88節から89節
88 葦原組、躑躅森馨之助
しかし、俺の足りない頭で考えたところで高が知れていた。他所の組を騙くらかそうといっても、どうやったら良いのか皆目見当がつかない。思えば、あの方言カニバリズム女の時には、幸運というか不運というか、とにかく奇しくも目撃した、見たくもない光景によってあの離間工作が行えたのであった。あの話が上手いこと進んだものだから、この先も上手いこと色々出来るだろうと勘違いしてしまったわけだが、しかしまあ、素の俺の知性と機転ではこんなものなのだろう。何も思い浮かばない。佐藤から何か聞くにしても、何を訊けばいいのかすら分からない。
そんなこんなな俺は、未だに大学側をうろちょろしている。もう、ここが進入禁止になる間際だ。多人数を抱えることで何かと腰が重くなっている他の連中はとっくに高校側へ移動しただろうが、身軽この上ない俺には焦る理由など一つもない。誰も居ない安全地帯でぎりぎりまで粘ってやり、そしてことについでに、何か良いものでも落ちていない探るつもりだったのだ。
しかし、誰も居ない以上、何も収穫はなかった。もともと大して期待していなかったが、実際にこうなってみると多少がっかりもする。
日も暮れてきている。いい加減諦めようかと思いつつ屋外を彷徨く俺の目に、突然、とんでもないものが飛び込んできた。確かあそこは、4D棟と4E棟の間の空間だ。
白墨が幾本か詰まった箱を、何度も何度も何度も振り、更には執拗に机へ叩きつけて、結果見るも無残となった中身を
何だこれは? こいつらがここを歩いている時に、誰かが某かの建造物を上から落下させて殺害したのだろうか。これまで何度も人を殺してきた俺ですら、少々背筋が寒くなる話だ。
ふと見上げると、この瓦礫の山の生前の姿を偲ばせるものがそこに開いていた。D棟とE棟の双方の三階のあたりに、鏡に映したかのような、互いに合同の空洞がぽっかりと開いており、懸命ににらめっこをしている。そのにらみ合いは、より上方、最上階のあたりでもでも同じく行われていた。成る程、恐らくここには棟を繋ぐ橋が二本架けられていて、それを両方落下させて下を歩いている奴らを圧死させたのだろう。
俺は、怖いもの見たさのような感情に駆られて、わざと身の毛をよだたせようと、その情景を想像してみた。しかし、
期待を裏切られた俺は、せめてその口惜しさを、謎めいた事象の解明による一種の知的快感で癒やそうとして頭を捻ったが、しかし、今までこういう思索をサボってきた俺に対しては、快感のほうが愛想を尽かしているようで、それは全く俺の脳内に沸いて出てきてくれないのであった。慣れないことはするものではない。
諦めてまた上を見上げた俺は、しかしそこで、いきなり素晴らしい考えがはたはたと閃くのを感じた。目の前の敗北者達の謎のことではない、もっと重要で実用的なことに関する閃きだ。そうか、そうだ。何で今までこんな簡単なことに気が付かなかったんだ!
善は急げ。俺は高校側に向かって歩き始めた。最早、無用な消耗を避けるため、つい駈け出しそうになるのを必死に押さえなければならないですらいる。
89 彼方組、鉄穴凛子
目が醒めた。欠伸を噛んで、ぼうっとしてから、橙色の眠気に襲われるまま再び瞼を閉じようとして、ふと気が付く。ありゃ? 何で眠っていたんだっけ?
閉じかけた目をぱちくりして思い出した。そうだ、高校側に来て、皆で安全そうな場所を探している間に、ぐるぐる目が回って、それで、
「おや、鉄穴さんが起きたみたいだよ。」
その銀杏君の声を押しのけるようにして、鏑木の嬉しそうな声が響いてくる。
「ああ、凛子、」
彼女は腰を浮かせようとして、しそこね、べちゃんと床に尻を落下させた。その、年齢に似つかぬ、顰め面で腰の辺りをさする動作を見ながら、銀杏君が、
「無理しない方が良いんじゃないかな。君も疲れている筈だし。」
鏑木は渋い顔のまま、空いている方の手の仕草で了承を示した。
「鏑木さんにお礼を言った方がいいよ、鉄穴さん。ここまで君を負ぶさってくれたのは彼女なのだから。ああ、いや、勿論僕ら男共が担おうと思ったのだけれども、鏑木さんがどうしても譲らなくてね、」
銀杏君の言葉の後半の言いわけ部分を無視しながら私は考えた。ああ、そうか、私は多分、歩き回っている間にへこたれてしまって、それで鏑木、というか、皆のお世話になってしまったらしい。だって、背負う鏑木だけでなく、彼女(と私)を外敵から庇わなければならない他の皆も大変だったろうから。きっと誰とも会わなかったのだろうけれども、しかし、余計に警戒するだけだって一苦労だろう、多分。いや、よく知らないけど(私にはそういう経験が殆どない。)。
しかし、ああ、ただ歩いているだけで力尽きるだなんて、流石にここ最近無茶しすぎたかな。そう思った私はその方向へ思い巡らしを行おうとして、しかし、止めた。まずは鏑木に礼を言うのが先だと気が付いたのだ。
いざ私は口を開いたが、しかし、言葉をそこから押し出すことは出来なかった。その一瞬の隙をついて、部屋の扉が開かれたからだ。
彼方君と釘抜君が入ってきた。
「おや、鉄穴。目を醒ましていたのか。」
椅子もない部屋だったので、二人も床へ腰を下ろす。これで五人全員が車座となった。
その中の彼方君が話し始める。久しぶりに、彼にリーダーらしい風格が漂っていた。きっと、あの作戦に参加して、他の皆と同じ程度に命を張ったからだろう。
「では、そろそろ状況を整理しよう。特に、鉄穴がまだ殆ど話を聞いていないだろうから、一度出た話でも叮嚀になぞりたいと思う。
まず、僕と釘抜と銀杏で襲撃者の死体を漁ったところ、まあ、大量の瓦礫に邪魔されて全く順調に行かなかったが、それでも何人かの端末の画面を覗くことには成功した。見つかった名前は絹谷と縁本と……後は失念したが、とにかく、佐藤から聞いていた情報が確かならば、彼らは井戸本組ということになる。」
「まあそもそも、九人、あるいはそれ以上の大規模な襲撃が行えるのはあそこぐらいだろうね。」
「そうだ、銀杏。そして、あれだけの大敗北を経た井戸本組にはもう大した戦力は残っていないだろう。となれば、恐らく僕達五人に敵う連中はもう他に居ない筈だ。これを踏まえて、これから僕達のチームはどう動くべきか。」
鏑木が言った。
「戦略的にどうすべきかというのは難しいわよね。
「何で? こっちから恨むようなことはされていないけれども。いや、企まれはしたのだろうけれども、成就はされていないわよね。」と私。
「ええ、さっきの時はね。でも、良く考えてみて欲しいの。
あの襲撃、本隊に注意を向けさせつつ、裏部隊を回すという襲撃は、私達があの4D棟五階に居たという確かな情報がないと実行出来なかった筈。つまり、井戸本組は誰かから情報を得ていたことになり、そんな確かな情報源とは、銅座以外に考え難い。つまり、銅座を捕らえたのは十中八九井戸本組だったということになるわ。」
私が、少し興奮しながら、
「もしかして、銅座君を助けに行くの?」
鏑木の顔面に夥しい翳りが走った。彼女は少し口ごもってから、
「御免なさい、凛子。あなたはまだ知らないのね。銅座なのだけれども、少なくとも、もうここに居ないわ。そして恐らくは、この世にも。」
私はその言葉を聞ききらぬうちに手を動かしていた。右手首に通信先選択画面を呼び出し、そして、そうした左手をそのまま口を覆うのに使ってしまう。
「つまり、銅座の
どう? 誰か他に意見はあるかしら。」
「俺が思うには、」釘抜君がその厳かな顔から、「井戸本組は放っておいてもいいと思う。そもそも、いま鏑木は
「あら、何故?」
「考えてみろ。我々は五人。最後に生き残れるのは七人。どうせ、他には二人しか許せないのだ。つまり結局、井戸本組だろうとなんだろうと、他の連中はほぼ殲滅することになる。死を与える順番を、恨みがどうこうという理由で変えるべきか?」
鏑木は、少しだけ考えてから、
「少し誤謬があるわよ、釘抜。あなたは『私達五人全員が生き残っての大団円』しか想定していないけれども、しかし、自分の命を多少、あるいは大いに危険に晒してでも
「まあな。で、お前はそういう立場なのか?」
「冗談。そんなお人好し、きっと既に全員死んでいるわよ。ちょっと口惜しかったから揚げ足を取っただけ。あなたの言葉に賛成よ、釘抜。」
銀杏君が言う。
「それで釘抜君、君はどこを攻撃すべきだと言うのだろうか。」
「周組だ。」
「それはまた何で? あそこには〝ジャック〟が居るのに。」
「〝ジャック〟が居るからだ、銀杏。アイツが居る以上、余程の浪費をしていなければ周組は大量のポイントを所持している筈だ。一万を超えていると言われても別に俺は驚かない。つまり、互いに戦闘を避けての、餓えへの耐久競争に入った場合、奴らには絶対に敵わない。」
「逆に言えば、」彼方君が先を持った。「周のチームさえ潰せば、その先は防戦一方でも十分かも知れないな。」
「ああ、700ポイントもあれば十分だろう。」
「いや、それは違うな、釘抜。」
彼方君の言葉に、釘抜君は眉根を寄せた。
「どういう意味だ?」
「700ポイントというのはおかしい。周組を潰した暁には、君が危惧する桁違いのポイントがそっくりそのまま僕達のものになるということだ。十分どころか、使い切りようがない。餓え勝負では絶対に負けなくなる。」
「そうか、成る程な。」
「でも、」鏑木が話し出す。「それって結局、私達が周組の状況をそっくりそのまま引き継ぐということよ。つまり、釘抜と同じ思考回路を持った人間が、今度は私達の方を狙うことになるのではなくて?
ああ、勘違いしないでよ、釘抜のことを誹る気はないわ、それなり以上の全うさを持った論理だと思っている。でも、だからこそ、まともな結論だからこそ、他所の連中も同じ結論に至るのではないかという危惧があるのよ。つまり、次にこっちが狙われることになるのではないかと。」
私は何となく納得しかけたが、しかし、彼方君は、
「いや、全くそうではないぞ、鏑木。」
「あら?」
「二つ誤りがある。まず、他所から僕達のチームへの敵意がこれ以上に増すことなどあり得るだろうかね。井戸本組が凋落した以上、明らかに我々が最大戦力を誇っているんだ。もともと、出来ることならば僕達を潰したいと、どこも思っているだろう。」
「自信満々にぶつけてくる割には、ちょっと不細工な論の気もするけれども。」
「もう一つの誤りの話は、いくらか頼もしいさ。」
「聞かせてみなさいな。」
「僕達が首尾よく周を討ったとしよう。それで凄まじい額面のポイントを得たとしよう。それによって君は僕達が他のチームから狙われると言うのだが、」
「ええ。」
「その、他のチームとやらは、どうやって僕達が大量のポイントを得たと、つまり、僕達が周を討ったと知ることが出来るのだろうか。」
こう訊かれた鏑木は思いっきり顰め面になり、うんうん唸ってから、なんとか、漏らすように、
「佐藤から、」
「佐藤が何で僕達の行動や周の死因を知ることになるんだ。説明して見てくれ。」
鏑木は十数秒だけ頑張って考え続けたが、結局目を閉じて力なく首を振り、両手を挙げた。
「降参。アンタの言う通りよ。」
鏑木を言い負かした彼方君は、堂々私達と見回した。やはり、間違いでなかった。彼はもう、かつてのような風格を完全に恢復している。本人曰く最強のチームである、私達五人の中のリーダー、つまり、最強のリーダーらしい風格を。
「さて、誰か他に言いたいことはあるかな。なければ、可能な限り安全に周組へ対抗する方策を、これから考え始めたいのだが、」
その風格に気圧された為、かどうかは分からないが誰も何も言い出さないので、仕方なく、私がおずおずと手を挙げた。
「おや、これはこれは、補給隊長殿。こう言う時に君からの意見を聞けるとはね。何かな?」
その呼称鏑木以外も使うのかよ! と私は少し憤ったが、まあ、そんな瑣末なことはどうでも良かった。
「じゃあ、その補給隊長としての意見を一つ。私は、少なくともしばらくの間は戦闘を出来る限り避けるべきだと思うよ。」
私の雄弁な枕詞は十分な理解を与えたようで、これだけで、皆が一様に頷いた。その中の彼方君が、
「成る程、確かに残りBB弾数の問題があったな。いくら効率が良かったとは言え、あの作戦で大量の弾を消費したのには違いない。もう少し慎重にことを考えるべきなのだろうな。」
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