94節から99節

94 井戸本組、絵幡蛍子

 あまりにも長かった会談を終えて、我々五人は塒に帰還してきた。出迎えるのは最早、僅かに二人だけだ。

 中に入るや否や、綱島の目がこちらを向いた。彼女の姿をまともに見るのも、久しぶりな気がしてしまう。寄りかかるようにして机に腰掛けていた彼女が、立ち上がり、こちらに寄ってくることで、その首から下げられたカメラがくるくると揺れながら、提げ紐をペコリと膨らんだ胸の辺りで蟠らせた。

「お帰りなさいませ、井戸本様。御無事のようで安心致しました。それで、首尾はいかがだったでしょうか。」

「概ね、思い通りにいったよ。周、那賀島、共に我々に協力してくれるそうだ。」

 綱島は、もともと作っていた莞爾とした笑顔を更に弾けさせて、

「それはよかったです。これで、光明が見えましたね。」

 井戸本様は、一見以前の通りに見える、目の前の綱島の姿を足許から天辺までざっと眺められてから、

「綱島君、大丈夫なのか。」

「はい。もう、大丈夫です。すっかり気持ちの整理がつきました。これからはまた戦わせて頂きます。」

 綱島は井戸本様の渋い顔に気が付いたらしい。

「ああ、きっと、細木のことがあったので本当に大丈夫なのかどうかを心配なさっているのでしょうが、しかし、私は本当に大丈夫なのです。ねえ、緩鹿?」

 奥のほうに居た緩鹿がやってきて、明るい声で言った。

「そうです、井戸本様。私と綱島は先程まで捜索を行っていたわけですが、綱島の様子は完全で、もう一切心配すべきことはない、と私は感じました。」

「どういう意味だね、緩鹿君。」

「ですから、綱島は、いざ憎むべき彼方組の姿を見つけても、いたって平静に行動し、そして、無事ここに帰還してきたのです。一切取り乱すこともなく。ならばもう、彼女を引っ込めておく理由はありますまい。」

 訝しげな顔をなさる井戸本様に対して、綱島が堂々と、

「井戸本様、緩鹿を良く褒めてやって下さい。彼の卓越した聴覚があってこそ、此度の発見は達成されたのです。つまり、私と緩鹿は、先程、彼方組の塒を発見しました。」

 これを聞いた下々の私達は、己がじし勝手な声を上げてざわついた。それを上から塗り潰すように、井戸本様が言葉を発せられる。

「本当かね、それは。」

「はい、間違いありません。……御覧になりますか? フラッシュを焚くわけにいかなかったので少々不鮮明ですが。」

 綱島が井戸本様に委ねたデジタルカメラを、不作法など顧みず、私は横から覗き見た。その画面には、水場で手でも洗いながら何かを話し込んでいる様子の二人の女が映っており、その内の背の低い方は全く見憶えがなかったが、しかし、……しかし!

「絵幡君。」私の不躾に気が付いてらした井戸本様は、窘めることもせずに、「どうだね、確か君は、彼方組の女銃手と出会したことがある筈だが、」

 私はその言葉が言い切られるのも待ちきれずに、その、背が高い方の女、スナイパーライフル銃を携えた女を勝手に指さし、勝手に話し出していた。

「間違いありません、これは鏑木あんずです。そして、私が見たことのない女が共に映っています。明らかに鏑木の同志のようですから、これはきっと恐らく、」

「鉄穴凛子か!」続橋がそう叫び、縄手も、

「そうよ、そうに決まっているわ、で、虎の子の鉄穴凛子をわざわざトイレだかなんだかの為に遠くまで連れ出すわけないのだから、きっと、ここの間近に奴らの、」

「ええ、そうよ。」綱島の声。「そのまま様子を窺っていたら、そいつらは極近所の教室に、迷いも躊躇いもせずに、当たり前のように入っていったわ。まず間違いなく、そこが奴らの塒なのでしょう。」

 井戸本様はカメラを綾戸へ渡しながら――綾戸の背丈では井戸本様の手中のカメラを見られなかったのだ――興奮した様子で、

「素晴らしい。今日は味方を作ることが出来、そして敵を知ることも出来た。もう、憂慮すべきことは何もない。後は皆の力を発揮してもらうまでだ。

 さあ、彼方組がそこから塒を動かさないうちに事を起こさねばならない。早速那賀島や周とまた話しあわねばな。皆も各々、決戦に向けて心と体の準備をしてくれたまえよ。」

 私達は各々、真剣な顔で頷き、快活に返事をした。


95 葦原組、躑躅森馨之助

 俺は早速適当な棟を見繕い、準備を始めていた。早々と見つけたここは三階建ての棟で、贅沢を言えばもっと高い棟の方が望ましかったのだが、高校側ならこんなものかもしれない。高望みをすれば切りがないし、更なる捜索を行ったが為に誰かと遭遇しても馬鹿馬鹿しいだろう。なので、俺はこの棟で手を打つことにしたのだ。そもそも、ある種使い捨てにするのだから、適当で構うまい。

 まず、最上階の水場が健全に機能することを確かめ、また、その階に一切の人気ひとけがないことも調べた。確信を得た後に、二階の自動販売機で数日分の食料を購入し――畜生め、やたら高いな――最上階へと運び込む。

 さて、ここからが俺の聖具では大仕事となってしまう。出来る限り、手短に終わらせたいものだが、果たして、


96 彼方組、鉄穴凛子

 鏑木の顔は、眠っていても、そして首を水呑み鳥のようにこっくりこっくりやっていても、しかしなお凛々しかった。この凛々しさをもたらす気概があってこそ、鏑木はここまでの戦いを生き延びてきたのだろうか、それとも戦場の研ぎ澄まされた空気がその刃で彼女の顔を彫り続けた結果、ついにはこのような寝顔を作り上げたのだろうか。いずれにせよ、私のただぷにぷにとしている顔と大違いなのは、実に納得である。

 無聊に促された私は遠くから、しかし顕微鏡を覗くかのようにしげしげとその顔を眺めていたので、覚醒しかけた鏑木が眉を寄せてどちらかといえば間の抜けた表情を作った時、プレパラートの上の雪の結晶が凛を失い熱を帯びてどろりと解けたかのような失望を身勝手に感じた。人は何故、覚醒の瞬間に不愉快そうな顔になるのだろう。眠ったままでは、痒い背中を搔くことすらままならないというのに。眠ったままの銅像になりたい人間なんて居ないだろうに。だからこそ銅像の作り手は、厳めしい表情だか穏やかな表情だかの内、勝手な判断で相応しいと判断した方を、そこに何百年も凍らせるんだ。決して、眠らせない。

 鏑木は、まるで合図でも送るかのようにコキリコキリと首を鳴らし、それから目を開けた。

「ああ、凛子、お早う。」

 目が合うなり言うでもなくそう言った彼女は、すぐに表情を歪める。歪んだ私の表情を見て、共鳴を起こしたのだろう。私はささやかな慄然、鏑木は軽い怪訝と、その意味は異なっていたわけだが。

「凛子、どうしたの、何か心配なことでも?」

「いや、大したことじゃないのだけれども、今ちょっと揺れなかった?」

 鏑木は、漫ろにきょろきょろとしながら、

「さあ? まあ、もしかしたら私も意識下でそれを感じて起きたのかもしれないけれども、少なくとも、理性的には何も分からなかったわね。」

 そしてこっちを見てから、

「あなた、地震苦手なの?」

「うん、ちょっとだけ。」

 鏑木は頼もしく笑った。

「大丈夫よ、確かにそこら中おんぼろな建物ばかりになっているけれども、少なくともこの棟は頑丈そうだったわ。それぞれの階はもうとっくの昔に見回してあるし、その結果致命的な損壊は見受けられなかった。安心なさいな。」

 これを聞いた私が頷いたその瞬間、鏑木の顔がぼやけた。いや、ぶれたと言った方が正しいだろうか。とにかく、今度こそ間違いのない振動が私と鏑木と、そしてこの建物を襲い、私の視認を妨げたのだ。勿論こんな妨碍はすぐ潰えたのが、しかし、私はそれを信じきれなかった。揺れが収まって見えてきたのは、嘘のような物だったからである。

 鏑木が、まるで今の振動に呼応した音叉であるかのように顫えながら、蒼白の表情で、いつもの癖で自分の指を噛みながら、……とにかく、弱々しく座り込んでいたのだ。

 私は飛んで行った。

「鏑木さん、大丈夫?」

 私に肩を摑まれた彼女は大きくしていた目を無理に引き絞って、気丈に振る舞おうとする。

「ああ、凛子、大丈夫よ、大丈夫。ただ、ちょっと嫌な気分になっただけ。」

「どういう意味? 鏑木さんこそ地震が苦手なの?」

「いや、そういうわけではないのだけれども、」

 鏑木は黙り込んだ。その表情には確かに憂いがあったが、しかし、最早怖れは然程ないように思えた。寧ろ、今口の中に含んでいる言葉を吐き出して良いものかと慮っているように見える。

 結局彼女は喋った。

「あの時、渡り廊下を落とした時、それはそれは愉快な気持ちだったわ。鼠二匹に水を差された憾みはあるけれども、とにかく、最高の気分だった。だって当然でしょう? 味方を一切傷つけずに最高の成果を得たのだから。餓えを避けることが出来、生還へ大きく近づけたのだから。

 でも、冷静になった後で何故か、悔いというか、何というか、とにかく好ましくない感情が歓喜に混入するようになったのよ。それが脳裡に思い起こされる時は、決まって、あの渡り廊下が崩れた時の奴らの顔がそれとセットで浮かんでくるの。その表情、信じられないものを見るような、この上なく情けない表情が、何故か、私の心を責め立てるのよ。おかしいわよね。これまでさんざ人を射殺しゃさつしてきて、今更そんないいこじみた妄想を得るだなんて。

 ただ、しばらくして気が付いたの。ほら前に、大海組のクソゴリラに私が一杯喰わされて以来、ヘッドショットは止めようと言う話になったわよね。つまり、それ以前は出来る限りヘッドショットで獲物を仕留めていたのよ。で、それ以降私に戦果らしい戦果はなかった。ああ、そのクソゴリラ自体は憎々しさに駆られてヘッドショットしてしまったのだけれどもね。つまり何が言いたいのかというと、私は今まで、仕留めた獲物の表情を見たことがなかったの、だって、頭を撃ってしまうということは、その頭が水風船みたいに爆ぜ飛ぶということなのだから。

 つまり、あの表情は、井戸本の連中の断末魔の顔、死が決定した後の顔は、私があの時初めて見るものだった。そしてこの初体験が、どうやら私の心を酷く苛んでいるようなの。思い出すと落ち着かないのよ。で、ああ、そう、今みたいに揺れを感じると、渡り廊下が崩壊する時の振動が、アイツらの顔を思い起こさせて、アイツらの哀叫を再び私の耳の中に響かせて、それで、」

 この痛ましい吐露、私はただ黙って聞いていたのだ。情けない。これまで私はずっと皆に支えてきてもらったのに、守ってきてもらったのに、そんな仲間を慰める言葉一つすら見つけられないだなんて。ああ本当に、何て情けないのだろう。しかし当然なのかもしれない。これまでぬくぬくと過ごしてきた私が、最前線で命を研磨し続けてきた鏑木を慰めることなぞ可能だろうか? 落とし卵のように頼りない魂が、金無垢の魂の苦悩をどう知り得るだろう。

 それぞれ黙り込んだ私と鏑木はまたも共鳴し、互いの悲哀を高め合い続けた。


97 逸れ、簑毛圭人

 これからの食事をどうするか悩んでいた僕と箱卸さんは、ひとまず、一人前の弁当を二人でつついていた。本来なら各がこれを独り占め出来たのかと思うと、なるほど、値段の倍化は只ならぬ問題だ。この食事の中で、似合いもしない小食を気取ろうとする箱卸さんに、寧ろこっちよりも多く食べさせねばと思っていた僕は、その実現の為にいくらか苦労した。

 説得の末仕方がなしにソースの良く染みた烏賊天をもう一切れ口に運んだ彼女に、僕が言う。

「良くさ、人間水と塩だけでもいくらか生きていけるって言うけれども、どうなんだろうね、あれは。上手いこと行くのかな。」

 箱卸さんは焦らず、烏賊を噛み切って嚥下してから、

「塩って、どうするつもり? 分かってるだろうけれども、ここは沿岸部でも何でもないよ。」

「いや。流石に海水から作る気はないけれども、塩自体がどこかに無いかなって。家庭科室とか、理科室とか。」

 彼女は再び弁当へ手を出すのを憚りながら、

「仮にそんなものがあっても、絶対に誰かがもう見つけているよ。そして持ち出すか、あるいはおいていくならば、何か如何わしいものを混ぜるに決まってるって。私、そういう死に方は嫌かな。」

 僕は手振りで、もっと食べるように箱卸さんへ勧めながら言った。

「じゃあさ、やっぱりいっそ作るとか? 塩酸と苛性曹達を混ぜれば食塩が出来る筈だよね。」

 彼女はまたじっくり咀嚼して、中を空にしてから口を開く。

「そもそも、実験用の薬品を口に入れるのが正気の沙汰ではないけれども、まあ、仮にそうするにしても、圭人君って、その化学反応の為にどれくらい量を混ぜ合わせれば良いのかちゃんと分かってるの? いざ飲んで――塩水として得られるだろうからね――酸と塩基のどっちかが余ってたら阿鼻叫喚だよ?」

「HClaq + NaOH → NaCl +H2O だから、一対一だよ。」

「そんなことは中学生でも知ってる……っけ? まあとにかく分かり切ったことだけれども、私が心配しているのはそこじゃないよ。物質量比が一対一というところまではいいとして、圭人君は具体的にそれがどのくらいの量か分かってるの? 重さとか、体積とかさ。」

 僕は顔を顰めた。

「ええっと、苛性曹達の分子量は、」

「水酸化ナトリウムの分子は普通存在しないよ。式量と呼ぶべきだね。」

「とにかく四十だよ。大体40 g/molの筈だ。だから、苛性曹達の物質量は重さを量れば分かる。」

「そう。じゃ、塩酸は?」

「塩酸は、ええっと、……塩素の原子量が確か、」

「三十五・五。」

「そうそう、それ。つまり、塩酸の式量は」

「今度は分子量でもいいけれども、とにかく大体三十六・五だね。」

「なら簡単じゃないか。同じように、塩酸の重さを量ればその物質量が、」

「残念圭人君、全く分からないよ。」

「ん? どうして?」

「塩酸は、塩化水素の水溶液であって、塩化水素、HClそのものではないんだ。だから、塩酸中の塩化水素の割合というか、濃度というか、それを知らないとどうしようもないね。」

「ああ、そっか。」

「そもそも、重さなんて、……いや、質量といった方がいいね。圭人君は質量をどうやって量るつもりだったの?」

「秤りとかないのかな。あと、塩酸の方は体積をビーカーか何かで量れば重さが計算出来ると思うよ。水の比重は大体1丁度なんだから。」

「圭人君、比重が1なのは純粋な水だけだよ。その感覚、水溶液には全く通用しないんだ。」

「え? そうなの?」

「簡単な思考実験で説明出来るよ。水が1 kgあるとして、そこに、水に凄く解ける物質を1 kg溶かすとするじゃない? 当然、質量はもとの二倍だ。でもね圭人君、体積はどれくらい変わると思う?」

「微塵も変わらない、そのままだろうね。」

「そう、つまり、体積そのままで質量が二倍。故に、比重も二倍だ。分かった?」

 僕は頷く。

「ああ、成る程。しかし、君はこういう話が得意だったんだね。」

「化学は手厚く勉強してたものだからさ。で、とにかく私が言いたいのはこういうこと。圭人君がどこまで本気だったのか知らないけれども、止めておこうよ。ね?」

 僕は再び頷いた。



98 欠番


99 那賀島組、迚野良人

 那賀島、周、井戸本の、二度目の三頭会談を終えた僕達は、色々な事情からたっぷり時間をかけて大回りをしつつ、周達の待っている部屋に戻ってきた。以前の時とは異なり、最早、単なる帰宅のような行動だ。果たして彼女らからの出迎えもそれなりに日常的なものとなる。

 例えばまず声をかけてきたのは、周ではなく、霜田であった。

「そちらも帰ってきたか。那賀島、少し訊いてもいいだろうか。」

「いいけれども、戦略的な話なら、周の耳にも入れておいた方が良いのではないかな。彼女は?」

「今頭の整理をしているから話しかけないでくれ、と言い付かっている。」

 僕が首を伸ばして、懸命に霜田の高い肩の向こうを見やると、椅子に座って、神妙な面持ちで黙り込んでいる周の姿が有った。その、彫像のような厳しい雰囲気は、なるほど、話しかけ難い。

「まあ、それなら仕方有るまい。それで、君は何を訊きたいのかな?」

 いつの間にか、双子姉妹――ええっと、なんだっけ、……ああ、そうそう、霊場だ――も近くによってきていた。彼女らの大きな四つの目に見つめられ始め、那賀島君は少々居心地が悪そうになる。心中を見透かされそうなほどに、大きな目。

「先程の井戸本達との話し合い、一度目のそれに比べると随分スムーズにいったが、」

「ええっと、それはそうだ。前回の時は、井戸本と僕達の関係は仮想敵あるいは敵だったのだから、お友達になるところから始めなければならなかった。今回は、最初から少なくとも協力者ではあったのだから、その分障碍も減るだろう。」

「成る程な。して、素直にあそこでの決定に従うつもりか?」

「そうしない理由はないね。三時間後、所定の位置について攻撃をしかける。きっと無事というわけには行かないだろうが、しかし、とにかくこれで彼方組を潰すことが出来る筈だ。というか、もしもこの作戦ですら駄目ならば、どの道どうやったって駄目だ。現在残っている四勢力の内、三勢力が結託して残る一勢力、彼方組を叩く、これ以上有利な条件は存在しないだろう。周だって、そのつもりだろうさ。……そうだろう?」

 那賀島君はその最後の文句を、首を伸ばし、音も大きくして、まるで周の居る方へ投げつけるかのごとくした。結局会話を聞いていたらしい周も応じざるを得ず、

「無論よ。この戦いを終えれば、半ば私達の勝利なのだから。哀れな井戸本織彦は、近い将来に、彼ら七名と、周響子以下五名と、那賀島聡志ら三名の三つ巴になると思って、希望を見出している。しかし、残念ながら実際には彼ら七名と我々八名の戦いで、しかも個々の能力は明らかにこちらが上回っており、悪いけれどもまるで向こうに勝ち目はないわ。

 ここで、5+3≒7という事実が私達に味方したことになる。何せ、誰かが彼ら井戸本達七名と組んでは、最後の生き残り人数の七を大きく超えてしまうもの。いいことは起きないでしょう。故に彼らは最終的に自分たちだけで戦うしかないの、私達と違って。」

 話しつつこちらに歩み寄りつつあった周がとうとう目の前に来た。

「ただ、この皮算用、つまり、彼方組を消滅させつつかつ井戸本達を圧倒する戦力をこちらに残すという計画は、三時間後の彼方組との戦闘でいかに私達が傷つかずに済むか、ということに懸かっている。勿論、彼方組を撃滅する必要は絶対なのだけれども、しかしその上で被害を最小限に抑えなければならない。

 私達五人は皆傘を聖具としており、展開することで盾のように扱うことが出来る。普段こういう使い方をするのは専ら霜田さんだけだけれども、しかし、まあ、残りの私達もやろうと思えば出来るわ。誰かが銃弾を傘で受け止めつつ、他の誰かが次弾装填中の銃手を討ち取ることは不可能でも何でもないと思うの、困難ではあるかもしれないけれどもね。さて、那賀島、あなた達の方は大丈夫? 彼方組の銃弾を凌ぐ手段は有って?」

 沖田さんは肩を竦めて、那賀島君は僕を指さし、僕自身は、左手の塵取りを、インディアンポーカーでもするかのように額に貼り付けた。彼女には僕の聖具がクラブの2にでも見えたらしく、周は哀れむように笑って、

「無茶よ迚野さん。銃撃を防ぐには小さすぎるわ。」

「そこでだ、周。」那賀島君は人さし指を僕から周に向けなおしつつ、「僕は思っていたんだが、君の部下を、」

「私は彼女達を部下だと思ったことはないわ。」

「じゃあ、君のの力を僕達に貸して欲しい。つまりだ、さっきの話では君達五人と僕達三人が独立して彼方組を攻撃することになっていたけれども、しかし、人員を混合させて欲しいんだ。」

 周は意表を衝かれたかのような表情を一瞬だけ見せたが、しかし、彼女の機智はそれをすぐに搔き消した。

「成る程。確かに、盾の役目を果たせるものが五人固まっていても仕方ないわね。しかし、問題がいくつかあるわ。」

「何だい?」と那賀島君。

「まず、そんな大胆な真似をしたら、井戸本に私達の関係が露見してしまうでしょう。」

「いいじゃないか。露見といっても、どうせ全てが終わった後のことだろうに。」

「それは、まあ、そうだけれども、しかし、出来れば本当に井戸本達を斃すまで知られなくないのよね。私達が同一化していることを知らなければ、その無知が彼らにある種の油断や見当違いを与えてくれるかもしれないし。」

「〝出来れば〟だろう? 他に優先されるものがあるならば、それは出来なくなり、諦められるべきだ。そもそも、僕達三人が為す術なくミンチにされたらそんな気遣いは無に帰すってことぐらい、君なら分かるだろうに。」

「確かに、それはそうなのだけれども、」

 周は考え込むような渋面で押し黙った。そして、右手に握った傘を、まるで雨模様の朝に玄関先でそれを携えていくかどうかを思い悩んでいるかのようにぷらぷらさせ、そして、急に、こちらへ、その、切っ先を、

 僕は、突然の攻撃に腰を抜かしそうになりながら、必死に左手の聖具で――僕はとっくにそれを下ろしてしまっていた――顔面を庇う。那賀島君と沖田さんも当然、戦闘態勢を取ろうとしたが、しかしそこまでだった。そして、僕の塵取りにも全く衝撃が襲ってこない。

 これらの原因は、僕が恐る恐る塵取りを退けるとすぐさま明らかとなった。衝撃が来ないのは当然だ。周の突き出してきた傘は、その槍のように鋭利な先端を、しかし全く僕の許まで届かせておらず、半メートルは手前で静止させている。そして那賀島君と沖田さんが攻撃をしないのもやはり当然だった。その周の穏やかな笑顔には、一切の敵意が感じられなかったから。

「御免なさい、迚野さん。あなた達に私の妹を預けられるかどうか、つまりその腕前を改めて確かめさせてもらったわ。」

 周は傘を下ろしながら、

「その反応速度、素晴らしい。本当に私が攻撃していても傷一つ負わなかったことでしょう。」

 那賀島君は窘めるかのような口調で言った。

「勘弁しておくれよ、周。本当に肝を冷やされた。」

「失礼したわ。でも、失礼ついでに一つ頼みたいのだけれども。」

「何かな。」

 周はその愉しそうな笑顔を撤収させ、一転真剣な表情を作り上げてから、

「那賀島。私の妹、あなた達に預けるわ。そして、私自身もあなた達に力を貸しましょう。そのかわり、彼方組との戦いからしっかり無事に帰ってくること。お願い出来るかしら。」

 那賀島君も真面目な相好で、

「善処しよう。これが、精いっぱいの答えだろう。」

 周は笑った。

「そうね、厳しい戦いになる。しかし、頑張りましょうよ。」

「そうだな。さて周、君達からの協力に感謝するが、しかし、具体的なことを考えなければならないだろう。」

「ええ、どうやってこの八名を分けるのか、急いで決めないと。何せ勝負は三時間後だものね。」

「そしてその三時間のうちに最低限の訓練もしないと行けないだろう。でっち上げのチームでも上手く戦えるように。少なくとも、互いが何を出来るかくらいは把握しないとね。」

「すべきことはまだ有るわ、那賀島。〝腹拵え〟。まず、食べましょう。そしてそうしながら色々なことを話し合い、決めないと。」

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