第5話「過去」

 選択肢を迫られていた俺は、再度ラクスに視線を向けてみる。

 すると、ラクスは変わらず青ざめた顔で俺の顔を見つめていた。

 目に溜まっていた涙はポロポロと下に落ちてしまっている。


 ――その姿を見て、俺の中で覚悟が決まった。


「ごめん、ラクス」


 俺はラクスに謝ると、低身長で軽い彼女の体を強引におんぶした。

 そして、そのままホワイトオオアナコンダが向かった方向とは真逆に走りだす。


 ――そう、六年生たちではなく、自分とラクスの命を選んだのだ。

 ラクスは余程恐怖にやられているのか、俺におんぶをされたにもかかわらず何も言ってこなかった。

 それどころか、ギュッと俺の体にしがみついてくる。

 いつも強気な彼女にしては珍しい反応だ。


 それと同時に有り難くも思う。


 仲間を見捨てるなど最低な行いだ。

 普通なら罵倒されるものだろう。

 普段のラクスなら絶対に罵詈雑言を浴びせてくるが、今は恐怖が勝っていて文句を言ってくる事はなさそうだ。


 それに、俺におんぶされるような屈辱的な事もいつもなら受け入れないだろう。

 もし動けないにもかかわらず、おんぶを拒否された場合めんどくさい事になっていた。

 暴れられているうちに他のモンスターが寄ってきたり、ホワイトオオアナコンダが戻ってきたりしたはずだ。

 だから今は大人しくしてくれていて助かる。


 六年生たちは――無事に逃げ切ってくれる事を信じよう。

 俺とラクスが駆け付けたところで状況はほとんど変わらない。

 ただ犠牲を増やすだけになるはずだ。


 それならば、例え周りから貶されようとも、誰かを助けられる道を選ぶ。

 周りには動けないラクスを俺が無理矢理連れて逃げたと言えば、ラクスが悪く言われる事もないだろう。


 ――俺は沸き上がる後悔やうしろめたさを無理矢理抑えるように、そう自分に言い聞かせる。


 これは仕方がなかったんだ――そう言い聞かせないと、自分のした選択の罪悪感に押し潰され、頭がおかしくなりそうだった。

 ここで俺までもが取り乱してしまえば、生存確率は遥かに落ちる。

 せめて正気だけはなんとか保っておく必要があった。


 ――とはいえ、これで俺たちが助かったというわけでもない。

 むしろかなりの危険にさらされてると言っても過言じゃないはずだ。


 魔法をまともに使えない俺に、恐怖に怯えて正気を保てていないラクス。

 モンスターからすれば俺たちはいい餌だろう。


「ラクス、大丈夫か……?」


 周囲に注意を払いながら、背中に担いでいるラクスに声を掛けてみた。

 モンスターと鉢合わせする前に彼女には我に返ってほしいところだ。

 ラクスの力無くしてこの状況は絶対に切り抜けられないからな。


「……六年生たち……見捨てたんだ……?」


 どうやらホワイトオオアナコンダがいなくなった事でラクスは少し落ち着いたようだ。


 しかし開口一番に発せられた言葉は俺が取った行動についてのもの。

 やはり見逃してはくれないか。


「あぁ、俺たちが向かったところで意味はないからな。……責めるか?」

「うぅん……責められるわけないよ……」


 てっきり文句を言われるかと思ったが、ラクスは責めてこなかった。

 それどころか、俺の首に回している腕にギュッと力を入れてしがみついてくる。

 多分まだ恐怖心が残っているのだろう。


 ラクスが責めてこなかったのは、俺が言った言葉に共感したという事か。

 俺とは違いラクスは一年生にして優秀な魔法使いだが、それでも森の支配者を相手どれるほどの力はない。

 立ち向かっても返り討ちにされるだけだと理解しているのだ。


 そして、きっと俺と同じように自分の力の無さを悔いているだろう。

 俺たち二人は今日、力がなければ何も出来ないという事を身を以て思い知った。


「自分の足で歩けるか?」

「ごめん……まだ足に力が入らない……」

「そっか」


 足に力が入らないのなら、無理矢理歩けと言うわけにもいかない。

 むしろ強がらなかった分だけよかったと思うべきだな。

 歩けないのに歩くと言われたらそれだけ時間を喰う事になる。

 その時間が致命的なものにならないとも言い切れないのが現状だ。

 ホワイトオオアナコンダが戻ってきた時点で俺たちは詰む。

 一刻も早く北門に辿り着かないといけない。


「――昔のナギなら、あいつも倒せたのかな……?」


 数分歩いたところで、相変わらず俺におんぶされているラクスが変な質問をしてきた。


 いや、独り言なのだろうか?

 だけど俺の耳元で言われてしまえば無視する事は出来ない。


「無理に決まってるだろ。子供の俺にあんな化け物を相手どれるわけがない」

「そうかな……? 多分、倒せてたと思う……」

「…………なぁ、もしかしてラクスは幼かった頃の俺の事を知っているのか?」


 ラクスの口ぶりに違和感を覚えた俺は、思わず尋ねてしまった。

 すると、耳元で大きな溜息をつかれてしまう。

 ラクスの息が耳に当たりくすぐったかった。


「知ってるに決まってるじゃない。むしろどうしてあなたが私の事を覚えていないのか聞きたいわ。この学園に入って再会した時に、普通に自己紹介をされて頭にきたわよ」


 ラクスは入学したての頃を思い出しているのか、さっきよりも強く俺の首に回す手に力を入れる。

 余程ムカついているみたいで、力が強すぎて首が絞まっていた。


 息が苦しくなった俺がラクスの手を叩くと、首はゆっくりと解放される。

 ラクスはいったいどれだけ俺にムカついているんだ。


 しかし、ラクスの言葉を聞いて俺は一つ思い出した事があった。

 そういえば入学したての頃、初めて会ったラクスは好意的に俺に話し掛けてきたのだ。

 そして自己紹介をすると、『信じられない』という顔をされて冷たく接しられるようになったのを覚えている。


 あの頃はもう既に貴族の中で俺に魔力がほとんどない事は噂になっていたから、名前を知った事で俺がその子供だとわかって冷たくされたのだと思っていた。

 だがしかし、ラクスの口ぶりからすると俺がラクスの事を忘れていたせいで怒っていたようだ。

 もしかして、度々ラクスが嫌がらせをしてきていたのもそのせいなのか……?


「ごめん、ラクス。俺はなぜか幼い頃の記憶が――」

「ちょっとナギ! 前! 前! 前を見なさい!」


 ラクスの事を覚えていなかった理由を説明しようとすると、なぜかラクスが慌てたように俺の頬を叩いてきた。

 そして促されるままに前を見ると、ラクスが慌てていた意味を理解する。


 俺が視線を向けた先――そこに立っていたのは、俺の三倍くらいの身長がある大男。

 凶暴なモンスターとして知られるトロルだ。


「どうなってるんだよ、この森は……!」


 またもや遭遇するはずのないモンスターを前にして、俺は慌てて道を逸れるのだった。

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