第13話「冷酷な女」

「――お人好しは死んでも直らない、か……」

「ニーニャ……?」


 肩を掴まれて振り返ると、ニーニャがとても懐かしそうに――そして、呆れたように笑っていた。

 まるで、《仕方がないなぁ》とでも言いたげな笑顔だ。


 しかし、すぐにニーニャの表情は無表情へと変わる。

 そして俺に対して問い掛けてきた。


「どうして助けるの?」

「えっ……?」

「今助けようとしている人間たちは、君をいじめようとしていた人間たち。助ける価値なんてない」


 俺はニーニャの言葉に耳を疑う。

 冷たく、吐き捨てるようにニーニャはリーダーたちを見捨てろと言ってきた。

 先程まで優しい笑みを浮かべていた彼女とは別人のように思える言葉に態度だ。


 それに疑問もあった。

 そもそも、どうしてリーダーたちが俺に嫌がらせをしていた事を知っている?

 ニーニャはいったいいつから俺たちの事を見ていたんだ?


 このニーニャという少女に対して疑問が絶えない。

 むしろ増える一方だ。

 いったいニーニャは何者なのか――それは気になるが、今はそんな問答をしている時間も惜しい。


「例え自分に危害を加えようとした人間だろうと、助けられるなら助けるべきです!」

「甘い。ナギ・・は甘すぎる」


 名前まで知られている……。

 いや、ラクスが俺の事をそう呼んでいたからだろうか?

 わからないが、今はそんな事もどうでもいい。


「あなたには悪いですけど、このやり取りをしている時間も惜しいです!」


 俺はそう言うと、ニーニャに背を向けてホワイトオオアナコンダの体と向き直る。

 消化液に溶かされないようにするなら、魔法で作った水の膜を体に張ればいい。

 そう考えた俺は水の魔法の詠唱を始めようとする。


 しかし――なぜか、突然全身から力が抜けてしまった。

 思わず倒れそうになり、なんとか足を一歩踏み出す事で倒れるのを防ぐ。


 いったい何が起きたのか。

 混乱する俺に対して、今の現象について説明をするようにニーニャが冷たい声で話し掛けてきた。


「ナギの魔力をもらった」

「なん、で……?」

「ニーニャの魔力は一割も回復してないから。結晶にいた時に君からもらった魔力は、言わば土台にするためのもの。それで今、その土台にした魔力を膨れ上がらせるために別の魔力を餌としてもらったの」


 ニーニャが言っている事を踏まえるなら、俺の中には二種類の魔力が流れており、片方はニーニャの力の源に、もう片方はその源になった魔力を膨れ上がらせるために必要だったという事だろうか?

 それにしても、どうしてこんなタイミングで……。


「そんなの……後でよかったんじゃ――って、今度は何を……!?」


 ニーニャは俺の言葉を無視してなぜか自分の口を俺の首元へと当ててきた。

 そして、チューと吸うように俺の魔力を吸い始める。


「なっ、なっ、何をしてるの!」


 俺たちの様子を見ていたラクスが慌てて止めに入ろうとする。

 しかし、ニーニャが何か魔法を使ったのか、ニーニャとラクスの間に透明な壁のような物が出来たようだ。

 見えない壁に勢いよくぶつかり、ラクスは痛そうに顔を押さえながら蹲った。


「ニーニャが必要とする魔力は膨大。それを摂取するには口から吸いとるのが効率がいい」


 舌なめずりをしながらニーニャは自身の行いを俺やラクスに説明をする。

 そして再度俺の首に口を当て、魔力を吸い始めた。


 俺は首からくるくすぐったさを我慢しながら抵抗しようとするものの、体に力がうまく入らずニーニャをどける事が出来ない。

 今はニーニャが俺の体を掴んでいるが、彼女が手を離した途端に俺は地面に倒れてしまうだろう。


 そして何より、お腹の当たりからニーニャに吸われている首までが火傷しそうなくらいに熱かった。

 熱くなっている部位で大量の魔力が吸い取られているのがわかる。

 こんな膨大な魔力がいったいどこに眠っていたのか疑問に思う間も、吸われても吸われても魔力が消える気配はなかった。

 やがて、満足をしたようにニーニャが口を離す。


「――んっ、全快。さて、と」


 魔力を回復したらしきニーニャは、視線をホワイトオオアナコンダの体に向ける。

 そして手をかざすように、右手をホワイトオオアナコンダの体に向けて構えた。


 まさか――!


「何をしようとしているんだ!?」


 ニーニャがしようとしている事を察した俺は、ニーニャに向かって声を張り上げる。

 すると、ニーニャは氷を思わせるような冷たい目で俺の顔を見てきた。


「自分に牙を向けた人間はちゃんと排除しないとだめ。ここで見逃したら次は自分の大切な人を傷付けられるかもしれない。その時に後悔をしてももう遅いんだよ」

「待てよ! それとこれとは話が別だろ!?」

「うぅん、同じ。悪意を向けてきた事に大きいも小さいもないの。例え今は悪ふざけだったとしても、やがてそれは膨れ上がって大きな悪意になる」

「だからって――!」


「それにナギは、魔力がほとんどない状態でモンスターと戦わされそうになったんだよ?」

「――っ!」


 ニーニャが言いたい事がわかり、俺は思わず息をのんでしまう。

 そんな俺に構う事なくニーニャは言葉を続けた。


「魔法も使えないのに戦うなんて自ら殺されに行くようなもの。この人間たちがやろうとした事は悪ふざけでも済まない。だから報いを受けて当然」


 ニーニャはそう言うと、膨大な魔力を右腕に集め始める。

 そして呼応するかのように空気が震え、樹木がざわめきを立て始めた。


 ――強力な魔法を使う。

 傍から見ていてもそれはわかった。


「やめ――!」

『――ビックバン』


 俺の制止は間に合わず、ニーニャは魔法を使ってしまう。

 その瞬間、大きな爆発音とともにホワイトオオアナコンダの体から向こう側が一瞬で砂地へと変貌してしまった。


「そん、な……」


 目の前からホワイトオオアナコンダの体が消えてしまった事で、俺はショックからくずおれてしまう。


 助けられる命だったかもしれないのに、助ける事が出来なかった。

 しかも今度は先程と違い、確実に中にいた者は死んでいる。

 もう、望みなんて物はなかった。


「覚えておくといい。人を殺すのが当たり前の世界で、その甘さは命取りになる。自分の大切な物を失いたくなければ、敵意を向けてくる者は殺さないといけないんだよ」


 耳に入ってくるニーニャの冷たい声を聞きながら、俺は呆然としてしまうのだった。



          ◆



「――なんて事をしたのよ! あなた自分が何をしたのかわかってるの!?」


 ショックから地面にくずおれてしまったナギを横目に、仲間もろともホワイトオオアナコンダの体を吹き飛ばしたニーニャにラクスは怒鳴り声を上げた。

 そんなラクスに対してニーニャは無表情でつまらなさそうに口を開く。


「ニーニャは人間が嫌い」

「だからって殺したっていうの!?」

「だけど、ナギは特別」

「意味がわからない! 私の質問に答えなさい!」


 質問をはぐらかされていると捉えたラクスは、怒りに任せてニーニャの胸倉を掴みあげる。


 ラクス・ミュンテは臆病な少女だ。


 本当は気が弱く、夜の廊下を一人で歩くのさえ怖がるような性格をしている。

 だからこそ、家の権力と才能を盾に威張って誰も自分に歯向かってこないようにしていた。

 強気な少女の仮面を被らないと、すぐに弱くて臆病な自分が出てしまうからだ。


 ナギに嫌がらせをしていたのもそう。

 忘れられていた事がショックで、突っ掛かるようにしないと話せなくなってしまったのだ。


 そんな少女が今、自分よりも遥かに強くて怖い存在に本気で歯向かっている。

 それは仲間を殺された事よりも、ナギを傷付けられた事にあるとラクスは自覚していない。

 逆にニーニャは、ラクスがどうしてここまで本気で怒っているのかを理解していた。

 だからなのか、自分の胸倉を掴まれているにもかかわらず、ラクスに何かをする素振りは見せない。

 その代わり、ゆっくりと口を開いた。


「あのモンスターの中に生命反応はなかった」

「えっ……?」


 ニーニャは小さく呟くと、戸惑うラクスの手を少し優しめに剥がし、ラクスたちに背を向けて歩き始める。

 その後ろ姿を眺めながら、ラクスはどうしてニーニャがホワイトオオアナコンダの体を消し去ったのか理解した。


 生命反応がなかった――つまり、そもそも食べられた者は死んでいたのだ。

 だけどそれを知ればナギはショックを受けてしまい、自分を責めてしまう。


 だからニーニャはわざとホワイトオオアナコンダの体を消し去り、自分が殺したように演じて見せた。

 少しでもナギが自身ではなくニーニャを責めるように仕向けた、ニーニャの心遣いだったのだ。


 そもそもニーニャはこの場で一つの矛盾を生んでいた。

 ナギには敵対する者は殺せと言っておきながら、ニーニャ自身は一度ホワイトオオアナコンダを見逃そうとしたのだ。

 それはつまり、ニーニャが本気で相手を殺さないといけないと思っているわけではない事を意味している。

 冷徹に殺したように見せるために、ナギの前で冷酷な女を演じただけだったのだ。


 ニーニャの気持ちを察したラクスはそれ以上何も言わず、くずおれてしまっているナギの傍に寄り添うのだった。

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