50節

50 那賀島組、迚野良人

 僕達三人はとある教室でぼんやりしていた。そんな中、ミニスカート姿にも拘(かか)わらず堂々と床に寝転がっていた沖田さんが徐ら立ち上がりながら、

「ところで那賀島、」

「何?」

「他の誰かと遭遇する前に、あなたと迚野の戦い方、ようは、聖具捌きを見せて欲しいのだけれども。」

 那賀島君は頷いて、

「成る程、味方の手の内を知らないと不利益を被ることが有るかもしれないね。ならば、君の伎倆も見せてもらえるかな。」

 しかし沖田さんは困ったような顔をし、天井を見上げた。

「ここで? ……ええっと、」

「何か拙(まず)いのかい?」

「ええ、私の技は派手なのもあるから。屋上とか体育館とか、そういう広いところでお見せしたいのよね。ああ、勿論、狭い場所での戦闘ではそれなりの技を使うけれども、どうせなら、私が出来る事全てをあなた達に知っておいて欲しいし。」

「成る程。しかしただっぴろい体育館はいくら何でも危険が過ぎるだろうから、屋上が適当かな。まあ、丁度もうすぐ食事時だし、自動販売機に寄りながらこの棟の屋上に向かおうか。迚野、君もそれでいいかい。」

 僕は数瞬躊躇ってから返した。

「いやまあ、何でもいいけど。ただ、僕は何も見せるものなんてないよ、見た目通り、箒と塵取りで不器用に頑張るだけで。」

 沖田さんは意地悪そうに笑いつつ、

「御謙遜ね。」

 いや、本当に見せるようなものなんてないから、勘弁して欲しいのだけれども。


 その後僕達は、販売機で購入した弁当を提げつつ、幸いに誰とも遭遇することなく屋上へ出る扉の前に辿り着いた。その錆びた鉄戸を開けると、ここ最近、電燈がところどころ欠けたうそ寒い空間で穴居人のごとき生活を送っていた僕の目へ、芸妓の化粧のように執拗に塗りたくられた白々しい塗料が只管眩しく映る。そして二三歩そっちへ踏み出し、懐かしい感覚、上の方からびたびたと糊のように体へ張り付いてくる熱量に誘(いざな)われて、つい見上げると、嫌みたらしくスカッとした青空の中で太陽がぎらぎら暢気にしていた。

 僕達はいつもの、新しい場所に入った時の心得として、弁当類なんぞはそこらに置き、まず、警戒を始める。妙に広く森閑としたこの屋上にも僅かに存在する物陰や、あるいは、周囲の建物の屋上へ目をやり、近所に外敵が存在しないことを確かめた。

 この作業の中、那賀島君がぽつりと呟く。

「ここに来るまで気が付かなかったけれども、しかし、思ったより屋上は安全そうでもないね。もしも銃器の類を持った奴が近くの棟の屋上にでも居たら大変だ。」

 僕はその言葉を捕まえる。

「銃? そんなものがあるの?」

「ああ、銃と言っても玩具だけれどもね。銀玉鉄砲とか、エアガンとか。ただ寧ろ、聖具としての属性を帯びれば一般の銃よりも余程兇悪な武器となる。とくに、聖具らしい特性として威力、つまり弾の初速が向上するのであれば、飛距離、すなわち射程も拡がることになる。穏やかでない話だ。」

 僕は少し考えてから、

「確かに恐ろしいけれども、でもさ、別に屋上に限った話ではないよね、銃が恐ろしいというのはさ。」

「それはそうだが、しかし、これくらい開けている場所はやはり怖いね。射程の伸長を踏まえると尚更、」

「でもさ那賀島君、射程が伸びるといっても、きっと命中精度は向上しないよね? 聖具は基本的に物理的な特性や作用を強調するに留まるのだから、人間がどこを狙っているかなんて、聖具作用――こんな言葉があるのかは知らないけれども――の知ったこっちゃない。

 なら、こっちから姿に気が付けないくらいに遠い他の棟の屋上から僕達を狙い撃つだなんて、無茶だよ。スナイパーがスナイパー銃を使うのならまだしも、素人が、玩具を使うんでしょう? しかもその玩具はメーカが全く想定していない威力を持つのだから、ますます狙いが乱れるだろうし。やっぱり目茶苦茶な話さ。」

「まあ、それもそうなのだけれどもね、しかし、このサバイバルもそろそろ最終盤、生き残っているのはとんでもない連中ばかりだろう、それこそ、目茶苦茶な事を考え、実行し、達成してしまう程の奴も居るかもしれない。」

 僕はふと考え始めた。時折那賀島君の見せるこういう疑り癖は、サバイバル生活によって育まれたものなのだろうか。それとも、生来のものなのだろうか。また、生来の物だとすれば、那賀島はこの慎重さによってこそ生き延びてきたのだろうか、それとも、たまたま慎重な人間がここまで生き延びてきたのだろうか。もしも最後の可能性であるのならば、那賀島の慎重癖のなしつつある最大の達成、周達への裏切りの企みは、戦術的に正しい行為なのだろうか。少なくとも、道義的には間違っている気がするのだけれども。

 そもそも、僕がこうやって那賀島君の計画の正しさを訝るのも、もしかするとそういう道義的嫌悪感によるものなのだろうか。周を裏切りたくない、死なせたくないという我が儘から来ているのだろうか。では、僕が間違っているのか? こんな思索を走らせてしまうこと自体が、無益なことなのだろうか、しかし、ただ生き残ればそれで良いのか? 本当に、そうなのか?

「おーい、迚野ぉ。」

 遠くから響いてきた沖田さんの声に、僕は考えを中断させられ、振り返る。隣の那賀島君はいつの間にか居なくなっていた。

 もう、安全確認は十分ということなのだろう、沖田さんは手の動きで僕を招いているようだ。僕はそっちへ駈けた。


 胃袋に物を入れた状態で動きたくないという、沖田さんの主張をもっともと思った僕達は、まず、それぞれの技術の披露を終えてから弁当に手を付けることにした。自動販売機の売り物は最初から冷え冷えしているので、別に少々放置しても気にならない。寧ろ、この豊かな日光の下(もと)で程よく暖まる可能性すらある。

 まずは那賀島君が腕前を見せた。指に糸の輪を引っ掛けつつ芝居気に構えてから、ヨーヨーを右手から弾き出し、その後息もつかさぬ動作を続ける。右手をえいやと迸らせることでヨーヨーにエネルギーを与え、逆に左手では糸を弄ることでヨーヨーの飛翔を、演芸的要請を満足するように縛めるらしかった。達人なる者が某かの道具を操る時、よく、まるで手足の一部のようだという紋切り型の表現がされるけれども、那賀島君が与えた印象はそうではなく、寧ろ、勝手に宙を翔け巡ろうとしている丸いヨーヨーに、あとから那賀島君が申し訳なさそうに糸を引っかけているような印象、言い替えれば、そのままでは逃げていってしまう妖精なり小鳥なりを、必死に糸で縛めて手の届く範囲になんとかおさめているような印象、ああつまり、ヨーヨーがとても生き生きとしている演技だったのだ。

 ひとしきりの披露を終え、密かに息を切らせた那賀島君はヨーヨーを手中に戻し、こちらへ向き直りつつ、軽く両手を拡げて気取って見せた。僕の横に座る沖田さんもすっかり感心していたようで、

「大したものね。ヨーヨーなんて、小学生の玩具だと思っていたけれども、成る程、将来それでご飯を食べるつもりの人間にかかると、そこまで美事なものになる、と。」

「ああ、有り難う。それで、実的な話をすると、まず、ヨーヨーはある意味で消耗品だから、僕の聖具の〝愛着〟にはあまり期待しないで欲しい、特にストリングスに至っては、ほぼ通常の糸だと思ってくれていいだろう。」

「ではそのヨーヨー、例えば、人の額を撃つとどうなるかしら。」

「そもそものヨーヨーというものが、普通に怪我するくらいに威力のある代物だからね。一応聖具となれば、額の骨にひびを入れるくらいは、場合によって出来るのかもしれない。

 ただ、これまでの経験を鑑みても、基本的には大きなダメージは与えられないだろう。脳挫傷は狙えるだろうが、頭蓋骨を貫通して脳を四散させる、といった芸当は恐らく不可能だね。」

 思わず顔を顰めた僕などにとり合わず、那賀島君は続けた。

「そして、他人の聖具と打ちあうのだけは避けないといけない。多分、容易くこっちが砕けるだろうからね。」

 沖田さんは、目をそっぽ向かせて一瞬考え込んでから、再び那賀島君のほうを見て、

「成る程、そもそもヨーヨーって物凄く小さいから相手の攻撃を受け止めたり受け流したりするのに使い難いだろうし、あなたの立派な伎倆の割には、中々苦労しそうな聖具ね。」

「まあ、仕方ないさ。僕という人間からヨーヨーを取ったら何も残らないからね。」

 那賀島君はこっちに歩み寄ってきて、

「では、次は君の腕前を見せてもらえるかな、沖田。」

 沖田さんは口許に手をやり、すこし躊躇ってからようやく立ち上がった。

「あんなものを見せられた後だとねえ。……いや、さっきの迚野のなよなよした言い訳じゃないけれども、私も、そんな人に見せておひねりを貰うような芸当は出来ないわよ? ここに来てから体得した技術だし。」

「構わないさ、やって見せてよ。」

「はいはい。」

 彼女は巾着袋を携え、少し向こうに歩み去った。

 しかし実際、彼女が披露したものも、いとも美事だったのである。まず彼女は、恐らく最初に僕と対峙した時と同様に、地面に着かない程度に巾着袋が垂れ下がるよう、紐の適当な箇所を右手で握り、左手で残りの部分の紐を纏(まと)め持った。右手と左手を渡す紐の長さにはゆとりがあり、そこに生まれる、だらりとしたカテナリは、引き締まった彼女の表情とは好い対照をなしているように思える。彼女は息を少し吐いたあと、右手を動かし、巾着を体の右脇で回転させ始めた。その、決してめぐるましくない、優雅な、前から上、そこから後ろ、そして、下、再び前、という縦回転は、やはり何故か、平和な遊具の類ではなく、寧ろ恐ろしげな工場機械を僕に聯想させるのであった。

 ぼんやりと彼女の所作を眺めていた僕は、ある刹那においても、どうせ次の瞬間も同じ回転が続いているだろうと高を括っていたのだが、しかし、目を剥くことになった。何の前触れもなく、突然、確かについさっきの瞬間まで不穏ながら無害な回転を続けていた筈の巾着袋が、まるで槍の一突きの如く、鋭く雄々しく前へ飛び出したのだ。僕の横に座る那賀島君が口笛を吹く頃には、既に次の動作が始まっており、さっきは前方に一撃を見舞っていた巾着が、そのまま、彼女が百八十度振り返るや否や、そっちの方向に向かって同じように鋭く飛んでいったのである。勿論実際には沖田さんの巧みな紐捌きがなせる業なのだろうが、しかし、まるで何事もないかのようになされた前後への速過ぎる一撃は、縦回転以上の予備動作が全くなかったことと相まって、僕を大層驚かせた。

 その後も彼女は素晴らしい紐捌きを見せ続ける。少なくとも僕の目からはいつも同じ予備動作、優雅な縦回転にしか見えないが、そこから繰り出される技はどれもこれも似ても似つかぬ多様なものだった。一度巾着発射した後、自分の腕に巾着紐を巻き付けることで強引に軌道や距離を変えたり、また、派手な技では、遥か数メートル上方へ巾着を強かな威力で飛ばして見せたりと、まるで死角のないところを彼女は僕達に見せつけた。

 眺めているうちに、何故、あの巾着の緩慢な縦回転が優雅に見えるのかがいくらか分かった気がする。その、どこからでも攻撃を行えるという隙の無い様が、優雅の保持者として最も相応しい、社会的強者と重なる為だろう。被支配民からの一撃は、十重二十重に妨げられて、そういう支配者にまで届かぬものだ。故に彼らは優雅なのだろう。

 彼女が少し汗を顔に浮かべながら、縦回転の終わり際に、右手を紐から放し、そうして下から上へ野放図に立ち昇る巾着を、ぽん、と擬音が伴いそうな様子で手中に収めると、那賀島君は大袈裟に拍手をして、

「いやはや素晴らしい。人に見せる演舞としても、戦闘の技術としても、大したものだ。特に、いつどんな軌道で巾着が飛んでくるか悟られないというのは、大きな強みなのだろうね。」

 これを聞いた沖田さんは胸を反らして少し、しかし明らかに得意げにした。珍しく、彼女の容貌に似合った可愛らしい挙止だ。

 しかしその言葉は素直でなく、

「あまり褒めないでよ。ここに来てから必死こいて訓練した挙げ句の自己流なのだから。

 さて、私の聖具に関しても話した方がいいかしら。この巾着袋はお祖母様から頂いた物で、お祖母様は既に亡くなっているから、すなわち遺品ということになるわね。」

 ここで彼女は少ししんみりそうにした。きっと小さい頃は幼気なお婆ちゃん子であったのだろう(まさか生来ずっとこれほど逞しい女性であったというわけでも有るまいし。)。

「ああ、そう。で、私はこれを、貰った小学生の日からずっと愛用しているの。だから、聖具としての強度は中々のものだと思うわよ。ただ、この長ったるい紐は急遽継いだものだから、この部分に関しては普通の紐でしょうね。そういう意味では、那賀島の聖具に近いかしら。」

「ところで、中身は?」と僕がふと訊く。

「え?」彼女は目を大きくしながらきょとんとした。

「だからさ、袋の中身への愛着はどうなのかなって。まあ、そもそも中身が何なのかも、」

「迚野!」

 僕はびっくりして、彼女の顔をまともに見る。早口の文句がそこから飛びかかってきた。

「今度そんなことを訊いたら打(ぶ)つわよ、それもこの巾着で。」

 いや、死ぬってそれは!

 僕は急いで首を振り、

「わ、分かったよ、二度と訊かない。うん。」

 彼女は汗ばむ頬を紅く染め、眉根と脣を軽く窄めて僕のことを睨んでいたが、数秒後にそれらの力みを解いて、

「全く、もう。」

 そう呟きながら、演者が舞台を降りるかのようにこちらへ歩み寄ってきた。えっと、何なんだろう今の沖田さんの反応は? 訊かれただけであれだけ憤るのだから、余程恥ずかしいものに違いない。しかし、ええっと、女性が小袋に入れていて、触れられて恥ずかしいものって、……僕の知識だと、なんだけれども、しかし、あれってそんなに重量ないよなあ、あの巾着捌きには相応の慣性、すなわち重量が必要な筈なのだけれども。そもそも小学生から用途が変わっていないのであれば、……いや、六年生とかなら有り得るのか。ええっと、でもさ、

 僕がそうやって月の神秘に思いを馳せていると、いつの間にか沖田さんが目の前に来ていた。

「それじゃ、迚野、あなたの番よ。」

 僕は一瞬ぼんやりしてしまったが、慌てて、

「いや、だから、何も見せられるものはないってば!」

「那賀島が言ってたじゃない。あなたは大した、」

「いや、あんなのは方便だって、ねえ、那賀島君、いい加減に、」

 彼は笑っていた。

「多少大袈裟だったけれども、しかし、君が一端(いっぱし)の者だというのは正直な感想だよ。ただ、確かに、僕や沖田の様に見栄えするものではないだろうけれどもね。」

 そりゃそうだ。てい、てい、と一人で箒を不細工に振って見せる様(さま)なんて、想像しただけで寒々しい(竹刀とかじゃないんだぞ、箒だぞ!)。相手が居るならばいくらか見栄えがするかもしれないし、そういうことで那賀島君は僕のことを評価しているのかもしれないけれども。

「しかしやはり、君が聖具で何を出来るかというのは重要な情報だよ。となれば、沖田に見せてあげなければならないだろうね。さあ、迚野、観念して、ステージ上に登ってくれるかな。」

 ステージ上じゃなくて俎上じゃないかな、しかも、鯉的な意味で。とにかく僕は観念して、小さな溜め息と共に立ち上がり、那賀島君や沖田さんが美事な伎倆を発揮した、物理的にはステージでもなければ俎板でもない、只の開けた場所に歩み出ようとした。軽やかに操るには明らかに頭部が重すぎる箒を、右手一本で、朧げ儚げ頼りなげに振るう自分の姿を想像し、背筋に保冷剤を突っ込まれたような気分を覚えながら、つい伏していた顔を上げると、……うん?

 豪勢な目隠しとなっていた演者が居なくなったことで、急に開(ひら)けた目の前の空間、その向こうには幽き仕切り、落下防止用の疎らな網フェンスだけがあり、更にその向こうの、何もない空間を渡った先、向かいの棟の屋上に、黒っぽいものと、そして、妙にピカピカするものが有った。

 僕はそっちをよく矯めてから言う。

「ねえ、あそこに、周組の連中が居ない?」

 那賀島君と沖田さんもそっちを見やって、「おや。」「へえ、」とそれぞれ呟いた。

「流石だね、愛しい周に対しては、君の目はこの上なく聡いわけだ。」

 僕は急いで、この那賀島君の揶揄いを打ち消すべく、

「違うって、霜田だよ! あいつが目立ったんだ。確かに人影自体は黒髪の方が多少見つけやすいだろうけれども、あれが周達だと限定出来たのは、あの金髪のせいだって。」

「成る程確かに、二ヶ月以上こんなところに居て、ブロンドヘアを保てる者はそう居ないだろうね。」

 沖田さんは僕達の漫才にまるで取り合わず、

「そのシモダって何者? ハーフか何か?」

 那賀島君は答えた。

「さあ、そこまではよく分からないね。顔付きは素の日本人のようだからクォータか何かかもしれない。

 しかし、いつの間にあんなところに現れたのやら。……まあ、周組にならいくら見つけられても構いやしないけれどもね。」

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