132節から139節
132 逸れ、簑毛圭人
「お腹空いたね。」
「うん、空いた。」
今、どっちがどっちを言ったのだっけな。もう、こんなことすらあやふやだ。
僕達が最後に食事――それもパン半分だけ――を取ってから丸一日が経過した。体力の消耗を抑えるべく、寝っ転がったり寄りかかり座ったりという自堕落な姿勢で時の経過をただ只管待っている僕達であるが、しかし、これによって体力を温存出来ている反面、何というか、気力というか戦意というか、そういう、精神的な物がするすると抜け出ていってしまっているような気がする。軍隊において兵卒がやたらきびきびとした動きをさせられるのは、やはり、大きな精神的意味があるのだろう。今の僕達、腑抜けた僕達が誰かから襲撃されたら、おそらくひとたまりもない。
勿論僕達以外にも飢えている者は多いだろうが、しかし、周響子や〝ジャック〟が斃れている以上、少なくとも誰か一人は〝ジャック〟が荒稼いだポイントを奪い取り、あるいは譲り受けている筈で、すなわち十全に食事を取っている筈で、つまり、そいつに出会したら拙いということになる。こちらからも出歩けば、遭遇の確率はおそらく二倍。うん、やはり止めておこう、ここでじっとしていよう。
退屈に駆られた為に、そして、気力が霧消しつつあるが為に、すっかり放埒にさせられていた僕の思索は、ふと、ある領域に踏み入って、体の方がびくりと顫える原因となった。
これを聡く認めた箱卸さんが、
「圭人君、何?」
僕は少し躊躇ってから言った。
「いや、またこう空腹になってくると、竿漕さん達のことを思い出して。正確には、竿漕さん達が、どういう気持ちでああいう真似を、」
「御免、圭人君。謝るから、その話題今すぐ止めて。」
冷たい声。僕は、朧に――しかし確実に――不愉快を顔に浮かべる彼女を、じっと見つめながら、
「御免よ。」
133 欠番
134 欠番
135 欠番
136 欠番
137 葦原組、躑躅森馨之助
腹が減り過ぎて目が回ってきた。 さっき立ち上がろうとして、し損ね床に転がって、そして今に至る訳だ。畜生、いくら危険でも、もう少し元気な時に誰かを殺しに、あるいは、誑かしに出かけるべきだった。こんなに弱ってからじゃ、もう、誰にも敵うまいし、誰からも逃げられまい。まあ、向こうも同じように弱っているのなら望みがあるかもしれないが、しかし、そう上手くいくとは限らないだろう。そもそも、出歩く元気がない。
俺はそうして全ての能動を諦めて、餓え死ぬ前に残り人数が勝手に七人以下になってくれることを祈りながら、骨折を起こした馬のように気力なく寝転がっていた。ああ、吐くものもないのに吐き気がしてきたぞ。
そんな緩慢な苦悶の中、突然、俺の右手に振動が起こった。俺は、懸命な努力によって、決定ボタンを押す。画面を見るまでもない、俺の登録先は最早一つしかないのだから。
『躑躅森さん、今、大丈夫ですか?』
誰かと思った。いや、勿論佐藤しか有り得ないのだが、いつもの開口一番の余裕げな挨拶ではなくて、まるで、今まさに眉に火が点っているかのような、そういう焦り声、それは、これまでのアイツとはいまいち重ならなかったのだ。
俺がそういった困惑と、先程からの気怠さによって黙りこくっていると、
『大丈夫ですか、大丈夫ですね。では勝手に話しますよ、大変な状況なんです。これは、由々しき事態かも知れません。あなたの、というか、皆さんのお力を借りないといけない様なのです。』
全く要領を得ない佐藤の言葉。その声音に痘痕のごとく浮かぶ露骨な焦燥が、逆説的に俺の平静さを挽回させた。
「意味が分からん。落ち着いて話しやがれ。」
俺は相変わらず寝ころんだまま、佐藤の言葉を聞く。
138 彼方組、鉄穴凛子
涙も涸れ果てた頃、ようやく少し元気になった私は、すくっと立ち上がった。よし、頑張ろう。皆の命が私をここまで生かしてくれたんだ。私の命は、皆の命なんだ。無駄に出来ない。死ねない。絶対に生き残る。
しかし、息巻いてみたとはいえ、具体的にすることもないな。ただこそこそと逃げ延びていれば、誰かが先に餓え死んでくれる気もするし。せいぜい、それまでの間、誰かと遭遇しないように祈るくらいか。まあ、きっと大丈夫だろう、皆が守ってくれる。きっと、そう。これまでと何ら変わらない。
しかし、具体的にどういうペースで食事を取ったものだろうかと悩んだ私は、鏑木から託されたポイントの高を今一度確認しようと、端末に意識をやった。すると、それに呼応するかのように、端末が震え出す。……佐藤?
私は、慣れぬ手付きで通信を認めた。
139 逸れ、簑毛圭人
壁に寄り掛かる僕、床に寝転がる箱卸さん。別に何かを取り決めた訳でもないが、例えば、寄りかかっている方が寝転がろうとすると、寝転がっていた方が起き上がって壁にいざり寄る、また逆に寝ている方が身を起こして見れば、もう片方が床に転がる、という、まるで床が一人しか居られない詰め所か何かと見做したかのような行動を、僕と箱卸さんはずっと繰り返していた。きっと、二人とも寝転がっていては誰かが急に襲い掛かってきた時に差し支えると、僕達は、半ばは本能、半ばは理性で認めているのだろう。勿論、この本能も理性も、いずれもが、ここでの殺し合いから得た経験に起因するのであるが。
「眠たいね、圭人君。」
寝転がっている彼女は、せめて上を向いていようと努力しているようなのだが、しかし、うつらうつらと、まるで意識の明滅に呼応するかのように、顔をこちらに向けては持ち上げなおすという、長閑な反復を行っていた。
「ああ、眠たい。しかし、後少しである以上、隙を作る訳にも、つまり眠る訳にもいかないからね。」
「食べれてない、と言うのも少しは役に立つね。さっきから胃袋がキンキンしてきて、頭の中の眠気と戦っててくれるんだよ。勿論、寝不足で頭が馬鹿になって忘れてられる分の空腹もあるだろうから、つまり、今の私は毒を持って毒を制しつつ、そしてその双方の毒を弱めることに成功してるんだ。」
箱卸さんがふと目を細める。言ったばかりで眠ってしまうのかと心配したが、杞憂であったようだ。
「ああ、食べたいな、それもまともなものをさ。ずっと、自動販売機の、コンビニ紛いの訳分からない保存料着色料香料
「もうすぐだよ、箱卸さん。もうすぐ、終わるのだから、そうしたら、好きなだけ好きなものが食べられる。」
「そうだね。でも、まずはケーキかな。」
「ケーキ?」
「うん、ケーキ。苺のショートケーキ。」
僕は思い出した。
「ああ、そうか。節さんの、」
「そうだよ。彼女が私達に振る舞ってくれると約束してくれた、苺のショートケーキ。作るにしろ買うにしろ、まず、一番最初にそれを食べたいな。」
僅かながら久しぶりに顔を明るくした彼女に、僕は、どんな言葉を掛けようかと愉しげな思案を巡らせ始めたのだが、しかし、この純朴な下心も、右手首の鳴動によって妨げられたのだった。
顔を顰める体力すら惜しんで、さっさとボタンを押す。
『簑毛さん、いま、大丈夫ですか。』
「忙しかったら出やしない。」
『そうですか、大丈夫なのですね。箱卸さんもそこにいらっしゃいますか?』
「居るよ。」と、少しだけ張られた箱卸さんの声。
『それはよかったです。では、お二人とも聞いて下さい。大変な事態なのですよ。』
「アンタがどんだけ大変だろうと、私は知らないけれどもね。」
憂さでも晴らすつもりだったのだろうか、箱卸さんは、佐藤との会話に差し障りが出ないように、身を起こして僕の方に躙り寄った。
そんな彼女を出迎えるようにして、
『いえ、違うのです。皆が皆大変なんです。僕も、あなたも、簑毛さんも、です。』
「そりゃおかしいよね。そっちが大変なら私と簑毛君は助かるし、逆もまた然りだよ。あと一人死ねば終わるのだからさ。」
僕は、寝不足と空腹に苛まれる頭の中で、何とか箱卸さんの言うところを反芻し、また賛同したが、しかし、佐藤の反駁は鋭く、
『いいえ、箱卸さん、あなたは間違っています。少なくとも、今この状況では。』
「言うねえ。じゃあ、私の言ったところの何が間違っているのさ。」
箱卸さんの表情は強気であったが、
『いいですか、あなたの論理は間違っておりません。しかし、その論理の前提条件が最早現実に即していないのです。故に、机上の議論ではともかく、今ここから生還する為の努力においては、その言葉は、一切の意味を為さないのです。』
彼女がほんの少し苛だった。
「何言ってるのか分からないよ。ずばり、何が言いたいのさ。」
『では、言いますよ。いいですか、あなた方に残り人数が八人だとお伝えしたいくらか後で、僕は、鏑木あんずさんがいつの間にか居なくなっていることに気が付きました。』
「『いつの間にか』、そして『気が付いた』、って、そのツミキという人物が具体的にいつ居なくなったのかは分からない訳? どうせ暇していたのだろうに、間の抜けた話だよ。」と箱卸さん。
『そんな、仕方ないではありませんか。だって、本来そんな注意、つまり、そのような情報を汲み出す為の努力は無用な筈だったのですから。』
「あ!」
僕は声を上げていた。端末を睨み続けていた箱卸さんが目を上げて、僕の寄せられた眉根を訝しげに見つめたが、しかし、数秒後には彼女も、
「あぁあ! ……え? どういうこと? え?」
『お気付きになりましたか、そうなのですよ。残り人数が七人になったのに、一向にこのサバイバルの終了が宣言されないのです。』
「数え違えているんじゃないのか?」
僕のこの声は、自分でも驚くほどに情けなく歪んでいた。
『それは有り得ません。僕のカウントは確かな方法なのです。ならば、何か、とんでもないトラブルというか、不具合というか、とにかく大変望ましくないことがこの戦いのシステム上に起きていることが明らかなのです。このままでは、僕達、いくら殺し合ってもここから出られない、帰れないという、最悪の事態も考えられます。折角、ここまで生き延びてきたのにも
そこで、いま生き残っている全員に声をかけているのですよ。この謎、この不具合も、全員の持つ情報、知識、理智を用いれば、何とか解決出来るかも知れません。そうすれば、これ以上誰も死なさずに済むのです。誰からも殺されずに済むのです。あなた達お二人も頭を貸して頂けませんか。果たして問題が解決すれば、あなた達にとってもこれ以上ない収穫となる筈ですし、しかも、タダとは言いません。』
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