71節から73節

71 那賀島組、迚野良人

 既にあっさり高校側へ移っていた僕達は、適当な教室で平和に過ごしていた。あまりに平和すぎて、ここしばらく那賀島君と沖田さんは、黒板とチョークで五目並べをして遊んでいるくらいだ。ああいうゲームでも禁じ手とか、先攻後攻の有利不利の是正とか、そういう真面目な話があるんだなぁと僕が感心していると、

「おや、失礼沖田。通信だ。」

「誰?」

「佐藤。」

「あら。」

 那賀島君は黒板や僕から離れつつ、

「何のようかな。」

『御無沙汰していますね、那賀島さん。』

「ああ、特に用事がなかったものでね。それで、何用かな。」

『ええっとですね、お訊ねしたいことがあるのですが。』

「いくらで?」

 通信相手は困ったかのように笑った。

『これは手厳しいですね。』

「君の身から出た錆だろう。」

『まあ、とにかくお訊きしたいのは、最近那賀島さんが共に行動しているらしいお二方は何者か、ということです。』

 那賀島君の眉根が寄った。明らかに動揺し、漫ろにそこらを行きつ戻りつし始める。

「何故知っている?」

『僕は佐藤壮真です。これ以上の説明は要り用ですか?』

「いや、いいさ。それよりも君は、その二人の名前でも教えろと言うのか?」

『と言うよりはですね、』

 ここで、僕から見て那賀島がそっぽを向けたので、会話の内容が不明瞭になった。その彼が振り返ると、

「まあ、いいだろう。待っている。」

『ではその時には宜しくお願いします。』

 戻ってきた那賀島君を捕まえて沖田さんが、

「何事?」

「佐藤が僕達に会いに来る。」

「え? 今?」

「いや、今は他のことで忙しいらしい。もう少し後、夕方くらいだろうかな。」

 僕が口を挟んだ。

「佐藤って、あの、情報屋紛いの事をしているっていう、」

「ああ。そいつだ。佐藤壮真。」

「何で僕達に会いに来るのさ。」

「君や沖田のことを通信先として登録しておきたいらしい。」

「あら、私は既に佐藤と登録関係にあるけれども。」

「ああ、そうなのか。じゃあ迚野、君狙いだ。」

 僕は得た疑問をそのまま漏らした。

「えっと、何でその佐藤はわざわざ、危険を冒してまで会いに来て、僕なんかを登録しようとするのだろう?」

「さあ? 一人でも多くの〝顧客〟を抱えたいということなのではないかな。よくは分からない。」

「じゃあそれはそれとして、那賀島君に訊きたいことがあるのだけれども、」

「何だい?」

「何故君は、さっきわざわざ佐藤にポイントをねだったの? どうせ僕達には有り余っているのに。」

「お馬鹿。」

 その声に振り返ると、沖田さんが、呆れた顔で、

「ここで無駄に気前が良くなったら、私達が溢れるほどポイントを所持していることが露見し得るじゃない。」

「え? それって何か困るの?」

「知らないわよ。……ああ、そういうことか。あなたはよく分かっていないのね。

 いい? 迚野、佐藤という男相手には、出来る限り何も教えないのが重要よ。私達がどうでもよいと思っている情報でも、しかし、佐藤と繋がっている誰かにとっては垂涎の的となっているかもしれない。他所の連中がどうだとかいう情報はいくらでも売り渡していいと思うけれども、私達自身に関しては出来る限り口を噤むこと。これが、アイツと付き合う上で一番肝要なことよ。」

 続けて那賀島君が言った。

「その通り、彼には無用なことを教えるべきでないし、また、誤魔化しをすべきでもない。一つの事実として、佐藤はどこからかの情報で僕が孤立していないことをいつのまにか察していた。こんなこと、僕からは周くらいにしか教えていないのにね。」

「え? じゃあ、周が僕達の情報を流したの?」

「いや、違うかもしれない。この間出会った男女、もしかしたらアイツらの仕業かもしれない。何せ僕は、顔はともかく名前は良く知られているだろうからね。彼らが、逃げる僕の背に向けて赤外線を発射していたのならば、僕が悪名高い那賀島聡志であるということを知るわけだ。そうしたら、佐藤にそういう話を流して小遣いを貰おうとするのは自然な話となる。ああ、しかし勿論、周が情報源である可能性も消えていないが。

 まあ、とにかくだ。彼の情報網は恐ろしいのだよ。故に、彼自身も恐ろしいのだ。もしも彼の機嫌を損ねれば、舌先三寸で周囲の敵意が一斉にこちらに向くという可能性もある。」

 僕は驚いた。

「え? そんなことが出来るの?」

「不可能ではないと思うね。『那賀島とドコソコが手を組んであなたのところを襲撃しようとしていますよ。』何て吹き込んで回るとか。……まあ、僕ではこれくらいの不細工な言葉しか思いつかないけれども、数多の情報を抱える佐藤なら、きっともっと信憑性のある煽動を行えるに違いない。

 そういう意味でも、彼には僕達に関する余計な情報を与えるべきでないし、また、彼を騙そうとするのも止めるべきだ。佐藤という人間をどう捉えるかは色々な視点があるだろうが、少なくとも僕はそう考えているし、沖田もそう思っているようだね。迚野、君もそう考えてもらいたいな。」

 僕は頷いて、

「成る程、影響力による強さ、か。このサバイバル、色々な戦い方があるものだね。」


72 周組、霜田小鳥

 約束の時刻、約束の場所、佐藤壮真はきっかりやって来た。その穏やかそうな顔の下から、隠しきれぬ強かさが滲み出ている。そして相も変わらず慇懃だ。

「いやはや、有り難う御座います周さん、そして、他の皆さん。」

 姉様は、我々との距離を保ったままの佐藤に向けて、

「とっとと用件を済ませて、失せろ。」

 佐藤はわざとらしい困惑顔を作る。

「相変わらず手厳しい。まあ、僕も今忙しいですので、申し訳ありませんが、用事が済んだらすぐにお暇しますよ。……では、まず、霜田さん、こちらへ来て下さい。」

 私は促されるままに、佐藤の面前に立った。米国人の血がもたらした無用に豊かな背丈のせいで、丁度、私と佐藤の目の高さが同じところに来る。初めて間近に見る佐藤の目は、形の良い眉の下で、不気味なほど透き通っていた。

 佐藤が、いかにも手慣れた様子で、突き出した私の端末と、向こうの端末とを聯結させ、そして、それらしいボタン操作を行った。すると軽い電子音がして、私の画面に『佐藤壮真を通信先として登録しました。』なる文言が表示される。私はそれを確認すると、何を言うでもなく不愛想にそびらを返した。佐藤も佐藤で、すぐに、

「では、続いて霧崎さん、お願いします。」


 そんなこんなで、佐藤は私や霧崎、霊場姉妹のことを登録すると、

「では、お騒がせしました。また宜しくお願いします。」

 そう言い残して足早に去っていった。私は、あからさまに緊張――断じて、怖れて身を竦むという意味ではない――をほどいた周姉様に向かって訊ねる。

「姉様、佐藤は何がしたいのでしょうかね。我々全員を登録するなど。それも、わざわざ我々の前に姿を現すという危険を冒してまで、です。」

 姉様はただ、怪訝そうに、

「確かに不可思議ね。まあ、佐藤という男を理解しようとしても、きっと無駄よ。この戦いの中一人きりで上手く立ち回って、しかもその成果として無事生き延びている、つまり、彼はまともでないもの。」

 私は仕方なく頷いた。


73 井戸本組、絵幡蛍子

 我々が用意する塒では、いつか述べた罠の他にも必ず設えるものがあった。今私はその中に居る。

 塒とする部屋の隅、机をいくつか向き合わせて並べられるくらいスペースを、囲むようにして布を垂らした、即席の密室擬き。完全には程遠いが、しかし――耳を欹てる不届き者に対しては別として――意味を不明瞭にするくらいの防音性はあり、皆に聞かれたくない、あるいは聞かせたくない話はここでするのだ。そして古来、どうやら、軍議というものは何と無く周囲に聞かせたくなくなるもののようで、我々のそれも専らこの囲みの中で行われていた。

 私がここに入るのは初めてだった。四席満員だ。正面に井戸本様が見え、右方に同志続橋、左方に同志縄手が互いに向きあって座っている。左右の二人は、単なる拷問係ではなく、井戸本様からもっとも信頼されている二人で、言わば――今や文字通りの意味でも――幕僚だ。

 薄暗い部屋を、幕によって更に薄暗くしている空間の中で、私が話していた。

「では、銅座戦で得られた反省点について、今一度申し上げさせて頂きます。それは、精神面の考慮を怠ったことです。」

 左右から私へ視線を注ぐ四つの目が、それぞれ怪訝に歪む。そんな居心地の悪い空気の中、井戸本様からの声が私に届いた。

「絵幡君。続橋君と縄手君は、先日君からしてもらった報告を聞いていないのだ。いや勿論、大雑把なことは私から既に伝えたが、しかし、委細全てというわけではない。確認の意味も含めてもう一度、君の考えを話してくれたまえ。」

 私はほっとして、

「では、お話させて頂きます。本来、我々は彼方組の構成員を見つけた場合、すぐ井戸本様の許へ聯絡を行い、その後で圧倒的戦力を注ぎつつその者を捕獲する予定でした。勿論そうすれば少なくない犠牲が出てしまうでしょうが、しかしだからといって人員を出し惜しんでは、恐らく揃って犬死にするのみでしょうから、致し方ありませんでした。

 ですが、実際にはこの計画に反し、寡兵のまま彼方組の銅座と戦闘を行うこととなり、結果、無勢のまま、細木と紙屋が射殺されてしまいました。私と綾戸も、本当に、九死に一生を得たようなものです。

 実際、あの銅座を打ち破ることが出来たのは、綾戸の機転に加えて、更に、紅林ら援軍の到着による、銅座へのプレッシャーがあったからです。すなわち、少数のままで銅座とぶつかることは案の定下策であったということになり、想定を外れていきなり銅座と戦闘を起こしてしまったことは、やはり、大変な損失であったということが示されます。」

「つまりだ、」続橋が頬を搔きながら私へ言う。「君は寡兵のまま銅座とぶつかるべきでないと考えていて、そしてそれは君が今言ったように、我々や井戸本様も認めた見解であった筈だ。そして、これは実際正しい考えだったわけだ。しかし絵幡、君は、あるいは君たちは何故、君たちだけでいきなり銅座と戦闘を始めてしまったのだ? まさか、不用心でも働いて、向こうに察知されたのか?」

 私は、つい眉間に作ってしまった顰みを、薬指でなぞりながら、

「そう、そこなのよ。そこが、私の言う、精神面の考慮と言う問題に関わることなの。」

「よく分からないね。」

「今から話すわ、続橋君。私と綾戸さんと紙屋君は、いつも通り慎重に行動して、出来る限り物音立てず、その甲斐あって、こちらだけ銅座の存在を認識するという理想的な状況を作れたのよ。しかし、問題があった。それは細木君の行動よ。

 彼は、銅座の名前を浮かばせた私の端末を勝手に覗き込むと、明らかに平静さを失って、怒り狂って、喚き出してしまったのよ。……ええっと――詳しくは全然憶えていないけれども――これで仇が取れるとか何とかって。まあ、内容はどうでも良くて、思い切りその声を銅座の耳へ届けてしまったのが大問題で、つまり、その直後に細木君は撃たれ、我々は追われ始めたの。」

 縄手が、こめかみの辺りの髪を弄りながら口を開いた。

「つまりあなたは、あくまであの惨状は、細木がいきなり馬鹿を働いたせいであって、自分のせいではない、とでも言いたいのかしら。」

 彼女の舌鋒の鋭さを把握し、覚悟していた私は、すぐに反駁できた。

「前半は、その通り。しかし、後半は僅かに違うわ。」

 この変化球を予測していなかったらしい縄手は、意外そうに眉を上げて、

「あら、どういう意味?」

「つまり、細木君が馬鹿げたことをしてしまったせいで余計な被害を被ったのは確かだけれども、しかし、その責任は私に振りかかるべきだとも言っているの。」

「ふむ。」縄手は、今度は眉を弄りつつ、「相変わらずよく分からないわね。まず、〝僅かに違う〟というのは、結局どういう意味? あなたが〝僅か〟を付けた意味がよく分からないわ。」

「だから、つまり、細木君の愚行の責任は、細木君によるべきものではない。私によるべき。これは正しいけれども、十分ではない。……そう、言ってしまえば、」

 私は勇気を溜める為に、一瞬時間を置いてから、

「その責任はあなた達二人にもあるし、……畏れ多くも申し上げれば、そう、井戸本様にすら帰着するのです!」

 顫えながら井戸本様のお顔を五指全てで指し示した私の手を、縄手が、ぴしゃりとはたき落とした。その、人を刺し殺すような眼光によって、私はついたじろいでしまう。

「滅多なことを言うな愚か者。 私や続橋への誹りも意味不明だが、それよりも、貴様の失態の原因を井戸本様に求めるとは何事か。」

「待ちたまえ、縄手君。」

 井戸本様がお優しい声で、

「まずは絵幡君の言うことを聞いてやってくれ。その後で好きなだけ憤るといい。」

 こう言われた縄手は、いかにも不満げな顔で、しかし、座り直して両手を組み、じっと口を噤んだ。その目は、恐らく私も井戸本様も見ない為に、続橋の方へ向けられている。結果としてその鋭い眼光を浴びせられる羽目になった続橋が居心地悪そうにするのを、私は同情しながら、

「有り難う御座います、井戸本様。ええっと、そう、つまり、細木君の愚行の責任は、細木君自身に求められるべきでないのよ。何故なら、その愚行の原因は、彼の精神状態がまともでなかったこと、そして、そんな精神状態を慮らずに彼を戦場に出してしまったことに帰着するのだから。

 つまり私が言いたいのはこういう意味よ、縄手さん。銅座戦において私達は……いい? よ? 私や綾戸さんだけでなく、あなたや続橋君、ひいては井戸本様すら含めての私達は、大きな過ちを犯した。精神が恢復しきっていなかった細木君を、誰一人止めず、戦場に出してしまったという過ちを。そして私達は、二度とこれを繰り返してはいけない。だからこそ、私は、畏れ多くもこれを述べたのよ。」

 縄手は、ようやくこちらを見た。

「成る程。納得したわ。」

 睨みが消えてほっとしたらしい続橋が、

「では、絵幡、そろそろ具体的な話をしてくれるか。」

「ええ。これから彼方組を討つ作戦を話すわけだけれども、私はこの作戦を建てるに当たって、今言った、精神面の考慮を行ったのよ。」

「では、今君の思う、気を遣わねばならない者、心が弱っている者とは誰だ?」と続橋。

「私と、綾戸さんと、綱島さんよ。」

 井戸本様は少し笑って、

「自分で自分が平静でないと思うのか、絵幡君。」

「いえ、私自身は、すっかりいつもの自分と、冴え冴えとした頭を取り戻したつもりです。ですがしかし、思い出して下さい。細木も、似た様なことを言っていた筈です。自分はもう大丈夫だ、と。」

 井戸本様は少し考えてから仰った。

「ふむ、成る程。」

「御覧の通り、私はまともに喋っていますし、まともに考えています。しかし、これは上辺だけのものかもしれません。戦場に出れば、あぶくの如く容易く破れる冷静さかもしれないのです。私も、どちらかといえば血が遡りやすいたちですので。」

「して、他の二名に関してはどうなのだ?」

「綾戸と綱島のことですね。まず綾戸は、あの、銅座を捕まえた日には口も利けない状態でしたが、今は比較的元気です。ですが、その、正直、……非戦闘状態での綾戸はわけがわかりませんので、何も断言出来ません。私同様に、危うい、性質が不確定な駒です。」

「まあ、成る程。では、綱島君に関してはどうだ?」

「彼女は明らかです。」

「どちらに?」

「残念ながら、」

 眉を顰められる井戸本様へ、私が続ける。

「紺野が討たれたことで明らかに怒り狂っておりましたが、未だに、元の状態に戻ったとは言い難い状況です。簡単に言えば、情緒不安定。傍から見てもあからさまに苛立っているだけでなく、少しの拍子で大声をあげたり、泣き出したり、……いたわしい限りです。」

「まあ、私もその辺り察してはいたがね。」

 井戸本様は、少し間を置かれてから、

「ふむ、絵幡君、つまり君は、君自身と綾戸君と綱島君、この三名を彼方組との戦いに連れ立つべきでないと、こう言うのだね。」

「いえ、そうではありません。」

 縄手が目を見開いて、その鋭い舌を蠢かした。

「何を言っているの? 絵幡、あなた自身がさっき、精神状態を慮るべきとかなんとか、」

「ええ、言ったわ。でも。慮るというのは、必ずしもその者を引っ込めろという意味ではない。」

「どういう意味かしら。」

「もしも我々に十分な戦力が残っているのであれば、私達三人は出るべきでないでしょう。しかし、今私達は既に十四人しか残っていない。井戸本様やあなたと続橋を前線へ出すわけにも行かないし、そして、どう考えても戦える状況でない綱島さんと、彼女が居ないと本領を発揮出来ない緩鹿君が動けないことを考えると、今私達の兵力は、僅かに九人。」

 顰められた縄手の顔へ、私は続ける。

「そう、たった九人しか居ないのよ。ここから更に私や綾戸さんを除いてしまっては、残りはもう七人こっきり。縄手さん、憶えているでしょう? 銅座一人を討つ時に私達が必要としたのは、九人の戦力投入と、そのうちの四人の犠牲。ならば、今回討つべき彼方、鏑木、銀杏、釘抜の四人を、私達の中の七人で討てるわけがないと考えるのが自然。勿論九人でも相当に厳しいけれども、しかし、ここから減らすわけにはいかない状況なの。

 だから私はこう思う。その、健全な状態の七人には本隊として攻撃を行ってもらって、私と綾戸さんは別動隊として、つまり、何か失敗を冒しても全員の破綻には結びつかない戦力として投入されるべきだと。」

 縄手は小さく頷いた。

「成る程、細木の時と違って、そのあなた達二人はいくらとち狂っても、本隊の壊滅に繋がらないということね。」

「そういうふうに、作戦を立てたわ。」

「では、その作戦を聞かせてもらおうかしら。」

「ああ、その前に縄手さん。」

「何?」

「銅座は、後何日生きていられそう?」

 私はこう問いながら、銅座が受けていた血みどろの仕打ちを思い出していた。例えば、お前の飯はこれだ、などとと称されて、切られた指を口に銜えさせられ…… ああ、止めだ止めだ、思い出したくもない!

「そうね、そりゃ、私や続橋は医者じゃないから何ともだけれども、ちゃんと水を飲ましていれば、今までの経験上、後二三日は持つんじゃない?」

「水だけ? 食事を取らせるとかして、どうにか伸ばせないの?」

「多分無理。殆ど廃人にしてしまったし、そもそもあの体では物が喉を通らないわ。血も足りなさそう。……ところで絵幡、あなたはなんであんな奴のことを気にするわけ?」

「ああ、そういう事情があるのならば、先に手心を加えるように言っておくべきだったわね。」

「もしも銅座を生かしたいのならば、そうだったわね。で、質問に答えてもらえるかしら。」

「ええっと、勿論、銅座に同情なんかしてないわ。ただ、今銅座に死なれては困るのよ。」

「何故?」

「何故なら、銅座が死ねば、端末の画面を通じてそれが彼方組連中に知れてしまう。そうしたら、折角もとの塒にベタ付いたままの彼方組が、移動してしまうことになるかもしれない、もしも、銅座の帰還に一縷の望みをかけて動いていないのならばね。

 もしもそうなった場合、つまり、向こうが塒の場所を変えてしまった場合、もう、作戦も何も通用しなくなる。居場所が分からなければ策など練りようがない、再び、銅座の時のような一か八かの戦いを余儀なくされ、銅座の時のような夥しい犠牲を余儀なくされるでしょう。あんなものはもう無理よ。再びあんな戦い方をすれば、本当に、私達は全滅してしまう。だから、作戦決行のその時まで、銅座には生きていてもらわないと困るのよ。」

 続橋が口を開いた。

「成る程、銅座から聞き出した奴らの居場所を活かすわけだな。しかしそもそも、奴が言ったことは正しいだろうかね。」

「自分の、……訊問(私は〝拷問〟という言葉を使うのを何となく憚った。)の成果に自信がないの?」

「敵から聞き出すことは、常に、正しいとは限らない。そもそも、銅座を捕獲してから奴らが移動している可能性もあるだろう。」

「しかし、今回そういう心配は無用なのよ、続橋君。ついさっき、純浦すみうら班に様子を見てきてもらったばかりだから。少なくともその時点では、確かに人の気配が2D棟五階で確認されたそうよ。」

「ならばいいが、しかし、襲撃決行まで奴らがそこに居座っていてくれるかは多少心配だな。」

「そう。だから、この作戦は一刻も早く決行したいの。極端な話、今すぐにでも。」

 井戸本様が口を開く。

「では、そろそろその作戦の詳細を聞かせてもらおう。急がねばならないらしいからな。」

「では始めさせて頂きます、井戸本様。まず、彼方組が潜んでいる2D507室ですが、その名前から分かるように、大学側第二エリアのD棟五階に存在する部屋です。この部屋はそのフロアの奥まったところに存在しており、出入り口は袋小路の先で、二手から襲撃させる可能性が低い、理想的な塒と言えるでしょう。――この辺りは、流石は彼方組、と言いますかなんと言いますか。

 で、この部屋、と言うよりも、このフロア、……いえ、〝この棟〟と言った方がいいでしょうかね、とにかく、とある特徴があるのです。正確に言えば、このサバイバルでの戦いによって特徴を得た、とした方が正しいかもしれませんが。」

「その特徴とは?」と続橋。

「端的に言うと、出入りが非常に困難なフロアなの。例えば、2D棟のフロア間移動では二基のエレヴェーターと一つの階段が用意されているけれども、当然、エレヴェーターは機能を停止していて使えず――そもそもエレヴェーターなんて死んでも使いたくないけれどもね――また、階段も、四階と五階を繋ぐ部分が崩壊しているの。少人数なら何とか工夫して登れるかもしれないけれども、大人数での大移動は非現実的――きっと移動の完了よりも、向こうに感づかれて銃口を向けられる方が早い――そんな状況よ。」

「じゃあ何? その2D棟五階とやらは難攻不落じゃない。」

「いえ、実はそうではないのよ、縄手さん。確かに馬鹿正直に2D棟地上階から五階へ攻め込むのは大変だけれども、しかし、この2D棟はね、実は、隣の同じく五階建ての2E棟から渡り廊下が伸びているの、一階を除いた奇数階、すなわち五階と三階に限るけれどもね。そして、この2E棟内部に関しては、特に移動の不便はない。」

「成る程、つまり、2E棟を五階まで登って、そこから渡り廊下を進んでいくのが、唯一のまともな進攻ルートな訳ね。しかし絵幡、そんなのでは、その地点を最大に警戒されてしまうのではなくて?」

「逆に言えば、彼方組は確実に全力をここへ宛てがってくるということになる。これは理想的よ。向こうの動きが限定されるということは、作戦を立てやすいもの。」

「物は言いようね。四挺の銃に睨まれて、そこを突破出来るとでも思っているの?」

「確かに奴らの銃の威力は驚異的だけれども、しかし、どうにもならないというわけでもないわ。現に、私は銅座と遣り合って生き延びたでしょう? 盾の役割を果たせる者はまだ何人か居るし、そして、向こうには銃弾数という頭の痛い問題もある。まるで絶望、というわけでもないわ。

 しかし、確かに向こうの出方によっては難しいかもしれないし、攻略しきれないかもしれない。そこで、私と綾戸の出番なのよ。」

「君の言う、別動隊というやつかな。」

「そうです、井戸本様。私と綾戸は、先程進行困難な道と称しました階段ルートを無理に利用して、2D棟五階を強襲します。彼方組の銃手は残り僅か四名。我々の本隊が渡り廊下へ進めば、感づき次第、そちらへその内の三四名を送り込むことが期待されます。先程も申しましたが、何せ、そこさえ守れば安全と思う筈ですからね。

 そこで、私達が裏を搔きます。守りがないことを良いことに、こっそり階段からちんたら忍び込み、こっそり無人の2D棟五階廊下を抜け、507室に潜入。そうして、銅座の語っていたBB弾の補給係、鉄穴凛子を討ちます。銅座曰く彼女の戦闘能力は皆無だそうですから、まあ、容易でしょう。私と綾戸二人のみでも、寧ろ贅沢すぎる人手です。しかし、この二人は本隊に組み込めない、あるいは組み込むべきでないのですから、この贅沢は痛くない、と。

 こうすれば、たとえ本隊が壊滅して敗走の憂き目に遭っても、彼方組の息の根を止めることが可能になります。我々の同志は当然銃に対する守りの準備をした上で攻め込みますので、そんな我々と戦う上ではそれなりに多量の銃弾を消費するでしょうから、それに加えて、私が鉄穴を縊り殺せば、もう、奴らは終わりです――これは、あの銅座が僅か六発のBB弾しか持ち歩いていなかったこともおもんみての話です。弾の無い銃など、不格好な棍棒に同じ。彼方組は近いうちに崩壊するでしょう。

 そして、先程も述べましたが、私か綾戸のどちらかがとち狂っても、そこまで痛手にならないわけです。鉄穴討ちは達成出来ないでしょうが、まあ、それだけであり、もともと一定の勝算のある本隊の方は、無事のままですから。」

 井戸本様は満足げに頷いて下さった。

「成る程、悪くない策に思える。では、細かい点を詰めようではないか。」

 私はきちんと居直ってから、

「お言葉ですが井戸本様。正直、細かい点も何もありません。全力を渡り廊下の本隊に注ぎ、私と綾戸を階段に宛てがうだけですから。

 ならば、この作戦の是か非かのみを御検討頂き、その後は、一刻も早く実行すべきかと。勿論、本来は適当なタイミングというのが存在しています、奴らが何人507室で待機しているだろうかとか、あるいは、その内の何人が眠らずに起きているだろうか、という問題です。しかし、これらを推して知る方法がない以上、一刻も早く動くのが得策でしょう。」

 井戸本様はただしばし押し黙り、そして、

「縄手君、続橋君、異論は?」

 二人はすぐに答えた。

「特に何も。」

「同じくです。」

 井戸本様は立ち上がって、

「では、皆が揃い次第決行だ。具体的な指揮や細かい指示は任せたぞ、絵幡君。」

 私も立ち上がり、井戸本様とじっと見交わした。

「お任せ下さい。必ずや、彼方組に地獄を見せてやります。――文字通りの、意味としても。」

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