66節から68節
66 井戸本組、絵幡蛍子
報告を何とか終えた私は、井戸本様曰く葡萄のように蒼ざめていたらしい顔を心配され、今は塒の片隅でぼんやり座っている。
そんな私から今見えるのは、他の同志と何やら話し込まれている井戸本様と、その同志達と、両手を後ろ手に縛られている銅座と、奴を見張りながら簡単なことを問い詰めている同志達と、そして、私の目の前に居る綾戸だ。
人間はどうすればここまでになるのだろう。あの顚末を知らなければ、私はそう不思議がったに違いない。綾戸はまるで、瞬きと呼吸以外の生命活動のやり方を忘れてしまったかのようだった。手痛く困らせながらも、なんやかんやで私の心を癒やした、あの、子供のような振舞は全て失われ、ただ、揉紙のように悄然とした顔つきで身動ぎもせず座っている彼女は、手首を摑んでその脈を確認したくなる衝動を私に与える程だ。
私と綾戸は当然同志達から心配され、さんざ構われたが、結局しばらくそっとしておこうということになったらしく、大分前から放っておかれていた。これが処置として精神医学的に正しいのかどうかは知らないが、少なくとも、私の気分的には有り難かった。正直、口を開くのも億劫なのだ。
そうやってずっと無気力に待機していると、ようやく我々の待ち人が現れた。緩鹿を引き連れた綱島だ。彼女はこの部屋に入ってくるや否や、きょろきょろと見回し、私や綾戸を見つけると、脣を緩め、眉根を寄せて、憂いの表情を作った。そしてついには二三歩だけこちらに歩み寄って来たが、しかし、思い直し、弁え始める。
彼女は井戸本様の元へまっすぐ向かい、
「綱島班帰還致しました。申し訳ありません、成果は特にありません。」
井戸本様は頷かれて、
「仕方あるまい、本来の時間の四半分も経たぬうちに私が呼び戻したのだから。――ああ、だからといって、中断させられぬ限り毎回成果を挙げろと言っているわけでもないが。そもそも、君や緩鹿を責めることが出来る者が居るだろうかね。君達は我々の誇りだ。」
「勿体ないお言葉です、井戸本様。それで、その、下手人は、」
「そこに居る。」
井戸本様の指に導かれて、綱島は、顰め面をした銅座の姿を認めた筈だ。その瞳が、一瞬忿怒と敵意に燃えるも、しかし、彼女はすぐに目を閉じた。
その後目を開いた彼女の顔は、いたって平静のもので、微笑みすら浮かんでいた。血の滲むような心労によってその表情が無理に作られているのは、想像に難くない。
彼女は、首から下げているカメラを弄りながら銅座のほうへ歩み寄った。知らぬ者が見たら、成る程、薄暗いこの部屋に合わせてカメラの設定を微調整しているように見えるかもしれない。綱島は大した役者であった。
目の前に来た綱島に向かって銅座が言う。
「何だ姉ちゃん、記念撮影でもしてくれるのか?」
綱島は笑って、
「アンタのお友達に、その阿呆面を届けてやるのよ。仲間の命が惜しくば、ってね。」
「へえ、どうやらデジカメのようだけど、そんなものからプリントアウト出来るとはね。色々と持っていやがるな、お前等は。」
流石の綱島は、感じた筈の動揺を表情に一切漏らさずに、
「いいから黙って撮られなさい。」
彼女は、まるで本当に撮影するかのようにカメラを構えて、
「さあ! 行くわよ、」
我々は心の準備をする。
綱島は、その素晴らしい笑みにカメラを張り付け、シャッターボタンに指をかけながら、
「はい、チー……」
私は瞼を閉じ、更に腕で目を庇った。きっと、皆もそうしただろうし、綱島も数瞬遅れて目を閉じるだろう。そうすれば、この部屋の中で目を開いているのは、おそらく、緩鹿と銅座のみだ。せいぜい綱島の笑顔をよく見ておけ銅座、それが、貴様の見る最後の顔だからな。
「……ズ!」
銅座の呻きが二回聞こえた。一度目のそれは、物理的な眩惑によってだということは想像に難くない。しかし、二度目の、より痛ましい響きを孕んだ呻き声は何なのだ?
そう訝っていると、三度目の呻き、続いて四度目、五度目。銅座の情けない声が絶え間なく響いてくる。私が目を開けると、そこには、
床に伏す銅座、その身を幾度となく、蹴り上げ続けている綱島の姿。やや向こうを向いているものの、足を振りかぶる都合で時々垣間見える彼女の横顔は、最早笑顔とはほど遠く、遺憾なく、夥しい悪意を露にしていた。その内に綱島の言葉が零れだす。
「お前が、お前が、皆を、……返しなさいよ、返しなさいよ、私の
その剣幕に押されて皆が呆然としてしまう中で、もともといい具合に覇気を失っていた私は、逆説的に、綱島の元に駈け寄る元気を得ることが出来た。急いで彼女を羽交い締め、引き離す。
「綱島さん、駄目よ、殺してしまうわ。」
「だとしたらどうだってのよ! 邪魔しないで、絵幡! こいつが、こいつが誠一を、」
「いい加減にしてよ綱島さん! 銅座をここで殺してしまっては、……そうよ、あなたの言う紺野君を含めた同志四名が倒れてまで、こいつを生け捕りにしたというのに、彼らの命をあなたは無駄にするつもりなの!?」
この言葉によって、息を荒げながらもいくらか大人しくなった綱島は、遅れて寄ってきた、緩鹿を含む同志達によって部屋の隅まで連れていかれた。最早その表情は、怒りすら失っており、そこから絶望しか汲み取れなかった。
綱島がいなくなったこの場所を占める、銅座が漏らす血によって文字通りの意味で血腥い空気の中、寝ころぶその男を見下ろしながら井戸本様は、
「というわけだ銅座君。今の彼女からの暴力は、予定外のことだったが、しかし、別に私は申し訳なくも思わないし、同情もしないよ。私達は皆、君を八つ裂きにしたいと思っている。この先苦しみたくなかったら、我々の質問に正直に答えるようにするのだ。よいね?」
忌ま忌ましげな表情で、虚ろな瞳を声の方に向けた銅座は、
「お前等、悪魔かよ。目ん玉潰してまで、訊きたいことがあるのか。」
「私達は同志を傷つけるものを決して許さないのだ。よって君には、君の知る情報を全て話してもらわねばならない。彼方組を鏖殺する上で必要になる情報全てを。」
「ふざけろよ、誰がそんなことを、」
銅座の言葉は中断させられた。井戸本様の爪先が、銅座の鼻を打ち据えたからだ。
夥しい血を流しながら、弱々しく呻く銅座に、井戸本様が仰った。
「弁えたまえ。拘束され、聖具と視力を失った君は全くの無力だ。
そして前もって言っておくが、我々を恨むというのもお門違いだ、手を出してきたのはそちらからなのだからな。君の同志、確か鏑木と言ったかな?」
血
「てめえ等、気が付いていたのかよ、」
「そうだ、多少の時間はかかったがね。とにかく銅座君、君が我々からつけ狙われたのは、ひとえに、その鏑木君が余計なことをし、無様にも、我々にそれを知られたからだ。
織田君の命一つを奪われたが為に、我々は四名の犠牲を払って君を捕まえた。私達はそういう人間なのだ。そんな我々に手を出した鏑木君を、精々恨みたまえよ。」
一瞬の後、しかし、銅座は笑った。
「ふざけろ、気違い共、俺達にとって、彼女は、あんずさんは最高の仲間だ。」
井戸本様はつまらなさそうな顔のまま、もう一度銅座を蹴り飛ばしてから、
「まあ、粋がるのもいいがね、しかし君の為にはならんよ。我々の訊問係は優しくないからな。」
井戸本様の手招きに従って、壁際に待機していた
67 葦原組、躑躅森馨之助
俺はあの後移った棟でも敵に遭遇し、何度目かの飛び降りを余儀なくされていた。お蔭で今はまた、地べたを歩き回っている。
最初のうちは、次に登る棟を急いで見繕ったものだったが、しかし、慣れてくるとそういう努力が馬鹿馬鹿しい様にも思えてきて、俺は最早のんびりと歩いている。どうせ外を歩き回っている奴なんて滅多にない。
そんな俺は、高校のある棟の脇まで来て、死体が転がっているのを見つけた。遠目から見た限りでは、どうやら首がないらしい。俺はその棟を見上げ、窓からこっちを狙っているような奴が居ないことを良く確認してから、死体へ歩み寄った。
頭はないくせに、端末は無事なようだった。俺は何となしにそれを弄ってみる。
『竿漕美舟: 死亡。装着者の死亡により操作出来ません。』
……サオコギと読むのだろうか。俺は佐藤に通信をしてみることにした。そう言えば、アイツと話すのもしばらくぶりだ。
佐藤はすぐに出た。
『これはこれは躑躅森さん。御無事でしたか。』
「当たり前だろ、もしもくたばっていたら、お前の端末の登録先から名前が消えるだろが。」
『いえ、ですから、それ故ですよ。』
「……あ?」
『葦原さんと路川さんの名前が登録先一覧から消えていまして、何が起こったのだろうと思っていたのです。あなたは命以外に身柄なども無事だったのですね。』
俺は、誰も見ていやしないのに頷いてから、
「ああ、何とか俺だけは生き残ったよ。」
『それは何より、……と言っても良いものでしょうかね。』
佐藤のかかずらいがうざったるくなってきた俺は冷たく言った。
「本題に入っていいか?」
『ああ、はい、どうぞ。』
「死体を見つけた。名前を教えたらいくらかポイントを恵んでくれるだろうかね。」
『名前によりますが、恐らくは。』
「そうか、では言うぞ。……ええっと、多分、『サオコギミフネ』だな。」
佐藤は少し黙ってから、
『それは恐らく、「サオコギミノリ」さんのことでしょう。』
「ああ、そう読むのか。」
俺はそう返してから眉根を寄せた。しばらく黙っていると、佐藤が勝手に、
『では、竿漕美舟さんの死は既に報告されていましたが、しかし、あなたの御聯絡によりますます鞏固な情報となりました、有り難う御座います。』
俺は仕方なく返事をする。
「で、その感謝はおいくら万円になるんだ?」
『そうですね、申し訳ないですが、重複情報はかなり安くなってしまいます。しかし他でもない躑躅森さんですからね。3ポイントでどうでしょうか。』
「まあ、そんなものか。」
『有り難う御座います。ではすぐに送りますので。』
通信が切れ、俺はようやく考え始めることが出来る。
あの、カニバリズム三人組の中の、俺と二回も出会した奴は、確か仲間からミノリと呼ばれていた筈だ。そう思ってこの死体の体格や服装を眺めてみると、なるほど、あの時の方言女に見えなくもない。おれは少し死体を調べてみようとも思ったが、まず何気なしに触ったスカートに、べったりとした黄色い汚れが付いていたのでそこまでで諦めた。まさかとは思うが、しかし、一応食人者の服についている汚れだ。正体が何なのか分かったものではない。
しかしどうなったのだろうか。ハコオロシとミノモは真実に辿り着けたのだろうか。そして、その結果、この方言女と訣別してくれただろうか。
この死体がその仲違いの産物だとすれば、それ以上のことはないのだがな。
68 彼方組、鉄穴凛子
銅座君は帰ってこない。……いや、もうやめよう。結局銅座君は帰ってこなかった。私達の〝チーム〟の中で、こういう時に話を切り出すのは、大抵は彼方君か針生君、時々鏑木、たまに銅座君といったところだ。しかし、彼方君は男を落としつつあり、針生君は死に、銅座君は消えた。
つまりこの場で緒言を宣う権利があるのは彼女一人であった。皆が〝狩り〟と呼ぶ、出回りから帰ってきた鏑木が、座りもせずにそのまま口を開く。その口調は重い。
「そろそろ、潮時でしょうね。」
「何が?」と銀杏君。
鏑木はそのぼんやりとした顔を見つめて、
「もう待てない。銅座のことを諦める頃合いよ。」
私の体がぶるっと戦慄いたのをちらと見た鏑木は、その隙に銀杏君から返された。
「諦めるというのは、どういう意味でだい、鏑木さん。別に僕達は、銅座君のことを捜し回っている訳でもないのに。」
「でも、彼のことをここで待ち続けているでしょう?」
釘抜君が、いつも通りの、しかし今はこの場にいかにも相応しい仏頂面のまま言う。
「つまり鏑木は、我々がこの場を離れるべきだといいたいのか。」
「ある意味ではその通り。」
「何故だ?」
鏑木は、一度目を伏し、左手の薬指を軽く噛んで言い兼ねた。しかし結局、どうにかこうにか、
「つまり、そう、銅座、というか銅座の端末が相変わらず生きているのに、銅座が帰ってこないというのは、私が思うに、二つの可能性しかない。
一つは、アイツが私達を裏切ったということ、」
「滅多なことを言うものではない。」
この、彼方君の少々荒げられた言葉に
「あくまで可能性よ、彼方。最後まで聞いて頂戴。ええっと、そう、一つの可能性としては、銅座がどこかの強豪組と手を組んで、私達の元を去ったということ。
もう一つの可能性は、銅座が、やはりどこかの強豪組の許に居ると言うこと。ただし、仲間としてではなく、捕虜として。」
彼方君がまた繰り返す。
「成る程、しかし鏑木、やはり仲間のことをそう簡単に疑るべきではない。二つ目の可能性はともかく、一つ目の可能性は根拠なく言及すべきでない。」
「何故? 有り得
「そうだ。」
「なら、額賀のことはどうなるの? アイツはいとも簡単に針生の手駒と化したのに。」
彼方君は一瞬だけ困ったようだったが、しかし、
「奴は、結局最後には元の仲間を助けようとした。」
「しかし、最初のうちは確かに仲間を売ったわ。」
結局言い負かされて黙り込んだ彼方君を見ても、鏑木は、ちっとも嬉しそうではなかった。
「まあ、正直私も、銅座が裏切った可能性は低いのではないかと思っているの。彼方の言ったような、性善説のようなふわふわとした話ではなく、もう少しちゃんとした根拠によってね。
でも、そんなことはどうでもいい。だってそもそも、今私の論じたい問題はそこにない。私が言いたいのは、銅座が他所に与するようになったにせよ、あるいは他所に打ち負かさせて簀巻きにされているにせよ、同じような危険があり得るということよ。ならば、これに対して準備を為さない理由はない。
いいこと? 銅座が寝返ったにせよ、単に捕まったにせよ、アイツは自分の知っている情報を一から十まで話してしまうと思うわ。」
「それは何故?」と銀杏君。
「寝返ったのならば、話さない理由は一つもない。捕まったのならば、その銅座を確保した連中は、きっとあらゆる手段をもって彼から情報を絞り出そうとするわ。だって、そうでないのならば、銅座を生かしておく理由が、これまた一つもない。尋常な状況ならともかく、ここの、明日の食事すら無事に取れるか分からない飢餓社会。無駄な捕虜をかかえて人道的なウンチャラを慮る理由も余裕もない筈よ。」
彼方君は頷いた。
「成る程、もっともらしい話だ。それで君は、何を心配している? 何を知られては困ると思っているのだい?」
「言わせる?」
未だに一人立ったままの彼女は、まっすぐ立てた人さし指を、私の眉間に向かって突きつけた。
「我々のアキレス腱、凛子への依存。これを知られたら厄介になるわ。もしも凛子が襲撃されたら、私達のチームは終わりよ。」
つい顔に怯えを浮かべる私になど一瞥もくれずに釘抜君が言う。
「確かにそうだ。しかし、鏑木。それで何が言いたい? 今まで通り、鉄穴のことを手厚く守るしかないだろう。」
鏑木は、中指の腹で額を擦りながら、
「その通り。具体的には今以上にどうしようもない。でも、それでも皆に心得ておいて欲しいのよ、この先、凛子の身がより危うくなるのだということを。そうすれば、今までの心構えでは守れなかった状況に陥っても、凛子のことを救えるようになるかもしれない。
それと、実は、私の心配事は凛子のことだけじゃないの。ここよ、ここのこと。」
「ここって?」
「だからここよ、銀杏。」
鏑木は踵だけを浮かせて、床を何度か叩いた。
「この場所で私達がのんびりと、銅座の万が一の帰還の為に待っていると知られたら、そいつらにここを襲撃されることがあり得るわ。」
彼方君が反応する。
「そうか、つまり君の言う諦めとは、銅座の帰ってくるのを待つ為に、この場に留まるという危険を冒すのを止めよう、諦めよう、と言う意味だな。」
「半ばは、ね。」
少しの静寂の後、銀杏君が、
「それはどういう意味だい、鏑木さん?」
「確かに、素直な回答は、この場所から去って別の場所に腰を据えるということよ。ただ、これでは逃げているだけ。もしかすると、もっと積極的な行動に出るべきなのかもしれない。」
「ふむ、よく分からないけれども、君はどっちにすべきだと思うんだい?」
「それは私にもよく分からないのよ、銀杏。だから今からすぐに話し合いたいの。だって、私の心配が当たっているのであれば、猶予はそう多くないから。」
彼方君が神妙に言った。
「成る程、では詳しく述べてくれ、鏑木。」
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