34節から35節
34 武智組、簑毛圭人
竿漕さんが掘返べらを振るう。いつか武智君から聞いた時に想像したよりもずっと力強く優雅なその所作は、いとも容易く床を抉り、僕達の敵へ具体的な殺意を振り撒いた。飛礫を浴びせられる二人の男女は、他に仕様もなく己がじし聖具で身を庇い、不十分な体勢のまま、僕と筒丸さんの接近を許してしまう。僕は左の男に斬りかかった。断末魔の声はない、僕の振るう鮪庖丁のあまりある威力は、胴体ごと彼の肺臓をも断ち切ったから。
水が抜け切る直前の排水口のような音――恐らくは悲鳴の出来損ない――が右方から聞こえたのでそちらへ振り返ると、筒丸さんの聖具、調理用の焼き鏝が、その女の喉を刺し貫いていた。凄まじい熱量を発するその鏝は、香ばしい音を伴って、最早ぶくぶくとした音を漏らすことしか出来ないその喉を遺憾なく焼き続けている。信じられないものを見るかのように限界まで目を剝き、がくがくと大口を震わせる女の表情から、筒丸さんは目を逸らさずに、聖具を、その女の首から抜き取った。彼女は単に手前へ引き抜くのではなく、横へ、血管や神経を焼き断ちながら肉の森を脱するように聖具を取り出したので、その哀れな女の首は、片側だけで辛うじて繋がっているという有り様となり、彼女は
「無事?」
僕の身を慮った。
筒丸さんの聖具、某かの食べ物の生地に永遠たる――皮膚を焼くのとは異なり、食されるまでの間は消え得ぬという意味での永遠に過ぎないが――桜花の紋様を刻み込む為の焼き鏝は、聖具らしい力として、電力を必要とせずに十分な熱量、焼き鏝自体が強度を損ない始めるぎりぎりの温度(確か摂氏四百度だったかな)を纏うことが出来るらしいのだが、その後の冷却は自然の放熱任せであり、大切な聖具を床にうっちゃる気にもならない彼女は戦闘後いつも手許にその凄まじい熱源を持て余すのであるらしかった。そこで自然と、これまで犠牲者の端末やら持ち物やらを調べる役目は竿漕さんや武智君が負っていたとのことで、実際今の彼女も精々周囲を警戒するくらいで、足下に転がる忌まわしいものに一瞥もくれないでいる。こちらへ近寄ってきた竿漕さんが、すぐに屈んで、男の方の端末を弄り出したのを見計らい、僕は筒丸さんに歩み寄って、彼女を竿漕さんや死者達から離れる方向にそっと引っ張った。眉根を寄せて訝る彼女に僕が問いかける。
「筒丸さん、ポイント収支の履歴画面を見せてもらえないかな。」
筒丸さんは、毒のないきょとん顔で、
「へ? 何で?」
「ちょっと気になることが有って、今の行為でポイントがしっかり加算されたのかを確かめたいんだ。」
「まあいいけれど、……ほらちゃんと入っているじゃない。」
彼女は自分が操作する端末を一人で覗きながら、心底嬉しそうに、
「あら。この女それなりのポイント持ちだったのね、これで数日は全うな食事が取れそうよ。ねえ、簑毛、アンタが仕留めた方もお金持ちだったのではなくて?」
僕は、なるべく不自然にならないように彼女を遮る必要に苦しんだ。
「それよりもさ、どれ、僕にも見せてよ、筒丸さんの画面を。」
幸いにもこれを聞いた彼女はすぐ手首を返し、「ほい。」と、何でもないように画面を見せてくれた。僕は、幽かに焼き鏝が伝えてくる熱を額に感じながらそれを覗き込み、こっそりとボタンを弄って、その預金通帳のような画面を二週間程度遡らせた。……よし、不審な点は一切なし。
その後彼女は、端末を取り戻すかのように、右手を自分の耳の辺りに持っていってから、
「で、アンタは、というか、アンタの殺した男のポイントはどうなっているの?」
僕は、筒丸さんが一抹の不審も感じていないらしいことをこっそりと喜びながら、自分の端末を弄る。ここでごく自然な喜びと驚きが湧き出てきたのは、この一連の言動にかかる不自然さを糊塗したいと企む僕にとっては幸いであった。僕は、一切余計なことをせずその幸運に自然と乗り、すなわち、何ら飾らずに素直に驚喜を
「有り難い、これだけ有ればしばらく喰いっぱぐれないね。」
筒丸さんが僕の手首を摑み寄せ、勝手に端末を覗き込んでくる。こんな行為を躊躇わず無警戒で行えることに対し、僕は無意味で馬鹿馬鹿しい嫉妬を覚えた。
「あら、男の方も女と同じくらい持っていたのね。ああ、何と甲斐甲斐しいこと! 片方が死んでもう片方が生き残っても不自由しない様にという、涙ぐましい思い遣り、素晴らしい恋心ではないの! きっとこれまでこの二人は、一本の映画が作れるほどに劇的な愛を、ラヴストーリを育んできていたに違いないわ。でも、アカデミ賞とは行かないでしょうね、何せ、エンディングがお粗末すぎる。最も演劇的効果を与える最期の言葉もなく無様に死ぬことは、物語において致命的な欠陥になるもの!」
戦闘後の興奮で妙なテンションになっていることが明らかになった彼女を、そっとしておこうと僕が決めると同時に、すぐ後ろから、まるで、いきなり濡れタオルをべたりと
「簑毛君、私を手伝ってはくれないのですか?」
僕は申し訳なさそうな雰囲気を纏うのに苦心しながら振り返って、
「ああ、御免よ竿漕さん。今から、」
「もう、及びません。彼らが大した人物――井戸本組の構成員だったりとか――でもなく、また、彼らが特に目ぼしい物を所持していた訳でもないことはもう判明しました。今我々の足下に転がっているのは物言わぬ肉以上のものではありません。……聖具もとりわけ役に立つものではないですしね。」
「ああそれは残念、……いや、全体的には何事もなくてよかったというべきなのかな。とにかく有り難う。」
彼女は僕の言葉を無視するかのように、自分の端末を操作し始め、そして、すぐにこちらへ画面を突き出してきた。彼女は僕に戸惑う隙すら許さずに、
「御確認を。私のポイント収支です。」
僕はこの言葉にたじろいだ。しかし、彼女が僕の目をじっと見つめ、愛らしい調子で小首を傾げてみせることで強烈に促して来たので、僕は否応もなくその端末を覗き込むことになったのだ。そこには、やはり一切の不正の跡がなかった。武智君、筒丸さん、そして僕の収支画面と同様に、餓えに苦しむ参加者にこれ以上もなく相応しい荒涼とした数字の羅列のみがそこに有ったのである。
彼女は右手を引っ込めながら口を開く。
「簑毛君。あなたは、覆い隠すことこそが我々の為になると思われたのでしょう。しかし、私の考えは全く違います。余計な秘め事は余計な不信を招くものです、と私個人は思います。ですから、あなたがあなた個人の信条に従って勝手に行動したように、私も、私個人の信条に従って勝手に今行動させて頂いています。あなたもそうした以上、これは当然の権利の筈です。」
僕は苦い顔を作った。
「君には何もかもお見通しってことかな。」
彼女はにこやかに、
「残念ですが、私は筒丸桃華では御座いませんので。」
ここでちらりと焼き鏝使いのほうに目を向けたところ、普段から不足気味の理智を今興奮によって更に損なっている彼女は、竿漕さんの言葉の含蓄を何ら汲み取れていないようだったので、僕は安心して言葉を返すことが出来た。
「
「ここ最近箱卸さんが私、あるいは私達のことを執拗に睨むのですもの。これは、彼女がもともと私のことを明らかに好いていないことを差し引いても、という意味です。……ああ、御安心を。それは非常に幽きものでしたから、筒丸さんや武智君は気がついていないと思います、とにかく彼女の態度がいつもと違う、と、私は感じたのです。
そこから私はいくつかの当たりをつけました。箱卸さんが抱いている不穏な感情の正体についての当たりを、です。そして、今あなたの行った、こそこそと筒丸さんのポイントを確認するという行為が、そのいくつかの当たりの中から真実でない、あるいは現実にそぐわぬものを全て消去してくれました、たった一つの可能性を残してです。
宜しいですか? この、こそこそ、というのが重要なのです。この少々無礼な言辞は、別に、私の皮肉癖の暴走ではありません、重要で必要だからこそ付したのです。つまり、あなたは、何か重要な目的を隠そうとしながら、筒丸さんのポイント収支を確認しようとしているようでした。重要な目的で、同胞にすら隠すべきもの。理性的に考えれば、それは、私や筒丸さん以外の者の心労あるいは憂懼の解消しか御座いませんでしょう。これと、箱卸さんのほんの僅かながらも不審な振る舞いと、そしてポイント収支を確認することで達成されるらしいということとを突き合わせれば、もう、答えはおのずから明らかとなるのです。あなたは――正確にはあなたと箱卸さんは――我々が秘密裡にポイントを入手、ひいては不正に使用してきたと
僕は、竿漕さんの使った「ユウク」という言葉の意味が分からなかったが、それを気にするよりも舌を巻くので忙しかったので――加えて、彼女の振り回す衒学的な言葉遣いに毎度付き合っていては切りがないので――ただ素直に言葉を返した。
「流石だね。君の知性の前では全てが解明されてしまうように思えるよ。」
「そして、その世辞の狙いも、です。しかし御安心を。一連を通じて、私は全く憤りを感じていませんよ。」
これを聞かされた僕が肩を竦めた頃、ようやく筒丸さんは状況を理解したようで、
「え? 何? 箱卸の奴、アタシ達のことを
「いけません!」
竿漕さんの怒声を僕は初めて聞いたかもしれない。目を剥いた筒丸さんに、彼女は強い声を浴びせていく。
「筒丸さん、箱卸さんを責めることは許しませんよ。彼女の心の裡に萌芽した疑念は、純粋な恐怖と生存欲求という、人間、いえ、生物として当たり前の心理に端を発するものです。彼女はただ怖いだけなのですよ、私達に騙されて、その挙げ句に餓え殺されたり殴り殺されたりするのが怖いだけなのです。
この馬鹿馬鹿しい、有り得ぬ憶測に対してあなたがすべきことは弾劾ですか? それとも屈辱と不快の表明ですか? 違うでしょう! 論理的あるいは道徳的に正しければ何を言ってもいいというものではないのです。我々が目指すことは、箱卸さんの不安の解決と、そこから招き得る破綻の回避であり、ならば我々の為すべきことは何か、容赦です。箱卸さんを憤りや正論で責めたてるのではなく、彼女を労り、ただ許すこと、これが我々の今すべきことなのですよ! それが分かりませんか!」
あの竿漕さんが――箱卸さんに〝頭でっかち女〟と揶揄されるほどの竿漕さんがこんなことを言うとは、僕には全く意外であった。
聞かされた方の筒丸さんは困った顔をして、
「やめてよ! そんな気ないってば! ええっと、そう、分かったわよ。箱卸に文句なんて言わないわ。」
竿漕さんは満足そうに表情を緩め、僕の方を見つめて言った。
「簑毛君、このことを武智君は知っていますか。」
僕は一瞬遅れてから、
「ああ、僕から話した。」
「では、箱卸さん本人はどこまで知っていますか。」
少し戸惑った。
「どういう意味?」
「つまり、あなたが武智君に彼女の疑懼を知らせたことなどを、箱卸さん本人は御存知でしょうかと訊いているのです。」
「ああ、そういう意味か。彼女には何も知らせていないよ。次に二人きりになった時にでもいくらか話そうかとは思っていたけれども。」
「成る程。では、次のことについてあなたはどう思うか聞かせて下さい。武智君や私達がこの話を聞いたことを、果たして彼女に知らせるべきでしょうか。」
僕は少し考えてから応えた。
「難しいね。多分、それは実際に彼女と話して見て、その顔色を窺いながら判断しないといけないと思う。」
竿漕さんも少しだけ間を取ってから、
「分かりました。では、可能な限りで早い内にあなたと箱卸さんが二人きりになるように、当番シフトを調整しましょう。勿論、彼女に何ら感づかれないようにする必要が有りますので、もしかしたらしばらく先になるかもしれませんが、……まあ、何日も先になるということはないでしょう。出来る限り今日明日のうちにどうにかします。」
「そう、そうね。一刻も早い方が良いわ。」
いきなり言葉を差し込んできた筒丸さんへ、竿漕さんは何故か、窘めるかのような視線を送って彼女をたじろがせた。その後、軽い溜め息に続けて竿漕さんは、
「とにかく、一度帰還しましょう。五人分の食事に見合う食料を買い込みつつ、そして箱卸さんの問題の対処を考えつつ、です。」
そう言いながら掘返べらを拾い上げる彼女の、先程までの堂々とした振る舞いを思い返して僕は思った。竿漕さんはとても面倒な人だけれども、それ以上に頼りがいのある仲間でも有るよな、と。
35 大海組、頗羅堕俊樹
俺と頃安と額賀は、今日も逸れを求めて校舎内を徘徊していた。出歩く人員が三名になっているのは、彼方組からの襲撃を警戒している為だ。特に何かを意識したわけでもなく、単純に経路の網羅性を求めた結果として、今俺達は順藤が射殺されたというフロアに来ている。このまま素直に廊下を進めば、もうすぐ、アイツの死体に出会す筈だった。
頃安が小声で訊いてくる。
「さて、どうする?」
俺が応じた。
「何がだ?」
「決まっているでしょ。このまま順藤君と御対面するのかどうか、という話だよ。ねえ、額賀君、彼の姿はどうなっているのかな。」
額賀は如何にもぎこちなく、
「首から上が綺麗に消滅している。それだけといえばそれだけだ。」
「首無し死体、か。確か、古来我が国における切腹の介錯では、首を落とし切らないのが作法となっていたよね。ということは、少なくともこの国では、首の無い身を晒すことは恥ずかしいと思われているということだ。つまり、僕達も彼との再会を自重すべきなのかな。」
この――珍しく――毒のない頃安の意見を、額賀が神妙に遮った。
「いや、一目くらい会って拝んでやってくれよ。何せ今日を逃したら、そろそろアイツの身が外に運び出されてしまうだろうからな。ともすればこれが最後の機会なんだ。」
頃安は顎を搔きながら少し考えて、
「まあ、それもそうだね。頗羅堕君もいいかな。」
「ああ、構わない。このまま予定通りに進もう。」
その後俺達は黙って廊下を進んだ。神に誓ってもいいが、真剣に、最大の注意を払いつつ歩み進んだのだ。しかしそれでも、あまりに突然に、脇を歩く頃安の頭が吹き飛んだ。目を剥いた俺は、奴の背後の壁に開いた大穴を認めたことで攻撃の正体を知る。一瞬にして頃安の頭部を喪失させた、彼方組からの無慈悲な銃撃。
「うあぁあ!」
額賀が目茶苦茶に駈け出す。それを受けて俺も、まだ精神が立ち直り切らぬ中無理やりに、額賀を追うような形で走り出した。少しでも、脅威から遠くへ。
結局二度目の銃撃の気配はなかったが、一瞬見えた順藤の骸などまるで意に介さずまっすぐに駈け続ける俺と額賀は、まもなく丁字路にぶつかった。
「二手に分かれるぞ、頗羅堕! 俺はこっちだ!」
俺の左を走る額賀は、突然そう叫びながら更に左へと寄った。分かれる、この手の行為には多くの利益と多くのリスクが孕まれるものだが、今は議論や思索を試みている場合ではなく、俺は素直に額賀の勢いに押され、その丁字路を右に曲がった。するとすぐに、右へ折れる曲がり角に突き当たり、都合俺は先程と逆行する方角への経路を取ることになったのである。まあ、逃げるという意味ではこれで構わない、確かこの先、いくつかの右方へ延びる丁字路を無視して直進した果てに丁度、下へ降りる階段が左手に見えてくる筈だからだ。
しかし、それがまさに目の前まで来た瞬間、階段へ降りる角から人影が一つ飛び出てきた。危機を察したかのように突然世界を緩慢にした俺の脳が、視神経を通じて、その人影、女が、長ったるい銃身を抱え、その切っ先をこちらに向けてきていることを認める。とうとう姿を現したな彼方組め!
ここで上ってくる血に襲われながらも、しかし、俺の頭はなんとか違和感を覚えることが出来ていたのである。何故だ、陰討ちで悪名高い彼方組、何故あの女はこうもあっさりと姿を晒した? そこから一つの考慮が生まれ、その考慮は、女が気を変えたかのように銃の先を持ち上げて、再び階段への陰に身を引こうとしたことで実体を持ち始める。ここで俺は賭けに出た。女にぶつけるべく振りかぶりかけていた俺の聖具、縄跳び紐を握ったまま、不格好に後ろへ振り返り、そこの視界を確認する間すら惜しんで、思い切り縄跳びの持ち手部分を投げ飛ばす! その持ち手は飛翔し、今更認められた人影、銃を構えていた眼鏡の男の元に丁度飛んでいってくれた。
「ぐっ!」
こちらの聖具の威力の乏しさを知らないその男は、俺が先程駈け抜けてきたばかりの右に脇道を持っていた丁字路、すなわち今は左へ逸れ道を用意している丁字路を活かし、必死に陰へ隠れる。ここで俺は、まず第一の賭けに勝ったこと、すなわち、あの女の奇妙な所作が、後ろからの銃撃の射線を確保する為だという予想が的中したことに満足したが、しかし、未だ全く危機が去っていないことは明白であった。俺は急いで元の方へ振り返りつつ、縄跳び紐の持ち手を手繰り寄せ始める。復帰した視界は、案の定、先程の女が銃口をこちらに向けている様子で支配されていた。俺の聖具もそこそこの距離からの攻撃が可能だが、それは、準備が整っている場合、具体的には縄跳び紐の両の持ち手が手許に有る時に限った話だ。つまり、この状況で攻撃が可能なのはあの女の方のみであり、俺は、間髪も容れずに正しい防禦行動を取らねばならない。
ここで俺を助けたのは、二人の、順藤と頃安の死に様だ。彼らの死体、決してじっくり直視した訳ではないが、しかし、どちらも確かに首から上が消滅していた。すなわち、この彼方組の連中は、頭部への銃撃に執心している可能性が高い。ならば、
俺は急いで、両腕を廊下の床に放り投げ、前転の動作に入った。
「なぁっ?」
如何にも狼狽えている、女らしい声と共に、細やかな動作音が鳴り、その次の刹那、遥か後方の壁が砕け散るような音が聞こえてきた。どうやら女が銃撃を外したらしい。前転から隙なく立ち上がるコツを心得ていた俺は、すぐに体だけは臨戦態勢に戻すことが出来、半ばまで手繰り寄せていた縄跳び紐を、無理矢理女のほうへと放った。女は、そのやたらと長身な銃を立て、自分にべったりと張り付けるようにして身を守る。第二撃を放つのではなく防禦を試みるあたり、連射の出来ない銃種なのであろう。俺がそれに安心した瞬間、投じた持ち手は女の胸の辺りに命中し、すなわち、その盾と化した銃に遮られたのであった。その威力の低さ、もたらす衝撃の皆無さに女が訝しがったが、しかし、既に状況は俺に十分であった。この隙に駈け寄り切ることに成功していた俺は、思い切り振り上げた左の拳を、女の顔面に叩きつけ、そのまま振り抜く。女の頭は、最初の瞬間殆ど無抵抗に後ろへ飛んで行き、そして結局はすぐに自分の体に縛められて地面へと叩き落とされ、余った衝撃で足の方が滑稽に撥ね上がる。
「鏑木!」
男の方が陰から出てきていたらしい。その後ろからの声から逃げるようにして、俺は目の前の階段を一目散に、殆ど跳ぶようにして駈け降り始める。しかし、この無様な逃走はすぐ鈍詰まることとなった。一フロア分も降りきらぬうちに、堆い瓦礫の山にぶつかり、一歩も進めなくなったのだ。
俺は心の中で舌を打ったが、しかし、全くの絶望というわけでもなかった。先程の女への直接的攻撃は、聖具を使うことをせず、敢えて拳でのみで
俺は聖具を構えたまま、瓦礫を背負ってその男を待ち構えた続けた。しかし、誰も来ない。俺はちらと端末を確認し、正確に分からないが、ここに来て少なくとも十分程度の時間が経過したことを知ったので、そのまま額賀に聯絡を取った。
『頗羅堕か? 無事だったのか!』
「何とかな。お前の方はどうなっている?」
『俺は、そう、一目散に逃げ惑った結果もうアジトの方に帰ってきてしまったよ。今、大海達に状況を伝えてどうしようか考え始めていたところだ。』
「そうか、俺はまだ殆どあの場に残っているのだ。このまま一人で帰還するのはあまりに危険だからな、情けない話だが、誰か二三人で迎えに来てくれはしないだろうか。」
『情けのないことなんてあるものかよ、当然の用心だ。分かった、すぐに何人かでそちらに向かおう、と、俺から大海に訴える。』
「頼んだぞ。俺の居場所は、俺が逃げていった方側の階段だ。」
『諒解だ。』
俺は通信を切り、また目の前を警戒し始める。敵襲の危険はともかくとして、少なくとも退屈の心配はなかった。俺はあまりにも多くのことを考え始めていたのである。
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