90節から92節

90 逸れ、簑毛圭人

 あれから僕と箱卸さんは、懸命に逃げ続けて、ようやく隠れるのに適当そうな部屋を見つけることが出来ていた。そこに入り、やっと腰を落ち着ける。流石にここまで来ればアイツらも追ってこないだろう。

「ああ、疲れたよ。」

 そう漏らす彼女へ、僕が言った。

「流石の機転だったね、箱卸さん。」

「あのクソ女――オキタって言うんだっけ?――がドジな奴で助かったね。こっちが準備を整えるまでの長話に付き合ってくれたし、そもそも、敵前で聖具が取り出せないなんていくらなんでも馬鹿すぎるよ。」

「確かにアイツの失態で助けられた面もあるけれども、でもきっと、あの場を切り抜けられたのは君のお蔭だ。箱卸さんが炭酸飲料を武器にするという発想を得てくれたから。」

「あー、あれは一か八かだったんだけれども、上手くいって良かったよね。ただ、万事好ましい結果というわけでもなくてさ、」

「何?」

「あのドリンクさ、やたらたっかいんだよ。しかも、今は絶賛値上がり中だしね。結構痛い出費かな。」

「それでも、命あっての物種さ。君はさっきから巧妙に自分の手柄を隠そうとするけれども、とにかくこれだけは今一度はっきり言いたい。有り難う箱卸さん、君のお蔭で助かった。」

 突然彼女の顔が、ぼぉっと、茹でられたみたいに紅潮した。この度を越して鋭敏な反応に、僕の方が驚いていると、

「あ、ああ、有り難う圭人君。うん。有り難う。」

 そうして彼女は目を逸らしたので、不器用な僕はすっかり困ってしまった。


91 欠番


92 那賀島組、迚野良人

 周はすぐに出た。その美しい声が右腕の端末から聞こえて来て耳に快い。

『迚野さん?』

「目の前に来たけれども、入っていいかな。」

『ええ、どうぞ。待っていたわ。』

 僕達はその部屋に入った。


 周達は五人揃って僕達を待ちかまえていた。準備の良いことに、適当な椅子や机が部屋の中程にきっちり並べられており、周が、僕達へ手前側の三席にかけるよう勧める。その後で彼女らもそれぞれ席についた。

 当然向こう側の中央に座った周が、

「まず、招待に応じてくれて感謝するわ。通信で話すにはあまりに複雑なことを語り合いたいものだったから。」

 那賀島君が応じた。

「別に他にやることもないから構わない。それに周、僕達三人で居るよりも、寧ろ君たちと一緒にいる方がずっと安全だろう。この会合は、そのもの自体が有益ですらある。」

「そう言ってもらえると嬉しいわね。……ところで、」

 周はくるりと翻した右手で、優雅に沖田さんを示しながら、

「そちらの方は何者かしら?」

「私は沖田涼子。新撰組の〝沖田〟に、〝涼〟しい〝子〟。この間から那賀島や迚野と一緒に行動しているわ。それ以上語るべきことは特にないわね。」

 周は秀でた眉を持ち上げて、

「そう。……ああ、私は周響子よ。聞いているだろうけれども、那賀島や迚野さんと同盟関係を結んでいるわ。当然あなたとも〝お友達〟ということになるでしょう。どうぞ宜しく。」

 沖田さんは一拍置いてから、

「ええ、宜しく。」

「済まないが、」那賀島君が口を開いた。「そのまま残りの四人も紹介するだなんてことは――少なくとも今は――止めてくれよ、周。まずは本題を話してくれ。僕達をここに呼んだ理由を。」

「ええ、話すわ。まず、那賀島の開口一番の言葉で思い出したのだけれども、あなた、私達五人と行動を共にしたがっていたわよね?」

「二回君に伝え、二回断られた。」

「その通り。でも、今回は逆に、こちらからそれをお願いしたいの。」

 僕同様に困惑したらしい那賀島君は、言葉を返すのに時間を要した。

「どういう意味かな。」

「だから、今後は互いの利益と安全の為に、ここに居る八人が共に行動することを提案したいの。ただ、これは素直な提案ではなくて、条件というか、とにかく他の話が付随するのだけれども。」

「ちょっと待ちなさいよ。」

 声の発された方を周が見た。

「何かしら、沖田さん。」

「周、あなたも言ったけれども、ここには七人を超えた、八人が居るのよ。」

「そう、あなたのせいでね。」

 この周の放ったジャブに、沖田さんは顔を少し顰めてから、

「とにかく、八人で共に行動しようとあなたは言うけれども、それはいくらかまずいのではないかしら。だって七人を超えるということは、最後の最後まで首尾よく勝ち残ったら面倒なことになるし、その面倒を嫌って中途半端な時期に余計面倒なことを起こす輩が出ないとも限らない。そしてより言えば、この〝余計面倒なこと〟を更に嫌っての、つまりメタ的な原因による不和というか、軋轢が生まれることも必至よ。」

 これをじっと聞いていた周は、寧ろ愉しそうに、

「怜悧な人ね。那賀島もいい仲間を得たこと。沖田さん、あなたは本気でそのことを心配しているの?」

「いえ、全く。」

 周は少し目を見開きながら、

「あら、では、何故そんなことを言い出したのかしら。」

「まず私個人、……いえ、私と那賀島と迚野の考えとしては、八人くらいなら十分許容範囲だと思っているの。でも、あなたはそう思っていなかった筈、だって――那賀島から聞いたところだと――同じような理由であなたは過去に那賀島からの提案を断ったのよね? それも、一度目に至っては、私が居ない時期に断った。つまり、八人どころか七人すらあなたは嫌がったということ。なのに何故今のあなたは、そういった憂懼をいきなり抛って、私達との合併を望むようになったのかしら。この心変わりを説明されないと、私達は安心出来ない。この私達の不安は、きっとあなたにとってもいつか不利益をもたらすわ。」

 周は笑った。そして、沖田さんに向けていた目を那賀島君のほうへ向けなおして、

「教えてもらいたいものね、那賀島、どうしたらこんなにも素晴らしい女性を引き入れることが出来るのかしら。」

「休もうと思って入った教室に落ちていたから、拾ったまでさ。」

「逸れの誰かと出逢うだけなら私達だって出来るわよ。ただ、例えば私達の一番最近の時は、単純に蹴り殺して窓から放り出すだけで終わってしまった。秘訣をお聞かせ願いたいものね。」

 沖田さんが、このやり取りを止めるべく強い口調で、

「悪いけど、私は単なる落とし物じゃないから苛立ちを覚えることが出来るの。周、あなたが心変わりを為したのは何故? そろそろ質問に答えて欲しいわ。」

「これは失礼。でも、物事には順序があるの。確かに私が今言い出したことは余計だったかも知れないけれども、でも結局、あなたの質問に答える前に話さねばならないことが二三にさんあるわ。そこから始めさせてもらっていいかしら。」

 沖田さんが不満げに言う。

「どうぞ。」

「では失礼して。さっきね、佐藤を通じて井戸本組からの接触があったのよ。」

 なんだって?

 僕と沖田さんが身を乗り出し、那賀島君は対照的にしっかりと座り直した。彼の気難しそうな顔を見つけて、どこか満足げとなった周が続ける。

「ざっくり言うとね、彼らは、彼方組を共に攻撃しようと言うのよ。あなた達、この間私が流してあげた情報は憶えているでしょう? 何があったのか知らないけれども、井戸本組は今たった七名しか居なくて、しかし、彼方組はまだ五名残っている。井戸本組の話ではこの彼方組の内の一人は全く戦力にならないらしいから、残る彼方組の人数は実質四名。ならば、私達五名と力を合わせれば彼方組を何とか倒すことが出来るだろうと、そう井戸本は言ってきたのよ。」

 那賀島君が真剣な表情で、

「その提案に対して、君はどう思うんだい、周。」

「大賛成よ。だって、彼方組はいつかどうにかしないといけないのだから。自分の被害を抑えつつ、その分の被害を他所の組に押し付けることが出来る共同作戦というのは、少なくとも、単独で挑みかかるよりは何倍も素晴らしい。

 ただね、もっとよい方法もあるのではないかと思うの。」

「その、よい方法とは?」と那賀島君。

「まず、何とかしてあなた達のこともこの共同作戦に加えたい。」

 僕が口を開いた。

「何とかして、というのはどういう意味? 単純に僕達の存在を井戸本組に教えればいいのではないの? それとも、今ここで僕達に首を縦に振らせるのが大変だろうという意味かな。」

「どちらも違うわ、迚野さん。あなた達が肯んじてくれるかどうかはまだ問題にしていない。それよりも今私が語っている苦労は、出来ることならば、私達とあなた達が懇ろにしていることを井戸本に知られたくないのよ。」

「それは、なんでまた。」

「いいかしら迚野さん、井戸本織彦の立場に立って考えてみて。彼らは私達五人に協力を求めたけれども、しかし、彼らの最終目的は彼方組を討つことなんかじゃない、当然生き残りが最後の目標なのよ? つまり、彼方組の後には私達を討つつもりで、しかも――不遜なことに――それがある程度の見込みで成功すると思っている筈。そうでないと協力なんて申し出ないもの。つまりね、あなた達と私達の同盟関係が露見すると、井戸本達はこの話から手を引いてしまうのではないかと思うの。八人相手では勝ち目がないと怖じ気づいてね。しかし、だからといって私達五名だけでは色々と困ることもある。だから、可能であれば何とかして、私とあなた達が全く独立の勢力だと誤解させた上で。井戸本組との共闘態勢に突入したいの。」

「しかし周、」那賀島君が喋り出す。「君の頭なら、佐藤を騙くらかすなり、あるいは佐藤と協力するなりして、井戸本組に適当なことを吹き込むのは可能なのではないのかな。」

「後者――つまり佐藤との協力――は難しいでしょうね。アイツは、露骨にどこかのグループと協力することを嫌うから。前者なら、まあ、方策を考えることくらい出来るわ。でも、その実際に佐藤と話すのはあなたに任せたいの。」

「何故?」

「私は随分佐藤をぞんざいに扱ってきたから、あの男をどうにかするのは色々と不安なのよ。」

「それは頂けないね、周。何をしてきたのか知らないけれども、ああいう存在とは仲良くやっておかないと。」

「そういう理窟は分かるのだけれどもね。しかし、私の性根というか、信念があの男の存在を嫌うのよ。皆が命懸けで戦っているのに、自分一人は電話のやり取りだけで生き延びようという根性、全く気に入らないわ。」

「じゃあ、どういう人間が君の好みなんだい?」

「勿論知性は備えているべきだけれども、でも、それ以上に実力というか、今この状況で言うなら戦闘力というか、そう、とにかくそういったものをも持っている人間へこそ、私は好感を、あるいは好意を覚えるわ。具体的には、私よりも、」

「ちょっと、」沖田さんがさしはさまった。「あなた達はすぐ脱線するわね。私が勝手にあなたの要望に対して返事するけれども、そりゃ、必要ならば那賀島がその役割を担うのも吝かではないでしょうよ。

 それで、あなたは何で私達の力が必要だと思うわけ? やっぱり、彼方組を討つのに少しでも多くの人手が要ると思うからかしら。」

「まあね。でも、本音を言ってしまえば、全く違う理由も他にあるの。」

 ここで、ここまで殆ど存在感を示していなかった、周の部下達の顔が俄に強張ったような気がした。まるで、これからとんでもないことが言われることを承知しているかのように。

 周が黙り込んでしまったので、仕方がなく那賀島君が促す。

「それで、君は僕達に何を求めているんだい、周。」

 周はまだ答えなかった。彼女は更にしばらく黙り込んで、結局、

「那賀島、迚野さん、沖田さん。私は、あなた達の聡明さと理智を信用している。そして、同盟相手としてもとても信用している。だからこれを話すの。」

「もう十分躊躇ったろう。いいから話してくれ。」

「ええ、話すわ。私は、あなた達に相応の被害を求めている。」

 僕はつい口を出してしまった。

「なんだって?」

「だから、あなた達にある程度苦しんで欲しいのよ。」

「それは、何故、」

「まず、私達とあなた達は同盟関係にある。なのに、彼方組を討つという大仕事において、その成果は間接的にあなた達も享受するのにもかかわらず、私達だけが危険に晒されるというのはあまりに不公平ではないかしら。そんなことがあっては、折角の同盟も反故にしなければならなくなるかもしれない。」

 僕は、自分の重い口を苦労してこじ開けた。固くなった唾が不愉快に舌に絡む。

「周、君は今『まず』と言ったけれども、他にも理由があるの?」

「そうよ、迚野さん。沖田さんの最初に示した疑問に関しては、ここでようやく答えることが出来るわ。

 つまり、正直、彼方組とぶつかればただでは済まないだろうと私は思っているの。しかし、今のこの、残り人数が僅か二十四名しかないという状況で『誰かがいつか彼方組を潰してくれるだろう。』と願うのはあまりにも虚しいわ。すなわち、今回の共闘は願ってもないことなの。そしてどうせ危険を冒さねばならないなら、私達とあなた達でそれを公平に被るべきだと思うのよ。そう、の。どうかしら、沖田さん。これで答えにならない?」

 素直でない話し方をする周であったが、沖田さんはしっかりその真意を汲んだようだった。

「成る程。つまり、彼方組と戦えば多分何人か死ぬだろうから、七人を超える八人が一つの組を構成しても問題ないだろうと、こう言いたいのね。」

「そういうことよ。そして、逆少数精鋭の井戸本組七名と、私達とあなた達の聯合の八名なら、明らかにこちらのほうが戦力が手厚く、ひいては、彼方組との戦いの後にも向こうを勝れると思うのよ。もしこうなれば、あとは貰ったようなもの。死に体の井戸本組と、何人かの逸れと、佐藤しか敵として残らないのだから。」

 周は、両腕を大きく、こちらに手の平を差し出すように拡げてから続ける。

「どうかしら那賀島。私は腹の裡を全て話したわ。そして、今話したことは、この状況におけるもっとも確からしい戦略だと私は思っているの。さあ、私達と共に戦い、共に苦しみ、ついには勝利を摑みましょうよ。」

 那賀島君は、気難しそうな顔のままじっと黙り込んでから、

「一つ訊きたい。もしも八人がそっくりそのまま、彼方組戦、井戸本組戦の後も生き残ったらどうするつもりだね。」

「あなた達はその状況を気にしないのではなかったの?」

「とにかく答えてくれ。」

「まあ、確かにその可能性は少しだけある。では、こういうのはどうかしら。もしも最後の最後の八人がここに居る八人になったら、私が命を断ちましょう。それで、このサバイバルは終了よ。」

 僕は雰囲気の変化を察して、漏らした。

「周、そういうことを言うのは止めよう。君の仲間達が凄い顔になっている。」

 周は少し見回して、蒼くなった霜田の顔、目を剥いた霧崎の顔、脣をほんの少しだけ緩めて、じっと周を見つめる双子姉妹の顔をそれぞれ認めた筈だ。

 彼女は、

「その様ね。でも、公平に籤か何かで決めろとでもいうの? それでは、その十二・五%の可能性を嫌って、最終盤でも何でもない中途半端な時期に馬鹿げたことを考える者が出てくるかも知れない、沖田さんの言った様にね。これは、良くないわ。心配しなくとも大丈夫よ、迚野さん。私の妹達は、命を張れといえば張ってくれるし、――そんなこと有り得ないけれども――私が死ねといえば死ぬ。それくらいの固い結束が私達にはある。ならば、私を犠牲に生き残れと言えば、きっとそうしてくれるわ。少なくとも、そう、私の命を救う為に那賀島ら三人に手を出したら絶対に許さないとこの子達に言えば、あなた達の安全は守られると、私は確信している。

 そもそも、あなたや那賀島は心配し過ぎなのよ。井戸本織彦達はともかくとして、あの彼方組と戦って全員生き残るのは、そうとうに大変な話よ。しかし、不可避な戦いではあるのだけれどもね。」

 那賀島君は、結局、

「僕達三人で話す時間を貰ってもいいかな、周。」

「いくらでもどうぞ、と言いたいところなのだけれども、実は、あまり井戸本達を待たせたくないのよ。もしも可能であるのならば、四半時間くらいで済ませてもらえると有り難いわね。」

「五分で十分じゅうぶんさ。」

「ならば、どうぞ。」

 僕達三人は隣の教室に向かうべく一度席を立った。その去り際に周の声が聞こえる。

「取り敢えず、私はそれなりに井戸本達を信用するつもりよ。あくまでそれなりに、だけれどね。彼らが私達よりも彼方組を消したいと思っているのは明らかだし、それに、彼らは誠実だった。井戸本は正直に残り人数が七人しか居ないことを告げてきたわ、多人数を擁することでのみプライドを維持してきたと思われる彼らが、よ? もしもこれで鯖を読まれていたら、今回の話も突っぱねていたかもしれないけれども、ねえ?」

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