28節から32節
28 大海組、頗羅堕俊樹
俺は今、嵐のような大騒ぎを演じる男達の輪に属している。始まったばかりの、侃々諤々の議論、と呼ぶには少々知的虚飾を欠く趣のあるそれを、俺は努めて一歩下がったところから眺めていた。
まず、その体つきに似合わず喚いているのは額賀健太だ。
「それでだ、俺と順藤はいつもの通りまず大学側1ーK棟に向かったんだ。一階、二階、と、探りながら昇って行き、五階に辿り着いて、階段を出て右に曲がったところで、……そうだ、そこで順藤の頭が突然吹き飛んだんだ。」
「突然、つまり、超遠距離からの攻撃ということは、」大海が受けた。「その順藤を殺した奴は、もしかすると彼方組の連中と言うことで良いのだろうかな。」
この後に
「そりゃそうに決まっているよ! 順藤君に額賀君が事前に気が付けないってことは、つまりそいつ、こそこそと草鞋虫みたいに湿っぽく、どこかに隠れていたに違いないって。そんな状況から一撃で、しかも攻撃後にもその位置を現さないだなんて芸当をするのは、彼方組のこんこんちき共以外に居ないさ! きっとあの馬鹿げた玩具で、エアガンで、順藤君を撃ち殺したんだよ。
ああ、もう我慢ならない。ねえ! 大海君、やはり額賀君も日頃言っているように、僕らはあの彼方組を叩くべきだよ、思い知らせる為にも、ああ、思い知らせるというのは、僕達に喧嘩を売った愚かしさとか、やつらの身の程とかそういうので、あと他には、……そう、
須貝が、この言葉の後半を捕まえて、
「落ち着けよ頃安。そりゃ、彼方組をぶっ飛ばすことによるメリットと、彼方組を踏み躙りたい気持ちはそれぞれに分かるがよ、しかしだ、どうしろってんだ? まず、奴らがどこにいるのか分からんし、それに、分かったところでどうするんだよ。俺達が揃って奴らを攻撃した挙句、蜂の巣が六つ残ればまだ上等だ。下手すりゃ骨も残らんぜ。」
「どうしようもないかどうかは、」俺が口を開いている。「分からん筈だったよな、須貝。」
「んあ? なんだそりゃ。」
「話したばかりだろう。額賀達でなく俺とお前の二人が、彼方組に襲われた直後に。」
須貝は、右の眉を上げつつ、
「ああ、あの話か。正直与太話で終わらせるつもりだったんだが、まあ、取り上げたいなら好きにすると良いさ、俺は止めないぜ。」
「何? もしかして、彼方組を痛い目に遭わせる画期的アイディアでもあるの?」
俺は、その、頃安の顔に浮かんだ期待を裏切るのが億劫だった。
「画期的と言えるかどうかは疑問だが、まあ、説明する。皆も聞いてくれ。」
しかし頃安は、俺の話の後にますます顔を輝かせたのだった。その子供っぽい地顔によく似合う表情だ。
「よし、それだ、それしかない!」
須貝の窘めは早かった。苛立ちよりも、呆れによって語調を荒げているようだ。
「訳の分からんことばかり言うなって、お前は話を聞いていたのかよ、頃安よぉ! BB弾の補給を断とうにも、その補給手段が謎だし、そもそも、彼方組の居場所が分からないって言ってんだろう!」
こう言われた頃安は、まるで転がった賽子が新しい面を晒したかのように、ころりと表情を変えた。希望に充ちた相好から、反論者への敵意を含めた顔に。
「いいや、訳分からないのは君の方だね、須貝君。『誰々の居場所が分からないこと』を致命的な弱点として論うのであれば、殆どの作戦を否定することが出来てしまうよ、喩えそれが、いかに建設的で素晴らしいものであろうとね。殆どいつでもどこでも使える否定のロジックと言うのは、逆に、そう、まさに遍く存在する空気のごとく、何ら意味のなさないものだ。そうでしょ? 例えば、放火や隣家の火の不始末によって火事に遭う危険性があるからと言って、ある会社の建てた家に住まないという人間がこの世に居るだろうかね、居ないだろう? だって、どんな良心的な施工者の元に、どんな練達の棟梁が家を建てようと、火災の可能性は常につきまとうのだから、結局、建設会社を選ぶ際にその手の危険性が惟られることは決してない。君の言っているのはこれと同じ、より平易に喩えれば、スキー場に来て寒いと文句を言うようなものだよ。はっきり言って、取り合う価値がないね。」
「おうおう、言うなぁ、頃安。」今度の須貝はしっかり苛立っていた。「御立派な高説を垂れるのはいいがよ、現実問題として、まず彼方組の居場所が分からんということをどう解決するつもりなんだ?」
「簡単だよ。彼方組の居場所も、そして、そのBB弾の補給法も、一挙に知る方法があるじゃないか。」
「そんな、魔法みたいな方法があるのか?」額賀は議論に加われる程度には落ち着き始めているようだ。
「あるよ、額賀君。あるある、大有りさ。そもそもね、古今東西、敵の情報を抜くには本質的に二つの方策しかない。一つはスパイ活動で、もう一つは、そう、極めて非人道的な行為だ。」
察しの悪かった額賀に代わって、我々の中の最後の一員、
「おいおい、拷問でもするつもりかお前は!」
「その通りだけど、何か問題でもある、
それとももしかして、君は僕のことを心配しているのかな。いや、まさか違うよね。これだけ今まで何度も何度も一緒に狩りに出て、まだ僕のことを、虫も殺せないような心優しい少年だと思っていたりしないよね? とんでもない、僕は今のこの生活を、半ば楽しんですらいると言うのに、そう、血を見、骨を砕くことに喜びを見出しつつあると言うのに、今更、蛆虫の肉を嬲ることに躊躇いなど憶えるものか!」
上気する頃安の顔を、他の者と同様にやや嫌悪しながら、俺は訊ねた。
「拷問の是非は一度置いて、どうやってそれを実行するつもりなのか教えてもらえるか?」
「え? そうだね、まず、爪を一枚一枚、」
俺はこの時程、自身の発した言葉の至らなさを悔やんだことはなかっただろう。
「ああ、違う違う。どうやって、彼方組の連中を捕まえるつもりなのかと訊いているんだ。」
拷問吏の返事は、とても早く、
「え? 何か問題でもあるの? だって例えば、もしも僕達が彼方組に積極的に狙われた結果としてこうも連続で襲われているのであれば、この先も彼らに襲われるわけだよね? で、そこで僕達が彼らよりも劣れば、此度の順藤君と同様に射殺されて終わりだ、一切の問題がない。また仮に、僕達の方が秀でていれば、彼らを打ち負かすことが出来るだろう。その時、勢い余って殺してしまったのならばそれで仕方がないと思うことにするとして、もしもその草鞋虫に息がまだ残っていたら、ふん縛って僕の元に連れてきてくれればいいさ。……ああ、別に、頗羅堕君か誰かに代わりをやってもらってもいいけれども。
(頃安は場に生じた否定の空気を完全に無視して)また全く別の可能性として、彼らが別に僕らのことを特別狙っていないのだとすれば、この先草鞋虫を捕まえる機会はなくなるけれども、同時に、彼らに手荒なインタビューをする必要もなくなるよね。」
少し考える間を取ってから、大海が興味深げに言う。
「成る程。消極的に、もしも可能であればという程度で、彼方組の人員について捕縛と訊問を試みる、と。そういうことだな。」
「その通りだよ大海君。その、一応須貝君の言う通りで、確かに彼らの位置を把握するのは骨が折れる仕事だから、これくらいが現実的じゃないかと思うけれどもね。どう、皆?」
頃安はその幼気な顔の上の、頼もしくもあり、同時に悍ましくもある笑みをぐるりと周囲に見せ、その後どの角度からも反駁の声が聞こえないことに満足したようだった。
彼は自分の端末を覗いてから、足下に置いていた聖具、バドミントンのラケットを拾い、握り、頼実の顔をまともに見つめる。
「さあ、そろそろいい時間だよ。狩りに行こう、
そこで突然頃安がラケットを振り回し、そうして切り裂かれた空気の見えざるも喧しい血飛沫が、俺達の鼓膜を鋭く打った。
「そしてついでに、僕の欲求解消の為にもね! ……ちょっと、何ぐずぐずしているのさ、早く行くよ!」
部屋の隅でしゃがんでいた頼実は彼にせき立てられて立ち上がる。以上の遣り取りを受けて、この先万が一にでも頃安が敵に回らないことを俺は願うのであった。
29 那賀島組、迚野良人
周からのとんでもない送金のお蔭で一挙に裕福になった僕らは、糊口を凌ぐ為に校舎内を這いずり回る必要を無くしていたが、しかし、それでも時々はこうしてそこらを彷徨うようにしていた。那賀島君の言うには、周組に半ば振られた今、もう一人か二人の仲間を見繕いたいらしいのだ。しかしそれは本当に、大いなる危険を冒して、部屋の中という比較的安寧の外を巡り巡ってまでして募らなければならないものなのだろうか。
僕は那賀島君に小声で訊ねかける。
「ねえ、周達からの庇護も確保したのにさ、本当に、これ以上仲間が必要なの?」
「ああ、勿論必要だ。そもそも、僕は周組と最後まで手を組む気がないしね。」
僕はぎょっとした。
「え? 裏切るってこと? 何でさ。」
「それには色々な事情が絡んでくるのだけれども、まあ、近いうちは話すよ。廊下で長話は宜しくないからね。」
僕は仕方がなく黙り、そのまま彼と共に目下の目的地まで歩み続けた。
目的の部屋、自動販売機が置かれている無数の地点の一ヶ所、かつてはコンビニか売店であったのだろうかと窺わせる大学側のその部屋に辿り着き、そっと扉を開けると、そこには人影があった。僕と那賀島君は一気に張り詰め、こちらに振り返ったその五つの人影も同じようにしたのだが、しかし、互いがそれぞれの顔を認識するやいなや、醸されていた緊張の空気は瞬時に撓み、霧散して、友好のそれに場所を譲った。僕の横の那賀島君が口を開く。
「なんだ、周達じゃないか、驚かせて。」
背後の扉をしっかり閉めてから自動販売機へ歩み寄る僕達へ、向こうの中で一際の威厳を放つ人影が、二三歩こちらに来つつ話しかけてきた。
「こちらこそ驚かされたわ。全く、販売機を使うのも命懸けで困るわね。勿論自動販売機の破壊は禁止行為だから、まともな相手ならそれを憚って戦闘をしかけてこない筈だけれども、このサバイバル、必ずしもまともな相手ばかりではないし。」
彼女の声音は、今や最初に通信で聞いた時のそれのように玲瓏で、とても耳に快いものになっている。つまり、周は僕達のことを心底味方と認識しているということなのだろうか。そんな推測によって僕は、この女性を、そしてこの声を裏切ることは、なによりの悪徳なのではないかと思い立ち、先程の那賀島君の言い出したことに対する驚愕を子供っぽい嫌悪に塗り替えた。
そんな僕の心の働きの中、周の美麗な瞳が出し抜けにこちらを射ぬく。
「迚野さん。私からの、……いえ、私達からの贈り物、受け取ってもらえたかしら。」
「あ、えっと、うん、はい。えっと、有り難う。」
僕の感謝の無様さを、彼女はこの上なさそうな微笑みで許してくれた。
「あのポイントを、あなた達がしっかりと有益なものとして活かしてくれること、私はそれを心から願っているわ。」
「えっと、勿論、無駄遣いなんてし、……ないよ、うん。」
敬語にすべきかどうかを決め兼ねた挙げ句に語尾すら覚束なくなった僕の応答を受けても周は優しそうに微笑んでいたが、その笑みに、密やかな眉の顰みと脣の緩み、つまり幽き憾みと細やかな安堵らしきものが混入するのを僕の目は存外聡く認めた。ただ、その中身、すなわち意味まではさっぱり分からなかったのであるが。
その後彼女は、何かを思いだしたような顔になった後、それを僕の方へぐいと近づけて来て、
「ところで迚野さん。」
僕は、どうにかこうにか一言返す。
「何かな、」
周は、背後を気にするかの様に、少し首を右へ曲げてから、更にその切れ長な目をそちらへ向け逸らした。そっちの方には、所在なげにしている霧崎の姿がある。
周の囁くような潜め声が、
「霧崎さんに直接訊くのが憚られてしまったのだけれども――何せ彼女はあの強さを誇りにしているものだから――そこであなたに直接訊ねさせてもらっても良いかしら。あなたと那賀島は、どうやって彼女を下したの?」
僕は大いに困った。仕方がなく返すところは、
「どう、と訊かれても。別に、何もなかったよ。襲い掛かってきた彼女を、僕が返り討ちにしたってだけ。」
周が急に身を反らし、僕から顔を離した。そして、まるでその距離による遠近法を補塡するかのように、彼女が瞳を大きく開く。
「あなたが、真っ向勝負で霧崎さんを破ったというの?」
僕は、ちらりと霧崎の方へ目をやったが、幸い、この隠匿を忘れた周の少々高い声は、彼女の耳へ届いていないようで、霧崎は自動販売機のラインナップを眺めながら霜田と話しているばかりだ。
「ええっと、そうだよ。それが何か?」
周はしばらくそのまま固まっていたが、何か得心したような顎の仕草を見せてから、ようやくその目を尋常に引き絞り、
「これはお見逸れしていたわ。那賀島とつるんでいるものだから、てっきり、あなたも武力に秀でぬ口なのかと。」
「何か、今僕の悪口が聞こえた気がするね。」
そう
その後、彼女は背を向けつつ、
「では、御武運を祈るわ。是非ともまた生きて会いましょう。」
妹分達を引き連れて去って行った。その際に、振り返ってきた双子姉妹の大きな四つの眼が興味深げにこちらを見つめたことが、何故か僕の心に印象深く、鉛の破片が如き確かな質量で残った。
僕達は、そこで購入した食料、まさに某社のコンビニ弁当を流用しているそれを引っ提げ、適当に安全そうな教室に入って腰を落ち着けた。冷たい包装を解きながら僕は那賀島君に問う。
「で、何でゆくゆくに周組を裏切ることになるのさ?」
「もしかするとさ、君、周に惚れている?」
その、こちらの質問を差し置いて飛んできた那賀島君の言葉に、僕は、
「は?」
と返すのが精いっぱいであった。
「いや、君の立ち位置を確認しておきたいと思ってさ。どうも君、周の前だと調子を狂わせていたように思えるからね。もしかすると君が周のことを何らかの形で好いていて、それによってそういう質問、というか、彼女らを裏切りたくないという欲求が発生するのか、それともそうでなく、君の清廉さから来る嫌悪感なのか、あるいは、もっと即物的な戦術的懸念という意味で裏切り行為を嫌がるのか。はたしてどれなんだい? これを先に教えてもらえるかな。」
僕は返答に間を要し、挙げ句に返した言葉も上等ではなかった。
「その全部、かな。」
「へえ。周に惚れていて、裏切りは卑怯だから嫌だと思っていて、そして、彼女達を敵に回すのは不安だと。」
「大雑把に言えばそうなるけど、それぞれ少しずつ違うかな。まず、僕から周に対する感情は、そんな単純じゃなくて、なんだろうね、……憧憬というか崇敬というか、そんな感じがする。簡単に言えば、あんなに綺麗で堂々とした女性を見るのは初めてで、惚れる、という、相手を自分と同じ高さに持ってくる馴れ馴れしい感情ではなくて、もっと、こう、」
那賀島君が手の平を垂直に立てて突き出してくる。
「ああ、わかったよ、周についてはもういい。残りの点について話してもらえるかな。」
その中断によって、僕は自分が恥ずかしいことを述べ連ねていたことに気が付き、つい軽く眉を顰めてから、喋ることで少しでも羞恥の念を誤魔化そうと試みた。
「で、そんな感情を周に抱いているからこそ、彼女を裏切ることに対して嫌悪を覚えるのだと思うよ。君の言う、潔癖症から来る忌憚ではなくてね。
ええっと、最後に戦術的な意味か。これも勿論あるよ。周達からの庇護を失い、挙げ句、敵に回すだなんて、何らメリットを感じないどころか、容易に死因となる愚行に思えるもの。」
「成る程。」那賀島君の返事は早かった。「まあ、君が周をどう思おうと勝手だ、彼女が飛び切り見目麗しいのは客観的事実だし、あの性格も、好かれる者には徹底的に好かれるだろうからね。そして、そんな彼女に対してだからこそ、あえて裏切りや敵対をしたくないと言う気持ちも、まあ、仕方ないのかもしれない。
しかしだ、迚野、最後のは頂けないな。僕が周達を裏切りたいと思うのは――利発な君には言うまでもないだろうけれども――戦術的な目的からくる要求だ。」
「まあ確かに、戦術的なメリットがなければ裏切りなんてする意味がないよね。じゃあ質問を変えるよ。周を裏切ることで、どんなメリットが僕達にあるのさ。」
「まずだね、この同盟が、どうにも刹那的なものとしか僕には思えないんだよ。」
「どういう意味?」
「何せ相手が他でもない周だからね。ほら、君も聞いただろう、周の言葉をさ。部下達を妹と呼び、彼女達から姉と呼ばせ、そしてあの恥ずかしげもない宣言、絶対に妹達を守るという意志表明ときたものだ。そしてまたこれも重要なこととして、あの周の言葉を聞いている時の妹分達の表情といったらさ、まさに、預言者を見る信者の如きだったよ。(僕はその時に彼女らの顔を見ていなかったので分からなかったが、自分の裡に芽生えた周への感情を外挿することで、その陶酔の表情を想像した。)
あの、周組の水も漏らさぬ一枚岩、これほど恐ろしいものはないよ。これは敵としてだけでなく、味方としても、だ。巌の如き彼女達にとってはね、同盟相手の僕達なんてのはおまけもおまけ、こっそりと頂点部に生えたキノコみたいなものさ。周組と言う一枚岩は、然るべき時期が来れば、躊躇いもせずに身を捩って頭に生えたキノコを振り落とし、必要であればそのまま踏み躙るだろう、例えば、残り人数が九人になった時、つまり僕達二人を殺せば生還決定と言う状況とかね。勿論これは一例、それも最大レヴェルに遅いものであって、彼女達にとっての然るべき時期と言うのは、もっと早いかもしれない、というか寧ろ、恐らくずっと早い。
もしもあの時彼女達が、僕達二人を正式に仲間、あるいは部下として取り入れてくれるという位であれば、まあ、少しは周を信用しても良かったかなとは思ったけれども、しかしだね、彼女はそれを明確に拒否したんだ。これはつまり、『今すぐは敵対しないが、最後までのどこかでの時期で、必ずお前達と敵対するぞ。』と半ば宣言しているようなものでね。結局僕達と周達は、破局が運命づけられている仲なんだよ。
となればさ、裏切りをしかける方としかけられる方、つまり、背後から奇襲をしかける方としかけられる方、どっちが有利かなんて、言うまでもないよね。これが、僕が裏切りに積極的である理由だよ。」
彼の滔々とした語りを聞いた僕は、まず、それによって芽生えた二つの感情のうちの、まだ気楽な方を表明した。
「とても残念だけれども、君の言うことは確からしく聞こえるね。」
「分かってくれて何よりだ。僕達と周組は、仲良しこよしではいられないんだよ。」
「ああ、その点については分かったよ。彼女らとの最終的な共存は絶望的で、しかもその原因は向こうの組織体質であり、こちらとしてはいかんともし難く、故に戦うしかない、と。」
「素晴らしい、その通りだ。」
「ただ、確かめたいことがあるんだ。」
「うん? なんだい?」
この、僕の裡に芽生えたもう一つの感情は、口から出すのにとてもエネルギーを要求するものであったが、しかし、どうしても投げ掛けたいものであった。
「周と僕達の仲は決して保証されていない。いや、寧ろ、破局が約束されている。君はこう言うんだよね?」
「その通りだよ、迚野。」
「では、僕と君の仲って、どうやって保証されているのだろう。」
これを聞いた那賀島君は、流石に間を取ったが、しかし、顔の方はそこまで苦しげでもなかった。結局、放たれた返句の声音も軽やかである。
「全く、とんでもないことを言い出すね君は。まあ、真剣に考えて見よう。成る程、君からすれば僕はあの日突然現れた協力者で、右も左も分からない自分を何故か仲間として選んだ、謎の人物である、というわけだ。ここまで何となく仲良くしてきたが、しかし、あの周組との同盟が思いの外危うい、いや、不可避の破滅を伴うというとんでもない粗悪品であることに気が付かされた君は、急に、目の前のヨーヨー屋が信用出来なくなったわけだね。」
僕の心臓は高鳴っていた。
「那賀島君、我が儘なのだろうけれども、しかし、出来ればのこととして、この話は、完全に数学的な議論として行わせて欲しいんだ。周組と僕達の間の信用ならざる仲と、君と僕の間の少なくともこれまでは信用して来た仲、これら二つの仲の関係を、極めて冷たく、無味乾燥的機械的に議論したいんだ。これは、これから先に生かされる、とても建設的な議論だと僕は信じている。だから、つまり、」
「もしも忌まわしい結論が導き出されても、出来ることであればこれからも仲良くしようと、君はそう言いたいのかな。まあ、僕もそれは望むところだよ。そう出来るかどうかは、議論の行く末次第だけれどもね。」
「有り難う。では、まず、周組と僕達の仲、そして、那賀島君と僕との仲、これら二つの違いってなんなんだろうね。」
「それは簡単だ。先程も言ったように、周達五人が岩なら、僕達はキノコ。彼女らが小池なら、僕らはそこに見窄らしく浮かぶ玉虫色の油だ。ぴったりと寸分の間隙も許さずにくっつくことは出来るが――いや、だからこそ際立つこととして――彼女らと僕らは決して混ざりあわないんだよ。見た目、頬をすり合わせているかのような仲睦まじさを演じることまでは出来るが、しかし、その先は決して交わらない、絶対の他人だ。
ところが、僕一人と君一人の間でそんな問題が起きるかい? 周組と交われない最大にして唯一の原因は、彼女ら五名の間での結束が余りにも固すぎるからなんだよ。結束も何もない孤独な者同士の僕達で、どうしてそんな心配が起きようか。膾を喰うのに火傷を心配するようなものさ。」
「分かった。では、次に訊くけれども、僕と那賀島君の間で裏切りが起きない、という保証は得られるのだろうか。」
「それについてだけど、まず、最初に特殊なケースだけ論じてしまうと、最後の八人の生き残りに僕ら二人が含まれ、その人数状況を僕達が認識している場合、これはちょっと難しいかもしれない。この状況で裏切らないメリットは確かに希薄だ。まあ、どうやって残りが八人であることを知るのかと言う問題があるから、あえて最終盤で人数を把握しないようにするという、つまり、血眼になって残り人数を調査したりしないようにするという防止策は簡単、というか、取らない方が大変だけれどもね。寧ろその禁忌を破る方法、上手く正確な残り人数を把握する方法を知りたいくらいだ。
そしてね、他の状況ではそもそも殆ど裏切りにメリットなんてないよ。例えば、ポイント狙いでの殺害としての裏切りについて少し考えると、そんなことをすべきタイミングなんて存在しないことが分かるはずだ。まず例えば、『今すぐ』というのは目茶苦茶だよね、使い切れるかどうか怪しいほどのポイントを同じだけ、……この同じと言うのが後々重要なのだが、とにかく、互いに大量のポイントを持っているのに、わざわざ相手のポイントを奪う必要、つまり、殺し合いで多大に生命を危険に晒し、貴重な仲間を失い、まず使い切れないポイントを得ることのメリットなんて、皆無と言っていいだろう。
では、ポイントを大方使い果たした後ではどうか。これも殆ど意味がない。だって、自分のポイントが空っぽということは、そう、もともと互いにほぼ同じポイントを持っていた筈なのだから、もう一人のポイントだって高が知れる。やはり、仲間を失ったり戦闘で命を懸けたりするリスクの方が利得よりも大きいだろう。
つまりさ、ポイント狙いで僕らが殺しあう理由なんて常にないんだ。そんなことをするくらいなら、他の人間を襲った方がましだし、そもそものこととして、この先ポイントの心配が起きる可能性は非常に低いしね。
他の裏切りの可能性として、例えば僕が――あくまで例えばとしてだよ?――井戸本組と組んで、手土産に君を売る、そういう策謀について考えて見ようか。これに関しては確かにメリットがある状況が多そうだ。しかしね、メリット云々の前にどうやってこれを実行するんだい? 僕と君が離れるのは、せいぜいトイレやシャワーの利用と、その間の見張りとを交代でする時、それも数メートルくらいもので、それ以外はずっと一緒にいるんだよ? いつ、井戸本組と、いや、井戸本組とは限らないけれども、とにかく第三者と繋がる暇があると言うのさ。」
「いや、端末があるじゃないか。」
「端末だって?」
「そうだよ、この端末は右手首から取り外せないし、破損したら即交換することになっているのだよね?」
「その通り。破壊された際は、他人の端末か、自動販売機の脇に設えられている電話機で速やかに申し出ること。破壊が故意でないことを認められれば、一時離脱して再び端末が取り付けられることになっている。申し出るのが極端に遅かったり、あるいは破壊が故意であるとされた場合、つまり、この一時離脱を利用した何らかの企図が疑われる場合は即失格という取り決めだ。まあ疑わしきは罰せずでやっているそうだけれども、牽制にはなるわけだね、万が一にでもこんなことで失格退場になっては堪らないもの。」
「つまり、端末は戦闘時の事故でもない限り壊れないのが前提であるわけだよね。そして、このサバイバルでは各所にシャワー室が設置されており、各員の都合でいくらでも浴びることが出来る。」
「そうだね。」
「以上二点、端末は破壊されるべきでないと取り決められているということと、そして、シャワーが浴び放題になっているということ、これらを合わせればおのずと導かれる結論として、この端末は完璧な防水加工がなされている筈だ。」
「ああ、恐らくそうだろうね。というか迚野、実際君も何度かシャワーを浴びたじゃないか。」
「防水のレヴェルは一度や二度じゃ分からないし、もしかしたら水を掛けながら操作したら痛むのかとか、そういう可能性は試してないからね。一応論理立てもしておきたかったのさ。」
「まあ、シャワー浴びながら端末を操作することなんて普通ないよね。」
「それはどうだろうかな!」
「……ん?」
「そこなんだよ、僕が気にしている可能性はさ! シャワーの時、あるいはトイレの大きい方の時は見張りを立てる必要があるから、どうしても一人ずつになるよね。特にシャワーだよ。学校のトイレの中でぼそぼそと通信されても、そういう個室は大抵ドアの上下に隙間が大きく空いているから声が抜けて気が付けそうだけれども、もしも、水音豊かなシャワー中にこっそりと端末でどこかと通話されたら、果たして見張りは気付けるだろうか。きっと、難しいんじゃないか。」
「成る程。しかし、しかしだ、その点について、……いや、シャワーがどうとかという細かい話を無視しても、僕は、『密かな端末通信一切に関して潔白であることを証明することが可能』、である可能性がある。そうだろう?」
「ああ、その通りだよ。実際に君がその可能性に当てはまると良いんだけれどもね。」
ここまで来て、僕はようやく要求を切り出すことが出来る。
「さあ、那賀島君、君の端末の、通信可能な相手のリストを見せてくれないかな。」
得られたのは即答だった。
「ああ、幸い僕はこう言うことが出来る。勿論構わないよ、迚野。」
彼はそう言いながら端末のボタンを僅かに――それは、一切の欺瞞の
「これ誰?」
自然に出たこの声音には、最早疑懼などは含まれておらず、まるで見知らぬ草花の名を問うかのような調子だった。
「ん? ああ、以前話したよね、このサバイバルには情報屋を気取っている男がいる、と。」
「ああ、何となくは聞いていたよ。」
「つまりこれがその男で、ほら。」
その言葉と共に那賀島君がまたボタンを一つ押すと、再び画面が切り替わる。
「これが、僕と佐藤壮真との間の通話履歴の一覧だ。どうだい、最新で二週間前だよ? 君がここに来る前の話だ。」
僕は、その画面に表示された数字の羅列をじっくりと眺めてから、顔を上げ、
「分かった。これで、君が秘密の通信を行っていないことが無事証明されたね。よかったよ。」
「ああ、本当に良かった。今度近いうちに君の前で佐藤と話して、手を組む様な相手でないことを示そうと思うし、また、この先も度々君に通信記録を見せれば、やはり僕がこっそりとした通信を佐藤と、そして他の誰とも行っていないことが証明出来るだろう。
では、一度纏めよう、君の初めに提出した疑問、『僕と迚野の間の仲は如何にして保証されるや。』、に対する議論の、ここまでの結果についてね。
まず、周達と僕達の間の仲が刹那的であるにも
次に、では具体的に僕らの間での裏切りが決してありえないという保証が得られるか、という問いだったけれども、今のところ答えはイエスだ。第一に、生き残りをきっかり七人にする為の裏切り殺人は、残り人数を把握しないという、努力でも何でもない、最早行為と呼ぶのも躊躇われる程の消極的挙動によって簡単に、しかし完璧に防ぐことが出来る。よってこれはありえない。第二に、ポイント目当てでの裏切りは、然るべきタイミング、つまりそれによって利得を得る時機が存在しないから、やはりありえない。第三に、他所の組と手を組んでの裏切り行為は、そもそも他人と秘密裡にコンタクトを取る手段がないから不可能だ。以上より、僕らの間で裏切りが起こる可能性は0%となる。どうだい、反論は有るかな。」
「有るよ。」
その気軽に出た僕の言葉を聞いて、那賀島君もまた気楽そうに、
「おや、これは意外だね。言って見てよ。」
「君は、裏切りのパターンが三つに分類されると勝手に決めつけて、それらに対する否定を述べただけだ。ここから可能性を0%と主張するのは酷い誤謬だよ。本来ここでは、その第一、第二、第三とやらが全ての状況を包含している証明が、その、おそらく不可能な証明がなされることが、しかし、必要なんだ。」
「成る程ね。」那賀島君は楽しそうだった。「確かに君の言う通りだろう。0%という幼い表現など使わずに、せめて、極めて小さいと言うべきだった。しかし、恐らく今君がしたいのは、そういう揚げ足取りではないだろう。では具体的にさ、僕が言及していない裏切りの可能性って、君は例示出来るのかな。」
「勿論。」
「ではそれも言って見せてよ。」
「君の議論は暗黙裡に、僕と君が互いにある程度高度な、まっとうな理智を保持し続けることを前提としているよね。半分くらいは、損をするから裏切らない、あるいは得をしないから裏切らない、と言う形で保証しているもの。つまり、触れられていない第四の可能性として、僕あるいは君が何らかの理由によって大いに理性を喪失した場合、狂った頭の中でそれらのロジックが崩壊して、なんら戦術的意味のない愚行としての裏切りを無意味に敢行する、この可能性が残っているよ。」
那賀島君が少し声を出して笑う。
「馬鹿を言いなよ迚野、気が狂ったら何をするか分からないだなんて、そんなことを言い出していたら切りがない。」
「その通り。今僕が言ったのは最低の悪足掻き、最後の鼬っ屁で、何でこんなことを言い出したのかというと、他に言うことがなかったからさ。
つまり逆に言えば、もう僕にまともな反論材料は残されていない。」
彼の目をしっかりと見ながら、僕は右手を差し出した。
「さっきも言ったように、僕はこの議論を始めるにあたって一切の悪意を伴わなかった。でも、やはり謝らせて欲しい。妙に疑って御免、那賀島君、これからも宜しく。」
那賀島君は友好的な表情を崩さなかったが、しかし、僕の手は一向に握られず、彼は端末を更に弄りながら、
「握手もいいけれどもね、ここはどうだろう、周の時と同じ趣向で友誼を証明すると言うのは。」
この時浮かんだ疑問は、一瞬の内に解決した。
「ああ、そうか。僕達、通信先に登録しあっていないのか。」
「まあ二人きりのうちは特に必要ない筈だけれどもね。一応やっておいた方が良いだろう。」
僕はまた曲げた腕を突き出し、那賀島君の端末に向けて自分の端末を接触させる。一度周の手解きを受けた為に幾らかスムーズになったその所作は、この友愛の儀になんら印象を残さず、登録は、那賀島君の手慣れたボタン操作によってあっさりと完了した。僕はその、那賀島君と周の名前のみが並んだ自分の通信先選択画面を見て、ふと疑問を得、それをそのまま一切吟味せずに口から放り出した。
「那賀島君ってさ、過去の仲間って、登録していなかったの? 例えば串山とか、あとは、それ以前にも誰かと組んでたような雰囲気を感じているのだけれども。」
「ああ、この登録なんだけれどもね、登録先の人間が死亡して失格になったらその度に削除されるんだよ。僕の登録先が三件しかないことに深い意味は一切ない。」
「ああ、そういうことか。」
僕はそう適当に答えてから、那賀島君が、過去に仲間と呼んできた人間全てと死に別れているという凄惨な事実を表明していたことに気が付き、その、いかにも御座なりだった言葉の調子を少し後悔した。
30 周組、霜田小鳥
私と霧崎は、優雅にお休みになる周姉様と、単に眠る霊場姉妹を守る為に、二人だけで薄暗い部屋の中覚醒していた。暗いとは言っても、今はまだ外の日が出ている時間帯であり、この階段教室に備えられた安っぽいカーテンは、完全に閉めてやったのにも
「ねえ。」
「何だ、霧崎?」
私は月の民の声に素直な返事を寄越した。潜められた我々の声は、姉様と双子姉妹の寝息を露ほども乱さない。
「いや、暇で死にそうだからさ、また、霜田の髪でも切ってあげようかなって。」
そう言われて私は思い出した。成る程、最後に髪を切ったのは半月前だったかな。丁度そろそろ前髪を邪魔に感じていたところだった。
「いつも済まないな、宜しく頼む。」
「はいはいー。」
私は椅子に座らされ、そして、窓ではなく扉にかかっていた、すなわち遮光には役に立っていないカーテン、霧崎が容赦なくぶちぶちと引き剥がしてきたそれを外から巻き付けられて、言ってしまえばてるてる坊主の様な姿になっていた。念の為にとカーテンの下で自分の傘を握りしめているので、ますます窮屈を感じる。
「じゃあ始めるね、動かないでよっと。」
霧崎が、以前どこかから拝借してきた鋏を使って私の髪を切り始めた。彼女は何かと器用な奴で、我々の髪は全て、彼女自身のものも含めて、この鋏と手で切り揃えられているのである。周姉様のお御髪に初めて霧崎が鋏を入れた時は、それが最初に彼女が見せた調髪作業だったこともあって、実にはらはらして見守ったが、その存外美事な出来栄えに驚かされたものだった。
しかし、たまたま今日は私達がシャワーを浴びた日で良かったな、汚れた髪を切らせるのは流石に忍びない。……いや、そもそもそんな日だったら霧崎がこんなことを言い出さないのか。
「ふんふん、」
不鮮明な何かを口の中で唱えながら作業を続ける霧崎に、私はふと、以前からの疑問をぶつけてみようと思い立った。
「なあ、霧崎。」
「ん? どこかお痒いところでも? 後でセルフにてどうぞ。」
私はその諧謔に満足して軽く笑い、それから言葉を返した。
「以前から聞きたかったのだがな、」
私は一度そこで言葉を切って、霧崎の手が私の髪から離れるタイミング、つまり多少彼女の手が乱れても怪我をしなくて済むタイミングを狙って話を続けた。
「何故お前は、〝ジャック〟という呼ばれ方をあそこまで嫌うんだ?」
背後で霧崎の手が止まる。巻き付くカーテンに縛められた私は振り返ることが出来ず、俄に噴出してきた刺々しい沈黙をまともに感ることとなった。そのむず痒さに私が耐え難くなった頃、ようやく霧崎は口を開いてくれ、
「そもそも、霜田はさ、アタシの悪名が轟いた原因を知ってる?」
再び得られるようになった、髪を優しく引っ張られる感覚と小気味よい切断音との繰り返しに安心しながら、私は霧崎の問いかけに答える。
「ああ、知っているとも。その頃は私とお前は他人、あるいは敵同士だったからな。他の一般の学徒と同様、恐ろしい噂としてお前の評判を聞いていたよ。」
「そう、あの、このサバイバル開始直後の、今よりもずーっと多くの人間が、まさに普通の学校くらいの密度でここに居て、そして、その誰しもが狼狽え、躊躇っていた時期。自分の命の為とは言え、突然人を殺すことなど、技術の面からも道徳の面からも出来るものかと、皆が木偶の坊になっていた時期。
でもね、私は早速大して躊躇わなかった。だって、あのルールを知らされたら分かるじゃん、ここでは、惨たらしく他人を殺すか、惨たらしく他人に殺されるか、そのどちらかしかないということがさ。で、ここで何もせずに殺されるくらいなら、もともとこんな地獄に参加せずに、家なり病棟なりで大人しく死を受け入れていたっての。アイツらだって、何をしてでも生き残る、そういう覚悟があるからこそ、このサバイバルに参加しに来た連中のくせにさ、その当時私の目に入った奴らは、どいつもこいつも半端者のおたんこなすばっかりで、殺す覚悟も殺される覚悟もなく、ただ、うじうじぐじぐじしていた。私は、もう、そのクソみたいな、背骨が抜けてんじゃないのかと思わせる腰抜け達を見て、もう本当に苛立ってさ、高校で見知ってた連中の固まってる中で爪を噛んでたんだ、一人教室の片隅で。
そんな中でさ、善人ぶった、私のクラスで委員長をやってた野郎がさ、何か言うわけ、『霧崎さん、そんなに……』……ああ、具体的にはもう忘れたけど、とにかく、ヴィールスに感染して大変な事になったけれども、皆で頑張ってこの苦難を乗り越えよう、とか、馬鹿みたいな戯れ言をほざくわけ。もう、私は我慢出来なくなって、その馬鹿野郎の頭を、握っていた傘で思いっきりひっぱたいたんだよ。そしたら、そう、そいつの首から上がねじ切れて、教室の反対側まで飛んで行った。その直後に血が、そして、一瞬だけ遅れて叫び声がそれぞれの然るべき場所から噴出して、そう、恐らく私のしたこれが、このサバイバルにおける最初の殺人だよね。
その後の事は良く憶えていないけど、案の定、私に対してピンボケな罵りを投げてくる馬鹿が居たような気もするけれども、とにかく私は、その部屋中にいる腰抜け達を片っ端からひっぱたいて、つまり、殺してった。殺して殺して殺しまくった。で、その時に逃した何人かが、つまり私にとって旧知の存在のアイツらが、行く先々で私の名前や姿を言いふらしたんだよ。きっとね。」
思いの外長かったこの霧崎の語りを聞いて何を返そうか困った私は、実的なことを訊ねて乗り切ろうと思い立った。
「もしかすると、かつてお前があれだけ大量のポイントを所有していたのは、殆どその時期に得たものだったのか?」
私の腹を察してか、それとも生来の適当さか、とにかく霧崎も軽い調子で応えてくれる。
「えっとー、『殆ど』というのは少し違うかな。でも、大体はそうだよ、私のポイントの結構な部分は、最初期の混乱に乗じて稼いだもの。あとは、あまねえ様に出逢ってから、少しでも雑魚共の数を減らそうとして頑張ってたら、って感じ。」
「成る程。」
ここで私は、彼女が私の最初の問いに答えていないことに気が付いた。わざとはぐらかしたのかとも一瞬思ったが、すぐに、霧崎がそんな賢しい真似をするわけがないと思い直し、もう一度問い質す。
「それで、何故お前は、〝ジャック〟という呼ばれ方を嫌うのだ?」
すると案の定霧崎は、
「あ、そっかそういう話だったね。」
「あれは明らかに英国の〝切り裂きジャック〟に肖った異名だよな。あの事件がそんなに嫌いなのか? 勿論、あのジャック本人は極悪人であろうが。」
彼女は歯切れ悪く、
「あー、いやさ、私もさ、私自身の名前が『ハナコ』とか『スズエ』とかだったら何も言わなかったと思うよ。あの〝切り裂きジャック〟に重ねられること事態は、武勇を表すと言う意味では、そこまで不名誉でもないだろうしさ。」
これを聞いた私は彼女の、我々四名の中で〝春〟を担う名、『若菜』について
「もしかして、『若菜』の〝若〟と〝ジャック〟が掛かっているのが気に入らないのか?」
「そう、それだよ!」
その声と共に、霧崎の手中の鋏が高い音をたてて、私の金髪を一房ばさりと切り落とした。おい、それ、ちゃんと計算された断髪なのだろうな。
「私のこの名前とこの身はぁ、あの傘を除いたら、
またも鋭い音と共に私の髪が一塊散った。私はその床に拡がる藁のような髪を眺めて、どうせ見てくれを気にしても仕方がないこの状況においても尚自らの髪形の出来栄えを気にするという馬鹿馬鹿しい女っ気を、霧崎のことを見直すという真剣な情感に混入させるのであった。
31 井戸本組、絵幡蛍子
我々井戸本様に与する者らは、緑川班の受けた襲撃を受け、その下手人共、葦原組の連中を探す為にいつもよりも積極的に外を出歩いていた。こういう
しかし、相手が何人であろうと、いや、少人数だからこそなのだが、その居場所を見つけるというのはなかなか苦労する仕事だ。果たして我々綾戸班三名は、食料の為の逸れ狩りも含めて、何ら成果を出せずに塒へ帰還している
「こちら綾戸班!」
この声に呼応するように白杖が引っ込み、代わりに、女の顔が角から慎重に出て来てこちらを窺った。その綱島の真剣な表情はすぐに緩んで、
「ああ、あなた達もここに居たのね。」
彼女は白杖をつく緩鹿を引き連れて角から出てきた。彼らは二人きりの班なのである。
「どう? そちらの結果は?」
「うーん。何もないかな。」
「それは残念、こっちは緩鹿が一人仕留めてくれたのだけれどもね。」
「へえ、やるね。」
その班長同士の、然程益のなさそうな会話を聞いていた私は、いつもの癖ででしゃばった。
「綱島さん、そちらも帰還途中かしら?」
「ええ、そうだけれども。」
「どうなのかしら。どうせ無目的の移動ならば、普通に考えたら同行するのが安全なのでしょうけど、何せ、こちらの綾戸さんの聖具と、そちらの班の戦術は相性が良くないし。」
彼女は少し考え、それから綾戸に向かって言った。
「それでもやはり、人数が多い方が安全だと思うわ。ただ、戦闘になる時には基本的に私達に任せてもらえるかしら。」
「うん、いいけれども。」
綱島は綾戸一人への注視から、我々三人全てを含む方へ向き直して、
「ところであなた達、戦闘時に私の出す掛け声って憶えている? いや、私と緩鹿とだけの時には使わないのだけれども、あなた達と同行するからにはちゃんと合図を出さないとね。」
綾戸がぼんやりと答えた。
「ええっと、なんだっけ、ファールじゃなくて、スティールじゃなくて、……ボールデッド?」
私と紙屋が呆れ、綱島も諭すように目を閉じて首を振りつつ、
「あなたね、当てずっぽうに野球の用語を並べればいいってものではないのよ――そもそも野球とは関係ないのだから。……まあ、教えなおすからよく聞きなさい。いい?」
ここから先のことは一瞬であった。彼女がそう喋りながら瞼を上げると、その目が、そのまま皿のように見開かれたのだ。その焦点はどうやら、我々より遥か後方に向けて合わせられているらしく、また、綱島の顔面の血の気はあっという間に消滅していた。彼女はこの上なく慌てつつ、首から提げた聖具、一眼レフカメラに手をかけ、その細い体に似合わぬ太い声で叫びだす。
「
私と紙屋は、その合図を聞いて目を閉じ、顔を伏せた。綾戸も無事そうしてくれたことを祈っていると、私の横を何者かが駈けて行く。これは緩鹿だ。そして今頃恐らく綱島は、目一杯に伸ばした腕の先にカメラを構え、自分もまた目を固く閉じつつ顔を背け、今から起こることに対して備えているに違いない。
彼女の叫び声が再び聞こえた。
「
その刹那、綱島のカメラが焚いたフラッシュによる、暴力的な、目の前で恒星が爆ぜたかのような凄まじい光量が、瞼を乗り越えて私の目を襲う。そして間髪容れず、私の後方で目を眩まされたらしい何者か達の呻き声が聞こえ、彼らの声はすぐに断末魔のそれに切り替わっていった。
目の調子が直ってきた私が瞼をあげて振り向くと、いくらか離れた先に、四人分の死体に囲まれた緩鹿が悠然と立っている。彼の白杖は新鮮な血を滴らせ、赤の面積を増していた。
「こいつらだけのようだったね。後ろからこっそり襲おうとするとは、まるで油断ならない話だ。しかしいやはや、無事にすんでよかった。」
彼はそう呟いてから、忌まわしい付着物を払い落とす為に白杖を振り回す。その際、杖の先端が廊下の壁に埋め込まれた柱に当たったのだが、まるで、その柱がプディングか何かで出来ていたのかと思わせるほど、彼の杖は抵抗なくそこを通過し、柱をいとも容易く抉った。盲人の白杖、毎日絶対の信頼を寄せるそれは自然と、この上のない威力を誇る聖具となるのであろう。そして彼のハンディキャップは、綱島の聖具によってキャンセルアウトされるのだ。こうして彼ら綱島班は、我々の中でも飛びきりの実力を持つ者達と評されていた。彼らが僅か二名から班を構成していることが、その高い評価を示す証左の一つである。
「ねえ。そっちの班長さん、大丈夫?」
綱島の、元通りの女らしい声にはっとした私は、すぐ横で蹲っている綾戸の身を引き起こさせた。
「綾戸さん、どうなの、ちゃんと見えるの?」
彼女は何ともなさげな顔を上げて、
「うん。大丈夫。流石の私でも、ああやって叫ばれたら感づくよ。そっか、〝スクイズ〟だっけ。もっと普通の言葉にしてくれればいいのに。」
綱島が再び呆れ顔を得て、言った。
「別に、『目をぎゅっと閉じろ』という意味で『
「え? 何て?」
綱島は困ったように口をもごつかせて、
「ええっと、だから『スクイズ』よ。とにかく、この単語の意味から離れた使い方だとは思わないけれども。」
「もっとさ、分かりやすく『クローズ』とか『シャット』にしちゃ駄目なの?」
「分かりやすかったら意味が薄れるでしょう。敵前で使う掛け声なのよ?」
「ああ、そっか。念入りだね。」
またしても益のなさそうな会話を繰り広げる班長達を、今度は紙屋が邪魔した。
「綱島、本当に危ないところだったけれども、お前達のお蔭で助かったよ。礼を言う。」
「あら、どうも。しかし、廊下で周囲への警戒を解くという危なっかしい真似をしたのは我々双方にとって反省事項よね。と、言うわけで、」
彼女は堂々とした、指揮者のような手振りと共に言葉を続けて、
「これからその襲撃者四名の端末やらなんやらを漁るわけだけれども、私がこちら側を見張るから、綾戸、あなたが反対側を見張って。そして誰か来たりして危なくなったら躊躇なく聖具を振るい、先手を取りつつ他の者へ危機を知らせる、と。死体漁りそのものは紙屋と絵幡にお願いするわ。」
「僕は?」と、緩鹿の問い。
「そうね、あなたに調べさせるわけにも行かないし、見張り役の護衛でもしてもらえるかしら。危なっかしいから綾戸の方について彼女を守る…… いや、違うわね。トライアングルで耳をやられたらあなたも動けなくなるだろうから、私の方についていて。」
「諒解。」
各々が綱島のきびきびとした指示に従う中、紙屋と共に死体の辺りにしゃがみながら私は思った、やっぱり班長ってこういう、頼もしげなものだよなぁ、と。
32 葦原組、躑躅森馨之助
話を一応の形に纏めた俺達は、早速彼方組へ聯絡を取ることにした。何せ命が懸かっている以上、行動が早いに越したことはないのだ。葦原の兄貴が端末を操作し、佐藤を呼びつける。
『はい、毎度どうも葦原さん。佐藤です。』
「いつも済まんな佐藤。頼みたいことがあるのだが。」
『なんなりと仰って見て下さい。僕に出来ることであればお受け致します。』
「彼方海斗へ伝言を頼みたい。」
『ああ、そういう話ですか。勿論可能です。』
「いくら出せばいい?」
『葦原さんにはよくしてもらっていますからね、1ポイントも下されば結構ですよ。』
「それは有り難い。」
兄貴はそう言いながら俺へ視線を寄越す。それに従って、俺は佐藤にポイントを送信した。俺が左手でOKサインを作ると、兄貴は、
「送った筈だ。」
『ええっと、はい、確認しました。では、文面をどうぞ。あまり長くないと助かります。』
「では言うぞ、」
俺は、先程三人で考え抜いた文面を兄貴がぶつぶつと佐藤に告げるのを見て、事態が転がり始めてしまったことを気重く実感するのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます