141節

141 霊場小春

 居心地が悪い。私の脇に千夏が居ない、それだけで、不愉快、寒気、動揺が私の身を襲う。油断すると吐き気が沸いてくる。勿論、分身のようであった姉を失った悲しみは大きいけれども、しかし、今私が感じているこの異常は、どちらかというと、車酔いのように、もっと無機質無風流なものを原因としているようにも思えた。だって、それと症状が同じだから。つまり私は、脇に姉を、かつて受精卵を分けあった分身を置いていないことで、何か、精神的平衡感覚と呼ぶべきものを損なっているらしい。喋る時にも舌が上手く回らず、文節ごとに何となくつっかえて、また、単語も上手く選べなくて、いちいち話す相手に怪訝な表情をされるのが不愉快で仕方がない。何せ、ついこの間までは尋常に話せていたのだから。

 肉体的平衡感覚、すなわち車酔いそのものに関わるそれは三半規管とかいう耳の辺りの臓器で司られていると、血の繋がっていない方の姉、周姉様はかつて教えて下さったが、もしも心にも三半規管の様なものがあるならば、恐らく私はきっと、それを千夏の体の何処かに置いて、あるいは、頼っていたのだ。となれば、この酔いは生涯醒めないだろう。そこまでを、背中から胸の辺りを穿たれた千夏が、腕の中で息絶えてからまもなく思い立った私は、自ら命を断とうとも思ったのだが、しかしこの愚行は、血の繋がっていない方の姉、周姉様に止められたのだ。気が付くと私の端末に注ぎ込まれていた大量のポイント、そして、消滅していた「周響子」の名。血の繋がっていない方の姉、周姉様は最期の瞬間に、恐らくは力を振り絞って、私にポイントを送信して下さったのだろう。その大量のポイントが、私に死ぬことを、つまり血の繋がっていない方の姉、周姉様の命と死を無下にすることを許さないでいるように思えたのだ。そう、私は、死ぬ訳にはいかなくなった。二人の姉の死を、つまり生を、過去形の生涯を、せめて私が生き残ることで生かさねばならぬ。世に影響を及ぼし、微塵ながらでも歴史に影響を及ぼさねばならぬ、そう、私は感じたのだ。

 そして、その、血の繋がっていない方の姉、周姉様が遺して下さったポイントをばらまくことで、この奇妙な会合は成立している。つまり、血の繋がっていない方の姉、周姉様の私への思いから、この現実の世の中に具体的な形で何かを顕現させるというところまでは、すなわち血の繋がっていない方の姉、周姉様の命と死を完全な意味では無意味にしないというところまでは、まず、達成出来たことになる。あのような梃入れを私がしなければ、殺しあうべき七名がこうして仲良く並ぶことなど、まずありえなかっただろうから。

 しかし、これだけでは不十分だ。このままこの会合を活かして、私自身のものを始めとする、そのままでは無為に失われるかもしれなかった命を救う、そして彼ら彼女らが娑婆に戻って何かをする。それは必ずしも偉大なことでなくとも良い、人一人がタダ生きるだけで、どれだけの摂動を世の中に、そして人々に与えるものだろうか。そういう、莫大な摂動を七つほど世に持ち帰ることこそが、私の使命、すなわち、血の繋がっていない方の姉、周姉様を始めとする仲間達の命と死を歴史の闇に葬らないという、どうしても達成せねばならない大仕事なのだ。

 一度で良いから血の繋がっていない方の姉、周姉様のすっきりとしたお話を聞かせてやりたかった、そう思わされるほどに冗長で空疎な、つまり、卒業式に取ってつけたように呼ばれた老人の繰言と同じくらいに無駄な佐藤の語りが終わると、ようやく彼は着席した。ああ、この男よりも、今の私はまともに喋れないのだと思うと、この上なくもどかしくなり、そして、その苛立ちによってまた車酔いが激しくなってくる。しかし、私の顔は生来気分を表す機能を欠いているらしく、きっとこの強烈な不愉快も誰にも察してもらえないだろう。別に構わないが、しかし、私が急に戻しても驚かないでもらえるだろうか。

 誰かが発言しようとした。

「ええっと、まずは、」

 その女が、指揮棒を振るうがごとく鋭く、しかし、決して不躾でない挙止で私を指し示そうとしているのが察しられたので――つまり私の名を呼べずに困っているのが分かったので――私は、気が進まぬなりに口を開く。

「佐藤、まず、自己紹介と言うか、名前と立場を、全員が、主張……いや、公表することが必要だと、思う。ではないと、今のように、話すのに余計な障壁と、手間とが、それは、つまり、得られるべき結論を逃す、しょうもない……いや、つまらない、原因と、なってしまうかもしれない。」

 佐藤は首肯した。

「確かにその通りでしょう。では、まずは僕から。勿論皆さんは僕のことを知っている筈ですが、しかし、まあ、一応行いましょう。

 僕の名前は佐藤壮真。特に誰の下にもついておりませんでした。以上です。」

 佐藤は、これ見よがしに簡潔な自己紹介を行うことで、後に続く者へ指針を示したつもりのようだ。同じように、自分と元のボスの名前くらいを上げて済ませろ、ということらしい。この男の思わくに従うのは正直面白くないが、しかし、余計なことを言って余計な感情を搔き立てるのは確かに望ましくないだろう。何せ、不倶戴天の敵同士が――佐藤とカンナはともかくとして――互いを容易に即死せしめることが出来る兇器と、それに見合う実力を持っているのだ。そしてそんな連中が居並んでいるのだ。尋常ではない、あまりにも危うい。ならば、私も大人しく済ませるより他あるまい。

 顔より少し高い位に、しかし、ぴん、と挙げた手の中指に注目が十分集まってから、私は語り始めた。

「私は、霊場小春、先日、まで周響子を、……とする、五人組で行動、していた、那賀島らに、しかし、裏切られて、今は、私一人、」

 もしも人並みに表情を作る能力が私に備わっていれば、那賀島らヘの怒りや、自分の拙い語りへのもどかしさによって相好を歪めることが出来ただろう。しかし、この仮面のような顔は今日も、まるで呼吸と咀嚼と発話の為のみに存在するかのように、口以外の部位が全く動いてくれないでのあった。そして、まるで、強か体に張り付いた蜘蛛の巣を払うかのように捗らず、つまりいくら上手く喋ろうと努力しても私の弁はますますつっかえるように思えたので、私は臍を曲げ、左隣の男を手で示した。お前の番だ、と述べることすら億劫だったのだ。吐き気が、また強まりつつある。

 指された男は、一瞬戸惑ってから、しかし、いかにも出来る限り堂々とするように努めているような無様を晒しつつ、喋り始めた。

「俺は躑躅森馨之助。葦原兄貴や路川と共に行動していたが、しかし、随分前に大海組と戦わされて以来、一人きりで行動している。まあ、そこのミノモやハコオロシに協力を打診したこともあったが、」

「取りつく島もなかったと。」と、向かいの方の女がさしはさむ。

「そう言うこったな。酷い話だぜ。」

 ツツジモリは左の女を不躾に指し示しつつ、

「そら、アンタの番だ。」

 とぞんざいに言ってのけ、ようとした。実際には、その声は半ば裏返っており、ツツジモリもその女の眼光に射竦められているのがまざまざと見て取れる。我々・井戸本ら・那賀島らの三者会談で見かけた時にも思ったが、ある種あの女が羨ましい、口一つ開かずに人を戦かすことが、つまり、他者の感情に影響を及ぼすことが出来るだなんて。

 とにかくその女が語り始める。声音が比較的柔らかいのが、私達にとっての救いだ。

「私の名前は綾戸彩子。普通に思い浮かぶであろう〝綾戸〟という漢字に、〝光彩陸離〟の〝彩〟、そして十二支の初っぱなの〝子〟で綾戸彩子。

 私は、あなた達が〝井戸本組〟と呼んでいたのであろう、井戸本織彦を棟梁とする集団に属していたんだ。ある時に、同志の緑川や織田が殺されたのをきっかけに、彼方組と対立することになって、その結果、私以外の殆ど、もしかしたら全員が彼方組に殺されて、結果として私一人きりとなっている。そう、彼方組の連中によって、」

 佐藤が窘める隙も許さずに、綾戸――「普通」と言われてもよく分からないが、この漢字であっているのか?――は、その最後の一言に強烈な敵意を込めつつ、すぐ脇のカンナを思い切り睨め付けた。単に見つめられるだけでも背筋がひっくり返りそうになる鋭い眼光、もしもその様に、積極的な悪意を込められれば、当然その被害者の心はいとも容易く凍てつき、砕けるかとすら思われたが、しかし、当のカンナは身動ぎもせずに、しっかりと綾戸の目を見返している。

「綾戸さん、」その口が動いた。どこかの情けないツツジモリと異なり、声は震えていない。「私達はここに喧嘩をしに来た訳じゃない。生き残る為に協力しに来たのだから、そういうことを言うのはめようよ。ね?」

 ここからでは見辛かったが、逆に言えば、ここからでもそうと分かるほど露骨に、綾戸の眼光が損なわれた。今やぽかんと開かれたその目は、頻りな瞬きと相まって随分間抜けに見える。その後彼女ははっとしてから――取り繕うべく――ふん、と鼻を鳴らし、いかにも不遜に

「どうぞ。」

と、番を譲った。(しかし、こんなとんでもない女を恐るるに足りないなどと評していた佐藤は馬鹿なんじゃないだろうか。)

 そうして次の女が喋りだす。

「鉄穴凛子。まあ、今の綾戸さんのあれで知られたろうけれども、そう、私はずっと彼方君達と一緒に戦ってきたんだ。で、ついさっきまで鏑木さんと一緒に過ごしていたんだけれども、(ここでカンナの表情が何故か一瞬ひしゃげた。)彼女が居なくなってからは、私も一人きりだね。」

 その声音は至って尋常であった。佐藤によれば、カンナはか弱い存在であり、この場に呼ぶのが相応しいかどうか、つまり、恐慌を起こさずに済むかどうかが、綾戸共に危ぶまれたらしいのだが、寧ろこの部屋に居る我々の中ではその二人が圧倒的に堂々としているように思える。やはり、佐藤の目など頼りにならないな。というか、大丈夫だろうな? ここまでの大騒ぎと出費を要求しておいて、「あ、御免なさい、単純に僕の数え間違いでした。」なんて口走ったら許さないぞ。

 ……いや、それはそれでいいのか。今回の騒ぎが単純に佐藤の勘違いであるのならば、つまりこのサバイバルの終了判定システムが健全に機能しているのならば、そしてそれがはっきりしたならば、綾戸がカンナを殺すか、私がこの佐藤とかいう胡乱な男を殺すか、という出来事が即座に下され、この殺し合いはエンディングを迎えるだろう。そうなれば、今更ポイントなどどうでも良い。さあ気張れよ、佐藤。さっきも言ったが、命懸けだぞ。

 いつの間にか、私の反対側のあたりに座る男が語り始めていた。

「僕は簑毛圭人、で、こっちに座るのが箱卸沙保里さん。もともとは二人とも武智君のもとについていたけれども、しばらく前に彼とは訣別して、以降は所謂〝逸れ〟として過ごしてきた。でもまあ、僕達の離反と、残った武智君がやられたタイミングはそこまで離れていないから――甚だ不本意ではあるけれども――武智組の残党、と思ってもらってもそこまで間違いはないと思う。少なくとも、これから情報を交換する上ではね。」

 醜いな。何故、共に戦ってきた仲間を語るのに、そんな、ドブ鼠の巣穴に撒き散らかされた糞について語るような、冷たい嫌悪を込めた口調が取れるのであろう。私なんて、彼女らのことを思い返そうとするだけで悲哀に溺れそうになるというのに。ああ、また、吐き気が、

「では、これで全員揃いましたね。しかし、特に綾戸さん、くれぐれも穏やかにお願いしますよ。鉄穴さんも仰ってくれましたが、僕達は戦いに来たのでも啀み合いに来たのでもないのです。穏便に、お願いします。」

「いや、」ハコオロシだ。「佐藤、あなたにも責任があるね。」

「何がです?」

「綾戸さんがああいう真似をしたのは、あなたのせいでもあると言ってるんだよ。人間はね、空腹を覚えると苛立ち、短気になるものさ。まして飢えの極限に、与えると約束されていた施しをお預けされるようでは、」

「な、何を、」綾戸がさしはさむ。「そんな、私が、腹減って苛立っている安っぽい奴だなんて、」

「原因はそれだけじゃないだろうけれども、勿論寧ろ仲間への想いの方がずっと大きいのだろうけれども、でも、少なくとも発露の一助には確実になっていると思うよ。だからさ、佐藤、」

 その丸い顔が、すぐ隣の佐藤のほうに向き直ってから、

「早く、約束の食事を振る舞ってよ。実は、私ももう限界なんだ。綾戸さんが間違う前に、私が、何か間違うかもよ。何せ、あなたはこんなにも近いのだから。」

 無害そうな二人を選りすぐったのにもかかわらず、結局両脇から朧げながらも殺意を差し向けられた佐藤は、参ったように笑って、

「分かりましたよ。と言っても、僕ではなく霊場さんからの提供ですがね。さあ、皆さん、机の引き出しの中に手を突っ込んでみて下さい。」

 私と佐藤以外の各々が、馬鹿のように素直に従って、己がじし表情を喜ばしく歪めた。そうして唐揚げ弁当が机の上に引き出される頃合いを見計らって、私は、悪寒に逆らいつつ、

「私を、除いても、六人前、千五百ポイント、私が他の皆よりも、裕福であることは、否めない、でも、流石に、こんな出費は繰り返せない、今回だけ、そう思って、欲しい、」

 人が苦労して喋っているのにもかかわらず、奴らめ、聞く耳持たず、勝手に包装を剝いて備え付けの箸を握り始めた。まあ、多少の不行儀も仕方ないか、何せ生き死にのレヴェルで飢えていたのだろうからな。そう思った私は、誰にも気付かれずに嘆息を漏らしつつ、同じように弁当を机の上に載せた。食慾は全くないが、しかし、貴重なポイントを投じてしまった以上、喰わぬ訳にもいくまい。霧崎や、血の繋がっていない方の姉、周姉様の遺してくれたポイントをどぶに捨てるくらいなら、死んだ方が幾分かマシだ。そして、死ぬなら死ぬで結局不忠の行いとなるのだから、やはり、目の前のこれを平らげねばならないことになる。しかし、うう、悪心が、

 食べながら軽く状況を説明しようという、佐藤が事前に語っていた思わくは、彼らの食慾、あるいはそれがもたらすによって画餅と化していた。諦めた佐藤も、肩を竦めつつ自分の分の弁当を取り出す。私もいい加減目の前の長物が纏うビニル包装を剝いたが、ああ、まるで、胃袋の中から拳大のアメーバがせり上がってくるかのようだ。

 しばらく唐揚げを箸の先でつんつんした後、柴漬けを一切れ摑んで口の中に放り込んだ。その酸味が、私の食慾を昂進させる方向に働く事に賭けたのだが、ああ、賭けに破れた私は思わず噎せてしまい、右隣の佐藤から注目を得てしまう。ほっとけ。

 生娘にもかかわらず、悪阻の重い妊婦の様な努力を重ねた成果として、白米の四半分を何とか嚥下する事に成功した私は、ふと、私の他にも食の細い、すなわち失礼な輩を見つけた。カンナだ。

 一銭も出していない綾戸が、何故か、面白くなさそうな声をカンナに掛ける。

「何さ、折角の食料だというのに、御不満?」

「あ、いや、そうじゃなくて、私はさっき食べたばっかりだったからさ。」

 佐藤の声が、私の顔の前を横切りながら、

「急に呼びつけて済みませんね。しかし、時間を置いている間に、どなたかに餓え死なれても困りましたから。」

 その遠巻きの声を打ち払うかのように手を振ってから、綾戸がまたカンナに言葉を向ける。

「多少満腹だろうと食べられる時に食べておくものだろうに。そうでなくては、肝腎な時に力が出なくなるかもしれない。」

「でも、今日で全てが終わるかもしれないのでしょう? しかも、これ以上戦う事もなしに、」

「そうかもしれないけど。でも、」

「それに、どうせ私は戦えないから。今日で終わらなかったら、もう、私も終わりなんだ。散会の折りに誰かに――もしかしたらあなたに――殺されて終わってしまう。だからいいの。そう、だから、」

 カンナは、その、殆ど手を付けていない弁当を右手に持ち上げ、まるで回覧板か何かのように軽やかに回し、綾戸へと突き出した。

「よかったら、どうぞ。」

 綾戸はうっかり面喰らってから、見窄らしく虚勢を顔に浮かべつつ、

「どういうつもりかな。今更、私に媚びるつもり?」

 カンナは少し視線を外し、その、手を突き出したままの姿勢でちょっと考えてから言った。

「綾戸さん、あなた、私が憎々しくて堪らないみたいだけれども、でも、私だって、多分同じくらいあなたの事を憎んでいるんだ。そして多分、私が鏑木達のことを想うのと同じくらいに、あなたも仲間の事を想っていたのだろうと思う。だって、そうでなければきっと、今日まで生き残れないもの、それくらいの結束がなければ、生き残れなかった筈だもの。だから、私は、あなたのことを恨んでいるけれども、でも、同じくらい同情と心配をしているのよ。同じく、突然一人きりになってしまったあなたを。」

「そんな連中は――つまり孤独な奴は――ここにいくらでも居る。なんで、特に私の事を?」

「だって、ここに座ってから思った限りでは、明らかにあなたの顔色が一番悪かったから。まるで、ここ数日一食も出来ていないと言うくらいに。そしたら案の定、凄い剣幕で弁当に飛びつくのだもの。」

 またも空腹からくる浅ましい所作を窘められた綾戸の顔が、ぼっと紅くなった。まるでそこに追い討ちを掛けるようにしてカンナが続ける。

「今から私達の挑む課題は困難かもしれない。だとすれば、あなたが、飢えから来る衰弱なり苛立ちなりでその理智を毀たれているというのは、私にとっても命に関わる大問題なんだ。そういう意味でも、あなたには元気になって欲しいと思ってこれを差し出しているわけだけれども、もしも要らないというのであれば、」

「いや、要る。」

 綾戸は半ばそれを分捕ってから、

「あなたがそこまで言うから、あなたの為に貰ってあげる。あくまで、そう言う意味。」

 カンナはほっとしたような、しかし確実な笑みを浮かべてこの素直でない言葉を受け取った。やれやれ、そうか、先程から綾戸が妙に迫力を放っていたのは、彼女が特に追い詰められていたからだったのか。ならば、この餌付けでいくらかでも大人しくなってくれると良いのだがな。カンナへの心証も幾分か恢復するだろうし。

 この小事件の後、自分の分を早々に平らげた躑躅森からの物欲しげな視線がちらちら、私、ないし私の抱えている弁当に送られるようになったが、ふざけるな、米一粒たりともやるものか。私は、血の繋がっていない方の姉、周姉様を始めとする皆が遺してくれた遺産を、懸命に体の中へ納めた。


 やたらと食事に時間をかけるたちであるらしいミノモとハコオロシのお蔭で、私は、自分一人だけいつまでももぞもぞと食べ続けるという間の悪い様を晒さずに済んだが、しかし、猛烈な、山火事のような胸焼けに今苛まれている。しかもこの強烈な不快感が、まるでそこに関所でもあるかのように喉元までで堰き止められ、相変わらず表情に反映されないので、私は誰からも慮ってもらえないのだ(つくづく、綾戸の顔が羨ましいな。)。

 そんな私の胸中など露知らない暢気な佐藤が、むしろ高らかに話し始めた。

「さて、皆さん。胃袋にものを入れた事で落ち着いて下さったでしょうかね。」

 実際、私以外の者は何処か穏やかな雰囲気になっていた。以前血の繋がっていない方の姉、周姉様からの食事の誘いを断った那賀島の文句を――あれがどこまで本気だったのかは知らないが――私は思い出す。一緒に食事を取るということは、仲間かどうかを画す一線である、とかなんとか、確かそういう文句。成る程、この朧げながら、しかし確かに部屋一面に瀰漫する柔らかい親しさは、会食の成果と捕らえるのが最も自然だろう。もっとも、私だけは食事のせいで増幅した吐き気に苛まれている訳だが、まあ、顔に出ない以上、私の不愉快が場を乱す事はあるまい。

「ではそろそろ本題について話しましょう。現在我々は七人ここに揃っているわけですが、しかし、僕の知る限りでは、この七人で全員の筈なのです。つまり、取り決められたルールによれば、もう、この殺し合いが終了して然るべきなのです。しかし、そうはなっていない以上、何か致命的な問題が起きていると考えるべきでしょう。それを、皆さんと協力して突き止めたいのです。そして、今日を、ここでの生活の最後にしましょう。」

 この空っぽな壮語に綾戸が噛みついた。あの凄まじい眼光は幾分損なわれているが、しかし大いに残ってもおり、怖ろしいというよりも頼もしい、丁度よい感じの迫力を醸している。

「佐藤、アンタは全知の神ではないよね。その、ここに居る七人以外に参加者が生き残っていない筈という確信、あるい妄信の根拠を教えてもらえるかな。」

 佐藤は嬉しそうに、

「はい、分かりました。確かにまずそこを固めるべきですね。以前、残り人数が二十五人になったという通知が入ったと思います。勿論、御存知ですよね。」

 綾戸は、何故か少し考え込んでから、

「ああ、思い出した。確かにあったね。」

「そのタイミングの直前に、僕は、出来る限りの方々を自分の端末に登録すべく、奔走していたのです。ほら、そうすれば、全員の生死を把握出来るようになるではないですか。」

「成る程。でも、井戸本組ウチには来なかったように思うけれども、」

「間に合いませんでした、しかし、幸いな事に」

 ここで佐藤があからさまに、しくじった、とでも言うように動揺を見せた。

 呆れ顔の綾戸が、

「幸いな事に井戸本組がどっさり死んでくれたので、それには及びませんでした、って? ねえ佐藤、今回はぎりぎりで呑み込んだから許すけれども、次喧嘩売ったら買うからね。最低の侮辱だよ今のは。」

「はい、本当に、大変失礼しました。しかし、とにかく結果としては、僕は二十四人の名前を端末に登録した状態で、その、残りが二十五人となった旨を伝える通知を受ける事が出来たんです。つまり、全員の生死状況をこの右手首の内に把握することになった訳ですね。」

「手首で〝把る/握るにぎる〟、という表現は無粋な気もするけれども、まあ、成る程納得だよ。佐藤、アンタが誠実かつまともであるならば、確かにその端末に生存者全員の名前が登録されている事になる訳だね。」

「正確には、僕以外の生存者、ですね。端末は――人間が顎と肘を接触させられないのと同じような都合により――それ自身を登録出来ませんので。」

「で、あなたが誠実漢であるという証拠は?」

「おや、まともである証拠は要らないのですか。」

「要らないよ、それについての答えはノンだもの。まともな奴がそんなに上手く、情報を右から左に流すだけで、餓えもせずに生き延びられるとは思えない。」

 佐藤は軽く笑った。

「綾戸さん、本当にあなたについてはお見逸れしていました。そんなに鋭いというか、厳しい、しかも気の利いたことを仰って下さる方だとは、夢にも思いませんでしたよ。」

「昔から私、まるで馬鹿の様に扱われることが多いんだ。何でかはよく分からないけれどもね。だからそれについてはどうでもいいけれども、それよりも本題。アンタの言葉を信用するに足る材料はないの?」

 そろそろ私が助けてやる。

「周姉様が、生前、佐藤からその生存情報、つまり、端末に登録された二十四人の、名を、訊き出していた、勿論、わたしも、その時に聞いている、」

 綾戸は、拙い私の語りを理解しようと努力するかのように眉根を寄せながらこれを聞いていた。その後、

「それだと、あなた、タマバが佐藤に騙されている可能性が否定出来ないけれども。」

「あの時点から、今日の、この日のこの、奇妙な会合までを、佐藤が想定していたという想定は、些か困難。だって、あなたこそが言ったように、佐藤は、全知なんかではない。」

 慣れだろうか、少しずつ舌が回るようになってきた気がする。その間接的な証左として、綾戸の返事も愉快げに、

「言うねえ、タマバ。確かあなたの言う通りで、佐藤がそんな長大な策略をしかけていると言うのは、全く非現実的な話さ。あと気になる可能性は、あなた自身があなたの意志で佐藤と組みつつ私達を騙くらかそうとしているという場合だけれども、まあ、これほど御馳走してもらった以上、あなたは本気であると考えるのが妥当だろうね。となれば、結局佐藤も信用するしかないかな。」

 尻の下のスカートか何かが気になったらしい綾戸が座り直す隙に、今度はツツジモリが発言した。

「で、佐藤。何を考えているんだ? お前の話によると七人しか残っていない筈だそうだが、まず、どこに矛盾というか、論理の瑕を探すつもりなんだ?」

「そうですね。まず、端末の誤作動などの可能性を排除したいのです。ある人物が、死亡も退場していないのに、何故か僕の端末から名前が消えているという可能性を。という訳で、今、僕が死亡ないし退場したと思い込んでいる十八名の方が、確かに死んでいるかどうかを確認させて下さい。」

「どうやって?」とツツジモリ。

「その十八名における、自分が殺した、とか、あるいは死体……いえ、遺体が転がっているのを見かけたとか、皆さんの持っているそういう情報を教えて欲しいのです。端末を介してでの情報ではなく、その目での情報を。」

 ツツジモリは頷いた。

「成る程、そんならまず、お前が今思い込んでいる最後の生き残り二十五人の名前を挙げてもらわんとな。」

「では、そうしましょう。人数が多過ぎますので敬称略で失礼しますよ。

 周、霜田、霧崎、霊場、霊場、那賀島、迚野、沖田、井戸本、縄手、続橋、絵幡、綾戸、綱島、緩鹿、躑躅森、彼方、鉄穴、釘抜、銅座、銀杏、鏑木、簑毛、箱卸、そして、僕です。つまり、死者は周、霜田、霧崎、霊場、那賀島、迚野、沖田、井戸本、縄手、続橋、絵幡、綱島、緩鹿、彼方、釘抜、銅座、銀杏、鏑木の十八名となります。躑躅森さん、どなたかの死を直な情報で証明出来ますか?」

 ツツジモリは少し考えて見せたが、しかし、

「わるいな、さっぱりだ。俺が最後に確認した死体は、ほらあれだよ、お前にも伝えた、竿漕……ミフネ? だけだ。」

「あれは美舟みのりと読むんだよ。」と簑毛。

「ああ、そうだったな。とにかく、俺が知っているのはそれだけだな。」

 佐藤は一応残念そうな顔を作ってから、

「では、順にいきましょうか。霊場さん、どなたかの死の瞬間、あるいは遺体を見ましたか?」

 私は考えながら、

「まず、霊場千夏、つまり、私の姉は私の胸の中で、息絶えた、あと、那賀島と、沖田は、私の目の前で周姉様によって殺された。あとは、よく分からない。周姉様の、死さえも、」

「周なら、」ここで箱卸がさしはさんできた。「多分、私と圭人君が確認したよ。ねえ?」

「ああ、うん、そうだね。端末で確認した筈だった。」

 私は、一応、

「その、周響子と思しき、遺体の、様子は、」

「横たわる彼女の端末で名前を見たというのに、疑るのかい?」と言う簑毛。

「当然。」

「何故?」

「今は、端末が正しく作動していれば、とうに為されている筈の、終了宣言が、何故、為されないのかを論じている場、当たり前、端末を疑うのは、当たり前の事。だから、あなたの目、つまり、その、遺体の状況が、性質が、確かに周姉様のものと合致、するのかを、教えて、欲しい。」

 簑毛は頷いてから、

「成る程、これは失礼。ええっと、そうだな、女性で、髪を後ろで纏めていて、両耳が見えるくらいだったけれども、もしかしたら、左の耳が大きく損傷を受けている様子だった。きちんと注目した訳ではないけれどもね。あと、すぐ脇に、やたら高級そうな黒い傘が、」

 私が手で遮った。

十分じゅうぶん。確かにそれは、周姉様に違いない。」

「それは良かった。ああ、あと、もう一人、周の脇に倒れていたね。相討ったのだろうか。」

「そっちの、様子は?」

「取り敢えず性別は男。ええっと、彼のことは周以上によく見ていないのだけれども。君はどうだい、箱卸さん。」

 ハコオロシは、あまり形の良くない鼻の頭をこりこりと搔きながら、

「私も、よく見てないなあ。ただ、へし折られた箒が転がってて、歩くのに邪魔だと思った憶えが、」

「迚野。」私はまた遮った。「それはきっと迚野良人。周姉様と相討ちになったと、いう結果は、信じ難いけれども、しかし、その二者が戦闘を行ったという、こと自体は、非常に自然。」

 佐藤が口を開く。

「となると、所謂那賀島組については全員の消息が確認されましたかね。」

「那賀島組ってまだ存在していたんだ、驚きだね。」

「まだ、というよりは、再興していたようですよ、綾戸さん。ええっと、では霊場さん、他にどなたかの情報はありますか?」

 私は、最早何かの冗談のように凄惨な状態となっていたあの二人の姿を思い起こし、また胸を悪くしてから、

「千夏が死んでから、その、棟を出る間に、廊下で、霧崎と、霜田を見つけた。間違い、ない。

 私が知っているのは、以上。他の、生死については、何も言えない。」

「ちなみに、僕と箱卸さんもこれ以上は何も知らないよ。」

「成る程。しかし、これで周組と那賀島組の情報がきっかり揃いましたね。もう、残るは十一人、井戸本組、彼方組の情報のみとなりますが、さて綾戸さん、何か御存知ですか。」

 綾戸は、悩ましげに、

「まず、銅座の死体はこの目で見たよ。アイツは我々の俘虜となっていたから。」

 ここで、カンナからおどおどした睨め付けが綾戸に浴びせられたが、やはり眼光の鋭い者は他者の目に対する耐性も達者なのか、微塵も揺るがずに、その、しかしもともとやや不安定だった語りが続く。

「ええっと、そう、絵幡と綱島と緩鹿が廊下で死んでいるのをまず見つけて、それと、同じ階の廊下で、縄手を見かけたかな。あとは、それっきり。すぐにそこから退散してしまったからさ。」

 佐藤が頷いた。

「では、鉄穴さん。あなたはどうですか?」

「私は、皆の、……ああ、ええっと、だから、あなたたちが彼方組と呼ぶ皆の死体を見たよ、ああ、銅座君は除いてね。釘抜君と、銀杏君と、彼方君と。」

 これだけで黙り込んだカンナに対して、ハコオロシが耳聡く、

「もう一人、……ええっと、ツミキさんは? 確か佐藤曰く、最後の八人にまで残っていたらしいけれども。」

 まるでこの言葉がそういう効能のある呪文でもあったかのように、カンナの顔がさっと凍てついた。仕出かしたハコオロシの方も気不味そうな表情となってしまったが、それに気付いたらしいカンナは、どうやら努めて平然を繕いつつ、

「うん。鏑木さんも、ある部屋で死んでいたの。あとは、そう、他の部屋で、更に二人死んでいるのを見かけたかな。廊下じゃなくて部屋の中だから、まだ名前が挙げられていない人達だと思う。両方とも男で、首が、……首が、そう、転がっていたから。」

「ちょっと。」

 その冷たい声の元を追うと、綾戸がすぐ隣のカンナに話しかけていた。

「それは本当? 見間違ったり何か、していないよね?」

 困った顔のカンナが、

「え、していないと思うけれども、」

「本当? 良く考えて見て。絶対に、間違っていない? 絶対?」

「おい、綾戸とやら、何でそんなにその女を虐めるんだよ。」

 カンナへ向く内は訝しげなだけだった綾戸の瞳が、ツツジモリの方に向き直ると、既に呆れと軽蔑の光を放つものに変貌していた。思わずちょっとのけ反るツツジモリに対して、綾戸の、ごつごつした声が、

「アンタって、もしかして馬鹿なの? 今のカンナの発言の重みを理解していない?」

「どういう意味だよ。」憤るよりも戦いている声音。

「数は数えられるかな躑躅森? タマバが死亡を確認したのが五人、ミノモとハコオロシが確認したのが二人、アンタと佐藤がゼロ、私が五人、そしてカンナが六人。それと、この部屋の中に生きているのが七人。さあ、合計何人だ?」

 頭の回転の悪いのか、躑躅森は怪訝な顔をしたままだったが、しかし私は心底精神を揺さぶられた。そして、ハコオロシも呻くようにして、

「あぁあ!」

「どうした?」

「どうしたもこうしたもないよ、圭人君、二十五人だ! 二十五人が揃ってしまった!」

「そう。」綾戸の低い声。「カンナの、そして、他の全員が言っている事が全て正しいのであれば、二十五人の通知の後に十八人が確かに死亡した事になったんだ。これはどういう事だろうね。何故、私達は未だ解放されないのだろうか。ここに居る、確かに最後である筈の、最後の七人は。」

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