22節から26節

22 那賀島組、迚野良人

 場所をまた高校側に変えていたのだが、相変わらず、〝狩り〟の成果は芳しくなかった。というかゼロだ。いじけた僕たちは、道中で立ち寄った自動販売機から購入した軽食を握りしめつつ、適当に安全そうな部屋に忍び込んでいる次第である。

 座り込んだ僕はパンの包装を剝きながら那賀島君に訊ねた。

「那賀島君って、のことに大分詳しいみたいだけれども」

「それは、君よりも二ヶ月長く生き延びていているからね。」

「いや、単純なそれ以上に、何やら詳しい印象を受けるんだよ。」

 那賀島君の返答には妙な時間がかかった。

「まあ、色々とあってね。」

「でさ、色々訊きたいのだけれども。例えば、那賀島君が知っている中で、一番やばい人、参加者って誰?」

「ああ、それはね、」即答だった。「〝ジャック〟だね。間違いない。『一番強い』とか『一番生存が有力』とか訊かれたら困るけれども、『一番やばい』となったら、ジャック以外に有り得ない。」

「ジャック?」

「これまでに百人以上を手にかけていると専らの評判の高校生だ。」

 僕は貴重な食料を手から取り落としかけた。

「百!? なんだそりゃ、そもそも、そんなに殺す必要なんて、」

「ああ、ない。彼女が所属するグループは、食事面で相当に裕福な思いをしている筈だ。」

 ……ん?

「ちょっと待って、今、〝彼女〟って言った?」

「ん? ああ、そうだよ。ジャックは女子高生だ。」

「え? 何で?」

「何でと言われても、……ああ、そうか。君は誤解しているようだね。〝ジャック〟と言うのは異名というか、渾名みたいなもので、とにかく本名じゃないよ。彼女は普通の日本人さ。」

「ああ、成る程。」

 しかし新たな疑問が僕の裡に萌芽した。

「いや、何でまた、女の子に『ジャック』なんて男っぽい異名が、」

「それはほら、彼女の恐ろしさと表すのに相応しいということと、後は、洒落みたいなもので、」

 那賀島君はそう言いながらパンに噛みつこうとしたが、そこで口の動きを止めた。彼は、かぶりつくことも喋ることも放棄して、急に真剣な面持ちを表す。

「那賀島君? どうしたの。」

 彼は僕の問い掛けに答える代わりに、その場で立ち上がった。そして、そこから見下ろすようにして僕へ喋りかけてくる。

「迚野、聖具を構えるんだ。」

「え?」

「急いで。」

 その、有無を言わせぬ、緊張を纏った声を受け、僕は不恰好にパンの置き場を探し、結局それをすぐ脇にあった学生机に載せ、続けて箒や塵取りを拾おうとする。そんな最中も那賀島君は尚話しかけてきていた。

「そこら中の部屋のドアを、やたらめったらに開け閉めしている音が聞こえる。しかもこちらにだんだん近づいてくるようだ。」

 ようやく立ち上がった僕は耳を欹てた。確かに、どこかの引き戸を勢い良く開けては数秒後に閉め直すような音が、次第に大きくなりながら聞こえてくる。誰かが部屋を片端から漁っているのか! 僕は慌てた。

「え? 那賀島君、これって逃げたほうが良いんじゃ、」

「いや、中途半端に逃げると余計にまずくなりそうだ。迎え撃とう。」

 那賀島君は、この狭い特別教室の唯一の出入り口、前方の引き戸に視線をやってから少し考え、それからまた喋り始めた。

「この音の主は、間違いなくあそこから入ってくる、ならば、僕か君のどちらかその前で待ち伏せして」

 しかし、そこまでで那賀島君の顔色が変わったのだ、純正な緊張から、恐怖の混入を許したそれへの変貌。

「駄目だ、間に合わない。もう来るぞ、構えるんだ!」

 その台詞が言い切られるか否かのタイミングで、確かに、扉が外から開かれた。そこから飛び込むように入ってきたのは、背丈の低い女子高生である。しかし、背が低い女の娘といっても、綾戸の時とはまるで話が違ったのだった。その、彼女がすぐ様こちらに向けてきた、自信に満ちた表情は、一切の怖れを感じていないことを如実に示し、またその中でぎょろりと剝かれた眼は、餓えを訴えるかのようにがらがらと蠢いて、僕らを速やかに捉えてくる。その後間髪容れずに、彼女の赤黒い口腔内が晒されて、つまり、彼女がにんまりと笑ったのだ。

 僕は彼女と目が合わなかった。彼女が、僕の右脇にいる同行者の方を注視したからである。その悍ましい口許から、甲高げな声が早口で発せられた。

「な、か、島じゃぁん! まだ生きてやがったんだ。蜚蠊みたいに這ぁいずり回りでもしてたのぉ?」

 僕は間抜けな疑問をそのまま口にする。

「え、知りあい?」

 襲撃者を前にして戦く僕に、那賀島君の顔を窺う余裕などなかったが、しかし、彼の声音は十分にその渋面を想像させた。

「昔、ちょっとね。ああ、ツイているというかツイていないというか、いずれにせよ君は強運だよ、迚野。話したばかりで、早々に〝ジャック〟と御対面とはね。」

「え?」

 ジャックだって!? その、百人以上殺めたという恐ろしい高校生が、今僕の眼前に居るというのか。

 僕がそうやってますます戦いている内に、その、興奮している女の子、ジャックは不機嫌な顔となった。

「那賀島さあ、その、どっかの馬鹿が使い始めたダサい呼び方やめてくれない? アタシには、母様かあさまから貰った〝若菜わかな〟っていう立派な名前があんの。」

 その、言葉と表情から発せられる迫力は凄かったが、しかし、ジャックの小さな体躯は、僕にまた疑問と驚きを起こさせる。こんな幼気な女の子が、何百人も殺しているだって?

「では、若菜君。何の用かな。」

「そんなの決まってるじゃーん。死んでよ、雑魚。」

「な、なんだよそれ。」

 堪らなくなった僕は二人の会話に割り込んだ。するとようやく――ようやくと言っても、それは全くもって待ち遠しくなかったが――ジャックがこちらを向いて来る。

「何、雑魚島の小判鮫。何か文句あるの?」

「文句も何も、君はもう、喰うに十分じゅうぶんなポイントを所有している筈だろ、なら、何で殺人だなんて、」

「このクソ間抜け!」

 その見開かれた彼女の眼に、ますます僕は慄然とした。

だって? もしかして脳みそが腐ってんの、そっちのアンタは? まさかこのサバイバル、ただ飯食ってぼーっとしてれば生き残れるものだと思っているわけ?」

「ど、どういう意味だよ。」

 僕の吃音混じりの惨めな応答に、ジャックは呆れ声を重ねてくる。

「ああ、確信できた。お前脳みそ腐ってるわ。雑魚島と一緒にここで死んどいて。」

 ずっと、庇われるように背の後ろへ隠されていたジャックの右手が、この言葉の直後、彼女の右方に飛び出て露となった。そこに握られていたのは、……折畳み傘? 畳まれてリボンで綴じられた、拳二個分くらいの大きさを有する桃色の折畳み傘の、しまわれた柄の末端部に取りつけられたストラップ紐の中に彼女は指を何本か通し、重力に委ねさせてそれをぶら下げている。

「死んでよ、雑魚共。あの方の為にさぁ!」

 彼女は左手を胸の辺りに持ち上げて構えを取りつつ、右手の傘を体の脇でぶんぶんと振り回し始めた。僕はますます戦慄するが、しかしここまで、徒にジャックとお喋りをしていただけでもなかったのだ。こっそりと、後ろの方へ伸ばしていた右手の箒の柄の先端部、そこに引っかけた学習机の重みを感じながら、丁度、欲張りな釣り人が少しでも飛距離を出そうと思い切り竿を振るような感じにして、つまりは、可能な限りでの勢いをもって、僕はそれを前方へ振り上げる!

「おらぁ!」

 不随意に飛び出た僕の叫び声を追うように、大きな机が、聖具ならではの力によって軽々と飛翔した。丁度その放物線軌道と床との交点に佇んでいたジャックは、少しだけ眼を大きくしたが、しかし、露ほども慌てず、寧ろ愉しげに、右手の聖具を振りかぶり、翔ける机を目掛ける。

「はぁ!」

 彼女の、やはり恐らくは自然に飛び出た叫び声と共に、空中の机は畳まれた傘に打ち据えられ、木板の破れる音を連れ立ちつつ、加算個の欠片となってこちらに飛び込んで来た。僕は必死に、両手の塵取りと箒で自分の顔や胴の辺りを庇う。大きめの破片が右足の辺りを掠め、鋭い痛みを残していった。僕は情けない声をあげたが、その痛みの種類からして高々皮膚を裂かれた程度だということを把握し、構うべきものではないと、両手の聖具をしっかり構え直す。それに伴ってクリアになる視界の中央には、愉しげな顔をしたジャックの姿があった。傷一つ負っていないところを見るに、見事、あの机の構成要素は全部が全部こちらへ撥ね返されたらしい。それ理解した僕が顔を忌ま忌ましげに歪めようとしたその瞬間、右方から呻き声が聞こえてきた。僕とジャックがそちらに目をやると、そこには、倒れ込んだ那賀島君の姿が。……え? 馬鹿な、そっちには破片なんて飛ばなかった筈だ!

「どうした!」僕がそう叫ぶと、

「いや、慌てて避けようとしたらさ、足を捻っちゃって、」

 その報告に力が抜けそうになる僕の肩へ、ジャックの笑い声が響いてきた。彼女は笑いに混ぜ込めて、彼への侮蔑を届けてくる。

「信じられない! どこまで馬鹿なのアンタ? まあいいよ、そこで寝っ転がってて。そこの、雑魚島組のニューカマーをぶっ殺した後で、ゆっくりと料理してやるからさぁあぁ!」

 その言葉の終末部がドップラー効果か何かで歪んだのを感じた僕は、急いで振り返りつつ、同時に、右手の箒を前へ振り出し上げた。先端部の掃き取り部分の重量の為に、中世武器のハルバートの様な、重さを頼りとした、やや緩やかながらも鋭い軌跡をえがき始めた箒は、首尾よく、こちらに飛び込んでくるジャックを遮る軌道を取ってくれている。彼女は既に右手の聖具を振りかぶっており、勝ち気に溢れた表情のまま、僕の箒をそれで打ち据えた。その結果、双方の聖具が、もう一方に弾かれることでそれぞれの軌道を乱す。

「な?!」

 安堵する僕とは対照的に、心底驚愕したかのような表情を持ち出したジャックは、後ろに跳ね飛んで再び距離を取った。今度こそ限界まで目を見開いた彼女が、右手の聖具を、わなわなと顫えるそれを、僕に突きつけながら話しかけてくる。その不可解な動揺に、僕の方まで驚かされた。

「なぁ、な、何それ? 何で、何で砕けないの? 馬鹿な、そのしょぼい箒が、ァ、アタシの聖具と同等だというの!?」

 これを聞いて僕ははっとした。そうか、聖具の性能、特に威力と頑強さは、愛着の度合いによって変わるのだった。つまり、もしも今の打ち合いでどちらかの聖具のレヴェルが他方を頗る凌駕していたら、そこで勝負がついてしまっていたのか。恐ろしい、戦いだ。

「迚野、箒を上下逆に構えるんだ!」

 右後方から聞こえる那賀島君の言葉、僕がその意図を汲み取る前に、気を持ち直したらしいジャックがまた近寄ってくる。彼女の表情の、余裕と歓喜と栄光の成分はいつしか消えうせ、つまりは残り滓の感情、殺意と悪意と、そして新たに発生した緊張と恐怖を混ぜ込めたような、顰めを極めた顔がそこにはあった。近づいてくるジャックに向けて僕が、まだ持ち直していない箒を、右上方の空間を介する経路で振り下ろすと、彼女は、今度は両手で、野球でバントする打者のような具合で折畳み傘を握りしめており、それを僕の箒の掃き取り部へ、押すようにして打ち当ててきた。右手から離れ過ぎている最先端部へ、そのようなしっかりとした打撃を加えられた僕は、とても踏ん張りきれずに箒を撥ね上げさせてしまう。彼女は再び笑い、そのままこちらへ突っ込んでこようとしたが、その刹那、突然思い切り進路を曲げ、僕から見て左の方へ抜けて行った。お蔭で、彼女の胸に刺さる筈だった、僕の左手の塵取りの突きは空気をかき乱すに留まる。僕は急いでジャックの方に向き直った。またも、それなりの距離が僕と彼女の間に生まれている。

「そうか、そっちの、左手のも聖具なのね。アンタ、思ったよりやるじゃないの。」

 こちらへ振り向いた彼女がそう言いながら息を整えようとする隙に、僕は、那賀島君の言葉を思い出し、右手の箒の前後を覆した。重い掃き取り部分が手許に来ることで、先端の捌きが突然軽やかとなる。……成る程。那賀島君の狙いを推し量った僕は、その箒を、今度はハルバートではなく、槍を持つようにして、ジャックの方向へ突きつけた。この軽さならきっと、彼女の手業に打ち勝てる。僕のこの翻しを見たジャックは、忌ま忌ましげに顔を顰め、ぶんぶんと振り回し続けていた傘の動きを止めて手中に握り直し、その柄をかちゃかちゃと伸ばした。元の四倍くらいの長さになった折畳み傘の、伸ばされたの部分の根元を、短刀のつかの様にして両手で握り込み、こちらへ向けてまっすぐ、中段の高さで構えてくる。これが彼女の本気なのか、それとも、槍じみた武器に対してのみ使う手なのか、どちらなのかは分からないが、とにかく彼女も必死であるということは、加えてその表情からも見て取れた。

 そのまま僕達がしばらく睨みあっていると、ジャックが、ちらちらと、僕の右後方の方を眼で気にし始めた。そちらにあるのは、先程この女学生が闖入してきた、この部屋唯一の出入り口である。僕はその腹を察し、相応の心の準備をし始めた。

 次の瞬間、ジャックが、また僕の方に突っ込んできた。狙いを達成すべく、僕が右手の箒を、やや右から真正面へ差し込むように突き出すと、彼女は、その軌道に逆向きで沿うようにして、僕や箒を躱してすれ違い、そのまま右方へ、出口の方へ駈け抜けて行く。互いにとっての狙い、戦闘の終末がこのまま成就する筈だったが、しかし、すぐさま僕の耳に、女性らしい甲高い呻き声が届けられた。

 僕がその、「ぎゃん!」という調子の声のした方、後ろの方へ振り返ると、那賀島君が、――何故か平然と立ち上がっている那賀島君が、彼の聖具、ヨーヨーを右手に握っていた。その目の前でジャックが蹌踉めいているところから察するに、彼が、ジャックへ某かの一撃をお見舞いしたらしい。そしてすぐにまた、那賀島君の赤い

ヨーヨーがくうを翔ける。その目標は、初撃で顎なり顔なりを打たれたのか、左手でその辺りを押さえて俯き加減になるジャックの右手だった。インパクトの瞬間に、鞭で空気を裂いた時のような鋭い音が鳴り響き、ジャックの右手に握られていた傘が、爆ぜ飛ばされ、僕の方へと転がってきた。僕は、いそいでそれを拾う。これを認めた那賀島君は、思い切りにこやかな表情を見せながら、

「素晴らしい、僕たちの勝利だ。」

 流石の強かさとして、ジャックはすぐに立ち直ったが、自らが空手であることを知ると、ようやくその小さな体に相応しい調子でおどおどとし始めた。那賀島君が話しかける。

「さて、若菜君。僕と迚野は互いに聖具を構えて臨戦態勢、君は完全な無防備で挟み撃ちにされている。……さて、まだやるかい? もしその気がないなら、そうだな、両手でも挙げてくれるかな。ほら、ホールドアップ!」

 きょろきょろしていたジャックは、しかしすぐに、これ以上ないくらいに口惜しげな顔をしながら、大人しく諸手を宙に捧げた。


 那賀島君は、以前にどこかから拾ってきたという紐を使って、うつぶせに寝かせたジャックの手足を縛った。後ろ手を縛る際に、端末が邪魔で難儀したようだったが、右の腕を捻らせて端末を上向かせることで何とかしたらしい。僕も試しにそのような感じで右腕を、つまり甲の方が上向く感じで背に回して見たが、どうも手首の辺りが痛んで不愉快だ。ジャックも同じように思っているらしく、ますます忌まわしげな顔をしている。

 僕は作業を終えた後の彼に話しかけた。

「那賀島君さ、訊きたいことが山ほどあるのだけれども。」

「短く答えられるもののみ、今受け付けよう。残りは後でね。」

「じゃあ、まず。……捻った足はどうしたのさ?」

「ああ、あれ? 勿論方便だよ。見ての通りぴんぴんしているさ。」

「な、なんだって、そんな真似を! お蔭で、経験の無い僕が、よわっちいほうの僕が、世にも恐ろしい奴相手に頑張る羽目に……」

「『経験がなく、よわっちい。』。迚野、前者はともかく、後者は正しくないよ。少なくとも、ジャック相手では僕よりも君の方が遥かに有利に戦えた筈だ。」

 足下で「その呼び方やめろ!」と縛られた女子高生が喚いていたが、僕らは意に介さなかった。

「どういう意味さ。」

「文字通りだよ。僕の聖具では、きっと一撃で、ジャックの傘に打ち砕かれて終わっていただろうね。」

「え? 何言っているんだよ、君が前に話したところによれば、君は小学生の頃からヨーヨーの練習をしていて、ついには世界大会にも出たくらいらしいじゃないか。そんな君にとって、ヨーヨーが愛着深いものでないわけないだろう!」

 那賀島君は、気恥ずかしげに頭を掻いて、

「確かに、僕にとってヨーヨーは何よりも大切なものだ。その点については誰にも負けない。たださ、いや、以前僕が串山の聖具を扱き下ろしたと思うけれども、それと全く同じことが僕の聖具にも起こっていてさ、」

「串山の聖具って言うと、ちょくちょく交換する金属バットだったから僕の箒に打ち負けたっていう話の、」

「そう、それだよ。実はさ、ヨーヨーって、糸は勿論、本体もそれなりの消耗品でさ。僕みたいに本気で練習する者は結構な頻度で買い替えているんだ。特に僕の場合は、複数のヨーヨーを同時に所有するから尚更、一つ一つへの愛着がどうしても薄くなってさ。」

 那賀島君は、右手に握った赤色のヨーヨーを眺めながら続けた。

「つまり、僕がここまで生きてこられたのは、頭の使い方と、磨き上げたヨーヨーの腕前によるところなんだ。頭を使うと言うのは、例えば、さっきみたいな狸寝入りからの不意打ちとか、ね。この聖具自体は、多分トップクラスで弱いと思うよ。特に糸部分なんて、こっそり持ち込んだ換えのストリング(ヨーヨーに使う糸のことらしい)に何度も交換しているから、おそらく、一般の強度しかないだろうし。ほら、例えばさ、僕がジャックの顔や手を打ったけれども、彼女、平気そうでしょ? 強力な聖具なら、頭が吹き飛んだり、手が吹き飛んだり、そんなことになった筈だ。」

 僕は、自分が切り裂いた、……そう、切り裂いたあの男、串山のことを思い出し、込み上がる吐き気とともに那賀島の言葉への納得を得た。確かにジャックの手や顔は、せいぜい赤くなっている程度で、まともなダメージは認められない。人を両断することが可能な箒と比べると、成る程、天地ほどの差がありそうではあった。

「では、もう一つ質問を受け付けようかな。迚野。」

 僕は悩まなかった。

「もう一つだけと言われたら、これしかないよ。なんで、ジャックを殺さずにふん縛っているのさ。」

「まあ、理由は色々とあるけれども、まず、この娘を殺す意味は殆どないよ。」

「なんで? 百人以上殺しているのならば希代のポイントゲッターなのだろうから、仕留めれば僕らが相当に潤うはずじゃないか。ああ、いや、殺さずに済むなら僕はその方が良いのだけれども。」

 那賀島君は僕の眉間の辺りを指さした。

「まず、忠告しよう。その、『なるべくなら殺したくないな。』という気持ちは、……ああ、分かるけれどもさ、でも、やっぱり早い内に捨てた方がいい。頼むよ、迷いに君が殺されるようでは、僕も困るんだ。」

 僕の苦い顔を見ながら彼が続ける。

「で、なんだっけ。あ、そうだね。ジャックを殺さない理由か。いや、こういう、自分のリーダーを崇拝しているタイプ――この娘が『あの方』という言い回しを使ったのを、君も聞いただろう?――は、ポイントを全く持っていないことが多いんだよ。」

 僕は間抜けに訊ねる。

「へ? 何で?」

「大抵、稼いだ尻から、その、リーダーに全部渡してしまうようなんだ。……ああ、教えていなかったかもしれないけれども、ポイントは端末間で送受信出来るんだよ。だから、こういう人種は、ポイントを全部リーダーに寄越してしまうんだ。」

「そりゃ、何でまた。」

「まず考えられるのは、単に貢ぎ物として。

 次に、忠誠の証として。ほら、ポイントを全点預けてしまえば、飢え死にを避ける為に、リーダーへ逆らう訳には行かなくなるよね。

 後は、実用的な問題だね。リーダーってさ、大抵チームで一番安全なんだよ、特に、心から崇拝されるようなリーダーは、こぞってフォロワーが守るからね。だからさ、一番死ににくい所にポイントを溜めておいて、フォロワーが殺された時の、チーム全体から見たポイント喪失を防ぐ、と。

 これらのうちの一つか、あるいは複数かが理由として関わってくるのだろう。」

「へえ、成る程、色々考えるんだね。じゃあ、このジャックも」

「そのクソみたいな呼び方をいい加減やめろよ! この愡け茄子共!」

 その足下からの俄な叫び声には、苛立ちと悪意がぎっしりと詰まっている様に感じられた。尋常ならざるジャ……彼女の様子に、存外その訴えが真剣であったことに僕はようやく気が付き、恐縮する。

「ああ、その、御免。ええっと、一回聞いたよね。その……ワカバさん。だっけ?」

「違う!」

 那賀島君が見兼ねて、

「迚野、このの名前が知りたいならさ、ついでに彼女の所持ポイントも見てもらえないかな。」

「え? ……ああ、そうか。その手があったか。」

 僕は、昨日綾戸に向けて行った通りに端末を操作して、この、……ああ、もう、口に出さないからジャックでいいよね? とにかくジャックの背中で窮屈そうにしている端末に向けて赤外線を発射した。

 すぐに僕の端末の画面へ情報が浮かぶ。

『霧崎若菜、所有ポイント0点。』

「ああ、そうだ。若菜さんだったね。」

「で、ポイントはいくら持っているんだい?」

「那賀島君の言っていた通り、空っ穴。」

「やはりか。つまり、ここで彼女を殺しても100ポイントばかりを貰えるだけということだ。それじゃあつまらない。」

「ええっと、そう言うからには、何か考えでも?」

「ああ。」那賀島君の返事は早かった。「ちょっと面白いことを思いついてね。」

 そう言うと那賀島君は、ジャック改め霧崎の背中の端末を弄り始めた。最初のうち彼女は身動いで抵抗したが、那賀島君が右手に握った赤い円盤を見せつけて以降、諦めたように大人しくなっている。

「もののついでだ、君も、霧崎君の恐ろしさを確かめると良いよ。……ほら。」

 促しに従って僕が霧崎の端末を覗き込むと、そこには、丁度銀行の通帳のように、日付と文字と額面とが横並んで羅列されている画面が表示されていた。

「これが、霧崎君のポイントの収支だ。ほら、こうやって遡って見ると、……ね? とんでもない回数の収入があるだろう。恐らくこれらは殆ど全て、殺害による報酬点だ。」

 那賀島君は延々と画面をスクロールさせたのだが、確かに、この悍ましい帳簿にはどこまでも終わりがないようだった。つまり霧崎若菜は本当に、凄まじい数の命を奪ってきているらしい。文字通りの戦錬磨、よくもそんな相手と対峙して生き延びられたものだと今更冷や汗を垂らす僕へ、更に那賀島君が話しかけてくる。

「でさ、よく見て欲しいんだけれども、霧崎君はこういうポイントの加算の直後に、どこかへそれを〝送金〟しているんだよ。」

「ええっと、ああ、この、〝ポイントジョウト〟って書いてあるやつかな。」

「そう。これは、リーダーへのポイント送信である可能性が高い。まあ、高いと言うか、間違いないのだけれども。」

「ん? なんで?」

「僕は、霧崎君のリーダーを知っているからね。見て御覧よ、送信先の名前もちゃんと記録されているだろう?」

「ええっと、確かに毎度同じ名前の人物へ送信しているようだね。……アマネキョウコ?」

「そう。この周響子とは、周組と呼ばれる、女子高生五人で構成されるグループのボスだ。」

 僕は、アマネってどういう漢字を書くのだろうかとふと疑問に思ったが、どうでもいいことと思われたのでそのまま黙っていた。

 那賀島君がまた屈んで霧崎の端末のボタンを弄り出す。

「で、僕たちは二人しかいないから、迚野、君には教えてなかったんだけれども、この端末ってさ、通話が出来るんだよ。普通の電話みたいに。」

「え? どこへでも?」

 那賀島君は変わらず画面の方を見たまま、声だけを申し訳なさ気にして、

「失礼、語弊があった。掛ける先は基本的に生存者の端末限定だ。外の世界、例えば家とかには掛けられないよ。」

 まあ、中途半端にそんなことが出来たらホームシックになって殺しあいどころではなくなりそうだなと、生存欲求こそあれど、まだ然程家が恋しくない僕は暢気に思った。

「で、その、端末相手でも、自由自在と言うわけには行かなくて、赤の他人には通話を掛けられないんだ。だから、今はこの霧崎君の端末をお借りしようじゃないか。」

 いつのまにかその端末の画面には、『通話: 周響子』という文字が表示されていた。あ、へえ……、これでアマネって読むんだ。僕がそうやってどうでもいいことを思っているうちに、那賀島君が端末の決定ボタンを押した。プルルル、と、普通の電話のような待機音をしばらく聞かされた後、向こうが出る。

『霧崎さん? 今、どこにいるのかしら。』

 僕はどきりとした。出し抜けに聞こえてきたその、玻璃のように透明な声は、言葉の終わりにふんわりとした残り香のような幽き響きを残す、しかし全く粘っこさなど感じさせない、いや寧ろ、そういう無粋な趣とは対極にあるような、繊細で優雅な話し方で、ただその二言だけで既に、持ち主として、どこまでも洗練された和美人を僕に想像させたのだ。いやまあ、確かに、実際には同じ年の高校生の筈なんだけれどもさ、でも、とにかく、これまでに聞いたことのないような、麗しい声であった。

『もうじき夕餉の時間だと言うのに、あなたが中々戻ってこないから心配しているのよ。何をしているの?』

 夜空の丸い月影のように透き通っていたその声が、少しだけ、まるで彩雲を纏って朧になるかのようにして、不安の色を滲ませ、先程までとは違う美しさを見せ始める。

『霧崎さん?』

 贅沢な間を伴って発せられたその問いかけに、ようやく那賀島君が応じた。

「やあ久しぶり。お元気かな。」

『な、誰だ、貴様は?』

「僕だよ、那賀島聡志。ああ、お宅の」

『貴様ぁあ! 霧崎に何をしたぁあ!』

 端末から漏れてくる声に、半ば以上に聞き惚れ、耳を欹て始めてすらいた僕は、その突然の、目の前にミサイルが落ちてきたかのような凄まじい声量と、米海軍の戦艦ですら尻に帆を掛けそうな恐ろしい声音を思いきり聞かされて、厳しい眩暈を覚えた。彼女の人柄を知るか何かによって覚悟していたのか、那賀島は軽くのけ反るだけで、すぐに冷静な応答をし始めた。

「勘弁してくれよ周。周りの誰かに君の声を聞かれたら面倒じゃないか。そもそも、霧崎君の端末で通話を繋げているのだから、霧崎は生きているに決まっているだろう。落ち着いてくれ。」

 激しく深く、荒い、獣のような吐息のかかる音だけが端末の向こうからしばらく聞こえ、その後になってから向こうが、周が、ようやくまた話し始めた。声量は元に戻ったが、口調も、声音も、この上なく恐ろしいままだ。

『まあ、貴様の言う通りだな、那賀島。ただ言っておくがな、私の妹に、霧崎に、怪我一つ負わせて見ろ、承知しないぞ。』

「ああ、御免、無理だ。既に二回ほどひっぱたいてしまったよ、顔と右手を一度ずつ。」

『なんだと、貴様、』

「無茶言わないでくれよ周。そもそもお宅の霧崎君が本気で僕らを殺しに来たんだ。そりゃ、こっちも懸命に戦うさ。」

 口惜しげな間を置いてから、周は応じた。

『まあ、仕方あるまいな。それで、要求は何だ?』

「要求って?」

『わざわざ私の妹を殺さないでおいているのだから、何か目的があるのだろう? 言え。』

「いや、そういうわけでも、……まあ、いいや。最初の予定通り、様式美にのっとって行くよ。ええっと、そう、お宅の娘さんは預かった。返して欲しくば、高校側のJ棟六階の第二資料室まで、一家四人全員で今すぐ来い。以上。」

 周は、その、ぺらっぺらに軽い那賀島君の脅し文句とは対照的な、只管に暗い沈黙を返してくるのみであった。焦れた那賀島君が背筋を伸ばす仕草を始めた頃に、ようやく端末が喋り始める。

『霧崎の声を聞かせてくれ。』

「ん? ああ、それも様式美だね。ほら、霧崎君、何か喋ってくれと、君のところのお姉さんが言ってるよ。」

 しかし、霧崎は、何故か、小さな口を真一文字にしっかりと閉じ、姉と誘拐犯の要求を撥ね除けた。顔を覗き込むことでそれを知った那賀島君は、

「おや、強情だね。ならば、」

 彼はそう言うと、うつぶせに寝かされたままの霧崎の、脇腹の辺りを思い切り、貫手の真似事で突いたのだった。「ぼぐぅ!」……敢えて文字に起こすとそんな塩梅だろうか、情けない呻き声が霧崎の口から流石に漏れた。

『おい、……おい! 那賀島、霧崎に何をした!』

「いや、どうしても口を開いてくれなさそうだったから、少々手荒い真似を」

『貴様ぁあ!』

「別に怪我はしてないよ。とにかく、霧崎君の無事は分かったでしょ? すぐに第二資料室に来てね。J棟六階だからさ。」

 那賀島君は周の返事を聞く前に通話を切った。僕は痛そうな顔をしている霧崎につい訊ねてしまう。

「霧崎さん、なんだって、そこまで意地を張って黙ろうとしたのさ。」

 彼女は寝ころんだまま、っと睨んで来た。

「このおたんこなす。どこまで馬鹿なの? 何が狙いか知らないけれども、どうせアンタら、ロクでもない要求をあまねえ様にするつもりなんでしょ? そんなのは、させられない。私の為に、姉様を危険に晒させるわけにはいかない。だから、この誘拐ごっこに信憑性をあたえるわけには、いかない。……当たり前でしょ!」

 霧崎さんの罵詈に〝雑魚〟という言葉が無くなった辺り、一応敗北を受け入れているらしい。しかし、凄いな。他ならぬ姉相手とは言え、ここまでの思いを語ることが出来るだなんて。……ん? 姉?

「え、参加者は皆同い年の筈なのに、姉ってどういう、」

 那賀島君が応えた。

「ああ、周組の言う、姉とか妹とか言うのは、ほら、男で言う、兄弟分とか、そういう意味だよ。」

「あ、成る程。」

「何よ、アタシ達は、実の姉妹なんかよりも、ずっと固い絆で結ばれているんだから。アンタら、分かってんの? 大人しく私を殺して終わりにしておけば良かったものを、アンタら二人は、わざわざあまねえ様を、世界で一番頼もしいあの姉様を敵に回したんだ。今から何をするにせよ、これでアンタらは終わりだよ。」

 これを聞いた那賀島君は、しかし、彼女に一瞥をくれるのみであった。彼は僕の顔を見て指示を寄越してくる。

「さて、迚野。霧崎君が特別遠出をしていたのでないかぎり、周組はきっとすぐに来るよ。君は、そうだな、その霧崎君の折畳み傘を持ったまま、そっちの辺り、君が投げ飛ばした机のあった辺りに立っていてくれ。それでだな、」

 指示を聞きながら思った、そう言えばさ、僕も、これから何が起こるのか知らないのだけれども。


 那賀島君の予測は正しく、それからすぐ後に、数人分の跫音がこの部屋に向かってくるのが聞こえてきた。その気配は部屋のすぐ外で止まり、話し声を小さく漏れさせてくる。何か相談をしているのだろうか。

「へい、周組の皆さん、僕らはここだよ!」

 その、那賀島君の発した突然の声に僕がぎょっとすると、壁の向こうでの話し声が苛立たしげに止まった。その後まもなく、扉が慎重に開かれ、一人の女性が中に入ってくる。

 まず目を引いたのは、高い頭部を包む、美麗なブロンドの髪であった。そう、高いのだ。その女性は背丈がとても高く、髪色と相まって外国人なのかと想像させたが、しかし、僅かに首を曲げたことで露となった顔面は、全くもって、日本人らしいそれであった。その、もともとやや顰められていた顔は、僕のすぐ脇で那賀島君に抱きかかえられた霧崎を認めると、ますます険しくなる。その女子高生は、……女子高生の筈だよな、制服着ているし。その女子高生は数歩進み、次者の侵入を手振りで促した。この金髪の女性を見た時に、初め僕は、もしかしたら周というのはこの人なのかと思った、その立派な体格と険しい表情が、先程の世にも恐ろしい声と調和をなすように思えたからである。しかし、それは全く浅はかな誤解であったのだ。

 促されるままに続いてきたのは、長い黒髪を旋毛の辺りで纏めた、いわゆるポニーテールの髪を引き連れた女性だった。その、後ろに流れる髪形のお蔭で、顔は登場と同時に、すぐさま明らかとなっている。一見寂しげに憮然とした、しかし、少しよく見ると静かな怒りを溢れんばかりに湛えていることが分かるそのおもては、僕に神なる者の肝煎りを想像させるのであった。ようは、美しい女性として、天が彼女を特別設計したかのように思わせたのだ。そんな馬鹿なことを思うくらいに綺麗な、一切の瑕瑾を伴わない顔立ちだった。彼女がその、凛々しい鼻筋をこちらにまっすぐ向けるやいなや、その下にある艶やかな唇が軽く開かれ、また、細いまなこが、ほんの僅かにだけ大きく開かれた。顎が軽く押し出されることで、その瞳は見下ろしがちになり、奥ゆかしくも禍々しい口の開き方と相まって、僕の背筋を顫わせる表情を作り上げる。この戦慄に説得され、僕はとうとう、この女性が周であると確信したのであった。

 あまりの怖ろしさに直視に耐えず、僕が視線を出入り口の方へ逃れさせると、そこには、新たに二人の女性の姿があった。そのうちの片方が後ろ手で戸を閉めている。ぴょこん! ……そんな擬音を宛てがいたくなるような、おかしげな歩き方で先行者二人の元へ進んでいるその二人は、奇妙なまでに等しい顔つきをしていた。同い年の筈と言うことも鑑みれば、きっと双子なのであろう。双子はそれぞれ、その無機質な、顔面の上半分を征服せんとしている大きな眼から一切の表情を読み取らせず、ただ、腰までの長さの黒髪を乱しもせずに、ぴょこぴょこと、周の後ろに左右に分かれてついた。しかしよく見ると、その手は顫えており、怒りか戦きか、いずれにせよ、尋常でない強度の感情を裡に蔵していることを窺わせた。

 更に周の前には、彼女の左手を庇うようにして先程の金髪の女性が立ちはだかっており、その美しい女性は概ね四方から守られている恰好だ。唯一欠けている右腕側の前方は、もしかしたら、霧崎が嵌め込まれるべき場所なのかもしれない。僕らよりいくらも、聖具が届かなそうなくらいに離れた、しかしまっすぐ前の位置に築かれた彼女達は、その、中央の女性が口を開くことで意志を表明しようとしたが、那賀島君が手振りでそれを制す。彼はそのまま言った。

「待った。まず、君達の本人確認をさせてもらおうかな。」

 周は眉一つ動かさなかった。

「何をふざけたことを。お前は私の顔を知っているだろう。」

 端末通信というフィルターを失うことで今やじかに恐怖を運んでくるその声音に、僕はまたゾクリとさせられたが、とうの那賀島君はまるで乱されなかったようだ。

「まあまあ。万が一にもさ、どこかの他人に娘さんを受け渡してしまったら大変じゃない。すぐに済むから。」

 少し間を置いてから周は苛立ちげに応じた。

「何を言っているのか分からんが、抗うのも面倒だ。好きにしろ。」

「では、迚野。任せたよ。僕は霧崎さんを抱きしめていないといけないからね。」

 その勧めに従って、僕は端末を操作し始める。

「ここに入ってきた順番にお願い出来るかな。」

 僕は那賀島君へ返事をする代わりに、手首から先を折り下げた右腕を、まず、未だ険しい顔を保ったままの金髪の長身女性に向けた。彼女は、黄色い、とても大きそうな傘を、拡げずに、かといってリボンで縛めるでもなしに、まるで竹刀か何かのように下段に構えている。右手はJ字型の持ち手を握り、左手は、黄色い襞の中にうずもれていた。

 僕はそのまま赤外線を発射し、端末に表示される文字を読み上げる。

「霜田小鳥、所有ポイント0点。」

 那賀島君は頷いた。

「では、つぎの御婦人を頼むよ。二番目に入ってきた彼女を。」

 その言葉に僕は意を決し、周と思しき女性の方をなんとか見る。相変わらず、一切の顰みもなしに忿怒を滲ませているその美麗な顔の下では、綴じ紐でぎちぎちに絞られた黒い傘が、右手で柄を下から拾うように握られ、左手で先端部を上から覆うように握られ、腰の高さ、床に対して水平に存在していた。こちらの視線を感じた彼女の首が、静かに、ほんの僅かだけ曲げられたのにすら、僕は戦かされ、端末を速やかに操作する。……ああ、案の定だよ。

「周響子、所有ポイント1万2527点。」

 僕の仲間は流石に驚きを見せた。

「凄い点数だね。予想以上だ。……ああ、では迚野、残りの二人も頼むよ。」

 僕は双子の方を見る。彼女達は、お揃いの濃紺の傘を、己がじしリボンで締め上げて、やはり剣のように構えていた。先程言及した彼女達の手の顫えは、その剣の先端部が、彼女達の顔の目の前で震えていることによって把握されるのである。そんな彼女達の顔を見ていると、その、大き過ぎる瞳に飲み込まれそうになり、この感覚を嫌った僕はさっさと、まずは向かって右方の彼女に赤外線を発射した。……え? なんて読むのこれ?

「ええっと、……レイジョウ、チナ」

「「霊場たまばです。」」

 その完璧なステレオに肝を潰されかけながら、僕は言い直す。

「失礼、霊場千夏さん、所有ポイント0点。」

「もう一人は?」

「ええっと、……霊場小春、所有ポイント0点。」

「宜しい。確かに周組全員集合だね。」

 待ち兼ねたように周の口が動き始めた。

「これで満足したか、那賀島聡志。」

「ん? ああ、勿論十分だよ。」

「では、さっさと要求を言え。」

「え?」

 周はとうとう眉を顰め、忌々しげに口元を歪める。

「霧崎の身柄と引き換えに、貴様等が、浅ましく、醜く、小汚く、我々に要求するものをさっさと述べろと言っているのだ、この、卑劣漢共! なんだ、ポイントか、それとも、我々の内の他の命か?」

 しかし那賀島君は相変わらず動じなかった。

「言えと言われてもなあ、何と言うか、無い袖は振れないと言うか、」

「貴様、どこまでふざけたことを」

「いや、そういう意味じゃなくてさ。……ああ、迚野、頼んだよ。」

 僕はその求めに応じ、事前の打ちあわせ通りに、手中に握ったそれ、桃色の折畳み傘を、周の方へ放り投げた。霜田への激突を僕が無意識に憚ったのだろうか、こちらから見て左の辺りに飛んで行ったそれを、彼女はこともなげに右手で受け取り、それから軽く、そして均しく両の眼を大きくして、しかし、眉の高低の対称は崩して、つまり怪訝げな表情を作る。そして握ったそれを矯めつ眇めつしてから、そのまま右手で前方に捧げつつ、困惑を隠そうともせずに言った。

「間違いなく霧崎の聖具だな。なんだ? これを私に投げ寄越してどうするつもりなのだ?」

「どうすると言われてもねえ。ほら、迚野、また頼んだよ。」

 僕はまた指示に従って、那賀島君の方へ歩み寄った。そして、彼から預かっていた鋏を取り出すと、霧崎を縛めている紐々を切り除く。那賀島君が腕をその体から外し、そして背を軽く押すと、彼女は、霧崎は、軽く何事かを喚きながら向こうへ駈けて行った。そしてそのまま、周に抱き縋る。周は、あれだけ細かった眼を今や真ん丸にして、忙しげにしばたたき、霧崎に身を揺すられるのに任せ、ただしばらくの間ぽかんとした。姉上の茫然に耐え兼ねたのか、手前側の金髪の女性、霜田が代わって口を開く。

「お前達、何を考えている?」

 周のそれに比べると著しく迫力を欠いたその声に、那賀島君が応じる。

「だからさ、べつに、何も。ただ、迷子のお嬢さんを見つけたから、お家の方の許に届けただけじゃないか。」

 これを聞いた霜田がますます眉を顰める頃、周はようやく唖から恢復した。彼女の顔面には、未だ、その均整のとれた面立ちに似つかわしくない、無様な困惑が迷入している。

「どういうことだ、那賀島?」

「どういうこともなにも、何もないよ。」

「な、何だそれは、霧崎を、生かして我々へ返すことに、貴様等にとって何のメリットがあると言うのだ!」

「別に良いじゃないか。このサバイバル、誰を叩こうが誰を助けようが勝手だろう? ただ、強いて言うならさ、お近づきになったついでに、是非、お願いしたいことがあるのだけれども。」

 ここで周は初めて笑った。

「成る程、そういうことか。霧崎の命をしろとして、我々に何かをさせようと、」

「違うよ、それは全然違う。僕は、霧崎君に襲われたこととか、彼女を君達に生かして渡したことに関して、なんら、償いや見返りを求めない。ただ、折角の御縁を大切にして、少し頼みごとをしたいだけなんだ。ほら、そうだろう、だって、既に君たちの手中に霧崎君もその聖具もあるのだから、君達は僕が気に入らなければ、そのまま殺したり、あるいは、逃げたりすればいいだけなんだ。これでは、霧崎君を人質としての取引は成立しない、つまり、ただ僕は、君達に素朴なお願いをしたいだけさ。」

 周は再び押し黙り、そして、目を伏せてたっぷりと考え込んだ。再び彼女が口を開いた時には、すっかり顔が晴れやかとなっていて、

「お前の言う通りだな、那賀島。確かに貴様は、いとも簡単に殺せた筈の霧崎を我々の元に帰してくれた、善意の恩人と捉えることも出来る。いや、むしろその方が自然かもしれん、何せ、どうせ襲いかかったのは霧崎の方からなのだろうからな。」

「そうだよ、僕らは善人だ。そして周、僕は君のことを、とても義に厚く如何なる場合にも礼を通す女性であると信じているんだ。そんな素晴らしい女性だからこそ、僕は君を買って、ついには、霧崎君を君の元へ返してやりたいと思ったんだよ。」

 周はとうとう、軽く声を伴って笑い出す。

「美辞の裡に下心が透いているぞ、那賀島。御為ごかしはもっと上手くやれ。……まあ、とにかくいいだろう、他ならぬ妹の命の代価だ。なんなりと言って見るがいい。」

 そのいく分か軽い口調、そして、周に抱きつく霧崎のことを面白げに覗き込む双子姉妹や、いつのまにかすっかり気の抜けた顔をしている霜田の様子を受けて、僕はようやく緊張から解放された。やれやれ、本当に、那賀島君はこういう場面でクソ度胸を演じるのが上手い。相変わらず足は無様に顫えっぱなしだったけれども、いや、寧ろだからこそ、そういう人並みの慄然を口先では隠しおおして見せる、その度胸に、僕は心から感心するのである。そんな那賀島君がようやく本題を切り出した。

「単刀直入に言おう、周。僕達と組んでくれ。」

 これを聞かされた周は、少し間を置いてから返してくる。

「何か派手なことでもするつもりか? それに協力しろと?」

「違う、そういう刹那的な意味じゃない。命運を共にしようと言っているんだ。いいかい、君たち五人と、僕ら二人、合わせれば七人だ。この七人で、このサバイバルを生き抜く為に全力で協力しようと言っているんだ。周、僕達と組んでくれ。」

 僕は、霧崎をそのまま返してしまうことと、周が、借りた恩をそのままにするのを許さないたちの女性であるということは那賀島君から聞かされていたが、それらを踏まえてねだるのがこんなとんでもない提案だということまでは知らなかったので、心底驚いた。きっと僕と同じ様な気分になったのであろう霜田が周の脇で喚きだす。

「な、何を大それたことを言うか、お前は、」

「そんなに無茶なことかな。霧崎君を生け捕りにする実力を持つ僕らと組むことは、君達にとっても有意義だと思うのだけれども。」

「そ、それはだな、し、しかし、」

 論理的な返しを見つけられないらしい彼女の斜め後ろで、周は、真剣に考え込んでいた。じっくりと、じっくりと、贅沢に時間を使い、僕らを焦らせ、それからようやく口を開く。

「済まん、那賀島。それは飲めん。」

 何かを返そうとする那賀島君に先んじ、周は堂々たる声で続けた。

「何故なら、那賀島。私には、この、妹達四名を必ず生きて帰すという使命があるのだ。ああ、だからこそ、霧崎の命を拾わせてくれた貴様には心から感謝しているし、是非とも報いねばならぬとも思っている。しかし、しかしだ那賀島。私はこれ以上仲間を増やすわけには行かないのだ。例えば貴様達を受け入れ、その調子で、九人くにん十人とおにん、と人員が増えてみろ。七を超えれば、いつか必ず、誰かを何らかの形で死なさねばならなくなる。つまりその際には、新たな同志の命と、この妹達の命とを天秤にかけねばならなくなると言うことだ。そんなこと、私には耐えられない。いや、寧ろ、そうやって組を拡大して行く過程で、私が棟梁の座から転げ落ちるということが起きるかもしれん。その場合、その、新たなる棟梁の恣意によっては、この妹達が犠牲になるということも考えられるということだ。そんなことは、私は決して許せん。無論、その際にはその棟梁と袂を別てば良い話だが、しかし私は、その様に不穏な要素、破綻の予備的原因を孕む集団に所属するつもりなどない。故にだ那賀島、私はこれ以上仲間を募る気はないし、どうしてもという場合でも、高々あと一人までだろうと思っている。だから、済まない、那賀島、貴様の要求を受け入れるわけには行かないのだ、どうか、分かってくれ。本当に、済まない。」

 那賀島君は、初めに返そうとしていた文句を飲み込む為の時間をとり、その後で返事をした。

「分かったよ。仕方ないね。」

 周が少しだけ焦りの色を見せる。

「いや、待ってくれ那賀島。確かに、貴様達と組むわけには行かないのだが、しかし、貴様達とは、本当に、協力出来れば良いと私は思っているのだ。我々の利益の為にも、そして何よりも、霧崎の命の恩に報いる為に、だ。そこでどうだろう那賀島。一つのグループ

になるというのではなく、私達と貴様達、独立したままの二つのグループの間で、同盟を組むというのは。」

 那賀島君は意外そうにした。

「同盟、だって?」

「同盟という表現が良くなければ、不侵略協定くらいでもいいのだが、とにかく、我々はこの先決して敵対しあわないということを約束したいのだ。勿論、貴様達が良ければ、の話だが。また、その上で、私は出来る限りで貴様達に協力したい。どうだ、那賀島?」

 今度は、那賀島君の方が沈黙をしばらく纏ってから、

「ええっと、つまり、普段は別行動で、別に意志や情報の遣り取りを緊密にするわけでもない、すなわち完全に別の二グループのままで、友好関係だけを結ぶ、ということかな。」

「そうだ。そして、我々の武力が必要な時には相談してくれ。出来る限りで馳せ参じる。」

 那賀島君は、少し考えてから神妙に返す。

「完全に別グループと言うことは、各組の拡張の結果、例えば、君達が六人、僕達が五人とかになった場合には、最終的に七を超える人数を抱えることになるけれども、その場合で僕達と君達が無事最後の生き残りとなったら、どうなるのかな。」

 周は眼を伏して軽く笑った。

「随分と傲岸な皮算用をするのだな、那賀島。まあ、もしもそういう理想的な状態となったら、仕方あるまい、正々堂々と、あらゆる手段をもって叩き潰しあうだけだ。」

「成る程。そこが君の言う、同一化することと、単なる同盟との間の一線か。」

「そういうことになるかもな。どうだ、那賀島?」

「ああ、いいね。是非お願いしたいよ。同盟を組もう。最後の最後、七名の生き残りの席を競う、その時まで。」

「うむ。」

 周は折畳み傘を霧崎の手に押しつけてから、自分の傘を右腕の小脇に挟み込み、端末の操作を始めた。

「調印、あるいは、握手の代わりだ。那賀島、互いを通信先として登録しようではないか。」

「成る程、実益も兼ねた良い趣向だ。」

 那賀島君はそう言うと、手に握っていたヨーヨーを僕に預けてきた。そのまま空手で数歩、周達の方に歩み寄る。それを受けた周も、自分の傘を霜田に持たせてこちらに寄ってきた。無防備の両者が目の前で対峙し、己がじし右腕を胸の高さで折り曲げ、それらを突き合わせ、端末を接触させる。周が端末のボタンをいくらか操作すると、ピピピ、という調子の電子音が鳴った。

 二人がまともに見つめあう。

「これで完了だね、周。これから僕らは、家族ではないけれどもお友達ではある、と。」

「ああ、そうだが、正確には完了ではないな。おい、……ええっと、」

 僕の方を見て口ごもる周を見た那賀島君が、

「彼は迚野君だよ。」

「トテノ? 変わった名だな。ではトテノ、こっちに来てくれ。」

 突然の指名にどきまぎする僕に、周が続けた。

「貴様達は二人しか居なくていかにも危なっかしい。もしも那賀島の方を欠いても私と聯絡が取れるように、お前とも登録を行っておこうと思うのだ。こっちに来てくれるか。」

 僕は、こちらに帰ってくる那賀島君に聖具一式を預けて、周の方に駈け寄る。そうして目の前に来た彼女の顔は、それでも、一切の瑕を露にせず、尚も完璧に美しかった。覚束なげに突き出された僕の右腕を、見かねた周がむんずと摑み、然るべき位置に導く。その左手は柔らかく、しかしとても力強かった。彼女は、その手でいとも巧みにボタンを操り、またも軽い電子音を端末から響かさせる。

 その後、端末の画面をしげしげと見ながら周が言った。

「成る程、〝迚野〟か。中程までの平野、という意味だろうかな。」

 いや、知らないけど。

「良い名だ。大方どこかの地形から取ったのだろうが、それを大仰に褒めそやすわけでもない、至りきらぬという含蓄が雅ではないか。」

 本気なのかどうかよく分からない、というか、そもそも意味がよく分からない周の言葉を聞き流しながら、僕は自分の端末の画面を確認した。

『周響子を通信先として登録しました。』

 この文字を見て僕は実感する。ああ、本当に、あの恐ろしい周を味方につけてしまったのだな。那賀島君は、本当に凄い男だ。確かに、ただ霧崎を殺してしまうのとは、比べ物にならない成果であると言えよう。

 そんなことを思っていると、出し抜けに、目の前の周が、

「しかし迚野。貴様、全く端末に関する所作がこなれていないな。このサバイバルが始まってからもう二ヶ月も経つというのに、暢気なものだ。」

「ああ、迚野君はね。中途参加者なんだ。」

「中途参加?」

 周はそういうと、自身の指を唇に当てつつ明後日の方向に視線をやり、少しの間黙り込んだ。あれが、彼女の思案する時の癖なのだろうか。

「その中途参加の時期と言うのは、もしかすると一昨日かそこらのことか。」

「ええっと、たしか、うん。そのくらい。」

 僕の腰の抜けた返事に、周は「そうか。成る程な、得心が行ったぞ。」と、何故か満足げであった。「その殊遇、大切にしたまえ。」と続けながらそびらを返した彼女はまた四名の女性の元に戻り、すぐに囲まれる。彼女の妹分達は、まるで、山脈のように姉を守り、その守りと連繋の果てしない頑強さを偲ばせた。連峰の中央から周の声が聞こえてくる。

「これで互いに用事は済んだろうかな。さて、那賀島に迚野。霧崎との通信で聞いたと思うのだが、我々は丁度食事を取るところだったのだ。どうだ、親愛の証に、これから夕餉を共にしないか? 自動販売機の飯で良ければ、鱈腹喰わせてやれるぞ。」

 僕としてはまんざらでもない提案だったが、しかし、那賀島君が言ったのは、

「申し訳ないけれども、遠慮しておくよ。食事は家族でする物だ。僕らと君達は、一線をそこで引いておくべきだと思う。」

 周は、これを聞いて愉快げに唇の片端を釣り上げた。

「まあ、それもいいだろう。では、武運を祈るぞ。那賀島、そして、迚野よ。」

 入ってきた時とは逆順に周組が去って行く。ぴょこぴょことした双子姉妹が、扉を慎重に開けて外の様子を窺いながら出て行くと、そのうちのどちらかが、腕の先だけを部屋の中に入れて手招きをする。それに応じて振り返りもせずに周が出て、続いて、こちらにさりげない一瞥をくれる霜田と、思い切りな「あっかんべー」をしていく霧崎が最後に去っていき、存外行儀良く、扉を閉めていった。これを確認した僕と那賀島君は、体の疲労と気苦労、概ね後者によって、その場に崩れ落ちる。

「お疲れ様。流石だね。」

 僕がそう言うと、那賀島君は応じてくれようとしたが、彼の端末の俄な鳴動がそれを遮った。彼はボタンを押して通信に応じる。画面には、『周響子』と表示されていた。

『那賀島か?』

「そうだけど、なんだい、周?」

『いや、言いそびれたというか、しそびれたことがあってな。通信のテストを兼ねて、だ。』

「お聞きの通り、通信は出来ているよ。それで?」

『ああ、いや。餞別を贈らせてもらったから受け取ってくれ、それだけだ。では、これから宜しく頼む。』

 周は一方的に通話を切った。その後で何気なく僕の方を振り返った那賀島君は、きっと、少し驚いた筈だ。何せ僕が、通話中の所在なさに自分の端末を弄っていた挙げ句に、その画面を見入って凍りついているのだから。

「迚野、どうした?」

 僕は口をあんぐり開いて閉じられなかったので、仕方なく、その画面を那賀島君の方に突き出した。先ほど霧崎の〝通帳〟画面を見たことを受けて、僕は、ここに来たばかりの自分の〝通帳〟はどうなっているのだろうと思い立ち、その画面を引き出していたのだ。当然、那賀島君もそれを見ることになり、つまり、最下段の「ポイントジュリョウ」の文字と、その脇に記された、「1000」という数字を見ることになった筈だ。その贈り元は、アマネキョウコと書かれている。那賀島君は堪らずに、固い笑いを吹き出した。

「おいおい、こりゃ、とんでもない椀飯振舞だね。」

 何とか口の間抜けな縛めを解いた僕は、ようやく喋ることが出来て、

「君は、君の方はどうなってる? 旧知でかつ明らかにリーダー格の君を差し置いて、僕だけにポイントを贈ると言うのはいかにも不細工だと思うのだけれども。」

「どれどれ。」

 那賀島君もポチポチとボタンを操作し、すぐに返してきた。

「御明察。僕にも同じだけ入っていたよ。」

「どういうことかな、なんで、こんな真似を、周は、こんな沢山のポイントを僕らに、」

「まあ、一応色々考えられるけれども、結局、同盟相手に餓え死なれてはつまらない、くらいじゃないのかな。」

「でも、2000だよ? 20人分の命の値だ。ここまで寄越してくる必要があるのかな。何か、裏とか思わくでも有るとか、」

「いや、それはどうだろうね。周は中々の才女だが、だからといって、こういう場合にそこまで頭を使ってくるようなタイプじゃない気もして来たのだけれども。」

「それは、君が以前から周を知っていたからこその言葉?」

「いや、どちらかというと、今日の彼女との対面で推し量られたことかな。」

「というと?」

「ほら、君がさ、霧崎君の傘を周に投げたじゃない? で、彼女、それを左手じゃなくて右手で受け取ったんだよね。」

「そりゃ、周の右手を目掛けて僕が傘を投げたからじゃないの?」

「でもさ、自分の聖具を、傘の柄を握っていた右手を離してさ、つまり無防備になってまで飛来物を受け取るのって、すこし安直過ぎないかな。その後も、その右手は暢気に彼女にとってなんの役にも立たない霧崎の折畳み傘を握り続けていたし、あとは、右腕の動きを縛めつつあった霧崎の抱きつきもそのまま許していたよね。以上は全て、敵対していた筈だった僕達のすぐ前で行われていたんだよ? どうも周は、存外詰めが甘いと言うか、脇が甘いと言うか、そんな印象を僕に与えたね。」

 僕は呆れた。

「よく見ているね、そんなとこ。」


23 周組、霜田小鳥

 我々はあの部屋を出た後すぐに翻し、いつもの通り、私と霧崎が前を歩く態勢をとっている。私は、歩きながらおずおずと申し上げた。

「姉様、廊下ではありますが、今、少しお話させて頂いて宜しいでしょうか。」

 周姉様の躊躇いは短く、

「あんなことがあった後だから、特別よ。」

「有り難う御座います。」

 私は、前を向いたまま、すなわち、姉様のお顔見ることが叶わないまま、本題を切り出した。

「申し上げたいこと、お訊きしたいことは山ほどあるのですが、ひとまず今はこれだけでも。何故、それほど大量のポイントを那賀島達に与える必要があったのでしょうか。」

「何故って、霧崎さんを助けてもらったのよ? あれくらい、惜しくはないわ。」

 いつもの周姉様の声音と口調に戻っているのに安心した私は、穿鑿を続ける勇気を出すことが出来た。

「明らかに戦力で勝る我々が同盟を彼らとという事実だけで、御礼おんれいとしては十分でしょう。更に何かを施すにせよ、2000のポイントは少々多すぎるのではないかと思うのです。もしかすると、何か、思わくがあってのことですか。」

 お顔を窺うことが出来ない私は、どぎまぎしながら姉様のお返事を待ったが、幸い、それはとても優しいものであった。

「あなたは鋭いわね、霜田さん。そう、あのポイント贈与には狙いがある。」

「委細をお聞かせして頂いて宜しいでしょうか。」

「まず単純に、折角の同盟相手に餓えなんかで死なれては困るということ。確かにあなたの言う通り、彼らにとって得る物が大きそうな同盟だけれども、かといって、我々が得る物も0ではない。彼らが生き残って第三者を殺してくれればくれるほど、私達にとって状況は有利になるわ。」

 成る程、と、私は納得しかけたが、更に後ろの方から反駁が聞こえてきた。

「納得出来ませんね、」「周姉様。」

 霊場姉妹の挑み掛かりに、周姉様は悠然と、

「あら、どうして?」

「まず、今姉様は、」「那賀島組に他の連中を殺させようと、」「そう、仰ったように思いますが、」「しかし、それは姉様の実際の行動と、」「明確に矛盾しています。」「周姉様の狙いの通りに、」「那賀島組が誰かを殺しにかかるのであれば、」「その原動力は、おそらく、」「〝餓え〟のはずです。」「霧崎のような積極論者を除き、」「多くの者は、」「目の前の餓えを凌ぐ、」「その刹那的短絡的でかつ建設的な、」「奇妙な目的の為に、」「人を殺すのです。」「これを認めるのであれば、」「姉様のなさったことはまさに逆行。」「那賀島から、餓えと、すなわち殺人行為を奪う、」「愚かしい施し。」「故に私と千夏は、」「姉様の弁に納得致しかねます。」

 相変わらずの霊場姉妹の物言いへ私が前向きな意味で呆れている内に、姉様はしっかりと応じられた。

「残念だけれども、あなた達の論理には瑕があるわ、千夏さんに小春さん。その瑕とは、『人が人を殺すのは、霧崎さんの様なタイプを除けば、餓えによるもののみである。』、この前提が、あまりにも乱暴で大雑把であるということよ。

 一つ例を挙げましょう。例えば先程の那賀島と迚野さん、彼らは何故、霧崎さんを殺し得る機会を得たのかしら。」

 姉様は返事を待たずに続けた。

「彼らは、別に食事に困って霧崎さんに襲い掛かったわけではない。そう、霧崎さんの方からの襲撃を受け、それを返り討ちにしただけだったでしょう? つまり、餓えだけではなく、自衛の為の返り討ちも人が人を殺める原因となり得るわ。それも、大いによ。」

 それから姉妹達の寄越してきた沈黙は、いつもの癖の通りに、彼女らが互いに同じ顔を見合わせて間を取っていることを私に想像させた。実際にそうしたのかは、振り返るわけにもいかないので分からないが、とにかく彼女達は再び言葉を姉様に返した。

「しかし姉様。」「最大効率を考えれば、」「〝餓え〟による殺害の可能性と、」「その、〝自衛〟による殺害の可能性、」「それらを共に惟るべきでは?」「姉様の弁では、」「姉様の行った譲渡は、」「前者を全く蔑ろにし、」「後者を、彼らの生存確率を上げることで些か向上させるという、」「実に消極的で非効率な試みに思えてしまいます。」「しかし、姉様がそんな愚かしい真似など、」「なさる筈が御座いません。」「故に恐らく、」「周姉様にはまだ何かお考えがあると、」「私と小春は推察します。」「その点、」「如何でしょうか?」

 小さな溜め息の後、周姉様はどこか嬉しそうに返す。

「流石ね。まあ、あとでゆっくり皆に話そうとは思っていたけれども。そう、あの散財には狙いがあるわ。私達の弱みを、少しでもカヴァーしようという狙いがね。」

 私が堪らずに、前を向いたままさしはさんだ。

「どういう意味でしょうか。姉様は、我々に何らかの弱みがあるとお考えで?」

「ええ。あるわ、明確で特有な弱みが我々にはある。どう? 誰か、答えられるかしら、私達の弱みが何なのかを。」

 それからの、歩み進む我々が二つ角を曲がるまでのたっぷりとした沈黙と、そして、それを掻き消す、霧崎の「野郎がいないから、男子トイレに隠れている逸れ雑魚を見つけにくい、とかー?」という無様な戯言が、我々の至らなさを如実に語り、姉様を諦めさせた。

「言ってしまえばね。我々の弱点は、あまりに富み過ぎていることよ。」

「それはどういう意味ですか?」と私。

「先程の千夏さんに小春さんの言っていたところとも関わるのだけれども、想像して見てもらえるかしら、あなたが餓えに苦しみ、とうとうその日の糊口も凌げなくなった哀れな弱者、餓鬼の立場になった場合を。さて、二ヶ月過ぎて、周りはすっかり手強い連中ばかりになってしまったけれども、しかしこのまま餓え死ぬよりはましかろうと、とうとう意を決し、聖具をとって立ち上がった、蜘蛛糸のような幽き可能性に縋る、哀れな鬼。同じく幽き可能性であれば、より、芳醇な香りのするそれを目指すのが尋常の感覚ではないかしら。」

 その、周姉様のお言葉の負う文芸的趣を叮嚀に噛み砕き、残った骨を、もごもごと口の中で吟味してから、霧崎でも解し得るような平易な言葉で私は繰り返した。

「つまり、我々が大量のポイントを持っているが故に、窮した外敵共に襲われる可能性が高くなる、ということですか。」

「そう。そして、私達、周組と呼ばれる集団の中に、悪名高き〝霧崎ジャック〟が含まれているというのは、恐らく周知の事実。ならば詮索するまでもなく、私達が相当に潤っているというのは簡単に想像されてしまう。これが我々の最大の弱み。つまり、私達は存外危うい立場にあるのよ。」

 ここで霧崎が、案の定ロクでもないことを口走った。

「じゃあいっそ、ポイントを捨ててしまえばいいとか? それで、あまねえ様はあのおたんこなす達に、ゴミ箱にぶち込むのとおんなじ体で、2000ポイントを、と?」

「違うわ、霧崎さん。我々が2000だろうと、10000だろうと、とにかくポイントをいくらか放棄したところで、彼ら、哀れな餓鬼達はそれをどう知ると言うの? 『周組は大量のポイントをだぶつかせている』という印象を与えた時点で、我らの弱みは固定化され、これがどうにも、巌、……いえ、最早山のように覆し難いものなのよ。」

「では、結局何でですかー? あまねえ様が、ポイントを奴らに放り投げた理由は。」

「ここまで来れば簡単ではない、霧崎さん。いい? やはり、仮にあなたが食事に困ってポイントを一か八かで奪おうと決断した時に、片や、明らかに大量のポイントを抱えるも、〝霧崎ジャック〟を初めとし、厄介者ぞろいで未だ脱落者の居ない、堂々たる存在の周組。片や、凋落の残り滓で、そのくせ何故か2000のポイントを有する那賀島組。どうせ、残り日数からして2000もあれば使い切れないという状況を鑑みて、どう、霧崎さん? あなたならどちらを襲う?」

 私はぎょっとして、つい振り返る。そこで出会った周姉様の美しい鳶色の瞳に窘められ、私はすぐに前を向き直したが、霧崎の出番を奪うことは諦めなかった。

「失礼しました、姉様。しかし、まさかあなたのような高潔なお方が、初めから他者を捨て石にするつもりで、欺瞞の相互協力を騙ることがあろうとは、」

「違うわ。」その返事は早かった。「あなたは二つ誤解している。まず、今私は、私、あなた達四人、そして、そこに那賀島と迚野さんを加えた計七人、この七人で最後まで生き残れれば良いと、心の底から、そう、本気で思っているの。霧崎さんの命を奪わずにくれたことは、それほどの価値が十分にある。ただ、私はこうでも、向こうの腹積もりは分からない。あの、機転と奸智に多くを拠って生き残ってきた那賀島が、このまま大人しく我々の良き友人のままであるとは必ずしも限らない。もしそうなった時、つまり、最愛の妹四名の命と、汚らしい裏切り者二匹の命を天秤にかけると言う、忌まわしくも馬鹿馬鹿しい瞬間が訪れた時、私は、須臾も躊躇わずに、その首を、背徳者達の命を手折るわ。その時の為の具体的な手段を、謂わば保険として握っておくこと、悪くないとは思わないかしら。」

 その言葉を聞いた私の裡に起こった新しい寒気に対し、まるで毛布を掛けるかのようにして、周姉様は続けられた。その織布のけば立ちは、心の表面に対して些か厳しい。

「つまり、今那賀島達は、さっき私が霧崎さんに話したのとは丁度逆の状況、すなわち、大量のポイントを保有してはいるが、それが明らかとされていないという、最も理想的な富裕を享受しているけれども、もし、もしも私が、彼らの懐具合を喧伝してしまったら、どうなるかしら。そう、その時こそ、私達からの見返りを求めない純粋な贈り物は、一瞬にして腐り、毒を孕み、そして、甘い香りを辺りに撒き散らし始める。そこで私は白々しく願うのよ、これから腐臭を嗅ぎつけた多くの敵を迎えることになるのであろう彼らの武運を、薄っぺらい欺瞞の祝詞をもって!」

 揃いも揃って返す言葉を見つけられぬ我々の中で、姉様の独擅場は続いた。

「そしてもう一つの誤解として、〝高潔〟は、決して私の本質そのものではないわ。あれはせいぜい、装い、纏うべきものよ。何らかの理由で、泥水に、どぶに、あるいは肥溜めに手を飛び込ませる必要が有る時にせめて指輪や上着を外すようにして、高潔さというものは、必要に応じていとも容易く脱ぎ捨てられなければならない。すなわち、私は、普段はそうした方が都合が良いから、指輪や品の良い上着を纏って着飾るけれども、しかし、然るべき時になれば、そんなものはどこにでも投げ放って、いくらでも手を汚すわ。そう、あなた達を守る為ならば、私は何だって、騙し討ちだろうが裏切りだろうが、なんだってする。それこそが、私の本質よ。」

 言葉が切れると同時に、冬の日の朝の様な、爽やかな冷たさを纏ったものが私の中を突き抜けて行った。私は周姉様のお言葉から色々なことを思わされたが、しかし、ひとつ確実だったのは、やはり、私はこの方に仕えて正解であったということだ。生き残りの確率と言う意味でも、そして何よりも、命を抛つ価値のあるお方だと言う意味でも、だ。


 再び静寂を纏い始めた我々が、右に伸びるL字の曲がり角に突き当たる。姉様の右前方を私の横で守る霧崎が、短い首を伸ばしてその先を覗き込むと、その刹那、彼女は、すぐさま何か目掛けて駈け出した。半ば察した私が、急いで追いかけ始めると、当然すぐにその右方の視界が得られ、男一人女二人の集まりが、揃いも揃って顔を歪めているのを知ることが出来た。揃いも揃いとは言ったものの、その顔面の趣はそれぞれ異なっており、男一人女一人はただ、こちらに飛び込んでくる動物に驚いているだけだったが、しかし残る一人は、夥しい恐怖の表明を顔中に貼り付けていた。

 その女が、目一杯吃りながら叫んでくる。

「ジャ、ジャック!」

 その声を聞いて残る二人も一気に緊張し、己がじしの聖具を構え出す。あと数メートルばかりで駈け寄る霧崎の間合いに彼らが入る、というところで、その、叫んだ女が既に聖具を振りあげていた。冗談のように長大な柄と、それと比べると畸形のように小さな、しかし一般のそれからすればやはりあまりに巨大過ぎる顔面を持つ、その奇怪な大杓文字は、その女の腰の入った取り回しに順応に従って、天頂から、勢い良く床にめり込んだ。その勢いは、しかし、激突によって微塵も失われず、そのまま、本来の用途が如く飯を掬いとるようにして、床の建材を、事も無げに粉々に砕き、載せ、そして、そのままこちらに向けて投げ飛ばしてきた!

「霧崎!」

 私が叫ぶまでもなく、彼女は何とか踏みとどまっていた。私は急いで、霧崎の前に回り込みつつ、聖具を、自慢の大傘を拡げる。我々の前に出現した黄色い庇は、各が相応の重量と殺意を孕んだ無数の飛礫を、全て、雨粒のごとく軽やかに跳ね返した。その後すぐに霧崎が飛び出でたので、私も後を追うべく傘を横にどけると、あの三人組の影が、巨大杓文字の姿を誇らしげにこちらへ見せながら、逃げ惑い、小さくなりつつあった。すぐ後ろから、いつの間にかそこにいらした周姉様の声が聞こえる。

「待ちなさい、深追いは無用よ。」

 それを聞いて霧崎も、急ブレーキをかけたように立ち止まり、こちらに戻ってきた。

「怪我は?」

「御座いません。」

「ノープロブレム!」

 霊場姉妹がてこてこと歩み寄って来てから、私は霧崎を窘めるべく、

「今は何とかなったがな、しかし霧崎、一人であまり突っ込んでくれるな。」

「何言ってんの? あんなの、〝突っ込む〟の内に入らないよ。やばくなったら霜田に助けてもらう為に相当スピードを抑えて、強攻三割•撤収七割の精神で向こうに駈けたんじゃん。実際計算通りに、アンタも間に合ってくれたしね。」

 私は二重に呆れ、そのうちの片方だけを吐露した。

「あれで三割か。傲っているのでなければ大したものだ。」

「身の軽さと頭の軽さがアタシの身上なもので。」

 ここで、姉様が、

「確かに素晴らしい連携だったし、その、霧崎さんの小心もお美事。しかし、……これも後で言おうと思っていたけれども、折角だから今言うわ。霧崎さん、これまではあなたの実力と健気な思いを買って特別に許してきたけれど、那賀島相手に演じた九死に一生と、今の連携による命拾いを見て決心した、今後、あなたの単独行動を一切禁止します。」

 霧崎はすぐに、慌てた顔で、

「え、そんな、それでは、いつになったら私達が、あまねえ様が外に出られるか分からない、」

「まさかあなた、いくらかばかりこのサバイバルの終了が早まったからといって、私が喜ぶとでも、その歓喜の度合いがあなたを危険に晒す苦しさを、そしてあなたを失うこの上ない悲しさに勝るとでも、本当に思っているの?」

 周姉様は霧崎の顔をじっと見て続けた。

「先走って死ぬことなど、絶対に許さないわ。私達は、必ず五人揃ってここを出るの。今後は、出来る限り五人で揃って行動し、常に五人で敵を待ち受けましょう。そう、待ち受ければいいのよ。もう、どうせ残り人数は多くない。ただ待つだけで十分よ。」

 霧崎の小さな、しかし血腥い手が、姉様に、覆うようにして握られた。

「これも、あなたが頑張ってくれたお蔭よ、もう良いじゃない。これまで本当にお疲れ様、霧崎さん。」

 無骨な心なりに感極まったらしい霧崎は、そっぽを向いた。両手が姉様に捕まっている為に、紅潮と涙を隠そうとするにはそれしかなかったのだ。


24 井戸本組、絵幡蛍子

 徒労と空腹をのみを携えて塒に帰還した我々綾戸班は、そこの雰囲気に驚かされた。部屋の中央で大きな輪を象って何やら話しあう同志達の中から、綱島つなしま真夜子まよこが零れ出でて、こちらに向けてその蒼い顔をあらわにして来る。その首から提げた聖具が、持ち主が急に動いた結果、慣性と重力に弄ばれて提げ紐を蟠らせているのが見て取れた。

「綾戸! あなた達、戻って来たのね。」

「何ー?」

 一応班長である綾戸が、日頃の昼行灯ぶりを遺憾なく示したままで、すなわちぼんやりと応じた。

「同志がやられたのよ。」

 この綱島の言葉に、綾戸も多少の顰みを見せる。

「誰が?」

「緑川と、織田。」

 その名に私は仰天し、綾戸や紙屋と共に、輪を押し広げてそこへ加わった。すると丁度向かい真正面に、我らが主、井戸本いともと織彦おりひこ様のお姿が来る。しかし私の視線は、その、見目麗しいお顔や白々と映える上っぱりには注がれず、只管、井戸本様の学生ズボンを穿いた黒い足と、その横に同じく生えている続橋つぎはし遼太りょうたの黒い足とが、鯨幕のように空間を切り取っている先に覗ける光景に縛められた。そこでは一人の女学生が転がって、呻いている。その右手首は、どうやらそこから先の肉と骨を全て失い、その代わりに、薄汚れた布切れが不細工に巻き付けられていた。滾々と湧き出る彼女の生命は、出来合いの繃帯を染め上げるに飽き足らず、存分にその赤く鉄臭い身を床へ滴らせている。その、緑川唯の痛ましい表情に、堪らず私が目を逸らすと、丁度、井戸本様が口を開き始められていた。

「さて、綾戸君達も戻ったことだし、もう一度状況を整理しよう。今朝、三人揃って逸れを狩りに出た緑川班が、どこぞの人間から強襲を受けたのだ。まず、緑川君が右手を砕かれ、そして、次に織田君の頭が吹き飛ばされた。生き残った細木さいき君は何とか緑川君を連れて戻ってきたが、気力と体力を悉く使い果たした彼は、私へ報告をしてくれたところで倒れてしまい、今は休んでもらっている。」

 大きな手振りをもって、井戸本様は言葉を続ける。

「諸君、言うまでもないだろうが、私達はかたきを取らねばならない。如何なる犠牲をもってしても、織田君と緑川君に手を出した無道な者共を叩き潰してやらねばならない。これは確認するまでもないだろう。……ただ、ここからが問題な訳だ。」

 井戸本様がこちらに投げかけられてきた視線に応ずべく、私が問う。こういう場合本来なら班長が発言すべきなのだが、その、うちは綾戸なので、まあ、そういうことでいつも私が代わって発言するのだった。

「問題、とはなんでしょう。井戸本様。」

「その下手人が、つまり、我々が鉄槌を下すべきやからの名が、よく分からないのだ。」

 私は裡に浮かんだ疑問をそのまま零した。

「緑川や細木とあろう者が、その、我々に定められた、襲撃してきた相手の名を確実に知るという義務を怠ったのですか? その余裕すらもない激しい襲撃を受けた、と?」

「いや、寧ろ見事だった。確かに細木君は慌てふためくだけであったようだが、緑川君は、自分の手が破壊された中で、気丈なことに、その敵の名をしかと確かめたのだ。しっかりと端末から赤外線を発射することで。」

「では何故、名がまるで分からぬと言う事態が起きるのでしょうか。」

「良く聞いてくれたまえ、絵幡君。『名が分からない』のではない、『名がよく分からない』のだ。緑川君は確かに赤外線機能を用いて、その怨敵の名を端末の画面上に浮き出させることに成功したわけだが、不幸なことに、彼女には読めぬ名前だったらしい。」

「読めない? 漢字が、ですか?」

「そう、難解な漢字を使った苗字であったらしいのだ。そして逃げる時の混乱で何かしらボタンを弄ってしまったらしく、私達の元に命からがら戻ってきた時の緑川君の端末には、もう、その名は表示されていなかった。だから彼女の、一瞬その名を見ただけの朧げな記憶に縋るしかないのだが、そこから実際の名前を汲み出すのに苦労していて、私達はこうやってずっと、阿呆のように立ち並んでいたのだ。」

 私は再び、地に伏す緑川を眺めた。向こうで数人ばかりの――なんら治療の術を持たない――同志に囲まれて励まされている彼女は、只管に顔を顰めている。とても、痛ましい。

 まるで私の目をそこから引き剥がすようにして、井戸本様は言葉を続けた。

「彼女が、緑川君の言うには、足偏に、……分かるかい? 例えば『距離』の『距』の左側の部品だが、とにかく、その足偏にあまりにも煩雑な旁を伴った漢字が二つ居並んでいたらしく、とても心に書き留められなかったらしい。しかもその二文字だけでなく、苗字は更に一文字続いたというのだが、果たしてその漢字もなんだったのか」

「『躑躅つつじ』。」

 私の右脇の、少し低いところから俄な声が飛び出て井戸本様の語りを差し止めた。ふと見ると、そこには綾戸の頭がある。我らが班長は、いとも珍しいことにこういう場で有意味な発言を始め、そして、尚も続けた。

「多分、その漢字は『躑躅』。足偏の複雑な漢字が並ぶ言葉で、かつ、人の苗字に使えるようなものは、おそらく躑躅しかない。そもそも足偏の漢字は人名に向かないもの。」

 ツツジ? よく分からんが、足偏ではなく木偏とかじゃないのか?

 首を傾げる私の前を掠めつつ、井戸本様の問いかけが綾戸に投げ掛けられる。

「それはどういう漢字かな、綾戸君。」

 彼女はブレザーの内から紙切れと鉛筆を取り出し、すらすらと、持ち前の綺麗な字体で記し始めた。……え? 何その字? 私の間抜けな驚きなど意に介せず、綾戸は、その完成した熟語を、数歩進み出でて両手で差し出した。

「どうぞ、井戸本様。」

 我らが主は、受け取ったその紙切れをみて眉を顰められる。

「これは酷く複雑だな。成る程、緑川君が読めなかったことも記憶出来なかったことも納得出来よう。」

 井戸本様はそう呟かれると、自身の右手首の端末を操作し始められ、まもなくどこかへの通信が繋がった。その音量は大きめに設定されており、私達も容易に内容を知ることが出来る。

『はい、井戸本さん。まいどどうも、佐藤です。』

「早速用件を言うがな、今生き残っている中で、躑躅で始まる名の人物と、その所属を教えてくれたまえ。」

『躑躅、ああ、はい。存じ上げております。そうですね、5ポイントでどうでしょうか。』

「いいだろう。……送ったぞ。」

『はい、確かに。躑躅で始まる人物は、僕の知る限り、「躑躅森馨之助」だけですね。所謂「葦原組」に所属する人物です。』

 ここで井戸本様は、狡そうな顔になって、

「ああ、あのアシハラ組か。まだ、全員生き残っているのだろうかな。」

『間違いなく、三人とも健在です。』

「そうか。ではまたな。」

 自称情報屋との通信を切った井戸本様は、まず、どこか楽しげに宣った。

「さて、皆も聞いての通り、その下手人はアシハラとかいうどこぞの馬の骨の配下の者で、そして、今佐藤が愚かしくポイントも取らずに口を滑らせたところによると、アシハラと、躑躅森と、そして誰かしらを加えた僅か三人からなるグループであるらしい。これならば、戦力上での憂いはないだろう。まあ、規模が小さい分、捜すのにいくらか骨は折れるかもしれないがね。」

 しかし井戸本様は、その後すぐに顔を真面目に引き絞り、

「では、諸君。先のこととして、これからアシハラ組とやらを全力で叩くということは決定されたわけだが、今目下の問題として、緑川君の処遇を決めねばならない。」

 私は、そして恐らくは円を構成する他の皆も、一様に厳しく緊張した。井戸本様はいかにも言いづらそうに、まるで、そこに存在する不可視の膜を破るのに苦労しているかのような調子で続ける。

「とても悲しいことだが、はっきり言ってしまえば、今我々に、(ここで井戸本様は大いに躊躇ってから続けられた。)……を養う余裕はない。そして、これほどの大怪我人をサバイバルが終了するまで生かせる術があるとも思えない。更に悪いことに、このまま彼女が死亡すれば、その死によるポイントが躑躅森に行ってしまうのではないかという懸念がある。死亡判定や殺害判定の方法に関してはまだよく分からないこともあるから断言出来ないが、いや、よく分からないからこその不安として、とにかくその可能性があるのだ。

 つまり、我々は、……緑川君を我々自身の手で殺めないといけない。そうなるだろう?」

 誰も何も言い返せなかった。その、井戸本様の弁に瑕瑾の無いことが、論理だった反駁を塞ぎ、そして、井戸本様の沈痛な面持ちが、感情に駆られた抗弁を口から出る前に凋ませたのである。

 この重い沈黙を破ったのは、私の左脇に立つ綱島の、更に左脇に佇む、緩鹿ゆるが光治みつじであった。彼は、いつも通り、生来役に立ったことがないと言う両目を閉じたままで話し始める。

「井戸本様、ではどうでしょう。その役目、私が請け負いましょうか。私なら、忌まわしいものを脳裡に焼き付けるということも起こりますまい。」

 すぐさまにこの盲人の具申へ肯んぜんとした井戸本様を、私は急いでとどめた。

「いえ、井戸本様。どうか、私にやらせて下さい。私は緑川をこの手で絞め、葬り、そして寧ろ、その光景を積極的にまざまざと胸奥きょうおうに祀りたいのです。その影こそがこの先の戦いにおいて私に力を与えると思うのです。どうか、緑川の最期を闇に捨てるような真似をなさらないで下さい。」

 井戸本様は、少しだけお考えになってから、

「そうか、君は緑川君と親しかったのだったな。いいだろう、そう言うのなら君に任せよう、絵幡君。」

 私は神妙に頷くと、井戸本様へ一旦寄り、そのまま通り過ぎて緑川の元へ向かう。彼女は相変わらず、ひしゃげた顔の上での痛みの侵掠をそのままにしていたが、しかし、声は露ほども乱さずに、しっかりと私に向けて話し始めた。

「大丈夫、覚悟はとっくに出来ているわ。寧ろ、有り難う。蛍子、他ならぬ友の、あなたの手で死ねるのであれば、この上ないことだわ。」

 しゃがみ込み、彼女の付き添い達をさりげなく追い払った私へ、緑川は小声で続けた。

「ただ、一つお願いがある。あなた以外に、私の死を見られたくないの。だって、あなたが、さっき言ったように、私の死をもって強くなるのであれば、私は、それを通じてあなたに出来る限り貢献したい。ならば少しでもその純度を損なわぬよう、あなたにだけ最期を看取られたいの。」

 私は頷くと、替えのない一張羅が血にまみれるなど意に介せずに、彼女をそっと抱き起こした。肩を貸しつつ無言で翻り、円陣を突っ切って、部屋の外に向け彼女と共に歩み進む。説明を与えずに緑川を拐う私を誰も咎めず、ただ黙って見送っている。その神聖なる空気の中で、強いて言えば、円を抜ける間際に綾戸の向けてきた瞳だけが、私の心に引っかかった。

 他に誰も居ない廊下で二人きり。私は聖具を断頭台の刃の様に帆立てて、寝そべる彼女の白い首を、その、巨大すぎる刃の一撃の下にった。その鈍らさが与えた余計な感触は、聖なる嫌悪感を伴いつつ、まざまざと私の裡に刻まれたのである。


25 葦原組、躑躅森馨之助

 俺達三人は、苦境の窮まりの中に身を沈めていた。あの彼方組の射手と遭遇した時――暢気にも――退屈していた路川が適当に発射した赤外線が抜いた名前、「細木隆也」という名を、今さっき事のついでに佐藤に確認して見たのだが、……ああ、なんということか、この細木ってのは井戸本組の連中じゃないか! 俺達は急遽真剣に話し合いを始めた。

「まず、僕が撃った赤外線のことをお話しますが、そう、僕はあくまで適当に、まあ、精々躑躅森に当てぬようにと、それくらいの態度で端末を操作していました。で、幸いにそのテキトーな心配りは功を奏し、見事躑躅森の端末の受信部を外して、つまり向こうに居た連中の誰かしらを射ぬくことに成功したわけです。」

 葦原の兄貴が応じた。

「あの名前、……ホソキタカヤ、それともリュウヤか? 何て読むのかは知らないがとにかく、男の名前であることは間違いないよな。となれば、躑躅森の言っていた、銃を構えた女は関係ない、と。まあそもそも、銃を持っている時点で、彼方組に決まっているわけだが。」

 俺が付け加えるに、

「更に、路川が赤外線を放った時には、既に一人の男が銃殺されていました。そして、俺が仕留め損ねた奴は女だった。つまり消去法で、そのホソキなんたらは女を抱えて逃げ延びた奴の名前と言うことになります。……ああ忌ま忌ましい、あの彼方組の間抜け女、ホソキも銃殺してくれれば良かったものを。そうすれば、彼方組アイツらも俺達も、井戸本組から執念深い恨みを買わずに済んだと言うのに。」

 路川は、その女々しげな顔立ちの上に不安の色をあらわにしていた。

「で、どうしましょうね。もしも僕達三人が井戸本組と正面からぶつかったら、……まあ、正直、それはそれはひとたまりもないでしょう、何せ数が違い過ぎます。生き延びる為にはここから何かをしないといけないですね。すなわち、何か素晴らしい作戦を思いついてこの絶望的戦力差をひっくり返すか、あるいは、この先ずーっと、井戸本組が何者かとの戦いに破れて崩壊するその日まで、奇蹟的に彼らの目から逃れ続けるか、そのどちらかを。」

 俺は堪らずに、

「素晴らしい作戦と言っても、俺達とアイツらとの戦力差、すなわち人数差は、考える頭の数の差でもあるんだぜ。葦原兄貴はともかくとして、俺とお前の頭で、この人数差をひっくり返すような切れ味の発案が可能だとはとても思えないね。」

「じゃあどうするんだい、躑躅森、まさか今僕が冗談で言った、隠れ果すってのを本気で試みるつもりかい? 無理無理、あの人数で本気の〝山狩り〟みたいなのをされたら、きっと高々数日中には見つけられてしまうよ。」

「なら、何かいい考えが、井戸本組を直接破るアイディアが考えつくとでもいうのかよ。それこそ非現実的だぜ。」

「非現実的だろうがなんだろうがやるしかないよ、躑躅森。奇蹟を信じて頭をぐりぐり捻るんだ。」

「結局奇蹟待ちなら、逃げ延びるのと比べてどこがどう上等なんだよ。」

 見兼ねた葦原兄貴が、俺達を制すように両の手の平を見せつつ、

「待て待て、そこまで見当違いなことを言っているわけでもないが、だからといって生産的な態度とも言えないぞ、躑躅森に路川。もっと落ち着いて考えてみるんだ。」

 兄貴はそのまま続ける。

「良いか。路川は先程、何かしらの戦略を井戸本組を破るという可能性を語り、躑躅森はそれを、俺達では井戸本組の理智を上回れる理窟がないと反駁した。まあ、確かにそうだが、しかしな、そもそも、路川の置いた前提が少々拙まずいのではないかな。」

「それはどういう意味で?」と返す路川に、兄貴は、

「つまりだ、俺達は井戸本組相手に勝らないといけないが、別にそれは、井戸本組では思いつかない手段を必ずしも必要とするわけでない。平易な発想に基づく方策でも、井戸本組に実行不可能なそれであればいいわけだ。」

 路川は、小さく頷いてから、

「まあ、それは確かに。しかし、井戸本組に出来なくて僕達に出来ることとは? まあ、リフティング勝負とかなら負けませんけど。」

 路川の茶化しは取り合われなかった。

「井戸本組は確かに手強い相手だが、しかし、だからこそ、あいつらを疎んでいる連中は相当多いだろう。あれだけの人数、ええっとこれで十八人くらいなのか? とにかく大所帯を抱えていれば、『早い内にあの人数を少しでも削っておきたい』と思われるのが自然だ。つまり、井戸本組と対抗することを明言すれば、どこか、他の組と連携が取れるかもしれない。」

 他所よその連中と手を組むってか! 全く気が進まない俺は抗弁を試みた。

「しかし兄貴、連携と言っても、この容赦ない殺し合いの中では、他所よそと信用し合うなんてとても容易には、」

「それはどうかな、躑躅森。少なくとも今回はそこまで非現実的でないと思うぜ。お前もさっき零していただろう、今回の出来事で恨みを買ったのは、俺達だけじゃない。」

 突然路川が元気な声を出す。

「そうか、彼方組!」

「そうだ。彼方組も、今の俺達と同じような問題、井戸本組に睨まれるという事態を抱えている筈で、しかも、どこかと共闘する上では向こうの方が困るだろう。何せ、彼方組は井戸本組同様に危険視されているし、また、あの戦い方からして卑怯だなんだと目の敵にしている連中も居ると聞くぜ。まあ、俺に言わせればナンセンスな戯言だが。

 とにかくだ、彼方組に共闘を打診すること、悪くない話だと俺は思うがな。」

 背に腹は代えられぬかと諦めかけていた俺は、せめて、一言物申した。

「で、どうやって彼方組と聯絡を取るつもりで?」

「それは勿論、前に三觜組と取引した時と同じように、だ。」

 ま、そりゃそうだよな。俺は諦めて、気持ちの整理をする努力を始めた。


26 彼方組、鉄穴凛子

「やあ、鉄穴さん。」

 私は後ろからのその呼びかけで目を醒ました。……ん? 目を醒ました、だと? ええっと、……ありゃりゃ、作業中に眠ってしまったかな。私は目を擦りながら首だけで振り返り、背後に高く聳える針生君の顔をなんとか認めた。欠伸をしながら立ち上がると、彼の方から畳みかけてくる。

「おや、御免。起こしてしまったかな。」

 私はぼんやりとその四角い眼鏡の照り返しを眺めてから応じた。

「ああ、気にしないで。でも、もうすぐ本気で眠らせてもらおうかな。」

「疲れているのなら無理しないで欲しいね。何せ、僕達のチームは君を屋台骨としているのだから。」

 屋台骨かあ、同じ建材の喩えなら大黒柱の方がって感じで好きなんだけれども、まあ、棟梁とかよりはマシかな、あれはリーダー限定って感じだし。

 そういうどうでもいいことを思いつつ、早く眠りたくなった私は、針生君のお勧め通りにとっとと寝所に着くべく、一刻も早くお引き取りを願おうと、彼の用事を済まさせようとした。

「で、何か良いことでもあったの?」

 どうせBB弾をもらいに来ただけでしょ? 

「ああ、あったんだよ。」

 ……え? マジ?

「さっき、僕も久々に一人仕留めることが出来てね。しかも、そいつはそこそこのポイントを持っていたんだよ。これでしばらく助かるね。」

 私はようやく会話にやる気を出して、

「そんなにポイントを持っていたのなら、もしかして、逸れじゃない?」

「ああ、そうだよ。あの組からはまだまだKILLが取れそうだ。」

 その針生君の下劣極まりない表現に対して露骨に眉を顰めないくらいの分別は、いくら私といえども持ち合わせていた。

「へえ。よく分からないけれども、そんなに上手い話があるんだね。」

「まあ、これも頭の使い方だよ。あるものは使わないとね、奴らと違ってさ。」

 辛辣な揶揄をどこかに対して投げた針生君の身を飛び越えて、突然、素っ頓狂な喚き声が向こうから聞こえて来た。

「うわぁ! 御免。あんずさん、御免ってば。」

「いいえ、銅座、今度こそは許さないわ。今日こそアンタにデリカシというものを骨の髄まで叩き込んで、いえ、いっそのこと、その頭蓋骨をかち割って直接捻じ込んであげる。ほら、どうざぁ、尋常に座りなさいよ。ほら、ほら、ほら!」

 針生君は派手な溜め息をついて、

「全く、さてはまた銅座の奴が余計なことを言ったな。」

 彼は二人の方へ歩み去って行った。ああ、なんだかなぁ。……いやさぁ、さっき針生君はどこかの誰かの低能さを揶揄からかったみたいだったけれども、ウチらの馬鹿さ加減も大概だよね。

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