43節から44節

43 那賀島組、迚野良人

 あの後、彼女、沖田涼子は、思い出したかのように仲間になる条件を一つ突きつけてきた。一食でいいから好きなだけ喰わせろ、とのことだ。那賀島君はこれに肯んじて、今僕達は自動販売機の前に来ている。

「これと、これと、これと、……これ。ああ後、これも買って頂戴な。」

 堪えきれなかったらしい那賀島君が笑いを漏らして、

「おいおい、良く食べるね。」

「だから、この一食だけよ。次からは人並みの量で構わないわ。」

「はいはい。」

 那賀島君はぽちぽちと、自動販売機に聯結させた端末を操作した。


 そして僕達は、適当に安全そうな部屋に入って食事を始めたわけだが、その、沖田さんの分の食べ物の量には驚かされた。てっきり細かいものを並べた結果五品になったのだと思っていたのだけれども、その実は、ソフトドリンク一本に林檎一個、そして弁当三つという大変大層なものであったのだ。彼女は全くペースを乱さずに三つの弁当を綺麗に平らげてみせ、今は林檎に齧(かぶ)りついて、泡立つ汁気を時折口許から迸らせている。勿論、この状況では、女の娘らしく林檎を剝いたり切り分けたりするのは道具がないので叶わないのだけれども、それにしても、一切の躊躇いもなしに雄々しく林檎に齧り付いた彼女の様子は、僕を困惑さすに十分であった。

 沖田さんは、林檎の花托部分(常人にとって唯一の食用部)を平らげた後、芯まで噛み砕いて飲み込んだ。その挙げ句に、最後に残ったヘタまでも口の中に放り込んだ時にはうっかり目を剥いてしまったが、彼女は、しばらく口をもごもごさせた後で、得意げに、片結びとなった状態のヘタを口から取り出して見せるのだ。いや、まあ、そんなのを見せられても沖田さんからの「女性としての印象」は全く恢復しないけれども。どうやら沖田さんは、その可憐な面立ちやか細げな体躯に全く似合わない、逞しい内面を備えているようだった。彼女がもともとそうなのか、それとも、殺し合いの日々ががそうさせたのかは、ここに来てまもない僕には判断出来ないのだが。

 そんな彼女は満足げな様子で、

「ああ、生き返ったわ。もう何日も食べていなかったのだから。」

 那賀島君が苦く笑いながら、

「絶食明けなのに、そんな急に食べて大丈夫かい。」

「大丈夫よ。私の胃腸はジュラルミンで出来ているもの。」

 よく分からない沖田さんの言い分に僕が軽く混乱していると、彼女が意味のあることを喋り始めた。

「さて、ナカジマにトテノ、これから一緒に行動する以上、山程訊きたいことがあるのだけど。」

「ああ、僕達のことを話そう。」

 そのまま那賀島君が滔々と、僕達の状況を沖田さんに話し始めた。まあ、正直、周達と同盟を組んだことと、その周組から大量のポイントを貰っていることしか伝えるべきことはなかったけれども。ああ、一応、僕と那賀島君の苗字の漢字もついでに教えたっけかな。(周の時とは違い、「迚野」の漢字を知った沖田さんは全く無感動だった。まあ、普通はこうなるだろう。あの周が少し変、というか、変わっているのだ。良きにつけ悪しきにつけ。)

 彼女が特に訝ったのはポイントについてだった。

「2000ポイントとは、本当に凄い量ね。どういう脅し文句、あるいは口説き文句でこれだけの〝大金〟を周達から絞り取ったのよ?」

 黙っているばかりで退屈していた僕が返事をする。

「いや、向こうが勝手にくれたんだよ。」

 沖田さんは遠慮なく目を剥いて、

「周組は馬鹿なの? 洒落や伊達でくれてやるような額面ではないでしょうに!」

「愛だよ、愛。」那賀島君が皮肉を含んだ声音で喋り出した。「周は部下を愛しているのさ。彼女は臆面もなく気取りもなく、部下達を妹と呼び、その妹達(那賀島君はこの『妹』にわざとらしい強勢を置いた。)からは逆に姉と呼ばせているんだ。いいかい? 『臆面もなく気取りもなく、』だよ? とんでもない連中さ。彼女達にとって2000ポイントくらい安いものなのだろう、妹の命の対価としてはね。」

 沖田さんは、両の眉をしかと持ち上げて挑戦的な表情を作りながら、

「馬鹿馬鹿しい。もしも妹とやらが大切なら、そんな大枚を打(ぶ)ちまける必要がどこにあるというの? あなた達が〝霧崎ジャック〟の身柄との交換条件にポイントを強請ったんならともかく、そうでないんでしょう? 完全にジャックの安全を確保させてからの話なのでしょう? ならば、可愛い可愛い妹達の為に、少しでも多くのポイントを所有しておこうとするのが尋常の感覚でしょうに。」

「周組はどこかまともではないからね。尋常ならざる行動を取っても驚くべきことではないと思うよ。」

 この那賀島君の揶揄を僕が不服に感じていると、素早い反駁が沖田さんの方から――僕の思いとは全く違う切り口によって――飛んできた。

「くだらない論だわ。これくらいの論理的行動――今の場合は節制――が取れない程に周組がまともでないのなら、彼女達がここまで生き残れる訳がない。その周の内情や行動原理が多少人並み外れていようとも、外に表す行動はそれなりに全うな筈よ。そうでなければとっくに潰れている筈だもの、どこかでポカをやらかしてね。」

「成る程、では、君はどう思うんだい。」と那賀島君。

「全うな行動として、つまり、きちんと明確な目的をもってこの2000ポイントの譲渡が行われたとしか考えられない。」

「明確な目的?」

「そうよ、那賀島。その2000ポイントには何かしらの目的が有ったに違いない。言うでしょう? 『只より高いものはない』、と。」

「ふむ。では、具体的にどんな目的が周達にあったんだろうね。」

「そんなの知らないわよ。」

 僕は心の中でずっこけ、思わず、

「何それ? そんな自信満々に喋っておいて、分からないの?」

 沖田さんはこっちに目を向けてから、

「文句あるの? 迚野。そもそも私はその、〝霧崎ジャック〟の捕物騒動のときに現場に居なかったんだから、詳しい状況も知らないわけで、そうしたら、確からしい推論なんて出来るわけがないじゃない。出来たとすれば、それは推論ではなくて妄想というのよ。

 それに構いやしないのよ。その中身が分からなくとも、周組の腹に一物あると知れただけで上出来ではないの。アイツらを心底信用すべきでないと分かっただけでもね。」

 僕は、胸がつかえたかのように歯切れ悪く返した。

「あーそれなんだけれども。」

「何、迚野?」

 喋りにくそうな僕を那賀島君が手で制し、再び会話のイニシアティブを握る。

「それについても追々(おいおい)君に説明しようと思っていたのだけれども。そもそも、僕達は周達と最後の最後まで組み続けるつもりはないよ、適当なタイミングで手を切って、こちらから打撃を加えるつもりさ。」

 沖田さんはこれを聞かされた時にどう思うのだろうか、流石のこの娘(こ)でも細(ささ)やかに驚くのだろうかと、僕は暢気に想像していたのだが、しかし、彼女が実際にこちらへ見せてきた感情は、その表情から察すに、どうやら単純な得心であった。

「成る程ね。それならば、少しでも人手が欲しくなるわよね。私みたいなひとりぼっちを仲間に引き込みたくなるわよね。納得したわ。」

 流石に少しばつが悪そうになった那賀島君の顔をまともに見つめつつ、沖田さんは言葉を続ける。

「まあ、全くもって構いやしないわよ。この先あなた達と共闘出来るというのであれば、理由や動機なんてどうでも良いわ。

 しかし、周組には感謝ね。アイツらのお蔭で、私は殴り殺されずに済んで、こうして美味しい食事を頂くことが出来たのだもの。そしてその周組との戦いに備える必要上、あなた達は私を殺さないでおく必要があり、つまり、私はあなた達を信用することが出来る、と。ああ、世の中、何が好転をもたらすか分からないものね。ええっと、確かこういう綾を表す言葉は……」

「人間万事塞翁が馬。」と那賀島君。

「ああ、それ。」

 彼女はそう言いながら、ずっと手中で弄んでいた林檎のヘタを指で弾いて放り飛ばした。徒に結ばれたそれは、その隙間に良く染み込んだ、てらてらと光る彼女の唾(つばき)を乾かしながら、くるくる床へ落下していく。

 沖田さんはその様子に一瞥もくれず、果汁による手のべたつきを気にしながら、

「ただ、私達三人で周組に敵うのかというのは疑問ね。というか、無理でしょう。すると、これ以上同志を得るつもりなの?」

 そもそも三人目のリクルートにすら消極的だった僕は返事をせず、那賀島君が喋るに任せた。

「いや、これ以上仲間を募るのは、色々な意味で難しいだろう。維持が大変という意味でもね。故に、この三人でどうにかするしかないんじゃないかな。理想としては、この先周組が、無力化しない程度に人員を欠いてくれると良いのだけれどもね。」

「望み薄ねえ。あの〝霧崎ジャック〟と、そしてそのジャックが平(ひれ)伏すようなリーダーを擁することが明らかな周組に喧嘩を売るだなんて、まともな神経をしていたら考えもしないでしょうに。勿論、ジャックが居るということで大量のポイントを確保していることが期待出来るという点は魅力的だけれども、死んでは元も子もないし。」

「それはどうだろうね。」那賀島君が返す。「危険を冒してでも大量のポイントを稼がなければならない連中は居ると思うよ、僕らよりもずっと大きい、六人以上の人員を擁するグループとかね。極端な話が、井戸本組とか。」

「ああ、アイツらが、成る程。……ただ、その場合寧ろ、周組が跡形もなく消し飛ばされることが懸念されるけれど?」

「正直、それならそれでも悪くないけどね。周達にどうしても生き残って欲しい、戦術上の理由は特に存在しない。」

 僕が、つい挟(さしはさ)んだ。

「同盟を組んだ相手にその言い草とは、那賀島君、全く君は人が悪いね。」

「何を言っているんだい迚野。このサバイバル、人がいい奴なんて、もう皆死んでいるよ。」

 この言葉を那賀島君は笑いながら言い、そして、沖田さんも呼応するように笑ったのだ。なので僕は、この歴戦の強者達の醸す空気に合わせる為に、無理矢理人工的な笑みを顔の上に貼り付ける必要に苦しめられた。


44 周組、霜田小鳥

 先程に自動販売機で然るべきものを購入した我々は、それを喰らうべく、適当に安全な部屋を探していた。こういう場合では、いつも私が先陣を切って目星をつけた部屋の扉を開けることになっている。いつでも傘を開く準備をしている私が、中に何者かが居た時にの対処に最も優れるからだ。

 というわけで、私は今回も、未知が溢れんばかりの教室の扉を開きにかかっていた。右手に傘を、いつでも発条スイッチを押せるように持ち、左手は扉の把手にかける。少しだけ扉を引き、そうして出来た間隙に傘の先端を些か挿し込んだ。そして、息を整えてから、思い切り扉を全開にし、傘を展開しつつ中へ向かって数歩飛び込む!

 まず、物音がしないことを知り、更に慎重に見回した結果、教室内に誰も居なさそうなことを確認した。そうした後で私は姉様達を招き入れ、霧崎と共に物陰を調べ始める。その結果やはり誰も居ないらしいことを確認した私達は、霊場姉妹に付き添われた周姉様の方へ振り返り、無事を報告する筈であった。しかし、

「うべ。」

 私とは反対側の物陰を物色していた霧崎の、潰された蛙の断末魔のような、嘆息とも戦きとも受けとり得る間抜けな声が聞こえてきた。私は振り返り、嫌な予感を感じながら彼女へと問う。

「何だ? 霧崎。」

「あーえっと、どうなのかな。食事前だし。」

 どうやら霧崎は、なした発見を周姉様に報告するかどうかを悩んでいるらしく、どうも埒が開かなそうだったので、私は焦れて駆け寄った。

「何だ? 見せてみろ。」

「まあ、そんなに見たいなら見せるけれどもさ。……ほら。」

 霧崎はそう言いながら身を退(ど)かした。障壁を失った私からは、今やその忌まわしいものが、霞の無い日に眺める山岳のようにまともに見えてしまう。

 思わず眉を顰めた私に向けて、背後遠くから、姉様の声が響いてきた。

「二人とも、私に気兼ねする必要はないわ。いえ、寧ろ、何にせよ隠し事をするのは止めて欲しいの。何を見つけたのか教えなさい。」

 私が振り返ると、姉様の後ろで、霊場姉妹が立ち並び、手の平を側頭部に押し当ててわざとらしく各の耳を塞いでいた。おいおい、お前達が衝撃を受けるものがこの世にあるだろうかね、と、私は心の中で嘲笑い、これによって、周姉様に御報告をなす勇気を得ることが出来たのだ。もしもこの私の心の動きが計算ずくならば、全く大した連中だなと、双子姉妹へ感心しながら、私は言うべき台詞を口から放り出した。

「骨です。」

「骨?」

「はい、恐らく、人間のものかと。」

 周姉様はまるで平気な御様子だった。

「まあ、この状況下で獣の骨が有ったら逆に驚くわ。人間のものと考えられる程に大きな骨ならば、きっと、人間の骨なのでしょう。」

 私と霧崎の心配はまるで杞憂であったようで、姉様は、いとも躊躇なくこちらへ歩み寄って来られた。霊場姉妹も平然ととことこと付いてくる。ほら見ろ、と私が双子姉妹へ思う間に、姉様がこちらに到着された。私は身を引いて、それをお見せする。

「成る程、どうやら人骨ね。」

 姉様はしゃがみ込み、じろじろと、まるで古美術品でも鑑定するかのような調子で、熱心に見入られた。

「この並んでいる三本の骨の内の二本は、恐らく腓骨と脛骨のようね。となると、こっちに転がっている小さい骨は膝蓋骨、もう一本ある長い骨が大腿骨、といったところかしら。大腿骨は、端が、ええっと、……股の方ね。そっちのほうが切断されているみたい。」

 ここまでは何とか私も、骨の名称が理解出来ないなりに(シツガイってなんだ?)まともに聞いていたが、しかし、続く内容は少々手厳しかった。

「いずれ骨も、見たところ水分が失われ切っていない、そして、そこかしこに僅かながら肉片がついている。どうやら中々そうな代物よ。」

 私は悪心を懸命に抑えながら、周姉様に問いかける。

「何故それほど熱心に骨をお調べになるのですか? その骨のについて何かが分かると?」

 姉様はしゃがんだまま、こちらへ振り向かれてから、

「私は法医学者ではないのよ? この人物については、精々年齢くらい、十六歳か十七歳ということくらいしか分からないわ。性別すら全く判断出来ない。」

 私が訊ねる。

「何故年が分かるのですか?」

「馬鹿だね霜田。ここに居る人間で、十六歳でも十七歳でも無い奴がいるわけないでしょ。それも死体でさ。」

 得意げに口を挟んで来た霧崎に、私は唇を軽く突き出すだけで何も返せなかった。姉様は微笑んで、

「言い方はともかく、霧崎さんの言ったことは正しいわ。つまり、この骨からは、この人物について何も情報が得られないということよ。少なくとも私程度の知識ではね。」

「では、何を気になさるのですか。」

「この人物の生前については何も分からない、でも、この人物がどういう最期を遂げたか、あるいは、どういう目に遭ったのか、そういう点については少しばかり分かることがあるのよ、霜田さん。」

「その後、ですか?」

「ええ、まず、御覧の通り骨が晒されている訳だけれども、もし人間の脚が自然にこうなったとすれば、白骨化現象ということになる。でも、このサバイバルの中で、死体が白骨化することが出来るかしら。死亡判定が出た者は数日の内に運び出されてしまうのに?」

 私は少し考えてから言った。

「その、死体を運び出す際、恐らく、五体全てを叮嚀に捜すことはしないのでしょう。特に、こう、……右手の端末と繋がっていない部分は見つけ落としてしまうのかも。それで、たまたまそういう部分が白骨化することも有るのでしょう。」

「一般にはそうかもしれない。でも、少なくともこの脚に関しては違うわ。間違いなく、ここ数日、あるいはもっと新鮮な死者の脚よ。」

 姉様との議論が少し楽しくなっていた私は、ここで僅かに歯向かってみた。

「先程姉様は法医学の知識をお持ちでないと自ら仰っていましたが、にも拘(かか)わらず、そう言いきってしまっても大丈夫なのでしょうか。」

「ええ。寧ろ、鮮度抜群とも言えるわ。」

 物は言いようだな、と、私はぼんやり感心した。

「さっきも言ったけど、……ほら、ここ。腱に少し肉がついているでしょう?」

 姉様は、まるで子供に三枚卸しの手解きをするかのような調子で、私に優しく、その指さされた箇所を覗き込むように目で勧めて来られたが、私の困った顔をすぐに読み取って下さったらしく、細かく頷いてから、気を変えたかのように指を引っ込めて言葉を続けられた。

「とにかく、他の部分の肉や神経、あるいは血管諸々が完全に消滅しているのに、僅かながらに腱、そしてより僅かながらに肉がまともに残っているのは、つまり、この骨が白骨化現象を経てその姿を現わしているという可能性を、明白に否定する材料となるわ。そういう自然現象ではなくて、人為的な作業がこの骨から肉や皮を剥ぎ取った様にしか思えない。」

「戦闘ですか? 戦闘の結果、骨だけを残して他の組織が剥ぎ取られた、と?」

「ここまで来ると寧ろ、骨だけが脚から除かれたと言った方が正確な気もしてくるわね。とにかく、それも難しい話だと思うわ。一体どんな聖具ならばそんな芸当が出来るのかしら。聖具といっても、精々、本来の用途や殴打武器としての性能を物理的に強化するに過ぎないのに。」

 私はあまり納得しなかった。

「お言葉ですが姉様、しかし、我々の想像を絶する聖具が存在している可能性は常にあります。」

 姉様は立ち上がられ、しつこい私に対して苛立ち一つ見せずに、

「そうかもしれないけれど、でもやはり私には、これらの骨は自然な戦闘の産物とは思えないのよ。」

「何故でしょうか。」

「だって、この骨は隠されていたようではないの。ねえ、霧崎さん。」

「あ、ええっと、はい。多分。」

 私はその骨が置かれていた場所、こぢんまりとした陰を作っている小卓の、下ではなく天板の方をここで始めて見た。乱雑に捲り上げられたクロースが、打ち上げられた海藻のように寝転がり、無地の裏側をこちらに見せ、表の柄を寝惚けたかのようにぼんやり透かしている。成る程、あの大きさのクロースなら、(恐らく霧崎の手によって今さっき)捲り上げられる前は床まで届いていて、あの悍ましい三本の棒切れ、燐酸カルシウムの塊を完全に覆い隠せていたのだろう。

「戦闘の末に、よく分からない手段で骨が脚から引き抜かれ、挙げ句、こんな見つかり難い所にたまたま転がりこむだなんて事あるかしら? それよりももっと確からしいのは、誰かが何らかの目的でこの骨をここに隠したという可能性よ。まあ、それほど熱心な隠し方には見えないから、そこまで必死ではなかったのかもしれないけれどもね。何せ、ここでの生活は油断ならないから――少なくとも一つのことばかりに取り組んでいられない程度には。

 そしてこの可能性を認めるのであれば、つまり、この骨が何者かの手によってここに隠されたと認めるのであれば、その何者かは、その骨、あるいは脚に、如何なる操作や作業をも施すことが出来たというのは当然のことよね。これらの骨が肉から抜け出て露(あらわ)になったのは、このタイミングではないかと私は思うの。殺害から秘匿までのタイミング。」

 私はひとまず頷いたが、今し方浮かんできた疑問を口にした。

「成る程。しかし姉様、何故ですか?」

「何故とは?」

「何故その何者かは、死体の脚から骨を抜き取ってここに転がす、あるいは隠す必要があったのでしょうか?」

「それは、」

 姉様は突然黙りこまれた。私の顔を堂々と見つめてくるその美麗なお顔からは、露ほどの乱れも認められず、よって動揺も困惑もまるで窺うことは出来ないが、しかし、いつもの姉様の振舞から勝手に想像するのであれば、私の質問に対する答えそのものよりも、使うべき言葉を緻密かつ慎重に選択している御様子に有るように思えた。聡明な姉様が答えあぐねるということは、概ねそういうことなのだ。

 結局周姉様は微笑んで、

「まあ、なんでもよいではないの。だってそうでしょう? 今の私達に怖いものなど無いのだから。今私達がすべきことは、探偵ごっこでもスパイごっこでもない、ただ、耐え凌ぐことのみよ。このままじっとしていれば、いつか私達以外の参加者のポイントが涸れる、そうすれば彼らは勝手に、」

 姉様は一瞬だけ何かを躊躇ってから、

「勝手に餓え死んで、あるいはリタイアして、結局私達の生還が決定されるのよ。逃れ得ぬ結末として、私達が勝利する。もしもこの私達の勝利が揺らぐ事が有り得るとしたら、その端緒はきっと、私達の浅はかな行動、墓穴掘りによってなされるのだわ。ならば余計な好奇心に惑わされるほど愚かしいことはない。そうでしょう?」

 私はすぐ言った。

「はい、姉様。」

 周姉様に惜しむらき瑕瑾が存在するとすれば、……あくまで存在するとすればだが、それは、誤魔化しや嘘があまりお上手でないという点だろう。日頃姉様がお見せになる知性や優雅さと比べると、姉様の欺瞞はあまりに拙いのだ、丁度、今の決して上等でないはぐらかしのように(好奇心や情報が余計なことならば、何故姉様はこの骨を執拗に観察されたというのか。)。しかしわたしはとやかく突っかからなかった。私の事を思ってこそ、仕方がなく周姉様が不慣れな手で拵えられた優しい虚偽なのだ、誰がそれを無下に出来ようか。私は骨の問題を忘れるように努め始めた。

 姉様は、もう用は済んだと言わんばかりに、足許の骨に背(そびら)を向けて、

「さて、虚しいことに力を注いでしまったわね。いい加減食事にしましょう、と、言いたいところだけれども、」

 姉様はこちらを見て、

「霜田さん、もう少し間を置いた方がいいのかしら?」

 姉様が平気な顔をして続けられた骨や肉の講釈に参っていた私は――懸命に顔に出すまいという私の努力を易々と打ち破った姉様の聡さに感嘆しつつ――素直に気持ちを吐露した。

「有り難う御座います。可能であれば、是非。」

 姉様は微笑んで、

「では一時間くらい間を置きましょうか。教室も変えて。」

「申し訳有りません。」

「謝ることはないわ、霜田さん。」

 姉様はここで、明らかに空腹によって不満げな顔をしていた霧崎を目で窘めてから続けた(済まんな霧崎。)。

「さっきも言ったけれども、最早私達は何もする必要もないのだから、つまりは何も焦る必要はない。食事が多少遅れようともなんということはないわ。」

 ここで姉様は、一瞬目を伏してから、

「そう、なんということはない。」

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