144節

144 簑毛圭人

 と言う訳で僕達はあの奇妙な即席会議場を飛び出し、カンナの道案内に従って廊下を進んでいた。最初彼女は「場所は教えるから、ここで待っていては駄目?」とぐずついたが、「これまでの話し合いによって、私達の他に何者かが居る事が判明した訳だけれども、さて、あなた、そいつに出会ったら一人で身を守れるのかな?」と綾戸に説かれ、結局いま全員が一団となって歩き進んでいる。先頭を堂々と歩くべきカンナが、なかば綾戸に縋るようになっており、お蔭でこの集団行は決して捗々しくない。しかしあの二人、随分と仲がいいな。ここまでの経緯を考えれば、取っ組み合い、あるいはもっと真剣な殺し合い――一瞬で綾戸が勝つだろう――を起こしてもよさそうなものなのに。不思議なものだ、食事を共にし、そして、一つの難題に共に取り組んだ事で、僕達七人の中に奇妙な、しかし存外したたかな仲間意識が芽生え始めてしまっている。つい先日まで本気で殺し合っていた仲なのにもかかわらず、だ。気が付けば、ほら、あれだけ警戒していた筈のツツジモリが、いま当たり前のように僕のすぐ脇を歩いているし、それを不快にも危険にも思わない。一応最低限の警戒だけはしているが、それに努力を要するようにすらなっている有り様だ。

 棟を出て、眩しい日差しに僕が目を顰めた瞬間、その躑躅森が、恐らくは壁の反響で声を聞き取られる可能性を気にしなくて済む様になった事に背を押され、ふと口を開いた。

「しかし、何でツミキのやらの死体を拝みに行く必要があるのだろうかね。」

 僕を挟んで彼と隣り合っていた箱卸さんが、

「まず、端末を弄んでいる何者か、とやらが、ツミキであるかどうかを確かめる必要があるから、まあ、理にかなっていると思うけれども。もしもこれから辿り着いた挙げ句に死体が元の場所になかったらそういうこと、つまり、ツミキと戦わねばならないと言う事になるね。出来れば、勘弁願いたいものだ。」

「しかしよぉ、そのツミキってのは目が潰れているんだろ? なら、そんな悪巧みをするとは思えないし、そもそも、いざ戦うとしてもどうにかなるだろ。あの女、綾戸は強いんだろ? お前達曰く。」

「そりゃ強いよ、ばきばきに強い。綾戸さんが居れば誰が相手でも後れを取る事はそうそうないと思う。ただ、敵が、あんなに綾戸さんへ懐いているカンナさんの仲間だと言う事になれば、怪しいね。その実力が動揺やジレンマで毀たれたり、あるいは最悪の場合として、こっちに刃を向けてくる可能性も、なくはない。」

 ツツジモリは、この箱卸さんの言葉に対して肩を竦めつつ、

「おお、怖い怖い。しかしまあ、どうせ杞憂だ。さっきも言ったが、盲目となったツミキがこんなややこしい真似を企む訳ないんだからよ。」

「いや、それもどうかな?」

「どういう意味だ、ハコオロシ?」

「だってさ、その、ツミキが目を潰されたって話も、彼女自身と、彼女にそう言われたカンナさんが言っているだけだ。そもそもさ、目の前の人間が盲目だと主張した時、その真偽を正しく判定する事が出来るかな、医学的知識や道具もなしに、しかもその相手が、思わず信用してやりたくなるような――カンナ曰くこの上なく大切ですらあった――ツミキアンズである場合にだよ?」

 驚いた僕が口を挟んだ。

「君は、ツミキの失明すら狂言だったと言うのか?」

「知らないよ、でも、そう言う可能性もある、というだけ。ツミキは、その、カンナさんの言ってた井戸本組の目潰し屋と戦闘してた可能性、つまり、盲目を装っても不自然でない理由が存在することを知ってた可能性もあるし。まあ、あくまで一つの可能性としてね。」

 その内に目的地の部屋がある棟に辿り着いたので、僕達はまた口を噤んだ。三階建ての棟、見紛いようもない、あの棟だ。あの雨の日に僕と箱卸さんが隠れていた、あの建屋。

 僕には大した感慨はなかった。そりゃあそこで、あからさまに殺戮の行われている物音を聞かされたり、帰りがけに周やトテノの死体を見せられたりはしたが、今更あんなもので竦むような我々ではない(いつかの箱卸さんの脂肪掬いは、流石に驚いたが。)。

 しかし、僕と箱卸さん以外は、この棟の入り口に近づくにつれ、また更に、一歩踏み入ってから先に進むにつれ、だんだんと重苦しい雰囲気を帯びるようになっていた。勿論何者が潜んでいる可能性を鑑みれば物静かにするのは当然の対処なのだが、しかし、それにしたって異常なほどの重さだ。そこで僕は気が付いた。あの時僕や箱卸さんをいくらかの物音で少々苛んだ戦闘は、当然他の誰かにはもっと直接的な脅威、死別あるいは死をもたらした筈で、つまりその「他の誰か」とは、この集団行の中に含まれていて然るべきではないだろうか。そうだ、実際、周がこの棟で死んだ以上、霊場は彼女とここで死に別れたのだろうし、また、そう言えばカンナもここで鏑木をやむなく殺害しているのだ。となれば成る程、この息苦しさも当然の事なのかもしれないし、また、もしかすれば、彼女ら以外にもまだ、この棟に忌まわしい因縁を抱いている者が居るのかもしれない。

 僕のこの邪推を裏付ける出来事は二階で訪れた。我々が、その、サーキットかロータリーのように廊下が円環を為すフロアに到達するや否や、カンナは然るべき方向を力なく、しかし正確に指で指し示した訳だが、彼女に纏わりつかれている綾戸は動かずに、漏らすようにして、

「ねえ、反対側から回ってもいい? どうせ、どちらにせよその部屋には辿り着けるのでしょ?」

 カンナが不思議そうに首肯すると、先頭を歩く彼女ら二人は勝手にそちらの方向へ進んでいった。何となく文句をさしはさむ機を逸した、残りの我々も大人しくついていく。その最中で僕は気が付いたのだ。先程カンナは、井戸本組の某かにツミキの目が潰されたと語っていたわけだが、これは、直近の時期に井戸本組と彼方組との間での戦闘が行われた事を意味するわけでもあり、つまり、という事は、同じく直近の時期に死亡したと思しき綾戸の仲間達は、そのツミキが失明した戦闘で斃れたのでは無かろうか。となれば、綾戸が仲間の死体を見つけた廊下と、カンナがツミキを殺害、いや、介錯した部屋とは、かなり近くに存在するのが自然だろう。すなわち、十分な確率においてそれらは同じ棟同じ階に存在し得、もし本当にそうであれば、綾戸の仲間、エバタやその他の死体は今もこの階の廊下に転がっている事になる。綾戸は、その対面を恐れた、あるいは、嫌ったか。それとも、我々に仲間の死体を見られたくなかったか。もしいずれかであるならば、どちらにせよ綾戸は、自分が避けようとしている行為をカンナに要求してしまっている事になるが、しかし、彼女のことは責められまい。死とか弔意というものは、論理の勘定の領分を逸脱してしまうものだろうから。

「ここ。」

 我々が長々と不気味な廊下を――不気味とは、見てもいない死体の存在を意識して得た僕の勝手な印象だが――歩かされた後にカンナが指さした部屋は、いたって普通の教室のように見えた。引き戸の前に立った綾戸が首から上だけで振り向いて、何かを問うような視線を送ってくる。

 心得た佐藤が、

「入りましょう。さもなくば、ここまで来た意味がありません。」

「ねえ、」カンナが、左手で綾戸の袖を摑んだままで口を開いた。「私、外で待っていてもいい? その、」

 綾戸が許さない。

「また言わせる? あなた一人きりになって、どうやって身を守るつもりなの? ああ、勿論、あなたの気持ちは分かるから、その、中に入ったら、から、目を逸らすなりなんなりしてくれて構わない。ただ、一緒に入っては来てよ、あなたの安全の為にね。」

 カンナは、少し躊躇ってから頷いた。それに呼応するようにして、綾戸がドアに向かって尋常に直ってから、

「さあ、行くよ。」

 まるで、水に浮かぶ大質量の物体、船舶か何かを浮力の助けを借りることで辛うじて動かすようにして、ゆっくりと、しかし力強く扉を開く。


 カンナは、その顔を綾戸の黄色い袖に擦り付けるようにして目を塞ぐ手段をとった。あの気性の荒さはどこへやら、少なくとも彼女に対しては慈母の様ですらある綾戸は、それを一切煩がる素振りを見せずに黙って歩み進む。残る僕達も中に入っていくが、その綾戸やカンナの小さな体に視界を塞がれているのにもかかわらず、ここまでの道案内が正確であった事を思い知った。僕の鼻腔に叩きつけられる、存外強か残存していた、血の香り。

 その後、近づいたことで目に入ってくる、臭いの源、すなわち服と髪を纏い転がる肉。カンナとは頭一つ分くらい背丈が違ったのではなかろうか、そんな、僕の想像はいかにも虚しいもので、何故ならば、このツミキの死体は、思いの外凄惨な事になっていたからだ。てっきり、首を切り裂いて致命傷を負わせたのみだと思っていたのだけれども、よもやここまでとは。

 これを見た、僕の横のツツジモリが、

「こりゃ随分と派手にやったな、」

 とカンナを揶揄おうとし始めたところで、綾戸の鋭い視線がその口を貫き、彼は沈黙させられた。そうして固まった二人を出し抜くようにして、箱卸さんが喋り始める。

「ねえ、おかしくない?」

「何がでしょう。」

 佐藤は、あくまで疑問のみをその声音に乗せて問い返した。今更死体を目前にした事で戦いている者など――少なくともカンナを除けば――ここに一人も居ない。

「ああ、ええっとまず、本来確認しに来た事から確かめたいのだけれども、まず、これは本当にツミキ?」

 誰もカンナに返事を期待していなかったので、代わって視線を集めた佐藤が、

「はい、間違いありません。」

 そして綾戸が付け加えて曰く、

「私も鏑木には会った事あるよ。確かにこんな感じの女だったし、ほら、そこに転がっているスナイパーライフルっぽいエアガン、あれで狙われたのだもの。」

 ツツジモリが驚いた様子で、

「彼方組の銃に狙われて生還したのかよ? 一体どうやって、」

「絵幡が、よく銃弾を防いでくれたんだ。私の知るだけでも、彼女は二度、彼方組の銃弾を防いでいる。ほんの少しだけ抜けているところはあったけれども、基本的には切れて、果敢で、また、思い遣りのある奴だったよ。ああ、彼女だけは死なせたくなかったのに。」

 綾戸がしんみりとし始めてしまったので、話が縒れる事を恐れた僕は急ぐようにして、

「では、この明らかに死亡している女性がツミキであるのなら、その、端末について調べたい訳だよね。だが、しかし、」

 カンナを除く皆の視線が、血塗れで寝転がるツミキの右手首に集中した。そこには何もない。端末は愚か、右手すらも。

 纏わりつくカンナが重りとなっているので、仕方がなしにまた首から上だけでこちらに振り向く綾戸が言った。

「つまり、これは、井戸本組わたしたちが躑躅森――のこん畜生――によって緑川の端末を手に入れたのと、同じ方法というか、状況なのだろうね。端末が持ち去られてしまっているらしいけれども、これを仕出かしたのは、果たして端末を持ち去った奴なのか、それとも、」

 綾戸はもの問いたげに、すぐ隣のカンナに視線を落としたが、その、伏して、顫えながらぐずつき始めている頭に「お前がツミキの手首を切り飛ばしたのか。」と訊ねる勇気が得られなかったようで、またこちらに視線をやってから、

「まあ、そんなことはないか。この子の聖具では、そんな真似、」

「それは、分からない。」霊場の声。「だって、もし、そのカンナに、その程度の切断が不可能であるのであれば、いったい、どうやって、そちらの、」

「しかしどうでしょうかね。そもそもここまで鏑木さんを痛めつけたのは誰であるのか。この状態、必ずしも通常の味方殺しの結果とは思えませんがね。鉄穴さんはとても鏑木さんを慕ってらしたようですし。」

 この佐藤の言葉によって、我々はカンナに、彼女がツミキに見舞った所業、さっき聞いた話からは想像も出来なかったほどに苛烈だったらしいそれについて問い質したくなったが、しかし、とうとう涙と鼻汁を綾戸の袖になすりつけ始めているらしい彼女にそんなことを訊く勇気は、やはり、僕も、そして他の皆も得る事が出来ず、

「ねえ。」果たして箱卸さんが再び発言する運びとなった。「そろそろいいかな。」

「ああ、そうでした。ここに来たことで鏑木さんの端末が何者かに持ち去られているらしいということが判明しましたが、その上で箱卸さん、あなたの仰る、おかしいこととは何でしょう。」

 箱卸さんは、議論が有意義な方向に進む内に、自分の思いつきを話す意気を銷沈していたようで、

「えっと、ああ、いや、些細な、というか意味のないことかもしれないけれどもさ、」

「何でも構いませんよ、どうぞ。」

「じゃあ言うけれども、カンナさんがこの、ツミキの首を斬り裂いて、ええっと、……のだよね?」

「そう言うお話になっていますね。」

「じゃあやっぱりおかしいよ、何で、このツミキはうつ伏せになっているのさ。これじゃ首の血管なんて切り辛くてしょうがない。」

 皆がツミキの死体を見直した。そしてその殆どの者は、「成る程、確かに言われてみればそうだな、」くらいの印象を抱いたに違いない。しかし、一人だけ異端者が居た。そう、ツミキの死体を見直したのは、皆なのだ。箱卸さんの言葉に顔を上げていたカンナは、天麩羅油から水が弾けるように綾戸の袖から離れつつ、震え上がった声で、

「え?」

 と、一叫びして固まった。

「どうしたの?」と綾戸が促すに、

「え、何でなんで。何で? え? 嘘、なんで、鏑木の体が裏返っているの? え?」

 箱卸さんはいたって平静に、

「ああ、やっぱり、その時はそうだったんだ。そりゃ、寝転がらせて頚動脈を断つならば仰向けだよね、納得した。まあ、あなたが斬り裂いた後にツミキさんが寝返りでも打ったんじゃ、」

「そんな訳ない、そんな訳ないよ! だって、鏑木は、身動ぐのにも難儀するくらいに弱っていたのに、私に、少しでもものを食べさせようとした、愚かしいまでの善心、思い遣りによって! ただでさえ心身共に衰弱し切っていて、しかもそこから血を失いつつある、何でそんな状況でわざわざうつ伏せに直る必要があるの!?」

 彼女は、自分が今の今まで泣いていたことを忘れてしまったかのように、いや、恐らくは事実忘れ去って、まるで、肉親の命を奪った戦乱の資料を目前にし、それに対しての怒りを縷々と語るかのように、熱意の籠った身振りをもって、

「そもそも!」その声は悲痛であった。「おかしいことだらけよ、何で、鏑木の手首と、そして、その、のさ!」

 我々は揃いも揃って固まり、どうにか一番に意気を恢復した僕が、なんとか、

「すると、カンナさん、この、ツミキさんの両脚と右手が無くなっているのは、」

「知らない、知らないよ! 私は、鏑木の左の頚動脈を裂いただけ。後は何も知らないし、そもそも、さっきも言ったけれど、鏑木は視力以外五体満足だったんだ。こんな、痛ましい鏑木の姿、私は、知らない!」

 最初に見た、存外逞しげなカンナも、その後綾戸の言葉によってその虚勢を弾けさせられた弱々しいカンナも、もうこの世に居なくなった。今、我々の前で、まるでそれを守るようにしてツミキの死体の前に立ちはだかる彼女は、その炯々たるまなこに溢れんばかりの思いを滲ませて、拳を固く握り、先程までの歔欷による頬の赤らみを、改めて現出した感情の表現に流用している。それはすなわち、激怒。

「誰、誰が、こんなことを、殺してやる、よくも鏑木を、殺してやる、殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる!」

 彼女が音もなく取り出し、右手に握った聖具は、煌めき、まるで唸るようであった。小さなヘラ、その物理的迫力に似つかぬ銀色の殺意が、そこから迸って、完全に臨戦態勢から離れていた我々を凍りつかせる。

「誰? 誰がやったの? さあ、誰!?」

 心臓に突き刺さるかのような怖ろしいしわがれれ声。それがもたらす新鮮すぎる戦慄。とにかく彼女を、箱卸さんを、護らねば、

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