74節から79節

74 葦原組、躑躅森馨之助

 寒々しい廊下にて、

「よお。良く会うな。」

 俺はまた話しかけていた。いつかの庖丁男と鍋蓋女だ。

 顰め面の男の方が返事をした。

「悪いが、僕達は急いでいる。君がそうも気軽に僕達へ話しかけてくる理由はよく理解出来ていないが、そのまま立ち塞がるのならば、攻撃させてもらおう。」

「いや、まあ待て。すぐに済む話さ。あの時お前達と一緒にいた方言女の死体をさっき見つけたんだが、ありゃ、お前らの仕業だろうかね。」

 それぞれ聖具を構えたままの男女は、目だけを動かして器用に見交わした後、男の方から、

「彼女が死んだことは何となく知っていたが、僕達が殺した訳ではない。」

 俺は首を大袈裟に振った。

「そうか、残念だ。俺はてっきり、お前達があの女と手を切ったのかと、」

「いや。」女の方、ハコオロシが喋り始めた。俺が堂々と喋りかけるものだから、つい応じてしまうらしい。「それは正しいよ。私達は彼女、竿漕美舟と訣別していた。それで?」

 俺は素直に有り難がった。

「それはよかった。で、もしかするとその訣別の原因というのは、俺が懸命に仄めかそうとした、」

「ああ、」今度は再び男の方、ミノモだ。「彼女は人食家だった。そして、僕達の仲間の体まで食していたことを白状した。だから僕と箱卸さんは彼女と縁を切ったんだ。」

「そうか、だとすると提案があるんだよ。ミノモにハコオロシ。」

「何だ?」

「時間がないそうだから率直に言うぞ。俺とお前達二人とで組まないか?」

 それぞれに驚く男女へ、俺が続ける。

「俺は、色々とあって仲間を失い、今一人きりなんだ。で、想像するに、もしかするとお前達もそうなんじゃないか?

 だって、カニバリズムを行っていたのは、あの、竿漕って女だけじゃない。少なくとも他に二人は居た筈だ。ならば、お前達が人食家と手を切るということは、もしかすると、お前達の孤立を意味するんじゃないか? つまり、お前達も今二人きりなんじゃないのか?

 もしもそうだとすれば、俺達三人で手を組むことは、非常に有意義だと思うんだがな。二人だけだと何をするのにも不便だろう?」

 男は黙り込み、しばし逡巡したようだったが、しかし結局、

「君のお蔭で竿漕さん達の本性を暴けたことに関しては、本当に感謝している。しかし、それと、君を信頼出来るかというのは別な話だ。だって、僕達を仲違いさせるだけでも、君には有意義なことだったろうから。」

「否定出来ないな。」

「だから僕達は、何も知らない君に命を預けることは出来ない。感謝の為に、命を危険に晒すわけには行かない。」

 俺は肩を竦めた。

「残念だが、しかしまあ、全うな感覚だろうよ。仕方あるまい。」

「しかしどうだろう。不可侵協定を結ぶというのは。」

 ミノモの言葉に俺は眉根を寄せた。

「協定?」

「ああ、今後互いに見つけても攻撃しないという取り決めだ。これなら、互いに有意義だし、かつ、それほど信用していなくとも可能なことだ。寝首をかかれるとか背中を撃たれるとか、そんなこととは無縁だからね。」

 俺は少し考えて、

「成る程。それはいいかもな。では、そういうことで。」

 二人の持っている聖具が遠距離を攻撃出来るものではないと当たりをつけた俺は、堂々と背を向けたが、しかし、

「ちょっと待ちなよ。」と女の声。

 再び振り返ると、ハコオロシが、

「名前くらい教えてよ。何も知らない相手との同盟関係なんて気味が悪いや。」

「成る程、失礼。俺の名は躑躅森馨之助だ。もしも漢字が知りたきゃ、説明不能だから勝手に赤外線でも浴びせてくれ。で、お前の名前は何なんだ、鍋蓋のレディさんよ。」

「箱卸沙保里。こっちは簑毛圭人君。」

 俺は頷いて、

「そうか、ハコオロシサオリにミノモケイトだな。憶えたぞ。ところで、自己紹介もいいが、端末の登録はしなくて良いのか?」

「何言ってるのさ、ツツジモリ。アンタのことを信用しきれないって言ってるでしょ? ということは、端末の登録が可能な位まで近づくのも御免だと言ってるんだよ。特にアンタは、聖具を露にしていないし。」

 余計な事を教える気などなかった俺は、ただ、素直に、

「ごもっともだハコオロシ。じゃあ、俺は消えるぜ。生きていたらまた会おう。」


 その後俺は無意味に一つ下のフロアをぶらぶらし、もうミノモとハコオロシに目撃されない気がすると思ったタイミングで、適当に窓から飛び降りた。この飛び降り自殺紛いの行為も大分堂に入ってきている。もう、着地の衝撃を語る気にもならん。

 しかしやれやれ、上手くいかないものだ。あの女の方は明らかに防御型の聖具だったから、隙を衝いて男の方を蹴り殺せば、あとは万事安泰一石二鳥だと思ったのによ。仕方ない、無意味でない協定も結べたことだし、今回はそれでよしとするか。アイツらも、付き合っているうちに隙を見せてくれるかもしれんしな。

 兄貴や路川と死に別れた俺は、少なくともこのサバイバルの間は、誰も信用しないと決めていた。となれば、一人で戦わねばならない都合上、いかに舌先三寸で上手いこと立ち回れるか、上手いこと騙し討てるかがこの先の鍵となってくるだろう。折角窮地を凌ぐことが出来る聖具を得たんだ。多少の危険を冒してでも、今みたいに色々試してやるぞ。


75 彼方組、鉄穴凛子

 久しぶりに、私は一人きりだった。部屋の中一人きりでえいさえいさと、一所懸命にBB弾を作っている。何せ、今が勝負どころだから。

 突然扉ががらりと開けられ、声が掛かった。

「凛子、順調?」

 私が気怠げに振り返ると、一瞬見えた、確かに快活そうだった鏑木の顔が、すぐ歪んで、

「ちょっと、大丈夫? ちゃんと寝ているの?」

「ええっと、うん。それなりには、」

 自分の嘘の下手さを知っている私は、彼女を黙らせるべく鏑木の方に歩み寄って、お目当てのものを握らせた。

「はい、大事に使ってね。」

 手の中のそれを見た鏑木は、しかし、再び眉を寄せて、

「ねえちょっと、凄い数じゃないの。やっぱりあなた、相当無理をして、」

 諦めた私は、白状した。

「だって、今が正念場なんでしょ? 大丈夫、心配しないで。ここを凌いだら思いっきり休ませてもらうから。」

 そのまま、硬い表情の鏑木にしばらく見つめられたが、やがて彼女は諦めるように相好を崩して、

「まあ、今のあなたに何を言っても無駄なようね。ただ、これだけは約束しなさいよ。この場を乗り切ったら、きちんと休むこと。良いわね!」

「分かっているって。」

 鏑木は背を向けて言う。

「じゃあ、これを皆に配ってくるわ。いいこと? 何かあったらすぐに助けを呼ぶのよ?」

 そうして彼女は去っていき、意地を張る必要がなくなった私はその場に崩れるようにして座り込むことが出来た。


76 逸れ、簑毛圭人

 途中であの変な男子高校生に出会した以外は、特に何事もないうちに僕達は安全そうな部屋を見繕うことが出来た。扉をしっかり閉め、腰を適当に落とし、ようやく一息がつく。

 そんな長閑な空気に逆らうかのようにして、箱卸さんが健気に口を開いた。

「しかし、さっきの彼への対応は、あれで良かったのかな。」

「彼って?」

「ツツジモリのことに決まってるよ。」

 僕は少し明後日の方向を見やってから、改めて彼女に向かい、

「まさか君は、あのツツジモリと手を組むべきだったとでも言うのかい?」

「そんなわけないじゃない。」彼女は笑った。「どう見たって怪しいよあんな奴。私が気にしているのは寧ろ逆の可能性。つまり、向こうの話に乗る振りをして、圭人君に斬り殺してもらうべきだったんじゃないかなって話。端末の登録に応じる振りをして、ザクッと一閃!」

 僕は、おどけて何かを斬り伏せるような仕草を見せた彼女に向かって、

「そうか、そこまでは気が付かなかったね。でもまあ、あれはあれで良かったんじゃないかな。まず、君も言っていたようにツツジモリの聖具が分からなかったから近寄りたくなかった。」

「何なんだろうね、あれ。聖具をどこかに隠していたのか、それともいっそ、あの着ていた服が聖具なのかな、まるでどこかの誰かみたいに。」

「しかし、ツツジモリは他の多くの参加者や、そして僕や君とも同様に制服姿だった。手に入れて一年と少し経っていない、そして見回す誰もが来ている筈の制服なんかで、この日まで生き残れる程の〝愛情〟を養えるのかな。」

「確かに、服なんて、せめて相手の聖具からの攻撃を全無効化出来るくらいの力がないと話にならないだろうから、厳しいかもね。……ええっと、何の話だっけ。」

「ツツジモリを無理に殺さなくて正解だったんじゃないかな、と僕が思っている理由について。」

「ああそうだった。」

「で、僕が思うもう一つの理由は、彼と結んだ協定が有意義なんじゃないかな、ということさ。」

「互いに手を出さないようにしよう、というあれ? 疑わしいことこの上ないけれどもね。」

「それでもまあ、彼が協定を守る可能性はゼロではない。何せ、僕らが生き残って彼以外の者を殺害すれば、それだけ彼にとっても有意義なことになるだろうから。」

「そして、私達の利益も同じわけだね。ツツジモリが生き残って私達以外の誰かを殺せば、私達の生き残りも近づく、と。」

「いや、僕達から見る場合では、それに加えてもう一つメリットがある。」

 彼女は意外げな顔をして、

「と言うと?」

「最後の最後、七人が決まる直前。彼がその時も生き残っていれば、きっと僕達は数合わせに彼を討つことが出来る。でも、彼が僕達を討つのは難しいだろう、何せ二体一なのだから。」

「ああ、成る程。確かに、彼に勝機があるのならばあの場で襲いかかってきただろうし、戦闘にそこまでの自信がないんだろうね。そしてつまり圭人君が言うには、私達よりも弱い存在が生存することはそれだけで有意義だと。成る程、そうかもしれないね。」

 彼女は少し考えてから、

「なんかさ、ツツジモリのことが気になってきたよ。今思うと、アイツが言ってた、他に仲間が居ないと言う話も何だか疑わしいや。ねえ、圭人君、ツツジモリがどんな奴なのか、佐藤に訊いてみない?」

「成る程、それはいいかもしれないね。だた、問題が二つある。」

「何?」

「一つは、佐藤からいくら請求されるか分かったものではないということ。」

「そんなの、要求されてみてから、必要ならば突っぱねればいいだけだよ。」

「まあ、確かにね。ただ、もう一つの問題の方が頭が痛くて、それは、僕と箱卸さんのこの状況を佐藤に知られ得るということだよ。」

「え? 何で?」

「今まで僕達は専ら、武智君を通じて佐藤と取り引きをしてきた。何せ、佐藤と取り引きをするということは、ポイントが動くということで、それはリーダーであった武智君を介さずには行えなかったからね。」

「それで?」

「んで、今からいきなり君、あるいは僕が佐藤と通信を行うわけだ。例えばそこで、『武智さんはどうしました?』と訊かれて、どう答えたらいいかな、と言う問題がある。何せ佐藤の穿鑿の鋭さは、竿漕さんですら遥か凌ぐほどだからね。誘導訊問の末に僕達のこの孤立状況を悟られる危険性もある。これは、面白くない。」

 彼女は頷いた。

「そうだね。佐藤がどこに情報を売るか分かったものではない以上、余計なことは知られたくないね。」

 箱卸さんはそう言ってから、悩ましげに黙り込んだ。その憂いの表情が、彼女の顔をいつもより少し魅力的に見せる。

「どうなのかな、うーんと、」

 彼女はそんな意味のないことを呟きながら自分の端末を操作した。後から思うと、ロクに使ったことのない自分の端末の通信機能がちゃんと使えるのか、何となく気になったのかもしれない。

 とにかく彼女は、自分の操作が導いた筈の画面を見て目を剥いた。そして、何があったのかを訊ねる隙すら僕に与えずに、

「ちょっと、圭人君、これ見てよ!」

 僕はその画面を覗き込んで、情けない呻き声を漏らす羽目になった。通信先を選択する画面、もしも今そこに並んでいる名前を読み上げるならば、簑毛圭人、佐藤壮真、以上。そう、つまり、有るべき名前がそこになかった。武智恵も筒丸桃華もそこには居なかったのだ。

 腰が抜けたのか、軽く蹌踉めいた箱卸さんの身を、僕は腕を伸ばして支えた。

「あ、有り難う、圭人君。」

 そして彼女は、表情を恢復しないままに再び端末を見つめて、

「まさか、こんなに早く恵君達が、だって、ついさっきまで普通に、圭人君と話して、」

 僕は自分が覚えた衝撃を懸命に隠しながら、

「しっかりするんだ箱卸さん、確かにとんでもない出来事だけれども、これは僕達に利益しか与えていない。」

 彼女は目を頻りにしばたたかせてから、ようやくいくらか落ち着いて、

「うん、そうだね。そう、だよね。でも、まさかこんな、」

 そして突然、僕の顔を縋るように見つめ始めた。その不安げに寄った眉が、僕の裡に既に生まれてしまっている情けない感情一般を搔き立てる。

「ねえ、圭人君、大丈夫なのかな。だって、美舟さんだけでなく、あの恵君や桃華さんですら、こんなにあっさりやられてしまって、私達二人きり、この先生き延びれるのかな?」

 僕は勇気を振り絞って、物怖じを見せずに彼女を見つめ返す。そして、いかにも頼もしく思われるような表情を作るように心がけながら、彼女の肩を強すぎるくらいに叩き摑んで、

「大丈夫。きっと大丈夫だよ。頑張ろう。」

 彼女はなんとか頷いてくれた。


77 欠番


78 那賀島組、迚野良人

 五目並べのルールを教えられた僕が、沖田さん相手にさんざ馬鹿にされつつ十連敗を喫し、続く十一戦目でも早速暗雲が立ちこめ始めた頃、出し抜けに教室の扉がノックされた。まだ日は傾ききっていない。

 その客人はこちらの返事も待たずに闖入してきた。もっとも、律義に扉の前で待たれて僕達の存在を喧伝されるよりは、この無礼の方がずっとましだ。このあと垣間見えて来た慇懃さからするに、事実、そういう心遣いがあったのだろうと思う。

 後ろ手に扉を閉めた彼は、奇妙な格好をしていた。合羽だ。頭から脛まで覆うオレンジ色の雨合羽を着ているその姿はいかにも滑稽に見えるが、しかし、僕の心を戦かす。だって、どうせあれが聖具なのだろうから。成る程、衣服が聖具というパターンは聞いたことが無かったけれども、少なくとも防禦の面では頼もしそうだ。

 男は合羽のフードの中、暗いこの空間で叮嚀な笑顔を作りつつ言った。

「少し早すぎましたかね。しかしお久しぶりで、那賀島さん。」

 その視線が少し揺蕩った後、

「そして、沖田さん。あなたもお久しぶりですね。まさか、那賀島さんのそばであなたを見かけることになるだろうとは。」

 沖田さんは面白くなさそうな顔で、

「悪いけどさ、佐藤、余計な隙を作りたくないの。早く用事を済ませてもらえるかしら。」

 案の定佐藤であった雨合羽の男は、大袈裟に肩を竦めて、

「どなたも手厳しいですね。まあ、そうさせて頂きますが。」

 彼の目が僕を捉えた。

「あなたが、その、那賀島さんの新しいお仲間のようですね。お名前を訊いても?」

 僕は硬い声で、

「迚野良人。」

「トテノさん、ですか。……ああ、申し遅れましたが、僕の名は佐藤です。佐藤壮真。それで、宜しければ、登録をさせて頂いて構いませんか?」

 僕がちらりと那賀島君の方を見ると、

「佐藤の聖具に攻撃能力は殆どない、……筈だ。君にとっても得が多い、応じてやろう。」

 僕が正面を見直す頃には、既に佐藤が右腕を曲げて待ち構えていた。僕は、いつか周にそうされたように、ただ相手に腕を預けて操作が完了するのを待つ。僕は、目の前に来た、妙に透明感を感じさせる佐藤の瞳にはまるで興味なく、そのかわりに、あの時あまりに間近で見ることとなった、周の美しい容貌を思い出して、そしてそこから得られた某かの感情を噛みしめていると、あっという間に操作が終わっていた。

 佐藤は引き戻した自分の端末を覗き込みながら、

「ああ、これで迚野と読むのですか。……あい分かりました。有り難う御座います。」

 彼はすぐに踵を返して、扉に向かうと、一度こちらに向き直ってから、

「では、お騒がせしました。僕はこれで失礼します。」

 そうして佐藤は手を扉に掛けたが、しかし、また振り返った。僕がその行動を怪訝に思っていると、

「迚野さん。」

「何かな、」

「中央から見て四つ右、五つ下に打つのがお勧めです。では。」

 そう言い残して彼は消えた。


 すぐに沖田さんが、

「迚野、何今の? 野郎の間でしか通じない暗号?」

「いや、僕も知らないけれども。」

 僕達の方を向いていなかった那賀島君が、突然どこかを指さした。

「あれだろう。」

「あれ?」

 僕がその方を見ると、黒板に白墨で刻まれている夥しい升目と、やはり夥しい丸印とバツ印、すなわち五目並べの戦場がそこにある。

「迚野、確か君の手番だったな。佐藤の言った通りの位置を埋めてみるといい。」

「ええっと、……ここか。」

 間抜けに白墨を握ったままだった僕が、そこに不細工なバツを書き込むと、沖田さんの顔色が変わった。

「あいつ、下らない口出しをするものね。ええ、そうよ、そこに打たれるとまだ分からなくなるのよ。」

「ええっと、ああ、そうか、こことここが繋がるから、まだ僕にも目が出るんだね。」

 そんな僕達をみて那賀島君が、

「やはり、大した男だね、佐藤は。」

 沖田さんが振り返ってすぐに応じた。

「流石に買いかぶり過ぎじゃないの? たまたま、アイツも連珠ごもくならべの心得が多少あっただけでしょうに。」

「いや、違う。それだけではない。彼は、あの僅かな間のどこかで、僕達への警戒を怠らないでいつつ、丸とバツのどちらが先攻でどちらが後攻であるかを判断し、その上で、今、丸とバツどちらの手番なのかを一瞬にして見抜いたんだ。更には――これは比較的容易だが――今の手番が迚野であるということも見抜いたわけだ。実際大した物だよ。」

 沖田さんは目を少し大きくして、人指し指で上脣を少し弄ってから、

「成る程、そう言われて見るとそうね。どういうロジックがあったのかしら。」

「多分こうだ。まず、僕達がさっきから遊んでいるこの五目並べの場は、適当に用意した升だったけれども、取り敢えず奇数かける奇数の正方形状にはなっている。ならば、中心に穿たれたバツ印が先攻の可能性が高いね。そして、丸とバツの合計が偶数か奇数かを数えれば、今番を持っているのが先攻なのか後攻なのかがわかる。」

 沖田さんは何度か頷いた。

「そこまでのこと、しかも下らないことをわざわざ敵前で堂々と。成る程、大した頭と余裕ね。やっぱり敵に回したくないわ。」

「全くだ。」

 したり顔の二人の横で未だきょとんとしている僕は、素直に訊いてみた。

「ねえ、那賀島君、」

「なんだい?」

「では何故、佐藤は今の手番が僕の方だと分かったのだろう。」

「お馬鹿ね。」

 僕がそっちに向くと、沖田さんは、

「那賀島は黒板から相当離れていて、そして私はずっと空手だった。で、訊くけれど、あなた今、というかさっきからずっと、右手に何を持っているのかしら? さっき佐藤の目の前に曝した、右手に。」

 僕は眉を顰めながら、手中のちびた白墨を見つめた。


79 周組、霜田小鳥

 食後の、麗らかといえば麗らかな一時ひととき。私が周姉様と取り留めのない話をしていると、霊場姉妹の片割れがとやって来て、

「姉様。」

「何かしら、千夏さん。」

「小春を。見られませんでしたか。」

 姉様は、部屋の中をきょろきょろとされてから、

「知らないわ。まあ、勝手にどこかに行くわけがないのだから、すぐそこの水場じゃないのかしら。……霧崎さんに見張りでも頼まれて。」

 珍しく一人きりの霊場は、相変わらずの無表情ながら、どことなく心細げに頷いて、

「成る程。有り難う。御座います。見てきます。」

 彼女が去ったすぐ後に私が言った。

「姉様。」

「何? 霜田さん。」

「以前から思っていたのですが、あなたは、よくあの二人の見分けがつきますね。」

「あの二人って?」

「勿論、霊場千夏と霊場小春ですよ。」

 姉様は、わざとらしい口調で、

「あら、おかしなことを言うわね。れっきとして独立している別個の人間なのだから、見間違える理由がまるでないじゃない。そうでしょう?」

 私は困ったので、困ったような顔をした。

「あまり私を虐めないで下さい。どうせ霧崎だって見分けなんかついていませんよ。あなたの眼力の為せる業です。」

 姉様は目を閉じられ、頬の片方を吊り上げつつ、

「眼力、というと正確でないかもしれないわね。千夏さんと小春さんの雰囲気というか、ちょっとした挙止とか、そういうところから二人の違いを感じているのだから。」

 私はとうとう参ったように笑う。

「これはますます、ですね。私には、あの二人のそう言った点こそ、まさに生き写しにしか思えませんよ。」

「何を言っているのかしらね。双子とは言え、出生日と塩基排列以外は全く違う人間だもの。何もかもが違うわ。」

 私は、霊場姉妹の、大きすぎる瞳を有す人形のような顔つきと、まるで無線通信か何かで同期されているかのような所作一連を思い浮かべながら、姉様の言葉がどこまで本気なのかをおもんみた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る