59節

59 井戸本組、絵幡蛍子

 結局、綾戸のトライアングルと細木は、特に何も問題を起こしそうになかった。そもそも、綾戸とどうしても組めないのは聴覚が生命線の緩鹿くらいのものだろう。というわけで、我々綾戸班は現在細木を加えた四名となっている。

 また、彼方組を叩く作戦の発案についてだが、残念なことに佐藤からは大したことを聞き出せなかったので、あまり芳しくないというのが正直な現状だ。結局、彼方組を探し出し、一人でも良いからその身柄をとっ捕まえ、色々なことを聞き出すしかあるまい。幸い、我々井戸本様に与する者の中には、そういうことが得意な連中もいる。後は彼らに任せればいいだけだ。

 しかし、言うのは簡単だが、この、彼方組の一人を捕らえるというのが、中々に厳しいことになりそうであった。何せ、相手は大砲顔負けの威力の銃で武装している。確保においては、相当の犠牲を覚悟しなればならないだろう。

 そんなわけもあり、今我々綾戸以下四名は、捜索目標を、残りが躑躅森一人となってどうでも良くなった(その内自滅するだろう)葦原組から、彼方組の方に切り替えて、慎重に校舎内を彷徨っていた。盾役という都合上で先頭を歩む私が、次に曲がる角の先を覗き込むと、

 私は一度身を引っ込め、後ろに続く班員へ簡単なハンドサインを送りつつ、しゃがんだ。彼ら彼女らがその場で静止したことを確かめると、その姿勢のまま、もう一度首と右手を角から覗かせる。

 やはり、居た。そこでは、高校生にしては中肉中背の男が、銃を小脇に携えてきょろきょろしている。待ち伏せる場所でも見定めているのだろうか。

 銃の存在を認めた時点で半ば不要なのだが、しかし、それでも念の為に、私は自分の端末から赤外線を発射した。不可視のビームは無事に命中し、その男の情報を私の端末へと浮かび上がらせる。

『銅座優心、所有ポイント120点。』

 案の定、事前に佐藤から聞いている、彼方組の者の名だ。私はいつもの様に、無言で、その端末画面を後ろに差し向ける。綾戸に見せる為だ。こういった敵発見の報告を契機として、綾戸は日頃の昼行灯っぷりを放棄し、頼もしい司令官となってくれる筈であった。それ故に私はこういう瞬間、これから起きる命懸けの戦いに向けての不安と同時に、アイドルかスター選手に会えることで浮つく女のような、けしからぬ高ぶりをも憶えるのだった。

 しかしいつまで経っても、私がぞっこん惚れ込む班長からの指示が飛んでこない。訝った私が振り向くと、……細木?

 細木の奴が、一人でかぶりつくように、私の端末の画面を覗き込んでいるのだった。押しのけられた綾戸や紙屋は明らかに戸惑っているようだったが、物音を立てられぬ都合上、その邪魔な細木を持て余しているようである。私は堪らずに、何となしに右手首の端末画面をもう一方の手で覆い隠しながら、立ち上がり、憤る。

(馬鹿、何やっているの細木君! こう言う状況は打ち合わせたでしょう!)

 口の動きだけでのこの言葉が、細木に届いたのかどうかは分からないが、とにかく、大変なことに、

「そうか。よくやったぜ絵幡、アイツか、アイツらが緑川や五郎を、」

 この大馬鹿野郎! 私が罵る間もなく、その細木のあまりに愚かな大声は、周囲の廊下へ遺憾なく響き渡ってしまった。私が縋るように綾戸へ目を向けると、彼女は、手振りとその表情――満面の戦きと焦り――で撤退を指示している。私と紙屋はふためきながら、綾戸の背を追うように駈け始めた。細木がこの指示に気が付いているかは疑問だが、しかし、彼のことを気にしていては、

 その刹那、我々の後ろを轟音が通りすぎる。驚かされてふと振り返ると、そこには、かつて細木であったと思しき二本の脚と、転がる上半身、そして、無数の肉片と夥しき血量が蔓延っていた。細木が、銃撃されていたのだ。さっき一瞬見えた銃手の如何にも高校生らしい顔つきにはまるで似つかわない胴間声が、怖ろしげに響いてくる。

「おら、出てこい井戸本組の雑魚共、一匹も逃がさんぞ!」

 露骨な跫音を響かしてくるその銃手の身は、まだ先程の角まで到達していないようであったが、しかし、もう十数秒後には辿り着き、曲がり、我々の姿を認めるだろう。焦った私の目は游ぎに游いだが、綾戸は流石であった。手近な教室の扉を開き、私達に一瞬視線をやってから飛び込む。私と紙屋も続いて駈け込んだ。

 くそう、最近、こんな展開ばかりだ! 扉をそっと閉めた私がそう心中で毒づく間にも、綾戸は次の行動を始めていた。彼女は私の右手首を一度引っ摑み、そこの文字を読んでから、いつの間にか回線を開いていたらしい端末に向かって、

「こちら綾戸班、2ーB教室周辺にて彼方組の銅座優心と遭遇して戦闘中。至急出来る限りの応援を下さい。2ーB教室です。」

 戦闘中。……そうだ、全く危機は去っていない。アイツが叮嚀にここら辺を捜索すれば、すぐに我々は見つけられてしまうだろう。あるいは、盲滅法にそこら中の教室を廊下から銃撃されるということもありうる。そうしたら、我々は御陀仏だ。

 上がる息の隙間を器用に縫いながら、紙屋が、

「ええい、何でアイツはあんなにやる気満々なんだ!」

「仕方ないよ。――あ、声は潜めてね。」通信を終えていた綾戸が言う。「私達、手を出してきた連中には全力で報復すると言う評判で身を守ってきたけれども、今回は、それが強烈に裏目に出ている。一人目の細木を殺してしまった手前、あの、銅座って奴はもう、後に引けないんだよ。あの細木の死を目撃した同行者、つまり、私達を殲滅させないといけないと思い込んでいるんだ。

 勿論、実際には、私が既に聯絡をおこなってしまったから無意味な頑張りなのだけれども、あの不便ふびんな銅座君はそんなこと知らない訳で、その不便さで逆に私達が困ってしまう、と。」

 私が忌ま忌ましげに零す。

「そもそも、何故アイツは、私達が井戸本様に与する者達だと分かったのかしら。」

「それは、多分、細木の最後の言葉のせいだね。」と綾戸。

「どういう意味? 細木君は何と言っていたのかしら。」

「確か、『でかした絵幡! これで緑川と織田のかたきが取れるぜ!』とかなんとか、」

 私は暗い天井を仰いだ。

「細木君はどこまで馬鹿だったの! 名前を三つも出せば、そりゃ特定され得るに決まっているじゃない! それに、同行者が居ることもその言葉でバレたのでしょうし、ああ、もう、」

 こうは言ってみたが、いやしかし、細木は一切責められるべきではなかっただろう。つまり細木は、実は恐らく、あの目の前で織田が射殺された時のショックから、未だ恢復しきれていなかったのだ。彼は長らく戦線を離脱していたのだから、当然、慙愧と焦りを感じて、やや無理をして復帰を申し出るに決まっていた。ならば、その復帰初めの幾日かは、精神的に大いに不安定となるに決まっている。単純で、明晰な論理だ。ああ、何故だ、何故、私はこんな当たり前のことにも気が付けなかったのだ! 何故細木を最前線に連れ出すべきでないと気が付き、井戸本様にそう具申しなかったのだ、この、大馬鹿者め!

 ぐるぐると無念と恐怖に駆られる私の耳に、今一番聞きたいものが聞こえてきた。綾戸の指示だ。

「正直、皆の居る塒からの距離から考えて、銅座アイツに見つかる前に援軍がここへ到着するのは、絶望的だと思うんだ。すると、どうしたって、ここでアイツを迎え撃たないといけない。私達三人で、彼方組の銃手を撃退、あるいは捕獲するんだよ。大丈夫、私達なら出来る。まず、」

 ここで、近くの部屋のドアを強引に開け放ったような音がいきなり聞こえてきた。これがもしも、血眼になっている銅座の仕業だとすれば、奴は今相当に近い!

 戦く私と紙屋を励ますかのように――彼女だって恐ろしい筈なのに!――綾戸はしっかりしていた。あちこちを鋭く指し示す指も、堂々と身を支える脚も、きびきびとした頼もしい声も、どれも微塵として顫えていない。

「幸い、この部屋は出入り口が一つしかないから、そっちに向かって準備するよ。いつもの〝前2後ろ1〟のフォーメーションで、紙屋が、入り口に近い右前、絵幡が左前、私が後ろ。」

 私と紙屋はばたばた動きながら続きを聞いた。

「銅座の飛び込んできた瞬間に、私がトライアングルを打ち鳴らすから、向こうが怯んだ隙に、絵幡、紙屋の順でほぼ無間隔、かつ非同時に飛び込んで! 出来ればそのまま仕留めたい。勿論音撃の直前に私からの合図なんて出せないし、耳も塞げないだろうから。せめて気持ちの上で準備をしておいてね。絵幡と紙屋なら、それでいくらか十分でしょ?」

 この指示の間にも、銅座が近所でかき鳴らす、忌まわしい開閉音と跫音がそれぞれこちらへ近づいてきていた。我々綾戸班が音を怖れるとは滑稽だな、などと、自棄になった私の脳がどうでもいいことを思い始めた頃、顫えながら睨みつけ続けていた扉が、ついに、開かれる。

 私の目の前で、ギロチンの様な勢いで引かれた扉は、けたたましい音を立て、そうして入ってきたのは、ショットガンモデルのエアガンを提げた一人の男だった。指のかかった引き金と、顔の中央に向かって絞るように引き締められた表情が、その男の臨戦態勢を物語っている。私と目が合い、男が僅かに笑みの成分を顔面へ混入させながら、銃口をこちらに向けようとしたその刹那、

『――!!!』

 綾戸のトライアングルの放つ、日本刀の刃のように鋭い音が、それこそ居合の如く突然に、我々の耳を劈いた。覚悟をしていた私と紙屋は、殆ど動揺を起こさずに、敵に向かって飛び込んでいく。私はそこで、耳を押さえて及び腰となる情けない男を見つける筈であった、しかし、

 銅座は、顔の上半分を多少不愉快そうに歪めながらも、それだけであった。そう、その射撃姿勢をまるで乱さずに、いや、寧ろ、突っ込む私達を見て、顔の下半分でほくそ笑んだようにすら見えた。

 察した私の意識はいつしか虚しく研ぎ澄まされ、鈍間な肉体に縛められているのがもどかしくすらなる。せめてもの行為として私が目を剥く間に、状況が致命的な方向へと進行した。銅座は、……その臨戦態勢を全く毀たれていない銅座は――きっと何となく――私へ向けていた照準を、恐らく、私の画板の大きさが想像させる堅牢さを嫌って、ぷいと、外した。怖ろしい笑みを深めた銃手の持つショットガンに、代わりに睨まれるのは、私の同志、……紙屋と、……その後方に構える、綾戸!

 恐怖なのか、哀願なのか、忿怒なのか、目的は分からないが、とにかく某かを――誰一人として耳が利かぬというのに――叫ぼうとした私の、口が七分程開かれたその瞬間、黒き引き金が、引かれた。

 間抜けに大口を開けた私の右方を、何かが、猛然と空気を翔け裂き分けつつ、通り過ぎていく。その次の刹那、私の顔に、手に、脚に、……とにかく右方へあらわとなっている皮膚一面に、夥しい生暖かさが襲いかかった。ちらと視線を自分の身に落としたところ、その熱を媒介しているのは、多くの血と肉片と、多少の骨とはらわたのようなのだ。そのまま視線を、忌まわしい義務であるかのようにごとごととぎこちなく、右後方へ向けた私が見つけたのは、腰から胸にかけての組織を霧散させられ、上下に分かれて寝転がる、剣士、紙屋の姿であった。

 この視覚情報により、即座私の心に発し、龍の如き勢いで頭に上らんとした激情一般は、しかし、別の種類の感情に一度堰き止められた。私は紙屋の亡骸のついでに、綾戸の無事を見つけていたのだ。彼女は、流石のこととして、危機を察していたらしく、身を懸命にかがめていた。その結果、叱られた栗鼠の様に頭を抱える彼女より、ほんの僅か高い位置、後方の壁に、加農砲で撃ち込んだかのような大穴が開くも、綾戸は五体満足で、体一面に完膚を誇っているようだ。これによって得られた安堵が、私の冷静さを一応保ったのだった。

 しかしそんな冷静なんぞは、濡れた障子紙のように脆かった。果たして須臾の間に、それは突き破られ、私の頭が、真っ白に染まる。これは決して純潔の白などではない、太陽の白だ。他の種類の感情の存在を決して許さない、もしもそんなものが近寄るのであれば、圧倒的熱量によって瞬時に撃滅する、白亜の激情だ。

「――!!」

 意味のなさない私の叫び声が、今度こそ喉から迸る。もとい、意味などなくて良い、どうせ誰の耳にも届かないのだから。

 次の射撃の準備だろうか、何かを手許でごそごそとしている銅座が――恐らくは鬼のような表情で――飛び込んでくる私を見つけたらしい。私の気迫と言うよりも、きっと私が体ごとち当てようとしている画板に慄然とした銅座は、流石に堪らず、身を引き、この部屋から飛び出していった。真っ白な頭の中でも、殆ど本能的に、そんな動作など予測していた私は、壁を貫通するという醜態を晒さずに済み、奴を追って尋常な体勢で廊下へ駈けでる。

 廊下にて銅座と向かい合うが、しかし、遅かった。奴は既に射撃の準備を終えており、その銃口が、私の胸元へ。

 奴へ飛び込む私の身と、引き金を引く奴の指、もしも同時に競合した場合、どちらが先に成就をなすか。答えは明白だ。早々に攻撃を放棄した私は祈るように、画板を前に捧げ、首を曲げて、目をぎゅっと閉じた。

 もしも耳がまともであれば一瞬でも心の準備が出来たかもしれないが、そうではなかったので、視界を失った私に、その出来事はあまりにも突然襲いかかった。思い切り振りかぶられた、象のように大きい仁王の拳が、真っ正面から画板を打ち据えた。そんな馬鹿げた想像を起こさせる程凄まじい衝撃が私を襲った瞬間に、身が、浮く。私は飛翔した。それがパラシュートか何かと誤解しているかのように、身を縮めて画板の持ち手をしっかりと握り締める私は、何ら抵抗出来ずに、遥か後方に向かって廊下を翔け抜ける。あまりの衝撃に息も出来ない私は、存分な距離を旅した後、ついに、そのまま、床に叩きつけられた。

「――!」

 私はまた、意味のない呻き声を漏らしたが、しかし今度はそれを聞きとめることが出来た。耳の機能が恢復してきているらしい。だが、だからどうしたというのだ。全身からの激痛に、私は身動ぎも出来ない。

「はあ!」

 無様な飛翔によって強か離れた距離を、わざわざ伝播して銅座の声が聞こえてくる。恐らく不慣れなアイツはまだ、耳が聞こえていない筈だが。

「は、あんな猫騙しが俺達に効くと思ったか、雑魚共。銃を構えておいて、自分の銃からまもなく発せられるべき音に、心で身構えない銃手がいると思ったのか、この、間抜け共め!」

 私はその言葉の意味に全く取り合わなかったが、しかし、発奮はされた。敵が、喚くほどに元気であるという絶望的な事実が、私に、身を起こすだけの士気を絞り出させたのだ。

 私は立ち上がり、画板を盾として構えた。両脚が、まるで今生まれて初めて立ち上がったかのように、無様この上なく顫えている。四半分はダメージによって、残りは恐怖によってだ。そこら中が痛い。身がバラバラに裂けそうだが、しかし私は、虚勢を振り絞って、銅座を懸命に睨みつける。

 遠くで銅座は笑った。その銃口は、再び私を見据えている。

「はー、大したもんだ、本当によ。俺のSuper SS IIの一撃を耐えるとは、信じ難いほどに堅い聖具だな。そして、あの衝撃をまともに喰らって、一応立ち上がる根性も大したものだ。感動的だなぁ! 井戸本の雌犬!」

 銅座がああ言うように、今まで私の画板が衝撃を殺しきれなかったことなど、過去に一度もなかった。私の聖具への愛着は、これまで、あらゆる兇撃を完全に無効化してきたのだ。しかし、今のはなんだ? 少々へこみつつも画板が原型を留めているのは幸いだが、私の五十五キロの体躯を、紙屑のように吹き飛ばした、あのショットガン、果たして銅座はどれだけの思いをそれに込めているというのだ? ……ああ、これが、彼方組か。これが、彼方組の恐ろしさか。なんと、いうことだ。馬鹿げている。なんで、こんな化け物相手に立ち向かわねばならんのだ。

 そんな弱音に相応しい、切り干された大根のような情けない表情を提げていた私は、銅座の方を見ながら、しかし、ほんの少し笑ってしまった。

 ああ、私はどこまで愚かなのだ。今後私は、いかに無様晒そうと、この時に笑みを浮かべたことに対してほど、激しく後悔を憶えることはないだろう。だって、銅座は、私のこの笑みを見て、

 銅座は、私の安堵を聡く察知し、明らかに余裕を失い、思索を走らせるような面構えに変わった。そして、数瞬後、いきなり目を見開いて、銃口をそっちへ引き連れながら、百八十度振り返る!

 しまった! 私がそう思う間に、再び引き金が引かれた。今度の照準の先は、私でもなく、綾戸でもなく、廊下の向こう、応援に駈けつけてくれていた、同志達!

 来てくれた同志達は、まだ距離があったが、その顔ぶれを把握するくらいは出来ていた。綿内わたうち網干あみほし紺野こんの紅林くりばやし絹谷きぬやの五名。そして、まだ距離があったわけだが、銅座の発するBB弾が到達するくらいは出来てしまった。同志の、綿内と紺野の身が、無慈悲に爆ぜ飛ぶ。

 当然狼狽える網干、紅林、絹谷の三名に対し、銅座が言い放つ。

「おい雑魚共、群れるのも良いが、そこに棒立ってろ! 身動ぎでもしやがったらお前達もミンチにしてやる!」

 銅座はまたこっちを向いて、銃口を突きつけながら叫ぶ。

「女ぁ、聖具を捨てて道を空けろ、お前の命は助けてやる。」

 私はそれぞれ激しい、己が笑みに対する後悔と、死への恐怖とに襲われ、とうとう怒りも萎え始めていた。それによって、先程までは白々しい怒りが、夥しい光量によって消し飛ばしてしまっていた影、論理の姿が再びあらわとなり、私の精神の、工場プラントのように複雑な形状、その明晰が甦る。それをしげしげと眺めながら、私は思いついた。この男、何を言い出した? 命を助けてやるだと? 馬鹿な、だって、そんな、それならば、これまでの、

「おい、早くしろ!」

 銅座の脅し文句などはどうでも良いが、しかし奴から目を離す訳にも行かないので、そっちを必死に見やっていた私の目は、ふと見つけた。銅座は先程の部屋の出口前あたりに未だ立っている訳だが、その部屋の扉から綾戸が、どうやらしゃがみながら顔を出している。銅座は気が付いていない。私は先程の失態を活かして、まともに視線を送らず、必死に頑張って、視界の隅にその姿を認めるに留める。私は衝動に駆られた、「助けて」と、口の動きだけでも綾戸に縋りたいという衝動。そしてその衝動を必死に抑えながら、銅座を睨めつける振りをして、本当は、綾戸だけに意識を送って、念じる。……綾戸、助けてくれ!

 そんな念など通じる訳もないのに、しかし彼女は、力強く頷いてくれた。そしてその、手と脣が動く。親指のみを立てた右手を、廊下の向こうの方に振りながら、その無音の言葉が告げてきたのは、

『絵幡、行け。』

 私は一瞬だけ躊躇ったが、しかし、あくまで一瞬だけだ。……だって、あの綾戸が行けと言うのだぞ!

 持ち手を握る手を確かめ、痛む脚に力を込め、銅座の顔をまっすぐに見据え、叫ぶ。

「はあぁ!」

 飛び込む私に、一瞬だけ戦いた銅座は、すぐに戦意を取り戻し、その銃口をまた私へと差し向けた。画板が覆いきれぬあまりに広い部位のどこかを、あの銃撃が刺し貫けば、私の命運はそこで尽きる。だが、構わん。他でもない、綾戸からの指示、それを信じずに何を信じるか。

 引き金に掛かる銅座の指に力が加わり始め、私が覚悟を決めた、その刹那、銅座の身が大きく揺らいだ。……綾戸だ! 綾戸が銅座の身に飛びかかって、そのまましがみついている。

「な、おい、このクソ女、離しやがれ!」

 銅座がそう罵った瞬間、その銃口から銃撃が放たれる。しかし、それは、私も綾戸も貫かず、ただ、訳の分からない方向の壁に大穴を開けるに留まった。揉み合いで銃が暴発したのだろう。

「いい加減にしろ!」

 綾戸はそのショットガンに喰らいつくようにしており、銅座は必死に彼女を振り払おうと、目茶苦茶に暴れている。そして、また、轟音。

 思わず音源の方に目をやってしまった。私はその為にわざわざ振り返る必要があり、つまり、私よりもずっと後方の天井にこれまた大穴が開いたのだ。またも、暴発か。

 ここに来てようやく、私にも、綾戸の狙いが分かってきた。見ると、実際綾戸は揉み合いながら、ショットガンの把手を弄りつつ、引き金部分を守る銅座の手を必死に引き剥がそうとしている。

「離せ、離せ!」

 毒づく銅座。しかし、銃口が丁度真上を向いた瞬間、三度みたび、虚しい銃撃が天井を穿った。ぱらぱらと降り注ぐ破片を浴びながら、銅座は、顔を一転蒼白にし、目を見開き、口を間抜けにぱくぱくしている。そうしてすっかり大人しくなった。

 ああ、やはりそうだった。弾切れだ。先程突然気を変えたように、私を仕留めることを放棄し、ただ脅して退かそうとしたあの行動。あれは、残り銃弾数を慮っていたのだ。我々の応援の人数――それは、銅座の所持する弾の数を超えていた――に戦いて、この男は逃げる気になったのだろう。

 そうして力なく佇む銅座の、あまりある隙を衝いて、綾戸は、トライアングルの打棒を首元へと突きつけた。息の上がっている彼女は肩を上下させながら、ゆっくりと、

「もう、耳は聞こえているかな、銅座優心君。」

 実際聞こえていたらしく、その問いかけによって、喉に突きつけられた兇器に気が付いた銅座は、蒼い顔を更に歪めた。

「残り三発での撤退の決断、か。それは、あまりにも遅すぎたし、あまりにも早すぎたね。細木あるいは紙屋を仕留めた時点で逃げていれば、私達は追い縋る気なんてなかったのに。また、あのまま絵幡に追加の銃撃を見舞って強行突破すれば、やはり君は逃れきっただろうに。

 いずれにせよ、臆病が仇になったね、銅座君。ええっと、なんだっけ。……そう、『野郎、聖具を捨てて両手を挙げろ、お前の命は助けてやる。』。」

 銅座は、顫えながら、大人しく従った。床に転がる聖具を、綾戸がこれ見よがしに蹴飛ばすと、網干達三人が駈け寄ってきて、銅座を押し倒す。綾戸は身を避けながら、

「殺しちゃ駄目だよ。」

 と、だけ残し、私の方へ寄ってきた。

「綾戸さん、大丈夫?」

 私は、窮地を凌いだ快い安堵から、綾戸からの気丈な返事と労いの言葉を期待して、この問いかけを行ったのだ。しかし、それは浅はかだった。今ここに居るのは、最早司令官綾戸ではなかったのだ。

 彼女は、両目を真っ赤にし、ぼろぼろと涙した。

「かみやが、かみやが、」

 私も、この言葉に同志の死を思い出したが、しかし、今はそれらを哀惜している場合ではなかった。私の意識は、突然泣きじゃくり始める綾戸への心配に支配される。

 しかし、だからといって、どんな言葉をかければいいと言うのか。私が呆然とする間に、綾戸の語りが続く。

「私が悪いんだ。私が。」

 この言葉のお蔭で、私は言うべきらしきことを見つけられた。

「何を言っているの、綾戸さん。銅座を打ち負かすことが出来たのは、あなたの活躍のお蔭でないの。」

 彼女はぶんぶんとかぶりを振る。涙の粒が数滴床に撒き散らされて、飛び石のような染みを作った。

「何言ってるのえばと。アイツが言ってたじゃん、そうだよ、臨戦態勢のアイツらに音撃なんて効く訳がなかったんだ。本気全力の音量ならいざ知らず、私自身やえばたたちの身を庇いながらの音撃は、寧ろあいつの方が位置が遠かった分、満足に効く訳がなかったんだ。だのに、私は、思い上がって、私は、」

 とうとう彼女は、わっとなり、崩れ落ちてしまう。

「わたしが、わたしが、」

 泉のように罪悪感を両目から沸き出させる綾戸、ふんじばられながら悪態をつく銅座、私はそれらを前に、ただ、立ち竦むことしか出来なかった。勝利の喜びなど、ない。

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