45節から46節

45 井戸本組、絵幡蛍子

 ここに来て二ヶ月以上も経つものだから、曜日感覚などとっくに消滅しているし、六曜に至っては尚更だ。しかし、恐らく今日は厄日であったに違いない、私はそう思った。

 今私は廊下に佇んでいる。左方に紙屋、後ろに綾戸を引き連れ……いや、逆か。ええっと、左の紙屋と共に班長綾戸に付き従って、彼女を護るように立ち塞がっているのだ。我々が睨みつけるいくらか前方、瞳の色の見分けがつくかどうかくらいの地点には、三つの人影が立ち並んでおり、向こうもこちらと同じように緊張しているようであった。

 彼らは、それぞれ冗談のような聖具を己がじし構えていた。まず、向かって右に立つ女は、炊き出しにでも使うのかと思わせる、大きな大きな鍋の蓋を掲げ、おどおどしい腰つきながら、しかし顔ではしっかりとこちらを睨め返している。

 中央の男は、馬鹿のように長い庖丁を、刀の如く中段に構えていた。実力で紙屋に上回る剣士がそういるとは思えないが、紙屋の竹刀があの聖具に勝るとは限らないというのは、大きな懸念材料だ。打ち合ってしまった場合、余程紙屋のほうの愛着が上回らない限り、鉄と竹の勝負では結果が明白である。

 で、最も私の目を疑わせたのは、もう一人の女だ。何だ、あれは? ……形は杓文字か? しかしその女の持つ木べらは、杓文字にしてはあまりにも長すぎた。飯を入れる櫃の方ならともかく、なぜ、それを装(よそ)う杓文字の方を巨大にする必要があるのだ? 全く意味が分からない。持ち主の背丈よりもいくらか大きい全長と、持ち主の顔よりも遥かに大きな平部分を持つ杓文字など、何の為に存在するのだ? ひょっとすると祭具の類なのだろうか。

 しかし、私のそんな驚愕は、全くもってどうでも良いことなのであった。とにかく今問題なのは、敵対すべき三人組と対峙しているというこの状況である。この三人については特に何も調べるつもりはなかった。男女構成から、こいつらが不倶戴天の葦原組で無いということは明白であるし、そもそも、同志でない以上誰であろうと、出来る限り討つべき敵であることに変わりはないのだから。

 さて、困ったな。我々はさっきからずっと睨み合っている。つまり、向こうから仕掛けてきてくれないのだ。お化け杓文字の女は、その杓文字の先を地面に置き、真剣な面持ちでこちらを見つめている。あの如何にも重そうな杓文字をまともに構えていてくれれば、そこからの疲労が期待出来たのだが、ああもどっしりと待たれてはそれも叶うまい。もう一人の女の方は、最初覚束無げに見えた体勢も、よく見ると、いつでも仲間の前に飛び込めるように重心を高めに構えている結果のようだった。これは、同じような聖具で同じような役割を担当している私だからこそ見抜けたことかもしれない。で、中央の男といえば、普通の、つまり、特に問題の無い構えを取っており、つけ入るべき隙は特に見当たらない。

 私は心の中で溜め息をついた。どうしたものだろうか。恐らく、こちらから飛び込むことは出来ないぞ。先程から何度どうシミュレートしても、向こう三人を仕留めきる前に私か紙屋が痛手を負う状況しか見えてこない――この治療手段のないサバイバルでは、不可逆的大怪我はリタイアあるいは死を意味するというのに。あの如何にも堅固そうな鍋蓋女が、無傷での先手必勝を妨碍してくるのだ。少なくともあの位置に立っているのが私、絵幡蛍子であれば、紙屋の竹刀が彼らの身へまともに届くことはないだろう(私の画板への愛着は十分に紙屋の竹刀を防ぐことが出来る、あの鍋蓋がどうかは知らないが、少なくともシミュレーション上では、敵の聖具が紙屋の竹刀を大きく下回ることを期待すべきではあるまい。)。そもそもだ、あの杓文字女の戦い方が未知数過ぎて、何が起こるのか分からな過ぎる。このままでは、まるで目隠しをしつつ武器を振り上げて飛び込むような真似をしなければならない。お遊びならともかく、真剣勝負でそんな馬鹿な真似が出来るものか。そもそも私は西瓜割りなんて嫌いだ。

 私の聖具は、あまりに大きいので敵前でも悠々と地面に立てることが出来、こうして睨み合っていても体力はそれほど消耗しないのだが、いい加減、緊張するのにも疲れてきた。早く向こうから仕掛けてきてはくれないだろうか。あるいは、

『――!!!』

 轟音、機械的で暴力的なそれが、突然響き渡り、私の耳を劈いた。綾戸の音撃だ! 私は後ろを顧みたくなるのを必死に我慢し、画板を構えたまま前方への警戒を続ける。いくらか慣れたとは言え、やはり音撃により生じてしまう、山車のように大きな顔して脳の中を練り歩く不快感によって、眉間に皺を刻みまされながらも何とか前を見据えた結果、無事、彼方(かなた)の三人がまるで無力化している様子を確認することが出来た。杓文字女と庖丁男は、両手で耳を押さえつつ、顔を梅干しのように搾りきって及び腰に立ち竦んでいる。鍋蓋の女といえば、完全に目を回しているようで、ふらふらと、海底の昆布か何かのように頼りなく揺れていた。私は満足して振り返り、案の定既にいくらか先まで駈けていた綾戸と紙屋を追いかけ始める。合図無くトライアングルを打ち鳴らすことは、それ自体が尻に帆を掛けるという合図だと、我々綾戸班は取り決めていた。そう、我らが班長、綾戸が撤退を決断したのだ。当然私はそれに従うが、自分に課せられた責務、盾役としての役目をも果たすべく、時々奴らのほうへ振り返って、攻撃が来ないことを確認しつつ逃げたのであった(それ故にいくらか出遅れた訳だ。)。もっとも、これは完全に杞憂で、角を曲がるまであの三人は完全にふらふらのままであったのだが。

 その後角を更に二回曲がった後、先頭を駈けていた綾戸が、現れてきた保健室の扉を指で指し示した。耳が利かない我々に議論の余地は――というか、手段は――なく、三人揃ってその保健室に飛び込む。安全を確認していない部屋にいきなり突入するのは大いにリスキーであるのだが、あの三人組を撒くのが当面の目的である以上、背に腹は代えられまい。

 幸いかつ忌ま忌ましいことに、保健室は蛻けの殻だった。人も居なければ、役に立ちそうな道具も薬品もないし、あれば有り難かったであろう寝具の類もない。まあ、命懸けの勝負をしている参加者諸君がそんなものを放って置く訳がないのだから、これも当然の帰着であろう。とにかく誰も居ないのは本当に良かった。

 突入後もしばらく、我々三人は、閉めきった扉を保健室の中の方から睨(ね)め付けつつ、聖具を構えて佇んでいた。もしもアイツらが何らかの手段で我々の居場所を見つけた場合、こうでもしておかないと、向こうからの先制攻撃を受けることになってしまう――何せ、耳がまともに利かないのだから、誰かが扉に駈け寄ってきても気が付けないわけだ。

 結局、耳の調子が直るまで何事も起こらなかった。綾戸の「解いていいよー。」との声を受け、私と紙屋はようやく緊張の糸を断ち、腕を下ろす。「解いていいよ。」というのは、「(臨戦態勢を)解いても良い。」の意だ。

 私は大きく息を吐いてから、扉を見つめるのを止め、後方の綾戸の方へ振り返った。目が合うや否や彼女は、

「怪我ある? 無いよね? まあ、良かったよ無事に済んで。」

 私は言った。

「あなたの判断は撤退だったのね。」

「うん。まあ、最初の内は、睨み合っていてもいいかなと思ったのだけれども、結局、拙(まず)くなっちゃって、」

 そう、先程私は敵前であれこれと考えて見せたが、本来、あんなものは殆ど無意味なのだ。我々の戦闘指揮を取るのは結局綾戸であるのだから。

 ここで紙屋が班長に問うた。

「待ってくれ。綾戸は、あのままアイツらと睨み合っていても構わない状況であった、と言っているのか? どういう意味だ?」

 ……紙屋に言われて気が付いたが、確かに、何かおかしなことを言っている気もするな。

 しかし綾戸の返事は立板に水で、

「いや、あの三人、こっちから仕掛けるには手強そうだったけれども、でも、向こうから飛び込んでくる分には問題ないと思えて。だってさ、向こうからの仕掛けなら、私の音撃で怯ませた後で、杓文字と日本刀(いや綾戸、気持ちは分かるがあれは多分庖丁だ。)の奴らの片割れを紙屋に打(ぶ)った切ってもらって、んで、残る一人を絵幡に押し倒してもらえれば、もう、勝ったようなものじゃん。その絵幡が構った方を私がとどめ刺せば、残るのは鍋女だけだし、まあ、問題ないと思ったんだよね。

 だから最初のうちしばらくは、いくら睨み合っていても問題ないかなと思ったんだ。寧ろ、向こうが痺れを切らせて飛び込んできてくれれば最高だから、それに期待していたという感じかな。どうせこっちが飛び込むことは有り得ないのだから、『待ち得(どく)』みたいな状況だと思って。」

 紙屋が頷いた。

「成る程、そこまでは納得だ。それで、何が拙(まず)くなったんだ?」

「いや、あの大杓文字を持っていた女がさ、こっそり、端末を弄り始めたんだよ。」

「え?」

 まるで気が付かなかったことが班長から指摘され、私は間抜けな声を出してしまった。その結果、綾戸は私の顔見て、ぼそりと、

「あれ? ……まあ、いいけど。」

 私はこの綾戸の言葉に深く恥じ入った。そういうことは本来、あらゆる攻撃に備えている筈の私が最も気付くべきことだった、前方の景色の動きを警戒し続けなければならない私はそれに気が付いていて然るべきだったのだ。少なくとも、綾戸からすれば、その杓文字女の動きは、察して当たり前というくらいに明らかな動作であったのだろう。故に、きっと同時に気が付いたが為にたまたま報告が間に合わなかったのだろうと、思ってくれていたらしい班長を、私は、幻滅させてしまったのだ。

「……まあ、とにかくさ、そう、あの大杓文字の奴が端末をこっそりと、……そう、弄り出したんだよ。もしかしたら、アイツはこっそりと通信で応援でも呼ぼうとしているのかなって。それで私は、『あ、これは拙(まず)い』、と思って、それで、カーンと、ね。」

 綾戸は大袈裟な、まさにトライアングルを叩くかのような手振りをしながら言葉を終えた。計算されたことなのかは分からないが、とにかく私はその滑稽さに少し慰められる。

 結局、綾戸は確からしい選択をしていたのだ。まず、こちらから手を出さなければ有利な相手である以上はと、攻撃も撤退も焦らずにじっと待ち、そしてその後は、状況が変わろうとしているのを聡く認め、然るべき判断を瞬時に下したのだった。完全な指揮だ。相変わらず、戦闘時の綾戸は、理智の面でも、実力の面でも、この上もなく頼もしい。私の無様と比べると、……いや、止そう。鶏と龍を比べて何になるのだ。

 私が、そうやって心より感嘆していると、その頼もしき班長がいきなり大きな欠伸をした。開かれた口から喉彦が覗けている。

「何か疲れちゃった。」

 彼女は続けてむにゃむにゃと意味のないことを数言、目を擦りながら呟き、壁に寄りかかるように座り込んで、

「お休み。」

 目を瞑った彼女を私はぽかんと見つめていたが、はっと我に返り、その小さな肩を摑んで揺さぶる。

「ちょっと、駄目よこんなところで寝ちゃ、そもそもまだ私達の睡眠の時間じゃないし、どうしても眠るにしてもせめて塒に戻らないと、」

 彼女はいやいやして、

「やだ、動きたくない、」

「我が儘言わないで、ほら、帰るわよ、」

「じゃあ負ぶってってよぉ。絵幡ぁ、」

「ば、馬鹿言わないで、そんな隙だらけの状態で、もしも敵と出逢ったらどうするのよ!」

「絵幡と紙屋は出来る子だから大丈夫だって、」

「そんなわけがないでしょう! お願いだから起きてってば!」

 その後もしばらく格闘したのだが、結局彼女が頑として動かないので、私と紙屋は、綾戸が満足するまで保健室に待機することとなった。その旨の聯絡を入れた時に賜った、井戸本様から我々への労り――これは子守りの労苦をねぎらうかのような口調でなされた――が身に沁みる。

「仕方がない、お姫さまには敵わないからね。」

 紙屋はそう言いながら座り込んだ。長丁場の覚悟を決めたのだろう。私も大きな溜め息をつきながら座り、誰に向けて言うでもなく言った。

「綾戸さんって、戦闘の時はあんなに頼もしいのに、それ以外だと何でこうなのよ。一人きりになるとヒステリーまで起こすし。」

 結局紙屋が拾って、

「何でだろうね。……まあ、いつでも頼りにならないよりはいいだろうさ。」

「それはまあ、そうだけれども。」

 私はふと綾戸の方を見てしまい、そこで、この上なく幸せそうな寝顔を見つけてまた深く溜め息をついた。私としては本当に尊敬しているんだが、そして感服もしているんだが、しかし、ああ、何でお前はそうなんだよ、綾戸、憎い奴め、何故私を素直に心酔させてくれないのだ。

 私はその、滞りのない寝息すらをも恨んだ。


46 葦原組、躑躅森馨之助

 俺達はその前でたっぷりとうじうじした後、ようやく3ーL教室の扉を開けた。いきなり声が飛んでくる。

「ようやく来たかい葦原君の諸君、待ち兼ねたよ!」

 俺は顔を顰めながら、教室の奥の方を覗き、その音源を確認した。そこには腕を組んだ男が堂々と仁王立ちしている。この、腕を組んでいるというのは重要な点だ、概ねそれすなわち、空手という意味なのだから。

 ではその男は無防備なのかというと、全くそんなこともないのであった。彼よりいくらか後ろ、壁際には、三人の男が、それぞれ不機嫌げだったり楽しげだったり不敵だったりと勝手な表情を己がじしぶら下げ、俺は良く知らないが、拳銃だの、サブマシンガンだのの、その手の銃器――正確には銃器を模した玩具――をしっかりと携えている。もしもあの、前に一人で立っている手ぶらの男にこちらから攻撃をしけたら、きっと後ろの奴ら三人の手によって、俺達が即ミンチにされるという手筈なのだろう。

 その、堂々とした空手の男が笑顔で言った。

「僕が彼方(おちかた)海斗だ。『遥か彼方』の『彼方』と書いて彼方(おちかた)。まあ、憶え辛ければ『カナタ』と呼んでくれても構わない、この先どう転ぼうとも、きっと短い付き合いだろうからね。で、君達の中のリーダーはどいつだい?」

「俺だが。」

 兄貴がすぐに返事をすると、その男は楽しげに、

「そうか、君が葦原君か。その、手に嵌めているものが聖具ということかな?」

 兄貴は、自分の両手へグローブのように嵌められた、飾り気のない安全靴を見て、

「そうだが、何か悪いのか?」

「いや、何も悪くないさ。どっかの馬鹿共と違って、僕達は人様の戦い方に口を出すつもりはない。ただ、武装は解いて欲しいんだ。僕と君とで話し合う間はね。」

 兄貴は、その男が無防備であることを確かめるように、無駄な手振りであっちこっちにいく彼方の手を目で追い、その後で両手の靴を脱いだ。そしてそれを路川に投げ渡そうとして、

「ちょっと待ってください、兄貴、受け止め損ねて御陀仏とか嫌ですって!」と、慌てて止められた。兄貴は、納得したような顔をして、寄ってきた路川にそっと靴を手渡す。いろいろな威力や性能がやたらと強化される聖具というもの、それの取り扱いには気をつけるに越したことはない。

 この遣り取りを滑稽にでも思ったのか、向こうの彼方はますますにやけた顔で、

「済んだかな。では、そこを見て欲しい。線が引いてあるだろう?」

 俺達は床を見た。まず丁度彼方の足許で、教室を割るような調子で白墨の線が床を横断しており、そしてそれよりも数歩分こちら側に、同じような白線が引かれている。

 彼方が続けた。

「葦原君、〝剣線〟という言葉を知っているかな。」

 なんだそりゃ。俺は即座にそう思ったが、兄貴はやはり博識で、

「英国議会の会議場に引かれた線だな。与野党の議員が、それぞれ、用事がない限りそれを踏み越えて敵方に近づいてはいけないと定められている。」

「そう。つまりこの線もそれだよ。あの剣線のルールは――本当かどうかは知らないけれども――興奮して振るった剣が相手側の議員に届かないようにと、定められたものらしい。――僕がこれを訝るのは、イギリス議会の会議場で帯剣が認められた時代が全く存在しないからだ。

 まあ、とにかく互いの安全の為に、君達にもその線を踏み越えないで欲しいんだ。僕達も決して踏み込まないから。」

 頼まれたって近づいて来やしない癖にと、俺は後ろのお付き連中の銃を睨みながら心中で毒づく。とにかく兄貴は頷いて、空手のまま、こちら側の剣線の上に立った。こうして、葦原太一と彼方(おちかた)海斗(クソったれ、彼方の奴はああ言っていたが、こんな恐ろしい名前を憶えずにいられるものかよ!)が、互いにしっかりと目の前で睨み合うことになる。兄貴の方は真剣な顔で、彼方の方は飄々とした様子で、だ。仮に、この表情の違いで二人の人柄や器を量り比べようとするなら、それはあまりにも不平等だろう。向こうには三挺の銃口のバックアップがあり、こちらには何もない。彼方の方がここで命を落とすのは困難だが、こっちの方はいとも簡単だ。俺達だってあっちの剣線に立っていれば、いくらでも莞爾として笑っていられたさ。でもそうじゃないから、こうして無様な渋面を晒しているんだ。

 彼方は、その大きな鼻を軽く弄りながら話し始める。

「さて、状況を整理しよう。僕達のチーム七名と、君達のチーム三名は、それぞれ窮地に立たされている。」

 〝チーム〟という表現に、俺は、そして恐らく兄貴も少し戸惑った筈だった。

 彼方は構わずに言葉を続ける。

「井戸本組に目を付けられた以上、確かに我々はこのままでは少々拙(まず)い。手を組むべきだという君達の言い分は分かる。しかしね、どうやって保証するんだい?」

「何をだ?」兄貴がすぐ返した。

「君達がしばらくの間、味方で居てくれるという保証だよ。握手をした瞬間にそのまま蹴り殺されるようでは、堪らないからね。」

 兄貴はますます苦しそうな表情を見せる。

「確かに、そこについては俺も悩んでいたんだよ。同盟を組むとしても、どうやったら俺達は互いを信用出来るのだろうかな、と。」

 彼方は、綱渡りでもするかのように向こうの剣線の上をうろうろしながら、

「そう、難しい。このサバイバル生活はルール上、同盟を組む、というか、取り引き一般の成立が非常に困難なんだ。

 まず、一般貨幣やその他財産が存在しない以上、裏切りや不渡りを防止する担保に出来るのはポイントくらいしかないだろう。これによって重大な問題が起こる。つまり、取り引き上債権者的な立場にあるものが、もう一方の、債務者的な立場の者から担保を預かり、約束を違えたらこいつを没収するぞと脅そうとしても、この担保に使えるものがポイントしかないのでは仕方がない。だって、その債務者が債権者を殺害すれば、そのポイントはそっくり債務者、つまり殺害者の許に報償として返ってくるのだから。こんな担保では、少なくとも生き死にの話の保証にならない。

 で、他の有用な品物と言ったら、強いて言えばで聖具くらいしかないけれども、やはりこれも担保としては話にならない。聖具を取り上げられた人員なんて、殆ど何の役にも立たないからね。これではそもそも手を組んで協力させる意味がない。人質も同様。君達から一人身柄を預かったら、残りは僅か二人だけ、これではあまりにも頼りない。」

 兄貴が頷いた。

「もっともだ。では、どうしたものだろうか。」

「どうしたもこうしたも、実は僕達は、いっそどうもしなければいいのではと思っているんだよ。」

 俺と並んで剣線よりもずっと離れて立っていた路川が、出し抜けに、軽い声音で口を挟んだ。

「口約束しか出来ない以上、気持ちよく口約束で済ませるしかないということか、それは気楽でいい。」

 しかし、彼方は頭(かぶり)を振る。

「残念だが、……ええっと、」

「俺の名前か? 路川だ。」

「ではミチカワ君。残念だがそれは全く違う。」

「どういう意味だよ。」

「だから、もう一度言うけれども、僕達はいっそどうもしないべきなのではないかと思っているんだ。つまり、保証が得られないのならば、君達と手を組むだなんて危なっかしいことなど、すべきでないのだろうと。」

「なっ、」

 呻き、そしてそのまま目を剥いて何かを喚き出そうとした路川を、振り返った兄貴が目線と手で制す。それを見て俺も口を噤んだが、しかし、今彼方は何を言い出した?

 葦原兄貴がまた向こうへ向き直って、

「すると何か? お前達は、俺達と組む気がないと?」

 彼方は不敵に人さし指を立ててみせた。

「その通り。ただし、厳密に文字通りの意味において、だ。」

 終始傲岸で回りくどい彼方の態度に、終始苛立ちを募らせていた俺は、そろそろ我慢の限界が近かったので、(そもそも精神的に参っていたことがこの短気に多分に関係していたと信じたい。)つい、ここで口を出してしまった。

「どういう意味だ。訳の分からないことばかり吐いてないで、いい加減にはっきり物を言いやがれ!」

 彼方はその余裕を全く崩さずに、ただ眉をあげ、立てていた人さし指をそこに当てつつ、

「だから、文字通りの意味だよ、そこの君。今僕達は、君達と手を組む気が微塵もない。ただし、文字通り、『気がない』というだけだ。つまり、、積極的にこちらから同盟を望む考えはない、ということになる。

 しかしね、あくまでこれは事前の状況の説明に過ぎない。君達がこれから語る弁や条件によっては、挽回する可能性が大いにある。僕はそれを言いたかったのさ。」

 奴はここで始めてまともに表情を変えた。人懐こい、見た目だけなら好感を抱かせるような微笑みから、細めていた目をぎょろりと見開き、歯を少し覗かせ、不遜を表明する笑顔を持ち出したのだ。笑顔から笑顔への移ろいではあるが、忌まわしい豹変であった。

「ようはだ、もしも君らが僕達との同盟を望むのであれば、それはすなわち難題に挑みかかることである、ということを認識して欲しいんだ。君達には多大な歩み寄りと妥協が要求されるだろう。何せ押し売りのようなものだからね。

 そしてもう一つ忠告しておこう。もしもこの話し合いが破綻した場合、僕達は早速君達のことを敵として見做しなおすわけだが、その場合、どうなるかを想像しておいて欲しい。」

 彼方はそう言いながら、親指だけを立てた拳で自身の後方を肩越しに指し示した。そっちの方には、相変わらずのむっつり顔の男と、より愉快さを深めた顔になった男と、いまや顎や肩を揺らして笑い声を出すの懸命に堪えているらしい男とが、それぞれの銃を提げているのである。クソったれ、もしかしたらいつか彼方組に騙し討たれるかもしれんとは覚悟していたが、よもや、こんなにも早く、こんなにも直接的に来ようとはよ!

 兢々とする俺や女っぽい顔を真っ赤にして憤る路川とは違い、兄貴は、少なくとも見た目の上では最低限の冷静さを保っていた。

「そんなことは関係ない。もともと俺達は、是が非にでもお前達に協力してもらうつもりだった。」

 ここで葦原兄貴は、僅かにだけ目を伏して、

「いや、『協力させてもらう』と言った方が良い状況なのかもな。」

 彼方はまた笑顔から毒を抜いた。

「そういう態度が賢明というものだろう、葦原君。さて、そろそろ具体的な話をしよう。僕達を無理矢理口説く為に、君達はどういう条件を提示出来るんだい?」

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