143節

143 綾戸彩子

 頭がすっきりしている。何故だろう。分からないが、とにかく彼女の最期を看取って以降、まるで雲の層を突破して夜空を捕らえた航空機のように、私の頭は突如どこまでも見通せるかのような明晰を得ていた。これなら、きっと約束を守る事が出来る。絵幡、紙屋、見ていて、私は必ず生き延びるから。そして井戸本様、あなたから受けた多大な施しも無駄にはしません。必ず、勝利してみせます。

 ミノモがその、かつては日本刀に見えたが、こうして落ち着いて眺めると大魚おおざかなの解体用と思えてくる、巨大な庖丁を再び掲げる。一つ奥に座っているハコオロシは当然平然としたものだが、しかし、私の左隣で泣きやみつつあった鉄穴は、身をのけ反りつつ戦慄いてしまった。ああ、さっきまでは寧ろ、感心してしまうくらいに毅然としていたくせに、本当に、一体全体どうしてしまったのか。とうとう私は席を立って――かつてこの女を殺すべく戦った結果あまりに沢山の同志を失い、最後にもやはりこの女を殺すように絵幡に口説かれたことを頭の隅でちょっと思い返しながら――鉄穴の肩に手を当てつつ、

「落ち着きなさい。別にあなたを殺す為に抜かれた刃ではないのだから。」

 そこら中を蒼くしたり紅くしたりしている、慄然たる、鉄穴の振り向いた顔がこわごわと頷く向こう側で、バツの悪そうなミノモが端末の金属ベルトを庖丁で切断していた。彼は、慌てるように、最早半ば床へ突き刺すようにして聖具を下ろすと、

「さて、切り裂くまでは上手くいったが、どうなるか、」

 そう呟きつつ、その端末のベルトを左手首に巻き付けた。そして、切断部を覆うようにして右手をベルトに宛てがい、ぎゅっと力を込める。そうして端末と手首とを、まるで解法を知らない智慧の輪をどうにか押し込んで初期状態へ戻そうと努力しているかのように、ぎゅうぎゅう圧縮し始めた。

 そのまま数秒経ってから、ミノモの嬉しそうな声が迸る。

「お、動きそうだぞ。」

 そしてミノモは一瞬、自分で端末を操作しようとしたようだったが、すぐに両手が塞がっている事に気が付き、隣のハコオロシに助けを求めた。

 彼女は色々とボタンを弄くり回してから、

「おお、確かに、普通に動くね。そして、なによりも、」

 彼女が、まるでキーボートのEnterキーを自慢げに押すかのようにして、つまり、人さし指を飛蝗のように跳ねさせながら何かのボタンを押した直後、私は心底度肝を抜かれた。右手首が、つまり、私の端末が振動を始めたのだ。得意げな顔のハコオロシを一睨みして少し驚かせてから、私は決定ボタンを押した。

「『ほら、通信も出来る。完全に機能恢復しているね。」』

 向こう正面と右手首から聞こえてくる、メッツォソプラノの音域の二重唱。あなたも何か言ってみて、とでも言いたげなそのハコオロシの顔を無視し、私は通信を切る。

「つれないなあ、でもとにかく、そっちからも試しに通信を繋いでみせてよ。」

 今度はまともそうな指示だったので大人しく従った。佐藤しか居なかった通信先選択画面に再び浮かび上がっている緑川の名前、私はそれを選んで、決定ボタンを押し、

「『聞こえる?」』

「『聞こえる聞こえる、そちらからの通信もばっちりだね。」』

 まだ鉄穴に引っ付いたままであった私が、自分の席に戻りつつ通信を切ろうとすると、

「『ああ、ちょっと待って、まだ切らないで。」』

 この距離なのだから端末に囁かずに直接言えよ、と思いながら私は席に着いた。すると、ハコオロシもミノモの方に延ばしていた身を退けて、

「さあ、圭人君、端末を外してみて。」

 ミノモは一瞬だけ怪訝そうな表情を見せたが、しかし、すぐに右手を左手首から外した。そうして緑川の端末のベルトが緩んだ瞬間、私の端末の画面が、乱れもせずに、ただ、通常の通信終了画面にさっと戻ったのだ。私はハコオロシにそれを伝え、そして文句を付け加える。

「危なっかしい事を。通信中に脱着なんかして、私の端末が壊れたり判定がおかしくなったりしたらどうしてくれるのさ。」

「大丈夫でしょ。だってようは、通信中に相手が殺されたのと同じようなもので、つまり至って普通の出来事じゃない? 生者の腕に巻きついている事で生存、そうでないなら死亡と、この端末は認識しているようだし。」

「それについては、まだ確定していなかったように思えるけれども。」

「まあまあ、何事もなかったのだから良いじゃない。で、圭人君、今その端末はどうなっているの?」

「あの画面が出ている。『緑川唯: 死亡。装着者の死亡により操作出来ません。』だとさ。再び、端末上でも緑川なる人物が死亡扱いされる事になったね。」

「てことはよ、」躑躅森が何かを言い出す。「確かに端末の脱着で生死判定が覆せる訳だな。その機械が、血圧だか体温だか脈だか、とにかく手首から然るべき反応を感じている内は、端末は持ち主の生存を――仮に過去に死んだ筈の人物であっても――信じ込んでしまう、と。」

「しかし、今のように、只管、ただ、じっと、片手で端末を押さえつけ、続けるというのは、困難、あるいは、不可能、」

 この霊場の言葉に反応して、佐藤が、

「つまり、端末を手首にぎっちり縛める方法が必要な訳ですね。取り外しは元の持ち主の手を破壊するという手段が有効である事が実証されていますが、しかし、まさか装着はそうもいかないでしょう。もしも――まともでない方が――本当にそうしたにしても、手首を切断しては、その後の失血死を防ぐ事が困難でしょうからね。つまり、何か道具で、しかも決して緩まない方法で、装着の為に一度切り裂いてしまった拘束帯をどうにかする方法が必要です。まあ、もしも本当にこの手の方法で生死を弄んでいる人物が居るのであれば、の話ですが。」

「それは、居るでしょうよ。」

 私のこの呟きは、存外、周囲の注目を集めてしまった。可能な限りの方角からずらりとこちらに向けられる十二の瞳。その、俄な脚光に私が少したじろいだ隙を衝くようにして、ミノモが、

「どういう意味だい? 君は、端末を使って生存判定を誤魔化している人物、つまりもしかするとそれによって今の僕達を陥れ、ここから解放させまいと頑張っているとんでもない奴に心当たりがあるのか?」

 私は、逆に、他の面々の顔をぐるっと見回してから、いたって正直に、信じられないという気持ちを吐露した。

「アンタ達、ふざけているのでもなくとぼけているのでもなくて、本気で言っているの? 本気で分かっていないの?」

 ミノモも周りを見回してから、

「その様だ。教えてくれ、君に心当たりがあるのなら。」

「そこまで言うなら、まあ、言うけれどもさ。……何さ、こんなの、白々しいくらいじゃない。」

 私はすぐ脇の、すっかり情けなくなった女に視線をち当てるようにしてから、

「ねえ? 鉄穴。」


 鉄穴の色彩豊かな顔は、びしょぬれのまま、面白いくらいに顫え上がった。

「え? な、何、私知らないって。そう、何も知らない。何もしていない。だから、ああ、……ああ!」

 そのまま席を立って逃げ出そうとする彼女を、自分と鉄穴の席が一番出入り口から近い事を承知していた私は、急いで追いかけて取っ捕まえた。

「待ちなさい、どこに行くつもりなの、」

 両腋の辺りを摑まれても尚目茶苦茶に暴れる彼女の手が、偶然に裏拳を象って私の顔を打ち据える。いったあぁ! 

「離して、離して、私、何もしてないのに、何も知らないのに、死にたくない、殺されたくない、ああ、鏑木! 助けて、」

 さっき寧ろ、醜態を晒しつつあった私を上手いことあしらったくらいだった筈の、鉄穴の余裕はもう面影すらなく、今や訳の分からない事を喚きながら、まるで焚きつけられた牛のように暴れている。まずい、戦闘能力はともかくとして、少なくとも私と鉄穴の体格は殆ど互角だ。そして私は尋常だが、鉄穴は明らかに必死の力を振り絞っている。これでは敵う道理がない。果たしてついに振りほどかれそうになった瞬間、ようやく、野郎達がやって来て、私から奪うようにして鉄穴を引っ捕らえた。遅い!

 私は、躑躅森の腕と胴とで縛められても尚暴れ続ける彼女に対し――先程打ち据えられた鼻をさすりながら――出来る限りの優しい声で、

「鉄穴、落ち着いて。誰も、あなたを殺そうとなんてしていない。ほら、そうでしょう、今なら私があなたをいとも簡単に殺せるけれども、私はそうしていないでしょう?」

 躑躅森の必死の形相がやや和らいだ事で鉄穴の抵抗が優しくなったのを察した私は、少しほっとしつつ、

「誤解させてしまったのなら、謝る。だから、鉄穴、どうか席に戻って。さっきあなたが言ったんだよ。ここで佐藤の言うところの〝謎〟を解かなければ、あなたは死ぬしかないんでしょ? ならば、あなたはここから逃げる訳には行かない筈。私達にもあなたが、あなたが知っている事が必要なんだ。だから、鉄穴、どうか、」

 ここで私は言葉を続ける前に息を呑んだ。賭けに出る前の緊張だ。

「それに、鏑木さんや、他のあなたの同志の死を無駄にしない為にも、そう、あなたは死ぬ訳にいかないのではないかな?」

 もじもじしていた鉄穴の動きが、ようやく止まった。私はそれを見て、

「お疲れ、躑躅森、離してよさそうだよ。」

 遅れて寄ってきていたミノモとハコオロシによって介抱されるようにして引き連れられていく鉄穴に、私は置き去りにされた。躑躅森が手招きして来たからである。

 向こうの用事を聞く前に、私は、自分の言いたい事をその無駄に高い位置に存在する顔面に放った。

「ちょっと、何でさっさと助けてくれなかったのさ。その御立派な体格は飾り?」

「ああ、悪かったよ。しかし寧ろ、お前の度胸には参るね。」

「どういう意味?」

「言葉の通りだよ。よくも一瞬の躊躇いもなしに鉄穴に飛びかかる事が出来たな。」

 私はわざとらしい笑顔を浮かべてやってから、

「え? 何? アンタ、あんなに幼気な女の子が怖いの?」

「怖いに決まってんだろ、もしもあの恐慌状態で聖具を振り回されたら、もう、ばっさりいかれるぜ。」

 私はいきなり身の毛がよだって、間抜けな顔を晒してしまった。その後急いで繕ったが、しかし躑躅森には認められてしまったらしく、

「やっぱり気が回っていなかったのかよ。いや、お前さんどうにも鉄穴のことを可愛がりたがっているようだから、あんまり油断し過ぎるなよ、と、一言言っておきたかったんだ。」

「それは、お気遣いどうも。でも、誰が、あんな奴。寧ろ、憎くて憎くて仕方ないよ。」

「自分の行動を振り返ってみやがれ。まるで妹にでも接するかのような甲斐甲斐しさだったと思うがよ。最後にゃアイツをここから放り出さない為に命まで張りやがって。」

 私は、真面目な顔になって、

「確かに憎たらしいけれども、何故か、守ってやりたくなるんだよね。」

「鉄穴が弱々しいからか? それとも、餌付けされたからか?」

「そういうのもあるかもしれないけれども、でも、寧ろ、アイツがどうこうというよりも、きっと私自身の都合だね。どうしても死なせたくない奴らを、死なせてしまったから。多分それで、私はこれ以上誰かを死なせたくないんだ。」

 私は躑躅森の顔をじっと見つめながら、

「アンタもそんなところなんじゃないの? 私なんかを急に気遣ったりしてさ。」

 躑躅森は少し考え込み(しかし似合わねーな。)、それから、

「どうだかな、しかし、これだけは確実だ。お前に死なれては困るんだよ、俺よりもずっと頭が切れそうだし、それに、俺の知っている路川や葦原兄貴の情報よりも、どう考えても、お前だけが知っているであろう井戸本組の情報の方が重要だろうからな。」

 躑躅森は間を一つ置いてから続ける。

「しかし、俺がさっき躊躇った理由の一部でもあり、また、お前の無謀に呆れた理由の一部でもあるんだが、カンナの奴は役に立つのだろうかね。いや、憎たらしいとはいえ意味も無く殺す気もないが、しかし、命の危険を犯してまで捕まえる意味があったのか、という疑問な訳だが。」

 私は笑った。

「アンタの言った事は正しいよ、躑躅森。アンタは私よりもずっと馬鹿なようだ。」

「勝手に辛辣に言い換えるんじゃねえよ。とにかく、カンナを生かす意味があると言うのか?」

「うん、大有りさ。」


 私と躑躅森が席の方まで戻ると、既に鉄穴は落ち着き始めていた。

「綾戸さん、躑躅森さん、極力ひそひそ話はめて下さいね。無用な疑りを招く事になりますので。」

「はいよ。」

 適当に佐藤へ返事しつつ私が着座するや否や、隣の鉄穴がたどたどしく、

「あ、えっと。御免なさい、取り乱して。それに、顔をってしまって、」

「気にしないで。あなたが無事であれば、それでいい。」

 私はそう言いながら、今し方躑躅森に対し言ってのけた事を思い返して渋面を作りそうになり、それを懸命に堪え、……そう、そしてこの、余計な顔を見せて鉄穴の裡に無用な疑懼や心配を生じさすまいという心遣いがまた、私の心を顰めさせるのに役立ってしまうのであった。なんで、私は不倶戴天の女に、そんな気遣いを、

「それで、結局、言い、たいことは何か、」

 霊場の言葉をきっかけに私ははっとし、心の裡の果てしない反響と増強から解放されて立ち直った。そうだ、うん、今鉄穴は必要なのだから、私は自分の利益の為に鉄穴を守ろうとしているだけだ。ひとまず、そういう事にしておけ。

 しかし、ああ、落ち着いてみると胸焼けが思い起こされる。いくら――割合文字通りの意味で――死ぬほど飢えていたとはいえ、流石に唐揚げ弁当二個は油が多すぎたな。ほら、霊場なんて、あれだけと食が進んでいなかったのに、結局平然としている。やっぱり一つにすべきだったんだよ。そう言う意味では、飽食を憚った鉄穴は賢かった。

「綾戸?」

 その、クレヨンで描いたように巨大な目からすら未だ感情一つ溢さない、鋼の顔面を持つ霊場が私を促している。ああ、羨ましいものだ、心中の機微を顔から察せられることがないだなんて、と、躑躅森に表情を抜かれたばかりの私はぼんやり思いながら、いい加減に言葉を返し始めた。

「まず、そう、重要な事として、今の一連の流れにおいての私の端末の挙動について話したい。」

「鉄穴と揉み合ったどさくさに何か起きたのか?」

「本気で言っているのか諧謔のつもりなのかしらないけれども、とにかく黙ってて、躑躅森。私が言っているのはその前の話、ミノモやハコオロシと一緒に演じた、緑川の端末を使っての実験擬きの事だよ。

 その時に私からミノモの左手首へ通信が繋げられた事からも分かるだろうけれども、そう、一度消滅していた緑川唯の名前が私の端末に復活していたんだ。で、ミノモがその手首から緑川の端末を解放すると、」

 私は自分の端末にちらと視線を落として、もう一度確かめてから、

「緑川の名前が再び端末の登録先一覧から消滅したんだ。つまり、端末の脱着によって登録の消滅と復活が発生するという事になる。」

 遠くの方からハコオロシが、

「まあ、考えてみれば当然でしょ。生死判定がその度覆るのだろうし。また、冗長性の観点からは、何らかの理由で誤った死亡判定が一瞬出てしまった場合に、それで劇的な現象、例えば登録先の全消滅とかが起きないようにしておくというのは、実に賢明だね。理にかなってる。

 で、それで? それがどうしたの?」

 私は返事を寄越さずに、そのかわりとして、再びこの部屋にいる面々の顔をずらっと一覧した。やはり、誰も私の言わんとしている事に気が付いていないようであった。ただ、一人を除いて。

 あからさまに目を見開いているそいつに、私が話しかける。

「そういうことさ、鉄穴。あなたが手を掛けた筈の鏑木あんずの名前が、多分、あなたの端末の中で明滅したのでしょ? 一度鏑木の名前の復活を見たのにもかかわらず、尚あなたが鏑木の死を確信しているところから推測すると、そうである筈だよね。これは、つまり、鏑木の端末が、今の実験のように弄ばれた事を意味することになると思う。」

 鉄穴は、海面のように蒼い、海面のように顫える、海面のように冷たそうな顔で、

「そう、そうだけれども、確かにもう鏑木の名前は消えているけれども、でも、そんな、鏑木が、私を騙して、そんなややこしい真似を、そもそも、実際ポイントは」

 私は手を突きだし、その無益そうな思い巡りを差し止めた。

「分からない。いや、寧ろ、その鏑木さんは死亡している可能性の方が高い気もする、そして何者かが、死亡した彼女の端末を何らかの手段で取り外して、脱着を行ったんだ。」

 私はこう言ってから疑問に気が付いて、

「うん? ? 何でそんな真似をする必要があるのだろう、生存数を誤魔化そうとするのであれば、ずっと着けていればいいのに。」

「それは恐らく、」佐藤だ。「他者の端末に『鏑木あんず』の名前が再び浮かぶのを嫌ったのでしょう。もしもそんなことがあれば異常に気が付きやすくなりますからね、特に、実際彼女を登録していた僕と鉄穴さんは。」

 私は納得しかけたが、しかし、霊場がつたない口を挟んだ。

「それは、意味不明。佐藤、」

「何故です?」

「何故なら、もしもその様な憂いを帯びつつ、何者かが何者かの、端末を装着したのであれば、まずその後第一に、その、登録先を確認するのが自然。何故なら、例えばツミキの名前を、登録している輩の、名前の一覧は、そう、ツミキの端末に、収まっている筈だから、そう、何故なら、登録は、相補的であるのだから、」

「成る程、つまり、鉄穴さんに目撃され、ついには通信を試みられるまでぼんやりと鏑木さんの端末を装着し続けるという行動は、僕の言った事と矛盾すると、そういう事ですね。」

「然り。」

「じゃあ単純に誤作動だったのか? その、カンナさんの見た、ツミキさんの名前は。そうでなければ、見間違いか?」

 このミノモの言い分に、すぐ横の鉄穴からの待ったが掛かる。

「いや、説明出来るよ。その、何者かが本当に鏑木の端末を弄ったとすれば、の話だけれども。」

「説明、と?」

「そう、霊場さん。お望みとあれば、私はあなたの疑問に答える事が出来るんだ。」

「では、望みます。」

「ええっと、そう、鏑木の端末は、操作ボタンが壊れていたんだよ、特に、決定ボタンが。それ以外は殆ど無事だったから鏑木は死亡扱いにならなかったけれども、でも、とにかく一切の操作が出来なかった。ほら、いつもやっていることを思い出して貰えれば分かると思うけれども、決定ボタンが死んでいると、本当に何も出来ないよね?」

 私や他の者が、申し合わせたように、己がじし右手首の端末を覗き込んだ。成る程、最初の画面から動く事すら出来ない。決定ボタン無しでは、時刻と日付と未読の通知があるかどうか、せいぜいそれを教える位の初期画面から動けない。

「だから、その、鏑木の端末が弄ばれたのならば、その下手人は、登録先の一覧なんて呼び出せなかった筈なんだ、だからきっと、私が通信を繋げようとした瞬間に、つまり鏑木の端末が鳴動した瞬間に、慌ててそれを破壊するなり取り外すなりして、乱暴に通信を拒絶したんだよ。」

 私はつい身を乗り出した。

「ちょっと、待って。今、何と言った? 通信を仕掛けようとしたら、何だって?」

「え? ……ああ、そうか、言っていなかったのかもね。いや、ほら、死んだ筈の鏑木が、どうしても失いたくなかった鏑木の名前がまた浮かんでいるとなったら、そりゃ、彼女に通信を繋げたくなるじゃない。何が起きたのか意味不明だったし、それに、……もしも本当に生きているのであれば、また、……会いたかったし。」

「それで、どうなったの? 鏑木への通信を仕掛けたら、どうなったの?」

「だから、ええっと、そう、繋がらずに切れちゃって。それで私はロクに画面も見ずに不貞寝したんだけれども、今思うと、さっきの実験のように、鏑木の端末がいきなり死亡扱いに切り替わっていたのかもしれないな、と思ってさ。」

 私は一旦、次の言葉を発す前に思考を整理しようとしたが、その結果ハコオロシに先んざれた。

「カンナさん、その、鏑木さんの名前が出たり消えたりしたのは、いつ?」

「ええっと、結構ついさっき。六時間前くらいかな?」

 ハコオロシのもの言いたげな視線を受け、佐藤が答える。

「はい、確かに、その時点では鏑木さんが既に死亡している筈でした。その頃の僕はもう、事態を察知して霊場さんあたりと協議を始めていましたからね。皆さんをここに招待するのは、容易ではなかったのですよ?」

「んなことはどうでもいいがよ、佐藤、と言う事はあれか。その、」

 隣の奴が口籠った隙に、私がようやく、

「あれに決まっているでしょ、躑躅森。そうだよ、鉄穴から見てだけでなく、佐藤からしても鏑木あんずが死亡したより後である筈の時刻に、鏑木の名前が鉄穴の端末の上で躍ったんだ。そして、鉄穴の言っている事から思えば、その名前の復活は偶然や故障何かじゃない、明らかに、存在を知られまいと努力している何者かの意志が介在している様にしか思えない。」

「と言う事は、その、何者かが、この、サバイバルの残り人数判定を、端末の仕様を利用しつつ、誤魔化し、ひいては、私達を窮地に、追いやっていると、」

「そうだよ。霊場、そう思えるんだ。そして、その誤魔化しの規模によっては、佐藤の言ったように、七人を超える規模で生き残り人数を誤魔化されているのであれば、そう、私達は、その何者かを見つけるしかない。説き伏すのか、殺すのか、手段は知らないけれども、とにかくそいつをどうにかしないと、私達はここから生還出来ないんだ。最後の七人なのに、最後の七人になれないんだ。だから、そう、まず、」

 私は、この上なく憎い筈の女の顔を、出来る限りしっかりとした表情で見据えつつ、

「案内して、鉄穴。あなたの仲間、鏑木の亡骸の居場所へ。」

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