36節

36 那賀島組、迚野良人

 僕と那賀島君は、今日も新たな仲間を求めて校舎内をうろついていた。そもそもの残り人数が相当に少なくなってきている筈の今日日、こんな危険で無謀な試みは本当に成就し得るのかと僕は訝っていたのだけれども、那賀島君がその必要をどうしても主張し続けるのだ。まあ確かに、僕達二人だけできたるべき周達との戦いに備えるのは如何にも不安だから、致し方ないのかもしれないけど。

 昨夜何と無く寝つけなかった僕は、早々に疲労を訴え、那賀島君に休息を要求した。

 彼の小声での返事は、

「まあ焦ることでもなし。無理せず休もうか。」

 僕は早速、手近な教室を見繕い、指で指し示した。那賀島君が首の動きで肯んじたのを確認してから、そこの扉をそっとあけ、泥棒のようにこそこそと中を確認する。誰も見えない。僕は那賀島君を手の動きで誘いつつ、奥へ進んだ。破壊されたせいなのか、それとももともとそうなのか、とにかく高校の普通教室にしては席が疎らなこの部屋は、休むのに都合のよいように思えてくる。僕は少ない椅子の中から適当なものを摑んで、そこに座り込みながらわざとらしい声を出した。

「よいしょっとぉ。」

 こうして愉快げな僕とは対照的に、しかし那賀島君は緊張を解いていなかった。彼は上唇に指を当てて、真剣な顔つきのままだ。

「那賀島君?」

 彼は軽く首を振って、僕の方に寄ってきてから囁いた。

「駄目ではないか、迚野。ほら。」

 彼が指さした先を見ると、……ん?

「先客が居るなら気が付いて教えてくれないと。まあ、寝入っているようだから良かったけれどさ。」

 那賀島君が示した先客、腰までの長さの美しい黒髪を自由に散らばらせ、首をこちらに曲げてのうつ伏せになりつつ、床の上でと眠っているその女のは、あまりにも無防備で、そしてあまりにも綺麗な顔立ちをしていた。例えば、内に大きな瞳の存在を期待させる彼女の瞼は、尾羽のようにツンとつり上がる睫毛を一列に並べ、呼吸による体の身動ぎに応じつつ、光を照り返す塩梅を周期的に変えているのである。

 そんな彼女の頭の許に、ここから見ると丁度顔を半ば隠すかのようにして椅子が一脚佇んでおり、その上には小さな布の袋が置いてあった。人間が地べたで眠っているのにもかかわらず、袋の方が椅子の上に鎮座ましましているというのは些か滑稽にも思える。

 那賀島君は小声で続けた。

「さて、迚野。彼女を不意討ちで殺すのはあまりにも簡単だ。しかしね、僕はまた、霧崎の時と同じ方法で彼女を無力化したいと思うんだよ。そうすれば説得する隙が生まれるし、また、勿論気が変われば簡単に殺すことも出来るからね。」

「無力化出来ればよいというのは賛成だよ、でも、どういう意味? どうやって無力化するのさ。」

「だから、霧崎の時と同じだよ。聖具を取り上げてしまえばいいんだ。きっとあの袋がそうなんだろうさ。」

 ああ、成る程。

「というわけで迚野、あれを拾ってくるんだ。」

 僕は何を言われたのかが一瞬分からずぼんやりしてしまった。

「え? 何で僕が? そもそも何で一人で?」

「僕のヨーヨーは自分の身を守るのに向いていない、先手必勝専門の聖具だ。彼女へ攻撃するわけには行かないこの状況では全く役に立たない。故に、君の聖具、とりわけ塵取りの方の出番なのだよ。」

 僕は躊躇ったが、結局肩を竦めて、

「分かったよ。危なくなったらすぐに引くから、その時のフォローは宜しくね。」

「ああ。」

 僕は慎重に、その眠り姫の方へと歩み寄った。ここで、「うっかり小枝か何かを踏み割って音が、」なんていう漫画のようなことを仕出かすわけには行かなかったので、それはそれは慎重に歩み進んだのである。その甲斐もあり無事に椅子まで辿り着いた僕は、ふと、麗しいもの見たさに駆られ、その女のの顔をしっかりと覗き込んだ。その瞬間、と寝息によって肩を上下させる彼女の長閑さが、僕の裡に日常感を、すなわち、この殺し合い環境への激しい嫌悪を思い出させてしまうことが急に心配され始めたので、僕は慌てて目を逸らす。つまりは、何故このようなまでもが殺し合いを演じなければならないのかという余計な感情が、また僕の身を襲ったのだ。僕はかぶりを振ってその――甚だ不本意ながら――雑念と呼ばねばならないものを振り払い、息を少し深く吸って覚悟を調えた。そして、目的の布袋をようやく引っ摑む。

 ぐい。

 妙な抵抗があった。本来こういう場合は素直に、何かが、おそらくはこの布袋から伸びている紐が、どこかに引っかかっていることを怪しみ、相応の行動を取るべきなのだろうけれども、眠り姫が起きる前にことを済ませねばならなかった僕は焦っていたので、ぐいぐいとその袋を引っ張り始めた。するととうとう紐が充分なテンションを得て、ピィンと張られる。更にぐいぐいとしてみるが、まるで芳しくなく、その、なにやら固い小物が入っているらしい布袋は一向に縛めを脱してくれない。ようやく叮嚀な仕事をする気になった僕が、張りつめている紐の続く先を目で追うと、……ん?

 その紐は、眠り姫の方へ伸びていて、うつ伏せとなっている彼女の胸の辺り、おそらくは右手の中に消えているようだった。しまった! 僕がそう思うが早いか、それとも姫が不愉快げに目を開けるのが早いか、とにかく次に起こったのは、くわと目を見開いた彼女が、突然翻り、閃き、いつの間にか立ち上がって、くだんの椅子をこちらへ飛ばして来たことである。僕は情けない声を出しながら飛び退き、椅子をどうにか躱す。結果、例の布袋は彼女の手中に――正確には、彼女の手に握られた紐の先にぶら下がり、収まっている。その後姫は、顰めきった眉間の辺りから鋭い眼光をこちらに浴びせつつ、右手に握った紐を操り始めた。そのいかにも堂に入った滑らかな所作に導かれて、今布袋は、彼女の右手側で大きな円を描いている。その存外緩やかな縦回転は、速度に見合う筈の観覧車のイメージよりも、むしろ、旋盤機械の殺意を僕に思わせた。この不穏な連想の原因となった、今の彼女からの、先程までの愛らしく安らかな寝顔からは想像も出来ない、敵意の波濤をもろに浴びせられた僕は、聖具を何とか構えてただ立ち竦んでいる有り様である。

「ちょっと待った!」

 那賀島君の声だ。いつの間にか僕の横に来ている。

「落ち着いて。僕達は、君と喧嘩をしに来たわけではないんだよ。」

 姫は、吐き捨てるようにして冷たく返した。布袋の回転は全く止められておらず、その不敵な恐ろしい笑顔と相まって、彼女の兇暴性と好戦的性格を窺わせる。

「は、そんなことは分かっているわよ下衆共。正々堂々とした喧嘩をするのではなくて、こっそりと私を殺そうとしたのでしょう? この卑劣漢共め。」

 那賀島君はかぶりを振って、

「全く違う。いいかい? もしも僕達が君を殺すつもりだったのなら、何故君を起こすというリスクを背負ってまで、その聖具と思しき道具を拝借しようとする必要があるんだい? そんなことをするよりも、君の頭部に一撃を喰らわせた方が遥かに楽で安全で健全だ。」

 姫は一瞬だけ真面目な表情を見せてから、再び、鱶の口ような(物理的に)深い笑顔を誂えて続ける。

「健全な頭部への一撃、と言う表現は引っかかるけれども、まあ、成る程。確かに、少し休むだけのつもりが思い切り寝入ってしまった時点で、私には敗者になる十分な資格があったように思えるわね。

 しかし、何の因果か、私はこうして生き残って臨戦態勢を取ることが出来ている。故に、私は、最早お前達と対等の立場にある。」

「まあ、君って一人なんでしょ? うっかり無防備に寝入ってしまっても仕方ないんじゃないかな。」

 姫の口上の肝腎な部分を那賀島君が無視したもので、彼女は不愉快げに笑顔を乱した。

「私だってこの前までは色々とつるんでいたけれどもね。今はもう一人なのよ。理由は察せるでしょう?」

 那賀島君はまた後半を無視したようで、

「それは結構だ、安心したよ。独り身と聞くと一つ不安が生じるのだけれども、その不安は、少なくとも君においては杞憂であったようだ。」

 彼女は更に表情を乱した。最早笑顔の成分は残されておらず、そこからは苛立ちと敵愾心のみが醸し出されている。

「いきなり現れて訳の分からないことばかりほざいてるんじゃないわよ、下衆(僕は何も言ってないのだけれどもなぁ。)。私を殺しに来たのでないなら、何か他の目的があるのでしょう? それをさっさと言いなさい、そして、つまらない内容だったら、速やかに私に殺されなさい。」

 彼女の、その形相と、地獄の底から響いているかのような声音に僕が顫え上がらんとしているのにもかかわらず、相変わらず那賀島君は堂々としていた。但し、その足はやはり顫えていたのだけれども。僕が那賀島君を本当に大した奴だと思うのは――これが彼への褒め言葉なのかどうかは、微妙なところだが――こういう時に次の様なことをさらりと言ってのけるからだ。

「お嬢さん、君は意外と馬鹿だね。」

 彼女の顔は、まるで言葉の意味を汲み取りかねたかのように一瞬きょとんとし、しかし、すぐに笑みを作った。先程激昂に打ち消された筈の笑顔が、あまりの激昂の堆き積み上がりによって再生し、その、一度輪廻を乗り越えてきた笑みは、最初のものよりもずっと深く恐ろしいもので、今や、忌まわしげな笑い声すら伴っていた。紐のどこかを握ってじっとしていた筈の左手が顫えている。

「貴様、私をどこまでおちょくれば気が済むのだ。」

「だってそうじゃないか。君は馬鹿だよ、これくらいも汲み取れないだなんて。

 君を殺さないでおく理由が何か他にあるだろうかね。より言えば、君が過去には仲間と行動を取ることが出来ていた程の社会性を有している人物であることを知って、僕が安堵する理由が他にあるだろうかね。」

 姫は眉根を寄せて訝り始め、しばらくそのままにしたあと、再び口を開いた。

「では、お前達は私に言っているのね、『組め。』と。」

「その通り。」

「馬鹿馬鹿しい、どういうそれにメリットが、」

「まず、さっきみたいに寝入っているところを襲われるリスクが減ると思うけれどもね。今生きているのはとんでもない幸運の上に成り立っているということを、君はもっと自覚した方がいい。」

 彼女はますます顔を顰めさせて、少し頬を紅くした。全く表情の豊かな女性だ。

 那賀島君は返句を待たずに畳みかける。

「それにね、今僕達は結構ななんだよ。君、ここ最近まともに食べられていないんじゃないかな。」

 那賀島君のこのあてずっぽは見事に的中したようで、姫の顔の紅潮が深まった。

 彼女は口惜しげに、

「は、ならば、今お前達を殺してしまえば、この先食事に困らないということではないの!」

「二対一で?」

 目を見開く姫へ那賀島君が続けて曰く、

「こっちの彼、迚野君はね、極上の聖具と、一流の聖具捌きの腕前の持ち主だよ。きみのその……巾着袋かな? とにかくその聖具をいとも容易く弾き返すだけのと実力を彼は持っている筈だ。……まあ、もしかしたら君が彼をも凌駕する達人で、迚野君が攻撃を防ぎ損なった挙げ句に彼なり僕なりが一人絶命するという可能性も有るけれども、その場合、次に、しかも直ぐに絶命するのは、君……ええっと、沖田おきた涼子りょうこだ。僕達二人の内の生き残りが、怒り狂った挙げ句、速やかに君を絶命させるだろう。第一撃を放ったことによって隙だらけになった沖田涼子君を。」

 目を引き絞った彼女が、

「何故私の名前を?」

「あれだけ無防備を晒しておいて、よくそんな間の抜けたことが訊けるね、君は。」

 ああ、僕が巾着袋相手に弄ばれていた時にでも赤外線で抜いていたのか。

「まあ、君の名前を調べたのに深い理由はない。もしも井戸本組とかの、絶対に引き入れそうにもない相手だったら説得を諦めようとか、それくらいの意味さ。

 さて、話を戻すけれども、この部屋の出入り口は僕達の背後にある。僕達が後からここに入ってきたのだから当然だね。そして君の聖具は、僕達に隙を見せずに壁を破壊出来るようなとんでもない代物とは思えない。つまり君は逃げられない。そして君は僕達二人を相手に戦って生き残れるのだろうか、恐らくこれも難しいだろう。故に、大人しく僕らに与するのが最も合理的だと思うのだけれども。」

 姫はすっかり、まともに話を聞くような顔つきになって、

「しかし、私があなた達と組んだとして、寝首を搔かれない保証はあるの?」

「あるよ。さっきも言ったけれども、もし僕達が君を殺したいのなら、何故、君の寝首を搔かなかったのさ。」

「今はそうでしょう。しかし、状況はこの先変わるかもしれない。」

「例えば? 貴重な戦力を減らしてまで裏切るべき状況って有るのかな。」

「例えば、……最終盤、生き残りがきっかり八人になった時とか。あなた達二人は私を殺したくなるのではないかしら。」

「これはまた大それた皮算用だ。まだずっと先の話だね。」

「私は生き残りたいの。きっかり治療を施された上で外に帰りたいの。ならば、多少の皮算用の趣はあるかもしれないけれども、しかし、これは全くもって現実的な想定よ。」

「まあ、君の言うその心配については僕達二人も全く同意見でね、そこで、対策も考えたのだよ。その、残り八人という状況の問題だけれども、そもそも君は、どうやって残りが八人であることを知るつもりなんだい? そんな方法は有るのだろうか。」

 これに対して何も答えられないことを如実にもの語る姫の表情を受けて、那賀島君は続ける。

「つまりさ、沖田君。最後の最後の局面で結束が危うくなるのは人数を知ってこそだ。そうでないのなら、例えば、残り人数が十二人なのか十人なのかそれとも案外八人なのか全く分からない状況において、折角仲間となった君を殺すメリットなんてないだろう。だって、その最後の最後という肝腎な場面で、何故僅かな可能性にかけて自ら戦力を毀つ必要があるんだい? 当然想定される、れっきとした敵からの攻撃に備えない理由があるだろうか。もし最終盤に君を騙して殺したとして、それでも実は残り人数がたっぷり二十人近く居たりして、挙げ句に彼方組かどこかのヤバい連中と遭遇したらどうするんだ。」

 姫は、オキタリョウコは、いつの間にか巾着を操る手を止めていた。彼女は右手を顔の辺りに持ってきて、形の良い唇をしばらく考え深げに弄ってから、

「では逆に、あなた達は私を信用出来るの?」

「出来る。」那賀島君の即答は如何にも頼もしげだった。「今の論理をひっくり返せばいい。君が僕達に再び敵対する理由は殆どない。」

 オキタはこれを聞き、また少し考え込んでから口を開きかけたのだが、しかし、実際に続けて彼女から発せられた音声はそこからのものではなく、もう少し下のほうから響くものであった。

 ぐう。

 彼女はぼんやりと口を開いたまま固まり、再びぼっと赤面した。那賀島君が笑い出す。

「ほら、やっぱりまともに食べていない。どうだい? 君が僕からの提案に肯ってくれるのであれば、今すぐにでも、お近づきの印に食事にしようと思っていたのだけれども。」

 オキタはしばらく、バツの悪さを滲ませんとする顔を懸命に緊張させようと試みている様に見えたが、突然、諦めたかのように全ての力みを解いた。最初見た寝顔に相応しい、可愛らしい表情に戻っている。

「まあ、正直、誰かと組めるというのはこちらとしても願ったり叶ったりよ。ここ最近ずっと一人で不便だったのだから。眠るのも不安でしょうがなくて睡眠不足となり、とうとう空腹と相まってダウン。お蔭で死にかけた、と。」

「しかし君はそうして生きている。」と那賀島君。

 彼女も笑った。

「そう、私は生きている、あなたの言ったように、大いなる幸運の元にね。最早この命は一度死んで拾ったようなもの。ならば、見知らぬ連中に預けるという馬鹿馬鹿しい賭けに興じていいのかもしれない。」

 オキタは平然と歩み寄ってきて、手を差し出し、

「では改めて。私の名前は沖田涼子、宜しくお願いするわ。」

 那賀島君は彼女と握手を交わしてから呟いた。

「しかし、迚野。以前君とした議論は本当に建設的だったね。お蔭でこんなにも上手く話が纏まったよ。」

 え? 僕は彼を問い質そうともしたが、オキタが手を出してきたので、そちらに応じざるを得なかった。彼女の手は、見た目が小さくて綺麗なのに、その力は存外逞しかった。

「えっと、僕は迚野良人。宜しく。」

「トテノ? まあ、とにかく宜しくお願いするわ。あなたは相当な強者だそうで。」

 先程那賀島君の言った無責任なはったりを、僕はほんの少しだけ、子供のように恨んだ。

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