第4話「森の支配者」

 俺の前に立つのは、長い耳を縦に真っ直ぐと立たせ、二本の前歯を口から出すモンスター。

 全身は白い毛に覆われており、見た感じはふわふわとしていて柔らかそうだ。

 しかし、真ん丸とした瞳は真っ赤に充血しており、体格も相成って威圧感がある。


 このモンスターは《ファングラビット》という、見た目の割に草や木の実を食べる比較的大人しいモンスターだ。

 ファングラビットの毛皮はコートや毛布などに使われ、貴族の間ではかなり人気があると聞く。

 自分から人間を襲ったりするモンスターではないが、身の危険を感じれば当然襲ってくるだろう。


 厄介なのは跳躍力と俊敏性だ。

 俺の三倍くらい太い脚から繰り出される跳躍は優に五メートルは飛び上がるし、地面に着いた途端すぐに跳躍しなおす事が可能になっている。

 一度跳躍されればひっきりなしに動き回られ、魔法がなければ一方的にやられて終わりだ。


「…………」


 俺は構えていた杖を下ろし、懐へとしまった。

 すると、敵意がないと判断してくれたのだろう。

 ファングラビットは俺を一瞥した後、森の中へと消え去ってしまった。


「――おい」


 指示を無視したからだろう、黙ってニヤニヤと見ていたリーダーが俺の肩を掴んできた。

 その目は俺の事を気に入らないとでも言いたげに睨んでいる。


「随分と舐めた事をしてくれたな? いったいどういうつもりだ?」

「必要性が感じられませんでした。ファングラビットはこちらから仕掛けない限り危害を加えてきたりはしませんので」


 俺は自分が杖をしまった理由を伝える。

 無駄な争いをしたくないのは当たり前の事だし、自分の力が劣っているのに仕掛けるなど馬鹿がする事だ。


 しかし、リーダーは俺の回答が気に入らなかったのだろう。

 グイッと俺の胸ぐらを掴み上げ、脅すような目で俺の目を覗き込んできた。


「上の人間がやれと言えば理屈関係なしにやるものだろうが? むしろ逆らえば処罰の対象になる。そんな事、十四歳のお子ちゃまでもわかるはずだが?」


 上の立場の人間が言う事は絶対だ。

 その考えは平民よりも貴族のほうが強い。


 今俺はこのチームを任されているリーダーの指示に背いた事になる。

 学園側に報告されれば、それだけで俺は処罰を受けるだろう。


 しかし――。


「――今のはナギが言ってる事のほうが正しいわ。それよりも問題は、一年生であるナギを真っ先に戦わせようとした事にあるはずよ」


 意外にも、俺が言いたかった事をラクスが代弁してくれた。

 横槍を入れた事でリーダーはラクスを睨み、ラクスも負けじと睨み返す。

 相手は五、六歳年上なのに随分と度胸が据わっているものだ。

 そして、リーダーは六歳近くも年下の女の子相手に随分と大人げない。


 一触即発――二人の間にはそんな感じの雰囲気が流れている。


 このままでは争いになりかねない。

 そう思った俺はリーダーの手を払い、ラクスを落ち着かせるために彼女の前に立った。


 ――その直後だった、悪夢のような出来事が起きたのは。


 後ろから来た何かによって、リーダーが呑み込まれたのだ。


「「えっ……?」」


 俺とラクスは一瞬何が起きたのかわからなかった。

 突然変な音が聞こえてきたと思ったら、次の瞬間にはリーダーが何かに呑み込まれていたのだ。


 いったい何がリーダーを呑み込んだのか――それがわかるのには時間がかからなかった。


 足を持たない縦長の生き物。

 体長七メートルはあり、丸太よりも太い図体をしているそれは、まず間違いなく蛇科のモンスターだった。

 しかも全身が白く綺麗な鱗に包まれている事や、鼻の周りに盾のような形をした鱗がある事を見るに、森の支配者とも呼ばれる《ホワイトオオアナコンダ》で間違いない。

 先程のファングラビットとは違い、人間を餌にする狂暴なモンスターだ。


 図体の割に動きは素早く、一トンを越えるという体重から繰り出される一撃は優に木を折ってしまう。

 出会えば命はない。

 そういわれているモンスターだ。


「う、嘘だろ……! なんでこんな化け物がいるんだよ……!」

「南の森に近づかなければ安全だったんじゃないのかよ……!」

「マ、ママァ……!」


 ホワイトオオアナコンダと目が合い固まっていると、少し離れたところにいた六年生二人とカルラが走り始めた。


 ――そう、俺たちとは真逆の方向に。


「お、おい! リーダーを見捨てるんですか!」

「もうそいつは駄目だ! 普段から調子に乗ってたからバチが当たったんだよ!」


 俺が呼び止めると、六年生は振り向きもせずにリーダーを見捨てた。

 さっきまで仲良くしていたはずなのに、人はこんなにも簡単に見捨ててしまうものなのか。


「くそっ……!」


 俺は思わず自分の右足を殴る。

 いくら馬鹿にされていたとはいえ、目の前で消えそうな命を見逃せるはずがない。

 相手は森の支配者だが、何か手段はあるかもしれないんだ。

 何もせずに仲間を見捨てるなど出来るわけがない。


「ラクス、悪いけどお前の力が――ラクス……?」


 ホワイトオオアナコンダを警戒しながらラクスに視線を向けると、ラクスは足に力が入らないのか尻餅をついていた。

 顔色は真っ青になっており、目には涙が浮かんでいる。


「無理、無理よ……。こんな化け物、相手取れるわけないじゃない……」


 俺が言いたい事を察したのか、ラクスはブンブンと顔を横に振る。

 捕食者を前にして完全に腰が引けてしまったようだ。

 見る限り腰が抜けていてもおかしくない。


 最悪だ……。

 一刻も早くリーダーを助けないといけない状況なのに、こちらには打つ手が何一つない。

 頼みの綱であるラクスも戦えそうにはないし、このままではリーダーを助けるどころか俺たちまで喰われて終わる。


 いったいどうすればいいんだ……。


 俺は杖を構えてホワイトオオアナコンダを牽制しながら、頭をフル回転させる。

 しかし、どれだけ考えてもこの状況を打破出来るような名案は思い浮かばなかった。


 考えて出る結論は全て同じ。

 ホワイトオオアナコンダに立ち向かおうとも、ラクスを抱えて逃げようとも、結局は殺られてしまう未来しか見えない。

 本来なら高位な魔法使いが相手にするようなモンスターだ。

 魔法もロクに使えない俺が戦えるような相手ではない。


 結局、何も出来ずに終わってしまうのだ。


 せめてラクスだけでも逃がしてやりたかったが、腰が抜けているようでは一人で動けないだろう。

 俺が時間稼ぎをしたところでたかが知れている。


「はは……」


 どうしようもない状況に、俺は思わず笑ってしまった。

 女の子一人も守れずに貴族など、情けなさすぎて笑いが込み上げてきたのだ。

 もうどうにでもなれ、そう思ってしまった。


 ――その時だ、ホワイトオオアナコンダが俺から視線を外し、逃げていった六年生たちに視線を向けたのは。

 そして捕らえられる獲物である俺たちではなく、逃げる六年生たちに向けて移動を始める。


 野生の本能?

 逃げる者を追うという習性が顔を出したのか……?


 標的を変えたホワイトオオアナコンダを前にして、俺は戸惑ってしまう。


 そして、選択を迫られていた。


 今、ホワイトオオアナコンダは逃げた六年生たちを追っている。

 いくら六年生たちでもホワイトオオアナコンダが本気になればすぐに捕まってしまうだろう。

 そうなれば待っているのは死だ。

 もし運良く逃げきれたとしても、食べられているリーダーは百パーセント助からない。


 だけどここで後ろから奇襲をかければどうだ?

 もしかしたら、ホワイトオオアナコンダの不意をつけて倒せるかもしれない。


 でも、それも結局ラクス頼みになってしまうし、返り討ちにされる可能性が遥かに高かった。

 ましてや標的を俺たちに切り替えられた時、ラクスを抱えている状況では絶対に逃げられない。


 ――どうする?

 どうすればいいんだ?


 俺はホワイトオオアナコンダの背中を見つめながら、運命を左右する選択肢を突き付けられていた。

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