93節

93 周組、霜田小鳥

 辿り着くと、私はノックもせずに扉を開いた。右手に開いた傘をしっかりと握りながら、数歩進む。そして教室の奥の方を眺めて、そこに人影が立ち並んでいるのを認め、更に、彼らが攻撃態勢を取っていないことを慎重に確かめた。

 ここまで来て私はようやくハンドサイン――その実単純な手招きだが――を背後へ送る。霧崎、姉様、霊場姉妹が順に入ってきて、双子のどちらかが戸を閉めた。

 いつものように、我々が周姉様を囲むように立ち並ぶと、向こうの人影の中で一際さっぱりした顔立ちをしている男が口を開く。どこから手に入れたのか、そいつは白い上っ張りを気取りげに羽織っていた。

「周とは、君たちの中の誰だろうか。」

 ねっとりとした、耳につく、癖のある声だ。好む者も居るかもしれないが、少なくとも私には不快に感じられる。

 そして、誰をも愉快にはさせないであろう、しかし、私達のみにとっては頼もしさを介することで逆説的な安心感を与える、周姉様の、この上なく冷たい声が、私の肩を掠めつつ向こうへ飛んでいった。

「私だ。私が周響子だ。貴様が井戸本だろうか。」

「そう、井戸本織彦だ。宜しく頼む。」

「宜しくといわれても、まだ、その様な関係になるかどうかは分かったものではないがな。」

「確かに、那賀島が来なければ具体的な話は出来ない。しかし、挨拶みたいなものなのだからどうか許して欲しい。」

 井戸本が連れている部下も、我々と同じく四人であった。どいつも真剣な面持ちで佇んでいる。一人くらい見憶えがないか懸命に思い出そうとしてみたが、しかし、誰とも面識がないようだった。彼らの聖具に注目すると、まず大きな板きれを持った女、そして一般的な大きさの鋸を持った男が居たが、他の二人の部下――背の低いのと高いの、いずれも女――の聖具はよく分からない。那賀島の話によると、確か綾戸という、トライアングルを聖具とする女が居る筈なのだが、あの二人のどちらかが隠し持っているのだろうか。また、井戸本の聖具もよく分からない。隠しているのか、それとも、持ってきていないのか。

 井戸本が口を開いた。

「で、その、那賀島というのは、どんな人間なのだろうか。周君、君は面識があるのだろう?」

「ああ。……まあ、喰えぬ男だ。そして、口が良く回る、貴様達も気をつけるといい。」

 この言葉、半ば本心だろうな、と、私は想像する。

「そうさせてもらおう。ところで周君、もう少しドアから離れた方がいいだろう。今君達が居るその場所、真正面は私達と対峙するには都合がいいだろうが、しかしこれからやって来る那賀島達に近すぎることになる。」

 私達と井戸本達は、それぞれ、この教室の前後に設えられた黒板を塞ぐように立っていたのだった。椅子や机の類は殆どない。

「成る程、それもそうだな。」

 そう呟いた姉様に促されて、私達は隅まで移動した。井戸本の立つ位置、姉様の立つ位置、そして、この教室の前方の出入り口が丁度二等辺三角形を描くようになる。那賀島達は、入ってきたらそのままその場所で立ち竦んでもらうことになるだろう。今私達の居るこの位置は逃げ道から遠くなっているが、しかし、向こうの井戸本があまりに無防備、つまり本人に聖具の気配がなく、また、部下も後ろに下げているので、真剣に警戒する気にならなかった。あの状態からこちらへ攻撃を行うならば、相当に大きな予備動作が行われる筈で、ならばこの程度の距離は逃走上苦にならない。そもそもの話として、奴らが、同じ人数相手に戦闘を仕掛けてくるような連中とも思えなかった。

 井戸本と姉様との会話が途切れたので、ますます所在なげになった私の興味は向こうの部下達へと注がれ始めた。この行為には、不意打ちを警戒するという意味も多少ある。まず、大きな板きれを持つ女は、顎の端を撫でるような長さの髪を持っていたが、しかし、その不格好さが気になった。勿論ここの生活が二ヶ月半経つ以上、霧崎のような器用者が身内にいない限り髪形が些か不細工になるのは当然なのだが、それにしてもその女の髪の状態は酷く、自分の手で威勢よく切り飛ばしたかのように見える。果たして何故そんな真似をする必要があったのだろうか。また、聖具不明の女の内の一人は、一見強気な顔つきだが、しかし、心中の不安が挙止から滲み出ていた。両手の指を意味もなく蠢かしているあたり、情けなく見えてしまう。そして鋸の男も、あまり落ち着きがなかった。やはり今の井戸本組は、仲間を急に失って弱っているのだろうか。

 しかし、最後の一人の部下は、只者でない迫力をこちらへ見せつけている。背丈は妙に低く、もし後ろからその姿を眺めたら――彼女に罪はないが――きっとその黄色系のブレザーの与える印象と相まって、中学生と見紛えるだろう。しかし誰しも、その顔を見れば、そんな勘違いなど起こさないに違いない。正確には、その顔面自体は所謂童顔で、ますます幼さを与える構造なのだが、しかし、その表情が凄いのだ。今私が使った「凄い」とは、元来の意味であり、つまり、greatやwandafulの意味ではなく、「凄み」の意味であって、寒気を与えるほどの恐ろしさ、厳めしさがそこにあったのである。その目は我々を、視線で殺してやるとでも言うようにじっと見つめ続けており、私は、ふた秒と目を合わせていられなかった。


 私がそうやって勝手に訝しんだり戦いたりしていると――予定通りたっぷり遅れて――とうとう那賀島達が入ってきた。姉様はわざとその登場を半ば無視し、井戸本が指示を出して彼らをその場に留まらせる。那賀島達は全員で来ていた。当然だろう、三人しか居ない彼らが戦力を分かつということは、誰かが孤立するということなのだから。

 その大将が口を開いた。

「お揃いのようで。僕が那賀島聡志だけれども、そっちの見知らぬ伊達男さんが井戸本ということなのかな。」

「ああ――伊達男かどうかはともかく――その通りだ、那賀島君。私が井戸本織彦、今回の会合の仕掛け人となる。」

「ようやく揃ったな。では、始めようではないか。まず、井戸本、具体的な作戦はあるのか。」

「正直、漠然としたものしかないのだ周君。何せ、彼方組の居場所すら分かっていないのだから。つまりまあ、それを突き止めるところから協力しようということになってしまうのだが。」

 議論はこうして、拍子抜けするほど、あまりにあっさり始められた。

 那賀島が肩を竦めて、

「なんだいそりゃ、頼りない話だね。」

「事情も鑑みてくれたまえよ。のんびりしているうちに、君達か周君達のどちらかが彼方組に破れるような事態があったらお終いだったのだ。少々焦りもするだろう。」

「しかし、事情があろうとなかろうと、貴様の話が与太話になってしまうのは変わるまい。本当に彼方組を破ることが出来るのか?」

「繰り返しになるが、漠然とした作戦はあるのだ、周君。まず、君達も含めた我々全員が手分けをして彼方組の居場所を見つける。高校側はある程度狭いのだから、この人数でなら難しくないだろう。そして、その後は適度に分散しながら同時に彼方組へ攻撃をしかけるのだ。銃を使う奴らは大人数相手が苦手な筈だ、誰かを射殺する間に別の誰かに張り付かれれば勝負ありなのだからな。また、奴らには弾の都合もある。大多数での攻撃によってますます勝機が見出せるだろう。無被害で、とはなかなかいかないだろうが。」

「成る程な、しかし井戸本、貴様は第一段階として手分けをしての捜索を想定しているようだが、悪いが、私達は分けられんぞ。つまり、私は妹四人達と決して別行動をしないと決めている。また、那賀島共だって誰かを一人きりにするわけにはいかないだろう。」

 井戸本は残念そうな、しかし明らかに気取った顔を作った。

「そうか。いや、那賀島君達がそうなることは想定済みだったが、しかし、君達も一班にしかなれないというのは少々残念だ。まあ、しかし、許容範囲というか、とにかく、この作戦が頓挫する程の問題ではあるまい。」

「まあな。それで、貴様達は具体的にどのように分かれて捜索を行うつもりなのだ? たしか、七人が残っているのだったな。」

「その通りだ。そうだな、二人、二人、三人での捜索になるだろう。つまり、君達を合わせて五班だ。運が良ければすぐに、悪くとも数日以内には彼方組を発見出来るだろう。」

「そもそも、」那賀島が口を開く。「お宅は、彼方組がどこかに腰を据えていて、そこを襲撃出来れば万事解決と思っているようだが、本当にそうなのか? 常時ばらけて行動している可能性も高いだろうに。」

「勿論そうだ、那賀島君、その可能性もあるだろう。しかしだ、彼方組には弱点というか、特徴がある。彼らの中の鉄穴凛子という人物だが、この女性が殺されれば奴らは終わってしまうのだ。少なくとも、非常に苦しい状況にはなる。故に、奴らは必ずどこかに本拠地を据えて、そして、そこに鉄穴を匿いつつ守っているのだよ。つまりだ、彼方組の何人かが出払っていても、その本拠地には必ず鉄穴一人と、それを護る者一人以上が居る筈なのだ。ならば、本拠地を攻めることによって。少なくとも我々は鉄穴を襲撃することが出来る。こうすれば今後彼方組は詰むのだから、これはこれで構わない。いや、少ない銃手相手の戦闘で有意義な成果を挙げられるという意味では、寧ろ全力の彼方組とぶつかるよりも余程望ましい展開だろう。」

「意味不明な点があるな、その、カンナってのは具体的に何者だ?」と那賀島。

「銃は使えない。というよりも、全く戦闘能力がないのだ。彼女は同志の為に銃弾の製造を行っている。」

「銃弾?」

「ああ銃弾だ。といっても、本物の銃ではないから、プラスティックの小さな球、所謂〝BB弾〟のことだがね。想像して見てくれたまえよ、エアガンを持ち込む際のルールなど私は知らないが、しかしとにかくそれを行ってから二ヶ月半ほど経過しているのだ。仮にいくらかのBB弾の持ち込みが認められていても、そのままではとっくに使い果たしてしまっているに違いない。ならば、補充をしなければならない。それを担うのが、鉄穴凛子なのだ。彼女を仕留めれば、彼方組は戦闘手段を失って自壊する。つまり、今回の我々は必ずしも彼方組を殲滅しなくても良い、いや、出来ればそれに越したことはないが、しかし、鉄穴を討つだけでもある程度十分なのだ。」

「成る程、しかし、そのカンナについての話は確かなのかい? まるで、自分の目で見たかのような口ぶりだが。」

「見てはいないが、しかし、聞きはしたのだよ。彼方組の構成員から直接な。」

「ほう?」

「実際、彼の言葉のいくつかは真実だった。故に、私は残りの言葉も信用するつもりなのだ。」

「一体全体、どうやって彼方組の人間に口を割らせたんだろうね。」

「血まみれの言葉は最も信用出来ると私は思っている。……これ以上直接的な表現は私の好みではない。」

 那賀島が口を尖らせ、手の平を返して、……とにかく身振りで諒解に近いものを示した。

 その後姉様が久々に言葉を発す。

「ところで、我々には彼方組との交戦経験が殆どないのだ。遠巻きに見たことはあるがな。那賀島、貴様のところはどうだ?」

「僕も直接啀み合ったことはないね。迚野も当然ないだろうし、沖田、君はどうだろう?」

 しかし、那賀島の連れている女は応えなかった。そいつのことは今まで気にも止めていなかったが、しかしよく見ると尋常でない雰囲気を醸している。眉根を寄せきり、立ち並ぶ井戸本組達のどこかを必死に注視して、ようは、睨んでいるのだ。

「沖田?」

 那賀島に重ねられて、女はようやくはっとした。

「ああ、御免なさい。ええっと、……そう、そうね、うん、私もそういう経験はないわ。」

 井戸本が残念そうな顔を見せる。

「オキタ? ……ああ、もしかすると、沖田涼子君なのかな。だとすると、成る程。私達に対して只ならぬ思いを抱くのは仕方のないことだ。今更謝罪するつもりはない、上辺だけのものになるだろうし、そもそも、我々としても致し方のないことだったのであり、つまり、我々も君が憎々しいのだからね。しかし、沖田君、彼方組を壊滅させるまでの間は、その感情を抑えて欲しいのだ。そして、ここに来てくれたからには、その覚悟をしてくれていると信じているよ。」

 沖田は、唾を呑み込む仕草を見せてから、

「ええ、その通りよ。正直に申せば、別に彼方組を殺した後でもあなた達を殺すことは十分に可能なのだから、今回は協力する気でいるの、那賀島の指示に従いつつね。でも、いざ、対面してみると……分かるでしょう? 感情というものは、特に忿怒や怨嗟というものは、油然と湧き出てきてしまうものなのよ、理性の箍など容易に吹き飛ばしつつ。だから、ああ、そう、私が失礼な態度を見せても、それを、私達の不誠実の予兆だとは思わないで欲しいの。そもそも、意思決定は那賀島がするから。私はただそれに従うから。」

 井戸本は頷いた。

「ああ、分かった。君のことは殆ど気にしないことにしよう。……まあ、いざ襲撃の時に、我々と君達を隣接させず、出来る限り周組を挟んだ方がいいかもしれぬとは思ったが――互いの為にな――それ以上の考慮はすまい。」

「感謝するわ。そして、私はこれで黙るわ。」

 今度は姉様が、周囲を一度見回すような時間を置いてから、

「いいだろうか? では話を戻すが、そうだ、井戸本、私と那賀島は彼方組について殆ど知らないのだ。貴様達はその、何やら穏やかでない訊問を行ったようだが、実際に奴らと戦った経験はあるのか?」

「勿論、我々は人数が多から、きっと何度もあるだろう。極めて残念なこととしてして、死因のよく分かっていない同志は数も知れない。しかし、実際に今も記憶されているもの、つまり、彼方組から襲撃を受けた私の同志が帰還してきて情報を私の頭の中に入れてくれたのは、最近の三件だけだ。正直なことを申せばね、我々が今この人数にまで減じてしまったのは、この三件が主なのだよ。それらにおいて、合計で十二人の同志が殺害された。一方こちらの戦果は、一人を生け捕りにしたまでだ。たった一人。十二対一のレシオだ。」

 俄にざわついた。そして、私自身もそのざわつきに参加してしまったのだ。十二対一? 一人を仕留めるのに十二人が殺されただと?

 しかし、流石は姉様、その声は微塵も震えなかった。相変わらず、只管に冷たいのみだ。

「解せんな井戸本、貴様何を考えている? 何故、我々の士気を削ぐような、戦意を毀つようなことをわざわざ言うのだ?」

「もしも君達が暗愚で蒙昧な輩なら、そうなるだろう。今の話で怖じ気づいてここから逃げ出すかもしれない。しかし、実際の君達はそうではない筈だ、今日この日まで、そんな愚かな存在が同志を導いて生き残れる筈がないからな。故に、私は君達の理智を信用しているのだよ。

 つまりだね、私がここで彼方組の恐ろしさを説くことで、我々の結束はより高まる筈なのだ。この機会を逃せばとうとう彼方組を倒せなくなるであろうということが、君達なら理解出来るだろうから。君達なら、ここで逃げては彼方組に各個撃破される未来しかないことに気が付くだろうからな。」

 しばらくの静寂の後、それを那賀島が破った。

「井戸本。基本的には、お前の話に賛成だ。共に彼方組を攻撃することに異論はない。ただ、詰めねばならぬことがまだまだ多いな。」

 続くのは姉様。

「私も同じような考えだ。井戸本、我々も協力を約束しよう。そして、より細かなことを考慮しようではないか。それに、貴様達は彼方組の遣り口を我々よりもずっと知っているのだろうから、教えてもらいたいことが山ほどあるのだ。」

 井戸本は満足げに頷いて、

「御両陣営の協力に感謝する。では、じっくりと話し合おう。いては事を仕損じるということは、私の骨身に染みているのでね。」

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