37節から40節

37 周組、霜田小鳥

 少し前、然るべき時間になっていたので、多少頭が軽くなった私は霧崎と共に周姉様達を起こしていた。その結果、今既に姉様はしっかりと目を醒ましておられ、霊場姉妹も己がじし大きすぎる瞳を、向こうの方でぱっちりとさせている。もう、我々がここを発つ準備が出来たということだ。

 どうせ大したことは出来ない筈なのだが、それでも生来の謹厳さから身嗜みを少しでも調えようとして、お召しになっている制服のここそこを弄られている周姉様の様子を私が何となく眺めていると、突然、姉様が背負う大きな窓に、何かが写り込んだ気がした。

 これ以上早く知覚することは不可能であった筈だが、しかし、それでも私は完全に遅すぎた。その、窓に写り込んだ何かは、つまり人影は、足で窓を蹴破りながら、この部屋に、今この瞬間、周姉様の背中を着弾点として飛び込んで来つつある。

「姉様!」

 しかし、私が叫びだすよりもずっと早く、彼女達はとうに動き始めていた。窓硝子の割れる音が私の耳朶まで届いたのよりもずっと速い。そう思わせるほどの早業であった。

 ああ、まるで百舌の速贄のようだ。彼女達、霊場姉妹が閃かせた傘は、この上なく鋭利な刃として、哀れな闖入者を宙で串刺しにしていた。どちらが千夏あねでどちらが小春いもうとなのかは未だに見分けられないのだが、とにかく、一方が胴へ、一方が顔面へ、各々閉じた傘をそこへ刺し通し、新鮮で赤い死をぽたぽたと絞り出している。そのうちに満足したのか、それとも腕が疲れたのか、彼女達はいきなりに傘を引き抜いて、その死体を空中から、まるで吊るし糸を切ったかのようにドスンと落下させた。特に合図をしたわけでも目を見交わした訳でもないのに、そのような真似、つまり、完全に同時に傘を抜き抜いて見せるという所業――タイミングがずれれば遅れた方の傘に死体が纏わりついて来ただろうから――を軽々とおこなって見せた霊場姉妹は、彼女達の恐ろしいまでの息の合い方をまた私に思い知らせる。

 流石にとうにそちらへ振り返っていた姉様は、

「お美事ね。あなた達のお蔭でまた助かったわ。有り難う。」

 私の位置からは窺えないが、おそらく、今の姉様のお顔は神話の登場人物――好ましい方――の如く麗しいものであるに違いない、何せ今のように、あの霊場姉妹達のコンクリートのような不動の表情から、僅かならもながらも誇らしげと嬉しげが窺えるというのは尋常ではないのだ。

 ああ、どうやら今日はつくづく珍妙なものを見ることが出来る日らしい。あの常に人形のような双子姉妹が、実に人間らしく――用いられたのは少々禍々しい文句であったが――何か照れを隠すようなことを言い出したのだ。

「光栄です。姉様。」「しかし、今はとにかく、」「私と千夏の傘を洗いたいのです。」「服の汚れはもう諦めていますが、」「この馬鹿者の脳漿で汚れた私の傘と、」「血ともつにまみれた私の傘とを洗いたいのです。」「いずれも気味と、」「気持ちが悪いですので。」

 とにもかくにも要求自体はまともであったので、姉様はすぐに頷いて、

「そうね。どうせ外に出るのだし、すぐにシャワーを目指しましょう。」

 このやりとりの間、霧崎は死体の様子を観察していた。私もそちらを少し眺める。彼、……彼だよな? とにかくその闖入者の胴には頑丈そうな綱が巻き付けられており、それは、窓へ伸びて、そこからずっと上方へ続いているようであった。するとこいつは、ターザンさながらのロープアクションで飛び込んできたということであろうか、全くもって御苦労な話だ。

 はてさて、霊場姉妹のこの上なく見事な伎倆をもって仕留められるという栄誉は、果たして彼のその苦労に見合ったものであっただろうかな。


38 井戸本組、絵幡蛍子

「そんなの持ってたんだ。」

 ふと綾戸が話しかけてきた。私は、綾戸の言う〝そんなの〟を弄んだままで、

「緑川さんから貰ったものだもの。中身が空っぽだと知っていても捨てられやしないわ。」

「ふぅん。」

 綾戸は如何にも興味なさげにそう呟いて、再び彼女の手慰み、トライアングルを磨く作業に戻る。あの分だとついには身が痩せて音程が乱れるのではなかろうか、私がそう心配するほどにいつも彼女は真剣に聖具を磨き上げるのであった。あの聖具、綾戸のトライアングルに私は何度助けられたものだろう。自分の耳もしばらく潰れるのが少々煩わしいが、あの轟音を突然聞かされた敵を無力化することを思えば、まるでどうということもない話だ。

 今私が思い悩む事があるとすれば、私は本当に、綾戸の庇護を受ける資格があるのだろうか、ということだ。こころざし半ばで倒れた緑川や織田、そして他の多くの同志達に比べて、私はあの轟音に守られる権利を有するほど上等な人間なのだろうか。

 見張りの番についている私は、眠る同志達を見守りながらしばらく考えた。


39 葦原組、躑躅森馨之助

 俺達三人は待った。あまりにも長く待ったのだ。その内にとうとう待ちくたびれ、例えば路川なんかが露骨に苛立ち戦き始め、蒼い顔で爪を噛み始めた頃、ようやく葦原兄貴の端末が通信の打診を受けた。兄貴はすぐに受諾したが、

『どうも、葦原さん。』

 そこから聞こえてきたのが聞きなれた佐藤の声だったので、座っていた俺はつい、寄り掛かっていた壁からずり落ちそうになった。が、良く考えればそれもそうだ。彼方組と俺達三人の間に直接の通信手段などないのだから。

「ああ、佐藤。彼方組からの話かな。」

『はい、その通りで。「我々と話し合うつもりがあるのなら2ーK教室に来い。」だそうです。』

 兄貴は少し考えてから、

「それだけか?」

『それだけです。日時の指定などはありませんでしたね。』

 兄貴は不満げに口を尖らせたが、

「まあ、また訊きたいことがあったら聯絡する。ではな。」

『ああ、はい。毎度どうも。』

 通信が切れた瞬間に俺が発言した。

「どういうことでしょうかね。今すぐに来い、と?」

 これを聞いた路川が眉根を寄せて難しげな顔を作って見せる。慣れないことをするものだから、ちっとも似合っていない。

「どうだろうかねそれは。向こうだって無駄な待ちぼうけはしたくないだろうし、そういう意味ならきちんと『すぐ来い。』と言うと思うよ。」

 俺が返す。

「じゃあ路川、お前はこれをどういう意味だと思うんだい?」

「時を指定せずに待ちぼうけを回避する方法は一つしかない、彼らはきっとこう言っているんだよ、すなわち、『いつでも来い。』とね。」

 俺は大袈裟に頭を振った。

「何を言っているんだ路川、じゃああれか? 奴らは自分たちの本拠地が2ーK教室とやらにあると、わざわざ知らせてきたというのか?」

「何か問題でもあるの、躑躅森? 僕達が井戸本組には敵わないと思っているのと同じくらいの確信で、彼らが、僕達三人なんて物の数でないと思っているのであれば、自分の居場所を知らせるくらいどうってことないと思うけれども。腕っこきの狩人達が獣に追われて困るものだろうかね、寧ろ、喜んで銃口を突きつけるだろうさ。」

 俺はすぐに、

「待て待て路川。俺達が俺達三人だけで彼方組の場所にのこのこと現れるとは限らないだろう。」

「どういう意味さ?」

「俺達がどっかの連中と徒党を組んで2ーK教室を襲撃したりしたらどうするんだ。アイツらが堂々と他の連中を襲って回らない以上は、アイツらもそれなりに他所の戦力を怖れているということだろう? 俺達三人をどう思っているかは別として。」

 路川は眉を持ち上げて、

「成る程。しかし、ではどういう意味なのだろうね。君の言う通りに、『いつでも来い。』というのが有り得ない、のであれば、僕達はいつ彼方組の許に馳せ参じればよいのだろうかね。これでは八方塞がりだ。」

 困った俺がちらりと葦原の兄貴の方を見やると、兄貴は物静かに言った。

「八方塞がり、というがな、お前達の語っているところは、実は、有り得べき全てのことを網羅していない。」

 路川が面白げに、

「へえ、どういう意味ですか?」

「『いつでも来い。』と申し渡すことと、自らを危険に晒すことは、必ずしも直結していないということさ。それよりも、」

 兄貴はここで一度言葉を切り、時間を十分消費してから続けた。

「どうしたものかね。素直に彼方組の誘いに乗って、のこのこと身を晒しても良いものだろうか。御対面の瞬間に鉛玉……じゃなかったな、プラスチック弾を御馳走される可能性も十分だ。」

 俺はすぐに言う。

「何を言ってるんですか、兄貴。そんなリスクは、彼方組と組もうとし始めた時点で覚悟済みでしょう。」

「そんなことないさ。通信を続けながら、向こうの態度や腹の内を占おうと思っていたのに、こんなにも早く、膝と膝を突き合わさせろと言われるとは想像外だった。つまり、探りを入れながら彼方組と組むべきかどうかを判断しようとしていたのに、話が急すぎる。よって俺は今困っているんだ。」

「もしかすると、」路川が喋り出す。「向こうの懐具合かもしれないですね。」

「何がだよ。」と俺が訊いた。

「この急展開の原因がだよ。」

「どういう意味だ?」

「だってさ、佐藤の奴が言うに、僕達は特別価格として1ポイントで伝言を頼めているらしいじゃない? もしかすると彼方組にはもっと手痛い出費を要求する値段が提示されているのかもしれないよ。アイツらの大所帯と慎重主義とを考えると、高き悪名の割にはポイントを稼げていない可能性も十分にあると思うんだ。それでポイントをけちる為に、さっさと僕達を呼びつけようとしている、と。」

 兄貴はこの弁に満足したらしく、

「成る程な。そうすると厄介な話だ。」

 また俺が訊ねた。

「厄介とは?」

「まず、さっき俺が言った通りに、彼方組の出方を事前に窺うことが出来なくなってしまった。そしてより悪いこととして、アイツらが俺達を騙くらかして射殺する理由が増えてしまったことになる。彼方組が存外餓えているのだとすればな。」

 これを聞いて、俺と路川も、敵の不如意を忌ま忌ましく思うという奇妙な感情を兄貴と共有した。

 兄貴が続けて曰く、

「しかし、やはり俺達は彼方組と接触すべきだと思う。成る程、もしこのまま彼方組と協力態勢を取らねば、いつか確実に井戸本組と正面からぶつかり、一瞬にして粉砕されることになる。そして、だからといってこれから彼方組に会いに行けば、背後から撃ち殺される可能性があるというわけだ。

 しかし、井戸本組と正々堂々戦うのと、彼方組に騙し討ちされるのとで生存確率が変わるだろうかね。正直、どちらでも絶望には変わりない。ならば、彼方組が誠実である可能性に懸けるしかないと思うのだ。どうだ、二人共?」

 俺と路川は少しの間見交わした後、結局何も言わずに兄貴の方へ向き直し、無言で頷いた。これを受けた兄貴は立ち上がり、強い声で、

「よし、では早速向かうぞ。2ーK教室だったな。」


 数分後、俺達三人は2ーK教室の黒板の前に立ち並び、馬鹿のようにぼんやりそれへ見いっていた。

「あー、成る程ねえ。」

 路川がそう呟く。黒板には、会合の詳細な条件、人数だの場所だの、決して他所の連中を同行させないことだの、事細やかなことがしかつめらしく書き込まれていた。

「これなら、佐藤に何度も伝言を頼むこともなく色々とこっちに伝えられるわけだ。成る程、兄貴が言っていたのはこういうところですかね。」

 しかし葦原の兄貴は、そんな路川の言葉にはまるで構わずに、白墨で刻まれた条件の内の一つ「会おうとする時には直前に佐藤を通じて聯絡を入れること」という但し書きを睨んでいた。そして突然、兄貴が端末に手を伸ばしたので、俺は慌てて、

「ちょっと待って下さい、もう少し慎重にことを決めた方が、」

 兄貴が遮った。

「もしも時間を置いたら、俺達が何やら企んでいると向こうに想像させかねん。お前の言ったようにどこぞの連中と連れ立っていくとかな。つまり、もしかすると、『これこれこういう時刻までに聯絡を寄越せば話を聞くが、それ以上遅れた場合、慎重を期す為に問答無用で――下手をすれば会合場所への道中で――射殺する。』という方針を向こうが取っていることがあり得る。ならば、一度意を決した以上、少しでも早く話を進めるべきだろう。念の為に、な。」


40 彼方組、鉄穴凛子

 彼らからの通信を受けた私達は座り込み、そわそわしながら帰還を待っていた。……え? 葦原組? いやいや、あんな奴らは――少なくとも今しばしは――どうでも良くてさ、今私達の関心を引きつけている唯一のことは、針生君と鏑木の安否だ。私達はどうしても、ふわふわと落ち着かなかった。皆が皆黙りこくって、各々の裡の心配を霧みたいに染み出させて、空気をこれ以上もなく湿っぽくさせている。

 突然の、戸ががらりと開けられる音。私達が揃って顔を上げると、そこには無事に帰ってきた針生君の顔と、とても無事とは言えない鏑木の顔があった。皆で一斉に立ち上がり、更にその内の何人かが二人に駈け寄る。彼らに囲まれて、戦士二人は部屋の中に進んできた。鏑木は鼻と口の辺りを手で懸命に押さえつつ、目頭の間に夥しい深い皺を刻み、鬼も逃げ出すような表情で、

「殺す、殺す、あのゴリラ男、必ず殺してやる。殺す、殺す、殺す、」

 まるで埒の明かない彼女に代わって、針生君が説明を始める。

「ええっと、まず鏑木さんの怪我だけど、顔面を思い切り殴り抜かれての打撲と口内裂傷。幸い、というべきかどうかは分からないけれども、とにかく事実として鼻の下当たりの上顎、比較的頑強な辺りを殴られていて、まあ、後々に機能障碍として残るような怪我ではないだろう、少なくとも骨と歯は無事だ。美容的な問題は、まあ、僕には判断出来ないけれども。」

 目の前で呪詛の言葉を痛ましく繰り返す彼女の様子を見させられて、むしろ帰りを待っていた時よりもますます心配を深めた私は堪らず、特にどちらへとでもなく問い質した。

「後頭部とか打っていないの? 大丈夫?」

 これを聞いた鏑木は、手を顔から外して、不敵で強気な、如何にも彼女らしい笑みを作ってくれた。そうして露になった青痣はあまりに痛々しく、思わず眉を顰めてしまった私に向かっても彼女は気丈に振る舞って、

「確かに後ろへっ倒されたけれども、忌ま忌ましい柔道の授業での経験が役に立ったわ。死ぬ気で上体を起こして、なんとか頭だけは守ったわよ。」

 喋ったことでどこかが痛み出したのか、あからさまに顔を顰めた彼女を労らないわけには行かなかった。

「御免なさい、鏑木さん。分かったから、もう無理しないで。」

 彼女はまた顔面に手を宛てがいながら頷き、壁の当たりまで下がって大人しく座り込んだ。残った針生君が再び喋り始める。

「こんなことを言うべきかどうかは分からないけれども、機械的な分析として、殴られたのが僕の方でなくて、戦力的には大いに助かっただろうね。眼鏡をやられては今後の戦闘に大いなる支障が出るし、そもそも文字通り目の前で硝子が破裂して無事でいられたかどうかが疑問だ。言い方を変えれば、彼女の視力がこんな邪魔臭い凹レンズを必要としないほどに達者で良かったよ。

 ああ、で、僕達、鏑木さんと僕は、例のスパイの情報に従って待ち伏せ、まんまと現れた大海組の連中の中の頃安という男を銃殺した後、同じく頗羅堕という男を挟み撃ちにしたんだ。そこで、この頗羅堕というのが意外に機転の利く奴でね。僕達は翻弄された挙句に鏑木さんの方への接近を許してしまい、そこでぼこん、とやられたというわけだ。」

 戦いを経験していない私にはよく分からなかったが、皆にとっては驚くべき話だったらしく、俄に空気が騒めきたった。例えば銀杏君なんかは、普段ののんびりとした様子をどこかへうっちゃって、

「君と鏑木さんとで挟み撃ちにして、それでもそんな狼藉を許したのかい? 大した男だね。」

 喧騒の中から針生君が拾い上げたのはこの言い分であった。

「寧ろだね銀杏、この度の失態は、僕達の聖具が素晴らしすぎる為に起こったことなんだよ。普通の聖具なら両方向から同時に攻撃出来るけれども、銃撃ばかりはそうは行かない。必ずや向かいのチームメイトまで撃ち貫いてしまうからね。特に今回は鏑木さんに、奴の注意を引くよう頼んでいたから、彼女の体がもろに射線上に乗ってしまったのも不運だった。基本に忠実に、互いに角に張り付くようにして陰から標的を狙えばそんなことにはならなかったのだろうけれども。」

 ここに来て彼方君がようやく口を開いた。

「今回の結果を鑑みるに、どうも、囮を用いた挟み撃ちは良くないみたいだな。この教訓が、チームメイトの命を損なわずに得られることが出来て幸いだ。」

 彼はそのまま言葉を続けて、

「で、針生、そのハラダという男の聖具は何だったんだい?」

「ええっと、それについては鏑木さんの方が知っている筈かな。」

 立ち並ぶ一同の視線が、滝のように一目散に、座り込んでいる鏑木へと注がれる。滝壷の女の声は、瀑水の代わりに彼女自身の手で出口を遮られており、やはり聞き取り辛い。

「多分、……縄跳び紐、だったと思うわ。何にせよ、とにかくそれに近い形状の紐で、あの男はその持ち手部分を投げつけて攻撃してきたのよ。まあ、その威力は驚くほど低かったけれども。少なくとも、私のDesirousと比べたらお話にならない。全くの……いい? 全くよ? 全くの無衝撃で受け止められたわ。」

 針生君がこれを受けて、

「と言うわけで、どうにも頼りない聖具の使い手だったんだよ。頃安ともども立派な体つきをしていたし、きっと、体力任せでここまで生き延びて来たのだろう。与しやすい相手の筈だ。」

 銅座君が挑戦的に右手を顔の辺りまで挙げた。

「ちょっと待ってよ。与しやすいとは言うけれどもさ、君とあんずさんはまんまと撃退されたんでしょう? ソイツはなかなか油断ならないんじゃないかな。だって、挟み撃ちが多少有利に働いたにせよ、まるきりの馬鹿ならあっさり射殺されているって。……そもそも、具体的にどういうふうにしてやられたのさ、君達はソイツに向けて一発も撃てなかったの?」

 そう言えばこの一件でのBB弾の消費状況をまだ聞いていないな。まあ、撃つことすら出来なかったという無様この上ない結果だったのなら、寧ろ逆に有り難いのだけれども。

「いや、その頗羅堕相手には鏑木さんが一発撃ち込んだんだ。」

 なんだとぉ?

 しかし、他の皆の中に走った動揺は別の種類のものであったらしい。銅座君が目を剥いて、

「ということは、あんずさんが銃撃を外したってこと? 彼女の腕前で? そんな馬鹿な、有り得ない!」

 へえ、鏑木ってそんなに凄いんだ。と、私が彼女を見直す内に話が進んでいった。

「いや、鏑木さんの狙いは恐らく完璧だったよ。しかしその頗羅堕という男が、実に絶妙なタイミングででんぐり返しをしたらしいんだ。」

 銅座君は眉を顰めて訝り、間抜けな盆踊りみたいなジェスチャーを示しつつ、

「え? でんぐり返しって、あの、でんぐり返し? こう、前に飛び込む、」

「それだよ。お蔭で銃撃は外すわ距離は詰まるわで、ついには鏑木さんが殴られてしまったわけだ。」

 銅座君は興奮しつつ言った。

「何て目茶苦茶だ! 尋常の者なら、敵前でそんな真似をしようと思うものか! ああ、やはりあの大海組はまともじゃない、思考回路や価値観だけでなく行動までまるで原始人みたいだ。

 ああ、しかし、ならば仕方ないね、そんな行動読めるわけがない。あんずさんや博之君が後れを取っても仕方ない。」

「仕方ないのかな。」普段の雰囲気を取り戻しつつある銀杏君が反駁した。「そもそもヘッドショットは外れやすいものだよ。相手が臨戦状態なら尚更。もしかしたら、そもそも頭を狙うのは良くない戦術なのかもしれない。そうではなくて、まず、足下とか腰回りとかを、」

 堪らず私が、宣誓でもするかのようにぴんと手を挙げる。

「異議有り異議有り! そんな、今よりもBB弾の消費を増やされたら、この先に備えて弾を溜めることなんて出来ないって!」

 彼方君が、宥めるようにして、慌てて両手を突き出してきた。

「いや、大丈夫だ鉄穴。君はよく知らないのだろうけれども、僕達の銃の威力は大したものでね、一度命中すれば風穴を開けるだけでは済まない。ヘッドショットならまず首から上が全て爆ぜ飛ぶし、胴を撃ったなら上半身と下半身が分離するだろう。つまり、頭以外を撃ったからといって、まともにBB弾の消費が増えるとは思えない。撃ち込んだ後にとどめを刺す必要が生じても、相手は戦闘不能に間違いないから、銃を使って殴りつければいいだけだ。」

 これを聞かされた私は口ごもって、

「それなら、まあ、うん。」

 彼方君は新しい話を始めた。

「さて、今後の戦闘における方針の如何いかんは一旦置いておいて、今の状況を整理しよう。まず、僕達は大海組から一人を寝返らせることに成功しつつ、二人を射殺いころした。また、井戸本組から葦原組への敵意を惹起することにも成功しており、その葦原組から同盟の申し出を受けている、と。そうして、先程のこれだ。」

「〝先程の〟?」針生君が遮った。

「ああ、そうか。」彼方君が返す。「君と鏑木はまだ聞いていないんだったか。さっき例の黒板を見たらしい葦原組から――当然佐藤を通じて――聯絡があってね。」

何時いつ?」

「こっちから聯絡を入れて十分じっぷんくらいだ、神速だね。恐らく大した腹積もりはなく、本当に僕達に縋るつもりなんだろう。」

「へえ、ということは?」

「ああ、取り敢えず会うつもりだよ。君と鏑木の帰還を待ちたかったから、まだ大分先の時間を指定したがね。問題は、誰が奴らに会いに行くかな、という話だ。敵意がなさそうとは言え、一応外敵だ。まさか僕一人で行くというのはナンセンスだろう、寧ろ、相当な人数を割り振るべきだろうな。」

 ここで私が訴えた。

「ええっと、取り敢えず、少なくとも鏑木さんはここに残して欲しいな。手負いの人間が居ることを葦原組に教えるべきじゃない思うし、なら、私を護ってくれる人としてここに残して欲しい。」私は彼女をちらりと見て付け加える。「そもそも、こんな状態の鏑木さんを歩かせたくないよ。」

 彼方君はすぐに、

「当然だ、鉄穴。君を一人にするわけにもいかないし、鏑木の怪我を教える必要も彼女に無理をさせる理由もない。鏑木にはここで待機してもらう。いいね?」

 視線を寄越された鏑木は、声を出すのも怠いというかのように、ただ素直に頷いた。彼方君はそれを確認してから言う。

「というわけでね。まず女性陣二人はここに残していくわけだけれども、更に一人を残すかどうかくらいにして、他全員で葦原組との会合に臨むべきだと思うんだ。」

 銅座君曰く、

「別に、そんなに厳重警戒する必要ないと思うけれども。仮に向こうが馬鹿なことを考えても、葦原組の三人如き、寧ろ君一人でも余裕で撃退出来そうだ。」

 彼方君の否定は素早かった。

「駄目だ。君は分かっていない、銅座。そもそも、葦原組に手を出させた時点で、つまり、『こいつだけなら俺達三人でも組み伏せられそうだ。』と思わせた時点で負けなんだ、たとえ怪我一つなく彼らを速やかに射殺出来てもね。だって、今回の目的はアイツらを打ち破ることではない、アイツらを利用することだ。ならば、彼らが変な気を起こす可能性を少しでも下げてやる必要があり、つまりそれは、こちらの全力を示威することに他ならない。」

「成る程。諒解。」

 銅座君の貴重な美点、引き下がりの潔さが発露したところで一応の話が纏まりかけたのだけど、俄に、くぐもった声が足下から響いてきた。

「待ちなさいよ。」鏑木だ。「針生もここに残してもらえないかしら。」

「何故?」と彼方君。

「万が一あなたと針生が、つまり司令塔のあなた達が共に死んだら、残ったチームはどうなるのよ。あなた達が同時に危険を冒すことはなるべく避けるべきだと思うわ。」

 彼方君はこれに肯わず、

「君の言うように葦原組との会合に向かった者が全滅するという場合、どのみちは破滅だろう、君と鉄穴さんがその後どうなるかは別として。果たして、そんな悲劇的状況を考える必要があるのかな。」

 口を動かすのも辛い筈の鏑木はまだ頑張った。

「私はそんな可能性なんて語ってない。そもそも葦原組相手に全滅するなんて考え難い。しかし、一人二人くらいなら不覚を取ることが案外あるのではないのかと思っているのよ。その可能性もととても低いだろうけれども、全く有意でないとも思えない、だってそもそも、外に出歩くこと自体がある程度のリスクを負うことなのだから。

 私が言うのはそういう意味よ。全滅は有り得ないにせよ、万が一にでも死者が出得る行動に、あなたと針生が同時に参加すべきでないと思うの。この話だけでなく、今後の一切において、ね。」

「ふむ。」彼方君は神妙に考えて、「まあ、君の言うことにも一理ある。針生もここに残していこう。残る四人で向かうことにするよ。」

 鏑木は怪我を庇う手の下で笑ったらしかった。

「大丈夫よ。その御大層な銃を見せられれば葦原組も簡単に顫え上がるわ。……ああ、釘抜の拳銃ワルサーP38は脅しには迫力不足かもしれないけれども、まあ、アンタは自前の風格があれば十分よ。」

 もともと不機嫌げに見える強面を、釘抜君は更に少し歪めた。銃への揶揄いと顔面への揶揄い、彼がどちらを不満に思ったのか私には分からない。


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