保育士志望16歳、獣人の子育てはじめました
道理伊波
いち
ぼく、
それはあまり父に気をかけてもらえない僕への気遣いだったのか、父の弟――誠叔父さんからの提案だった。誠叔父さんは父と大きく年の離れた、後妻との子どもだったという。とはいえ、利発でだれにでも好かれる叔父は独立して経営者となった。
ぼくが住んでいるマンションも、何かとぼくを気にかけてくれる誠叔父さんのものだ。
そもそも、ぼくが一人暮らしをする理由は家にあった。
乙瀬家は、そこそこ有所正しき御家柄らしく、家も立派で大きな会社をたくさん経営している。おもに、医薬品開発の大半を手にかけ、今でも世に大きく貢献しているのだという。ただ、ぼくの将来の夢はそんな家の当主になるとか、社長になりたいだなんて大それたものではなかった。
――保育士になりたい。
それは、かつてより保育士であった母方の祖母に憧れてのことだった。母も、父と結婚するまでは保育士として働いていたらしい。どうやら、それがぼくにも受け継がれたようだ。
しかし、父はそれを猛反対している。
それはよかったのだが、ちょうど二年前に母が亡くなった。もとより、肉体も精神も頑強ではなかった母が、息を引き取る。それが引き金になったのか、父は女遊びをはじめ、なかなか家に帰ってくることもなかった。もとより、父は母に優しいわけではなく、よくイメージするようなモラハラ野郎だった。――そのうえ、亭主関白に拍車もかかっていた。
そんな時、あの広い家を持て余していたぼくに、誠叔父さんが「一人暮らしをしないか」と提案してきたのだ。少し迷ったものの、ぼくが通うことになっていた私立の名門高校は家より遠かった。県外ではないのだが、時間をかけて通うのは少し惰性が働く。――そんなわけで、僕は誠叔父さんの提案にうなずいたのだ。あの、広いくせにがらんとした家にもいなくて済む。
「唯、聞いてる?」
ちょっと昔のことを思い出していたぼくの顔を覗き込む者がいた。
少し派手な茶髪に、アーモンド形の瞳、細く通った鼻筋は彼の真面目さをかき消すような印象がある。どこか、優男然とした彼は、ぼくの叔父だ。――乙瀬誠、今年で27歳だという。ぼくとの歳の差は11歳。どちらかというと、父との兄弟よりも、ぼくと兄弟だと言われたほうがしっくりくる年の差だ。
彼はもう高校二年生だというぼくより、相当背が高くイケメンである。僕はよくかわいいと言われるので、相当解せないものがあった。
「き、聞いてるよ。誠叔父さん」
「うんうん、それはいいんだけど。おじさんはやめて欲しいなぁ」
苦笑を交え、「俺、まだそんな年じゃないもん」と少しだけ唇を尖らせた。すこぶるお茶目な人だと思う。彼は海外にもクライアントがいると聞いたことがあるから、こう、よくしゃべると相手の印象もいいのかもしれない。――まぁ、誠叔父さんの見た目も相まっていると思うけれど。
「ま、今はいいか」
「あ、はは……。ところで、今日はどうしたの?」
ぼくは誠叔父さんの目の前にお茶とお茶菓子を置いて、彼の向かいに座った。彼がぼくの住む部屋を訪ねてきたのは、ほんの数分前。なに、預けたいものがるのだそうだ。だが、彼が持ってきたのはいつもの高そうなハイブランドのバッグくらいだ。渡すのは今日じゃないってことだろうか。
「あ、ああ。渡したいのがあってな、今は車だ」
どうやら、大きな荷物の予感だ。
彼は席から立ち上がり、僕に車まで一緒に来るようにと目配せする。――たしか、誠叔父さんの車は、運転手さんがいるちょっとお高い車だった気がする。一目ぼれして買ってしまったと、四年ほど前に入の一番に教えてくれたのを覚えている。
「何を預かればいいの?」
ぼくは彼の後を追い、問いかける。誠叔父さんはまだ内緒だと、口元に人差し指をやり悪戯気な笑みを浮かべる。
それから、シャープな線が華美な真っ白な新品同然に手入れされた車を指さす。中にあるのだろうかと首をかしげると、誠叔父さんの運転手さんが顔を出す。たしか、叔父さんと同い年で、長谷川さんだった気がする。
「長谷川、大丈夫そうかい」
「ええ、おそらく。丁重に扱っております」
生ものに対する言い方みたいだなと、感じた。長谷川さんはぼくに会釈して、少しだけ頬を緩めた。長谷川さんは、眼鏡の真面目そうな人で、叔父さんと同じように目立つ容姿をしている。いつもスーツを着込み、スタイリッシュな美丈夫と言ったところだ。
彼は先に誠叔父さんを通すように車の扉を、
「唯もおいで」
ちょいちょいと誠叔父さんはぼくを手招きする。
僕はそろそろと遠慮がちに、その車の中へと足を踏み入れた。その内部は普通の自動車とは違い、ちょっとしたくつろげるスペースとなっている。相変わらずなれないが、ちょっとした機密事項は車で話すのだとか。
踏み込み、僕はぱちくりと一度瞬きをした。そこに、小さな影が二つあるではないか。それはぼく、それから誠叔父さ万までをも避けるように車のすみに寄り、寄り添っている。
「えーと?」
「その子たちを頼みたいんだ」
首をかしげるぼく。それから、車の隅に寄り添い震えている小さな影二つを指さす誠叔父さん。
それは明らかに人間ではなかった。いや、存在は知っていたが、こんな小さな子供の状態は目にしたことがない。――それは、約半世紀前に行われた生物実験による成果であった。――彼らは獣人と呼ばれ、特徴的な耳やら尾やらを持つ存在。
「最近よくニュースで見るだろ? その子たちも同じ状況だった、だから拾ったが、
俺だとおびえられて……」
苦笑して、後頭部に手をやる誠叔父さん。
最近のニュースとは、その獣人に関するものだろう。彼らは獣の耳やしっぽを持つため、可愛らしいと手に入れる人はいるのだが、それが長く続かない人も多い。つまり、彼らをペットのように扱う下劣な存在や、安易に捨ててゆく人が増えているらしい。
「ぼくがこの子達を……?」
「あぁ、唯は成績優秀だし、生活もきちんとできている。頼めるか」
僕は誠叔父さんの言葉にうなずいた。
誠叔父さんは少しほっとしたようだった。それから、ぼくの頭に手を載せわしわしと撫でる。少しくすぐったかったものの、別に心地が悪いわけではない。
「でも、この子達の洋服とかどうすればいいの? 食べちゃダメなものとか……」
「ああ、知ってるだろ。獣人は人間と食生活は変わらない。アレルギー検査の問題も
なかった。衣類は後ろに積んである」
誠叔父さんはグイっと親指を後ろに積まれたたくさんの鞄らしきものを指さした。ずいぶんとたくさん準備したらしい。――まぁ、誠叔父さんが住ませてくれる部屋は独り暮らしのわりに広いし、スペースも余っているし。
ぼくは誠叔父さんにちらりと目線をやり、それから小さな影二つに近寄った。片方は三角形とやや長めのしっぽが印象的で、白色の髪の毛に混じる茶色やら黒色の毛で三毛猫の獣人だとわかる。もう片方は、長くぴんと張った耳とまん丸の大きめのしっぽ。髪の毛はしっとりとした黒色でこの子は黒兎だろう。
「二人とも、こんにちわ」
ちろちろと、向けられる視線を気にせず、笑みを浮かべてぼくは呼びかける。
二人はそろりと顔を上げた。見るからに三歳とか四歳くらいだろう。三毛猫の方は少し垂れ目がちで、おどおどとしている。黒兎の子は大きな瞳をピカピカさせて、こちらに鼻を近寄せてくる。
「ぼくは、唯。二人の名前は?」
「ちぉ!」
問いかけると、黒兎の子が元気にそう答えた。まだ舌っ足らずで、可愛らしい。和ましい気分になりながら、ぼくはうんうんと頷く。おそらく、黒兎の子は「チヨ」だ。それから、ぼくと目線が合うなり逸らした三毛猫の子に視線をやる。それから、その子の頭を優しく撫でやると、黒兎の子がすり寄ってきた。「自分も撫でろ」という主張だろうか。ぼくはチヨ君の頭も撫でる。すると、少しは安心だと感じたのか三毛猫の子が、もじもじとぼくに耳打ちをする。
「を、とぉ」
やや独特なイントネーションだった。ただ、少しでも心を開いてくれたなら嬉しい。三毛猫の子――ヲト君に微笑みをかける。すると、すぐさまハッとして、目をそらされてしまった。
「唯。唯が学校の間はシッターを頼む。それ以外は、その子たちを頼むよ」
誠叔父さんはニコリと笑みを浮かべ、ぼくの前に来る。びくりと肩を震わせ、チヨ君とヲト君が僕の背後に隠れる。おそらく、二人には誠叔父さんが巨人とかに見えているのだろう。
それから、誠叔父さんはぼくに一枚の書類を見せた。
ぴらりと、見せられた書類に絶句する。それは、ある意味ぼくの将来に大事なものであった。保育士ではないが、獣人専門保育士として推薦すると。そう、書かれてあった。その条件はたった一つ、「二人が自立できる状態を作る」ただそれだけ。ただ、それは簡単ではない。自立させるなど、ある意味長期的なものだ。
ただ、これを頼んだ誠叔父さんはぼくを信じてくれている。
ならば、やるしかないと内心燃えてきた。ぼくは、誠叔父さんに渡された書類にサインを入れる。
「わかりました、乙瀬誠殿」
家の人間がやるように、畏まって頭を下げた。
――これから、前途多難な育児が始まるのだ。
保育士志望16歳、獣人の子育てはじめました 道理伊波 @inami_douri
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