55節から57節

55 武智組、簑毛圭人

 結局、箱卸さんは何事もなかったし、また、彼女は気が付いた後、竿漕さんに対して良く礼を述べた。本当に良かった、僕達は九死に一生を得ただけでなく、仲間内での不信という問題を、少なくとも幾許か解決することが出来たのだから。

 僕は今、シフトが巡り巡った結果として、そんな箱卸さんと二人きりで、とある部屋の中で待機している。本当は僕が睡眠し、箱卸さんがそれを守るという時間なのだが、些か早く起きすぎてしまった僕は彼女とのお喋りに勤しんでいた。他愛のない会話をいくらか交わした後、僕は切り出す。

「それで、君の不安はもうそろそろ解決したのかな。」

 僕は罪悪感を覚えた。それまで只管に楽しげだった彼女の表情が、この言葉によって壊れ、またたく間に夥しい翳りを帯びたのだ。

 そんな僕の心の機微を、顔色か何かから察したのか、彼女は不器用に相好を崩して、

「大丈夫だよ、圭人君、気にしないで。ええっと、そう、うん。もう心配ないよ。私は美舟さんのことを信じる。ああ、勿論、恵くんや桃華さんのこともね。」

 僕はわざと大袈裟に頷いた。

「それはよかった。ではあとは、残りの短い期間、何とか生き延びるだけだね。」

 彼女は、まるで夜空でも眺めるかのように、ぼんやりと上のほうに視線をやって、

「そっか、生き残りがあと五十人になった通知も来たし、そろそろ生還も現実的な話なんだね。でも、そういう消極的な態度だと、難しいんじゃないかな。何せ、私達五人以外には二人しか許せないわけだから。」

 僕は、この言葉を聞いて嬉しくなった。箱卸さんが、僕と彼女と、そして、武智君•竿漕さん•筒丸さんの三人を、全く自然に全く等しく扱い、つまり、仲間だと認めなおしたということだったから。

 もうしばらくが経ち、交代時間を数分過ぎた頃、出回っていた三人が帰ってきた。その中の武智君がいかにも機嫌のよさそうな顔で、

「簑毛、君の出番だ。」

 僕は箱卸さんに「じゃあ、お休み。」と、適当な一言を残しつつ立ち上がる。僕と入れ替わる筒丸さんは、すれ違いがてら僕の身を手の甲で軽くはたきながら、

「それじゃ、頑張ってね。」

 と言ってくれた。


 そうして今は、竿漕さんと武智君と僕での三人で校舎内を歩き回っている。その内に、水場(水飲み場やトイレやシャワー室等を漠然と指す言葉で、今のこれはその三つが全て備えられている。)へ差しかかった。武智君はふと立ち止まり、少し考えてから、

「簑毛、君が最後にシャワーを浴びたのは何時いつだい?」

「えっと、二日前かな。まあ、まだ平気。」

 僕のこの発言は、尋常の感覚からは不潔に思われるかもしれないが、しかしどうせ衣服の方が大層汚れているのだ、こまめに体を洗ってみても仕方がない。囚人だって毎日は風呂に入れないが、だからといって死んではないだろう。そんなことよりも、無駄に隙を作らない方が重要だ。

 武智君はすぐ応えていた。

「そうか、僕も似たようなものでね。今は入らなくてもいいのだが、さて、」

 彼は首を回し、竿漕さんの方にその大きな目をやった。彼も彼女もどうやら心得たもので、武智君は質問を口に出さず、竿漕さんは訊かれもしないうちに笑顔で、

「頂きます。」

 といった調子で、二人とも、ややもすれば不名誉な問答が発生する状況を巧みに回避する術を得ているらしかった。同じ女性でも、節さんなんかはこういう状況において「ちょっと悪いんだけれどもさ、みのもー、アタシかれこれ五日くらい風呂逃しているから、」なんて平気で口走っていたのに(そもそも正確には風呂じゃないけども。)。


 竿漕さんがシャワーを浴びる間、僕と武智君は入り口で見張りについた。彼女の衣服を見張ると言う目的も無くはないが、それよりも、まともな敵襲に備えているのである。彼女は、水を被せないように気をつけながら聖具をあっちへ持ち込んでいるが、しかしあんな大きな掘返ヘラでは、狭いシャワー室内で戦闘を行うことは困難だろう。せめて、叫ぶか何かを僕達にしてもらって、シャワー室から出てこないと彼女にとっては話にならないわけだ。その場合の竿漕さんは、一糸纏わぬ姿で戦闘に突入することになるが、どう考えても命のほうが大事だから仕方ないだろう。寧ろ、その裸体を見た相手が少しでもたじろいでくれれば、非常に有り難いものだ。ちなみに、良くも悪くも、今まで僕達はシャワー中に強襲を受けたことが無かった。

 竿漕さんの出てくるのをぼんやり待っていた僕は、横に立つ武智君に話しかけられた。ざあざあとした水音をBGMとしていても、その声は十分に聞き取れる。

「その後どうだい、箱卸の様子は。」

 僕ははっとして答えた。

「すっかり心配しなくなったようだよ、きっともう安心だ。さっきも箱卸さんは、残り人数が五十人になった通知のことを思い出して、もうじきにこの戦いが終わると嬉しがっていたからね。」

 武智君は頷いて、

「ああ、あの通知か。確かに喜ばしいことだが、しかし、懸念もある。」

 僕は訝ってみせる。

「懸念? それはなんのことかな。」

「数えてみて欲しいんだ。まず、僕達が五人だろ、そして、ええっと、那賀島組と三觜組は潰れたとして、大海組が七人、葦原組が三人、彼方組が七人、周組が五人、んで、ちっとも死ぬ気配の無い佐藤壮真が一人に、井戸本組が約二十人。勿論これらの人数情報はそれなりに古いから、今の状況と多少のずれはあるだろうが、とにかく、以上を合計すると何人になる?」

 数えてみて欲しいんだ、という事前の宣言に従って、早いうちから指折り数えていた僕は――途中で觜組に惑わされながらも――既に計算を終えており、すぐに答えることが出来た。

「四十八、だね。」

 そうやって一度呟いてから、僕は今更驚く。

「四十八だって? そんな!」

 武智君は、僕の迂闊な大声を目で窘めてから、

「そう、四十八人だ。すると、残り五十人のほぼ全員が、どこかの強豪組に属しているという状態になる。この計算には大きな誤差が含まれることを覚悟しないといけないから、もっと逸れの人数は多いのかもしれないし、逆に、もう一人も残っていないかもしれない。いずれにせよこの先、逸れ狩りが本当に厳しい状況になるだろう。」

 僕は溜め息をついて、

「どうしたものだろうね。」

「どうするもなにも、まあ、今まで通りにするしかないだろう。出回って、そこで出逢った何者かと戦うんだ、今後は、その何者かが高い確率で逸れでなくなる、というだけだ。」

「でも、逸れでないということは、まず間違いなく三人かそれ以上の人員で出歩いていることになるんだよな。 厳しいと思うなぁ、そういう相手と戦って毎度毎度無事に生き残るのは。」

「そうだ、簑毛。君の言うことも正しい。だからもしかすると、三人での二十四時間操業ではなく、五人全員で常に行動すべきなのかもしれない。この場合、睡眠を取る者とそれを見張る者の存在を考えると、出歩ける時間が極端に少なくなってしまうから、これはこれで問題があるのだが、しかし、やむを得ないのかもしれない。」

 彼の聖具、本来パンなど、普通の刃物では難儀する食品を切る為の電動のこぎりの様なもの、フードナイフを床に突き刺すことで、自由になっている両手を仔細らしく頭の後ろに組んでから、武智君は続けた。

「まあ、いずれにせよ竿漕が首を縦に振らないと何も話が決まらない。いつか彼女と良く相談して見なければな。」

 僕がすぐに言う。

「でも、逸れの残り人数があと推定二人となると、急いだ方がいいんじゃないのかな。こっちが五人なら難なく勝てそうな相手に出会っても、その時に三人しか居ないようではポイントを得る機会を逸することになるし。」

「正確には、逸れの推定残り人数は一人だが。」

「え、何故?」

 僕のこの疑問に、武智君は思い出したかのような顔を見せて、

「ああ、失礼。まだ君と箱卸には伝えていなかったか。さっき、君と交代する直前に、僕と竿漕と筒丸とで、首尾よく逸れを一人仕留めたんだよ。後で君と箱卸にもポイントを送る。」

 僕はすぐ、真剣に言った。

「いや、今すぐに送って欲しい。」

 武智君は、ビー玉みたいに大きな目をこっちに向けて、怪訝そうに、

「何故?」

「だって考えてみてよ、折角箱卸さんの不安が晴れたのに、」

 ここまで言っただけで、武智君は手で僕を制し、頷いた。

「失礼。そこまで気が回らなかった。また彼女から虚しい疑惑を向けられないよう、今すぐ皆にポイントを送ろう。きっかり五等分だ。」

 武智君は端末を操作しながら、

「いやはや、本当に済まない。ちょっと面倒なことが起きてね。そこから命からがら助かろうとしている間にこういう気遣いを忘れてしまっていたよ。ああ、そうそう。で、その僕達三人は出回るついでに食事を済ませたから、次の食事に関しては、君と箱卸で済ませてくれればいい。そうだな、次の交代で僕が引っ込む代わりに箱卸が出回ることになるから、その時に、食事を取ればいいだろう。」

「そうなると、竿漕さんを待ちぼうけさせてしまうね。」

「別に構いやしないさ。そもそも、今この瞬間は彼女の方が君を待ちぼうけさせているわけだし。こういうものはお互い様だろう。」

 彼がこう言うや否や、ずっと背中に降りかかってきていた水音がとうとう止んだ。どうやら、そろそろ出発する頃合いのようだ。


56 欠番


57 那賀島組、迚野良人

 その刹那、沖田さんの手繰る巾着が、飛び立つ燕のように、床すれすれから翔け登って男の胸部を打ち据えた。やられた男の方は、折檻された犬のような呻き声を残して、遥か後方に吹き飛ばされていく。その先にあるのは、硝子窓。哀れ、男は、薄い飾り硝子を突き破ってそのまま落下していった。顔の顰みを解いて、ふう、と一息吐いた沖田さんが、

「ねえ、迚野、この部屋何階だっけ。」

「えっと、六階だったかな。」

 彼女は満足そうに眉を上げ、端末を弄り始めた。すると、一転不満げに眉根を寄せて「あら?」と呟く。しかし結局数十秒後には嬉しそうな顔になり、

「ああ、良かった。少し遅れたけれども、ちゃあんとポイントが入ったわ。となるとあの男、地面に激突してもいくらかの間生きていたのかしら。流石今日まで生き残っていただけあって、しぶとい奴ね。」

「いや、どうだろうかな。」と那賀島君が言いだす。「そもそも、このポイントの加算方法だけれども、よく分からないことが多いからね。何らかの手順の関係で、君の端末にポイントが加わる迄に時間がかかったのかもしれない。」

「何らかって何よ? 私の端末に、あの男の所持分プラス100ポイントを加算するだけでしょう。至極単純な話じゃない。」

「まあそりゃ、君にポイントを与えると決めた後ではその通りだけれども、でも、そもそもの問題があるよね。あの男が死んだとして、誰にポイントを与えるべきなのかという。」

「私に決まっているでしょ?」

「だから、それをどうやって決めるのかという問題だよ。誰か中立な存在が僕達の戦いぶりを見ているわけでもないのに、どう審判を下すのか。」

 沖田さんはふんふんと頷いて、

「ああ、そういう意味ね。確かに興味深いところだわ。あなた達にならまだしも、どこぞの馬の骨にポイントを掠め取られては叶わないし。」

 僕が口を挟んだ。

「既にこれだけ有るのに、君はまだポイントが惜しいの?」

 彼女はこっちに向き直って、

「私達が損をすることよりも、寧ろ、そのポイントを拾った馬の骨が潤うことの方が問題よね。その分で餓えを凌がれて生き延びられては、余計な敵が増えることになるし。」

「ああ、成る程。そっちを気遣うのか。」

「そうよ。残り人数が五十人を切ったのだから、ますます、一人一人の存在が重くなってくるわ。この先は、一人殺めるごとに、あるいは窮させるごとに、生還への日数を指折り数えるようなものよ――勿論余計な危険は避けたいけれども。」

 僕は思い出した疑問を口にした。

「しかしさ、その、残りが五十人という通知にくっついていた但し書きなのだけれども、あれはどういう意味なのだろうね。」

 那賀島君が拾う。

「あれ、とは? 但し書きはいくつかあったが。」

「ええと、あれ。残り人数が二十五人を切った時になされるルール追加について。」

「それについての、どの部分が気になるんだい?」

「特にあれかな、高校と大学側のどちらかを封鎖して、以降進入禁止――居座っていたら強制リタイアと言う意味で――にするというルール。あれの意味と、対策について。」

 那賀島君は軽く頷いた。

「ああ、それか。意味については、恐らく、人数に対して戦場が広すぎるのを少しでも是正しようという試みだろう。今の状況でも滅多に他人と遭遇しないのに、この先残りが二十人、十人、八人と減っていっては、ますます戦闘を始めとした互いの干渉が困難になる。だから、高校と大学のどちらか、という含みが一応あるけれど、進入区域が高校側に限定されるのではないかと思うね。大学だけでも広すぎることには変わりない。」

「成る程ね。で、それに対して僕達はどうすればいいかな。」

「直接的に考えるなら、早い内に高校側に腰を据えた方が賢明だろう。封鎖される大学から急いで高校に渡ろうとする者を、狙い撃とうとして待ち伏せる連中がいるかもしれないからね。そういう発想をする連中は、その自信相応の武力を持ち合わせているだろうから、出来ることであれば直面したくない。

 ただ、こういう発想の裏を搔くべく、ずっと早い段階――例えば今とか――から待ち伏せを行っている輩もいるかもしれない。なかなか難しいね。」

 ちなみにここは大学の4L棟六階である。沖田さんがまた眉を顰め、明後日のほうに向けた人さし指を漫ろにくるくるさせつつ、

「なら、どうするのよ。いつ高校側に戻るべきだというの?」

「もう数日経った頃が一番安全ではないかな。最初から気合いを入れ待ち伏せていた奴らが飽きて、かつ、封鎖の通知が来てから狙おうとしている連中が絶対に居ない筈という、丁度いい頃合いだろう。

 もっとも、この話は大学側が進入禁止になるであろうという、不確かな憶測に基づいていることを心得てもらいたい。これが反故になる、つまり、わざわざ高校側へ戻ったが為に、逆に大学側の入り口で待ち伏せられて窮する、という可能性もある。」

「そうは言っても、あなたの言う通り、大学側の封鎖がもっともらしいと思うわ。数日後に移動すべきでしょうね。」

 こう言うと沖田さんは、上脣に人さし指を引っ掛け、目を伏せがちにして少し黙り込んだ。しばらくして整理がついたらしく、その口が開く。

「ところで那賀島、残り人数の話で思い出したのだけれども、あなたは――あるいはあなたと迚野は――いつ周組を裏切るつもりでいるの? いつかあなたの語った心配によると、最終盤まで周達と組んでいるのは危険なのよね? かと言って、勿論、向こうからの攻撃の可能性がない間は、無事に周組に存在していて欲しいし。」

 (個人的な心情の観点からも)不穏な話題に、僕の身が強張るのを無視して、あるいはまるで取り合わず、那賀島が返した。

「ああ、それなんだけれどもね、確かに難しい。どの時期が最良なのかというのは、なかなか決定し難いものがある。

 そこでね、もう、天運に身を任せようとも思うんだ。」

「天運?」と沖田さん。

「あのような通知は、これまで、生き残り人数がそれぞれ、二千人、千人、五百人、二百人、百人――何故かこれは二回あったが――そして五十人の時に来ている。この先どんな按排でこの様な通知が来るのかは不明だが、少なくとも、二十五人の時には絶対に来る筈だ。何せ、ルールが追加されるのだから、それを我々参加者に教える必要がある。

 そこで僕は思うんだ、残り人数二十五名の通知が来たその時、それを狼煙として、周達への反旗を翻そうではないかと。勿論、ルール追加による混乱、あるいは他の理由で厄介なことが起きたらそっちへの対処を優先するが、それを解決したらすぐにでも、ということだ。」

「成る程。」沖田さんは満足そうだった。「残り人数二十五人、実際最適な頃合いもそんなところかもしれないわね。首尾よく周組を討ち滅ぼせれば、残り僅か二十人。もう勝利は目前だわ。」

 彼女がこちらに振り返る。

「ねえ、迚野もそう思わない?」

「ええっと、うん。それで構わないよ。」

 僕は歓迎して、すぐに肯った。何故なら、周を討つ時期を、那賀島君の意志で決まったように那賀島君の口から通達されるより、機械から機械的に宣言された方が楽だと思ったからだ。僕はどうしても、周達と戦うことに気が進まなかった、それが何故なのかは、さっぱり分からないのだが。

「しかし、」那賀島がいつの間にか話し始めていた。「さっきの男、明らかに僕達が三人であると、つまり、無勢に多勢であると覚悟した上で飛び込んできたね。もう、皆飯の為に、ポイントの為に必死なのだろう。これからはいっそう、何事にも警戒しなければなるまい。」

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