顫わせつつ目を見開いた。
「仲間を殺して喰ったの!?」
「殺した訳じゃないけれども、でも、美鈴さんが死んだ時に、彼らは悲しみ一つも示さずに、いそいそと三人連れ立って、彼女の遺体の場所まで出かけたんだよ。私と圭人君を置き去りにしてね。」
「ということは、あなた達がその目、で見た、訳。じゃない、つまり、仲間喰いが、確定の事実とは、」
「違うんだ、霊場さん。美舟さんを問い詰めたら、あっさり白状したんだよ。彼女達は確かに美鈴さんを喰らったんだ。」
ここまで言った私は全力で歯を喰いしばってしまい、最早どうにか、その顫える隙間から漏らすようにして、
「アイツ、あの女、美鈴さんの、味の感想まで、ぬけぬけと、」
ものを申せなくなった私に代わるようにして、また私の小さい肩を抱きすくめてくれながら、圭人君が、
「味の話で思い出したんだが、そうだ、竿漕さんはその時に、人食における彼女らの嗜好まで語ったんだよ。」
思い切りな渋面の綾戸が吐き捨てる。
「ねえ、その話ってどうしても必要? さっきからさあ、苛つきという意味でも、悪心という意味でも、すっかり気分が悪くなりそうなのだけれども。」
「堪えてくれ、これは必要な話なんだ。そう、彼女らは、人体の中でも脚の肉が特に好みだと語ったんだよ。」
皆の視線が
「その、サオコギって奴が、鏑木をこんな目に遭わせているんだね。そして、そいつを殺せば、私達は、ここから出られるんだね。じゃあ、探そうよ、その、サオコギを。」
呆気にとられての沈黙を破ったのはツツジモリで、
「いきなり沸いてきたお前の元気に冷や水を
「
「とにかく知っているんだ。アイツならもう、地獄に落ちている。」
「いや、どうだろうか、忌まわしき、食を重ねた、ことで、餓鬼道に、行ったかもしれないし、望む望まないに
佐藤が拾う。
「それを言い出したら霊場さん、まだ日数的に、宋帝王の審理も終えていないのでは?」
無表情の霊場は一応困ったらしく、
「周姉様なら、いざ。知らずそういう、細かいことは、私は、知らない、」
そしてそんな霊場よりもずっと困ったカンナは、あの輝かしい意気を早速
「あなた達三人、何を言っているの?」
「いや、俺も霊場や佐藤の言っていることはさっぱり分からんが、とにかく俺が言いたかったのはこれだけだ。竿漕美舟なら、もう死んでいる。」
カンナはぎゅっと眉を寄せた。
「それ、本当?」
「なんだよ疑るのか? 俺は確かにこの目で竿漕の死体を拝んだんだぜ。首から上はなかったが、その端末は生きていた、というか、無事に死んでいたからな、名前を拾うことが出来たんだ。」
未だ訝しげなカンナは、
「いや、どうなんだろう。だってさ、端末を奪ったり張り付けたりする奴がどこかにいるんでしょう? それが、サオコギなのかもしれないんでしょう? そうしたら、その端末が確かにその死体のものだと証明出来るかしら? 奸智を巡らしたサオコギが、自らの生死の矛盾を糊塗する為にそんなことをしたのかもしれないじゃない。首無し死体となっていたのであれば、尚更さ。」
ツツジモリはいかにも困って言った。
「成る程。いや、まあ、確かに、当然当時の俺はそういう点を全く疑っていなかったから、お前の言うようなことも有り得なくもないのかもしれないが。」
「より言えばさ、そもそも、これまでの死亡状況だって怪しいものだよ。そうやって端末の脱着が本当に行われているのであれば、佐藤が必死に集めていた生死の情報だって、あやふやというか、頼りないものになるだろうに。」
佐藤が慌てつつ、
「しかし鉄穴さん。少なくとも最後の二十五人の生死は、先程我々で確認した筈です。言い換えれば、ここに居る我々七人の他に十八つの死体を確かに数え上げたのです。ならば、」
綾戸が先を奪う。
「ならば、その最後の二十五人以外に、つまりもっと早い段階から、端末をどうにかして死を装った者が居るということだろうね。しかし、それが誰なのかを絞ろうとするのは骨だよ。最早不特定多数の域だし、それにそこまで遡ると、佐藤の全員登録の恩恵すら受けられなくなってしまう。」
噛みつくように鉄穴が、
「だから、その、サオコギって人喰い女が鏑木をこんな目に遭わせたのだってば!」
「いや、」私は努めて冷静に言う。「それは考え難いのかもしれない、カンナさん。」
彼女はきっとこちらを向いて、
「かもしれないって、何? そんな、あやふやな話が、」
「だから、ああ、うん、確かめさせて。まず、美舟さんが本当に死亡したのかを。そうすれば、無駄な議論をせずに済むかもしれない。」
カンナの顔はますます訝しげになった。
「確かめるって、どうやって、」
「それは、彼女に聞けばいいと思うんだ。」
私はその、無表情を見やりつつ、
「霊場さん。」
相変わらずその顔には一切の感情が浮かばなかったが、返事までに要した間が、彼女の人知れぬ動揺を物語っている。
「何、か。」
「何かも何もないよ。あなた、美舟さんの死を保証出来るんじゃないの?」
「何故、そんな、ことを言うの、だろうか。」
「あなたさっき、ツツジモリが美舟さんの死をまどろこしくカンナさんへ伝えようとした時、修羅がどうだのが餓鬼がどうだのと、口を挟んだじゃない。あれは、あなたなりの理由で美舟さんの死を確信していたからじゃないの? そうでなければ、少しスムーズ過ぎるよ、あんな諧謔が間も置かずに――よりにもよって発話が不得手なあなたの――口から飛び出たというのは。」
これを聞いた霊場は黙り込んでしまった。この静寂を破るべき彼女がそうしない以上、つぎに相応しい者、つまり私がそうせねばなるまい。
なるべく穏やかな口調で、私は言う。
「霊場さん。さっきあなたを怒鳴りつけてしまったのは、謝る。御免なさい。でも、………いや、だから、どうか、真実を話して欲しい。もう二度と、あなたの言葉に憤らないと誓うから。どうか、お願い。」
霊場は、更にじっと黙った後、ようやく、
「その枕、成る程、あなたは私達が竿漕美舟へ果たしたことについて、最早想像ついているよう。では、白状する。そう、私は、というより、周姉様は、竿漕美舟を撲殺した、その、重厚な、傘の手元をもって、彼女の頭を打ち砕いた。」
私は、神妙に見えると良い、と思いながら叮嚀に頷いた。
「有り難う、霊場さん。では、その、竿漕美舟さんの聖具は何だった?」
霊場は眉を寄せもせずに、ただ多少首を傾いでから、
「奇怪な、それも、巨大な、大杓文字、」
「「竿漕さんだ。」美舟さんだ。」
私と圭人君の声が重なった。私はカンナと目を合わせてから、
「そうなんだ。美舟さんは、その知識がない者からは大き過ぎる杓文字としか形容しようの無い、〝掘返べら〟という道具を聖具として持ち込んでいたんだよ。さあ、カンナさん、そんな、恐らくあなたも知りもせず見たこともないであろう、特異な物品を聖具として持ち込んでいる者が、竿漕美舟本人以外にそういるだろうか。」
カンナは、ようやく観念してくれた。
「成る程、そこまで来たら間違いないんだろうけれども。じゃあ、そうか、残りの二人の内のどっちかが、つまりその、……ええっと、」
「武智恵と筒丸桃華。」と圭人君。
「そうそれ、とにかくその二人、残る二人の食人鬼の内の片方、あるいは両方が、端末を弄んでいる真犯人なんだ。そいつらを、見つければ、」
「いやしかしさ、」と綾戸が語り出す。「その、筒丸桃華は、」
そこで綾戸は、はっと気が付いたように口を噤んで、私と圭人君の顔、特に私のそれを重点的に見つめ始めた。私が促す。
「どうか、憚らないで。もう、言ってしまうけれども、正直、彼らが死のうと殺されようと私にとっては知ったこっちゃないよ。少なくとも、それを聞いて私が怒り狂うなんて有り得ない。だから、どうかあなたも、気にしないで。」
隣の圭人君も頷いたのを見て、改めて綾戸が口を開いた。
「では、言うけれども、筒丸桃華は私達が殺したよ。別の目的によって私達が大所帯で行動していたところに、その筒丸が二人組で居たところをたまたま見つけて強襲したんだ。同志の結城と縫部がちょっとした怪我を負わされたけれども、それ以上の困難はなしに、」綾戸は私達のほうをちらちらみて躊躇ってから、「……仕留めることが出来た。」
私はそんな言い回しの選択に、全く、露ほどの興味もなかったので、本題に直接食らいついた。
「ちょっと待ってよ綾戸さん、その、二人組の内のもう一人はどうしたのさ。」
「見事に逃げられたよ。追おうと思えば捕まえられたろうけれども、しかし、それどころではなかったからね。絵幡の指示というか、判断に従って放っておいた。」
「それは、おかしいよ。」
「何が?」
「だって、ええっと、まず、その桃華さんと一緒に居たのは、間違いなく、仲間の恵君だと思うんだよ。」
「自然な推論だね。確かに男だったし。」
「で、私と圭人君がちょこちょこ端末を覗いていた限りでは、そう、桃華さんと恵君の名前は、ほぼ同時期に消えた筈なんだ。ということは、あなた達に恵君まで……仕留められたと考えるのが自然なのだけど。」
「そんなこと言われたって困るよ。私達がその武智と思しき男を逃したのは間違いの無いことなのだから。それに、ちょこちょこと言っても、文字通りの意味で四六時中端末を覗き込んでいた訳でもないんでしょ? なら、たまたま、見逃したんじゃないの? 筒丸だけが死亡して、武智がぎりぎりで生き残っている状況をさ。」
「いや、多分違うぞ。」と圭人君。
「何が違うのさ、ミノモ。」
「君の言う通り、僕達は見逃したかもしれない、筒丸桃華の名が欠落して武智恵の名前が維持された端末の画面を。しかしだ、それは本当に、筒丸さんだけが死亡して武智君がぎりぎりで生き残っている状況だったのだろうか。もしかしたら、いやきっと多分、筒丸さんを失った武智君が、その場で思いついたのか、それとも前から暖めていたのか、とにかく端末の脱着による蓑隠れへの準備をそのタイミングで始めたのかもしれない。つまり、右手首の端末を敢えて取り外すことで死を装い始めつつある彼のことを、僕達は見逃したのかもしれないんだ。」
カンナが突然大きめな声で、
「それって、つまり、その、タケチメグムって奴が、下手人、私達を追い詰めている真犯人だということ? そして同時に、鏑木をこんな目に遭わせた奴だということ?」
圭人君が返す。
「その可能性が高い、と思う。そしてそれが正しいと仮定すれば、動機が明らかになるんだ。」
「動機? そんなの、お腹が減ったからでしょ?」
「確かに、ツミキさんの脚を切り取ったことについては、君の、カンナさんの言う通りの理由だろうけれども、でも、僕が言っているのはそっちのことじゃない。何故、端末を着けたり外したりして、死を装ったり、また、生き残り人数を誤魔化したりして僕達を追い詰める必要があるのか、ということだ。」
「それは、簡単、死んだふりをすることによって、敵意を、殺意を、避けることが出来る、」
「いや、それはおかしい、霊場さん。だって、例えば仮に、君がその武智君を憎々しく思っていたとしても、彼の危機はそこまで高まらないと思うんだ。だってそうだろう、憎かろうがそうでなかろうが、仲間でない以上、出会せば殺すし、そうでなければ何もない、そういう関係の筈だ。単に死を装っても殆ど意味がない。」
霊場は無表情で少し考えてから、
「でも、意味もないかもしれないけれども、でも、少なくとも、損は、ない、」
「冷静に考えてみて欲しい。他者の端末を引っぺがして自分の身に巻き付けるなんて発想が、そんな何となくな理由で、つまり、やってもやらなくてもいいと言う程度の理由で思いついたり、また、実行出来たりする筈がない。何かもっと、大仰な、重要な、目的があったに違いないんだ。」
ツツジモリが、堪らないという体で、
「じゃあなんだよ、その、目的というのは。」
圭人君はじっくり間を取ってから、ようやく一言呟いた。
「僕達の鏖だ。」
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