27節

27 武智組、簑毛圭人

 僕の身は出し抜けに、いや、本当は相応の前段階が世界では行われていたのだろうけれども、意識を無くしていた僕にとっては実に出し抜けなこととして、そっと、ゆさゆさと揺すられた。

「ほら。起きて、圭人君。」

 声といい揺すり方といい、箱卸さんの、本当に起こす気があるのだろうかと訝らせるその優しい仕打ちの前に、僕は逆に難儀したが、それでも何とか覚醒しきることが出来た。

「お早う。交代だよ。」

 僕は眠い目を擦る。今の今までは、僕が眠り、箱卸さんがそれを守るという当番であった。そして交代と言うことは、箱卸さんが狩りに出て、僕が眠る仲間の見張りになるという算段の筈だ。この、見張りの前の微睡みは、今日、そしてこれから少なくともしばらくの間、僕らに唯一与えられた睡眠時間であり、故に、十全な睡眠を取ることが要求される筈なのだが、しかし、僕は全く寝たりなかった。先程僕がここに戻ってきた時、僕を守る見張りとして出迎えた箱卸さんが、起きたばかりの筈なのに早速今にも倒れそうな蒼い顔をしていたものだから、僕は彼女の話、以前も聞かされた不安を繰り返すそれを親身に聞いてやり、懸命に励ましてやったのだ。そうしてようやく彼女に笑顔が取り戻された時に、時計を見て見たら、……うわぉ、という話であったわけだ。箱卸さんは、あの優し過ぎる起こし方にも表れていたように、この睡眠不足に関する責任を感じ過ぎるくらいに感じているらしく、僕の顔を健気に覗き込んでくる。つい先日まで一切の感慨を僕に与えず、むしろ痛ましい鼻筋のせいでもともと少ない見目麗しさを更に毀たれた、その近過ぎる顔は、今や不思議と、僕の裡に何かとても好ましいものを萌え立たせる力があった。僕は彼女を押しのけるようにして立ち上がる。

「さあ、行っておいで。」

 僕は心配ないからさ、と本当は続けたかったが、他の仲間が戻ってきている手前口には出せず、声音やら表情やら身振りやらに、その思いを懸命に、初詣での祈願よりも余程真剣に僕は込めた。それが通じたのかどうかは分からないが、箱卸さんは、

「うん!」

 と元気に、竿漕さんや筒丸さんと一緒に発って行った。彼女と竿漕さんが共に行動するというのには、一抹の不安を覚えるけれども、まあ少なくとも、ここで彼女らが二人きりになるよりはマシだろう。

 箱卸さん達が去って行くと同時に、僕は全く意味のない起立状態を放棄して、どすんと座り込んだ。

「おや、疲れが取れてないのかい。」

 これから休む手筈になっている武智君が、あまり聞いて欲しくないところに話題を伸ばそうとするものだから、僕は急いで逆質問を繰り出した。

「そんなことはないよ。それよりもさ、どう? 何事もなかった?」

「いや、」武智君の返事は早かった。「あったよ。目茶苦茶にあった。」

「収穫が?」

 僕のその子供っぽい問いかけに対し、武智君は心底申し訳なさそうに、

「済まないね、あまりいい話ではないんだ。いや、悪い話でもないのだが。言ってしまえば、ジャックに遭遇したんだ。」

 僕は驚いた。

「ジャックだって? え? 無事だったのか?」

「それは御覧の通り。」

 ああ、それもそうか。武智君は気取った、その、男にしては細い腕を翼のように拡げたポーズを収めてから続ける。

「まあ、確かに危なかった。竿漕がこう、いつもの通りに、……ああ、そうか。まだ親しみがないだろうが、そのうち君も見慣れるだろうこととして、竿漕が掘返べらで床を、スコップで土に対してするみたいに、こう、ざばっと掬い上げたんだ。そうすると、床だったものの飛礫が敵の方に飛んで行って、すなわち、敵がそれへの対処に追われる間に僕らは逃げ果せることができた、と。」

 正直聞いていてもあまり想像が追いつかなかったが、まあ、武智君の言う通り、しばらくすれば僕の脳裡にも竿漕さんの戦闘時における所作が収められるだろう。その後、彼はいかにも参った顔をして、

「と言うわけで、命からがら逃げ延びた僕は物凄く疲れているんだ。早速眠らせてもらうよ。」

 僕は、話題の転換という企みがあまりにも上手くいったというこそばゆい快感と、粘っこい寝不足とがそれぞれ精神に纏ったために、そのまま武智君に「お休み!」と言ってしまって楽になりたい衝動に駆られた。いや、実際そうしようとして一度口を開いたのだけれども、しかし、そうやって僕の口内の湿り気と冷たい外気とが交わった瞬間に、ふと、先程ここに戻ってきた時に見た、箱卸さんの蒼白く忌まわしい表情が思い出されたのだ。もう僕は二度と、あんな顔を見たくない。つまり、二度とあんな顔を箱卸さんにさせたくない、それも絶対にだ。結局、安直な挨拶を口から吐き出す代わりに、僕は深く息を吸い込んで意を決した。

「武智君。」

「うん?」

「少し、話をさせてもらっていいかな。」

 疲れているところ申し訳ないのだけれども、とか、今、とか、そういう余計な言葉を混ぜ込まないことで、僕は逆説的に真剣さを彼へ伝えようとした。その試みが功を奏したのかは分からないが、武智君も神妙な顔を拵え、こちらに向き直してくれる。

「何だい?」

 気持ちの準備だけを済ませて、論理立てを満足にしていなかった僕は、少し口ごもり、挙げ句安直なところに逃げ込んでしまった。

「君のさ、ポイント収支履歴を見せてもらえないかな?」

 これを聞いた武智君の顔は、全く晴れやかでなかった。その大きな目で訝しげに見つめられて、僕は少し恐縮する。

「お安い御用ではあるが、しかし、意味不明だ。訳を話してくれるか、簑毛。何故、突然にそんなことを言い出した? 何故そんなものを気にし始めた?」

 やはり、安易な行為と言うものはロクな結果を招かない。仕方がなくなった僕は目の前のリーダーに対して詳らかな白状を始めた。あの日箱卸さんの突然零して来た、言葉、不安、疑懼、色気、体温、……ああ、最後の方については噤んだけれども、とにかく、僕は武智君相手に腹を割ったのだ。この僕の、飛び降りるような覚悟を、しかし、武智君は何とも思わなかったようだった。

「馬鹿だな、君達は。僕達が勝手にポイントを使い込んでいるだって?」彼は毒のない笑みを保ったまま続ける。「今君も思いついたように、そんな不正なんて、ポイントの履歴を見れば一発で露見するではないか。そんな浅はかな真似、誰がするものだろうかね。」

 そう言いながら端末を操作した武智君は、その履歴画面をこちらに向けてきた。僕は覗き込むが、確かに、そこに怪しい点などは一切なく、まさに僕や箱卸さんと同程度に餓えている人間に相応しいポイント収支、貧者の通帳である。

 彼は続けた。

「僕と竿漕と筒丸、この三人の聖具を見比べてもらえば分かると思うのだが、この中で最も直接ポイントを得やすい、言い直せば、最もとどめを刺す機会が多いのは断然僕だ。筒丸の聖具は、日頃便利ではあるけれども戦闘ではリーチがやや短くて癖がある、勿論それでも十分頼もしいのだがね。竿漕の聖具は、どうしても素早い取り回しが難しいから、専ら遠距離若しくは中距離からの牽制や、あるいは楯代わりの運用になるから、やはりとどめを刺すことは少ない。まあ勿論、まだ不安なら彼女達それぞれのポイント履歴を確認してもらっても構わない、特に筒丸は何ら疑いもせずに見せてくれるだろうさ。ただ、竿漕は何かと鋭いからな、今君が僕相手に犯したように、事情に感づかれてしまう可能性があるだろうし、ちょっと彼女相手には躊躇って欲しいがね。君も、竿漕の穿鑿の恐ろしさと煩わしさは想像出来るだろう?」

 その最後の言葉に対する完全な同意と共に、僕は武智君の偉大に対して深く感心した。この、目の前に居る我らがリーダーは、色々なことを、例えば箱卸さんの裡に芽吹いた疑念と不信がチーム内に拡がったら不和や破滅を招き得るということなどを、しっかりと把握して、そして心配することが出来ている。そして彼は、その大きな眼をこちらへまともに向け、清々しく話してきているのだが、こんな男が、僕や箱卸さんを喰い物にする為に欺瞞を吐き続けているなどとは、想像もすらも出来なかった。

「とにかく、その、箱卸の様子は気掛かりだ。簑毛、彼女を頼んだぞ。僕から話しても胡散臭くなるだろうから、君だ、君からからこそ彼女に良く言い聞かせてやってくれ。」

 その、小鼻の陰にすら誠実さを潜めているかのような彼の表情を見て、僕は思う。やはり、こんな男を疑うなど馬鹿げているだろう。明らかに、僕や箱卸さんを含めた仲間のことを思ってくれている男の顔だ。

 そうして僕は心底安心し、更に、この安堵を箱卸さんと一刻も早く共有したい気持ちに駆られた。ただ、この頼もしいリーダーに相談しておきたいことが、もう一つだけあった。

「分かった。ただ、どうしようか。君にこの話が露見したことを、僕から箱卸さんに話した方が良いのかな。」

 彼の歯切れは良くなかった。

「どうだろうか、難しいところだ。まあ、その辺は当意即妙に頼む、彼女の人柄を良く知っているのも、彼女の誤解と苦悩の委細を良く把握しているのも、僕ではなくて君の方だろうからな。」

 僕が頷くと、彼はすぐ横になって瞼を閉じた。

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