第30話

 教室に戻ろうとしていると、廊下に代山だいやまが佇んでいた。

 窓から差し込む光により、白い肌が一層透けるように見える。

 壁にもたれかかり、ボクを見つけると黙って顎をクイッと動かした。


 促されるままに代山の側に寄る。


 しばらく沈黙があったあとに代山はつぶやいた。

「悪かったな……。言い過ぎた」


 一晩経って絞り出した謝罪を茶化す気にはなれない。

 ボクとしては、恨みがましく覚えてるほどではなかったけど、彼にとっては時が経つとともに自省の気持ちが強くなるほどのことだったのだろう。


「あぁ」

 ボクはそっけなくそれに答えただけだった。


 そしてまた沈黙が流れる。


 ボクが何かを言い淀んでいる沈黙ではない。

 むしろボクとしては今この場で代山に訴えなきゃいけないようなことなんてなにもない。

 ただ、わざわざこうして謝罪をしようと待っていた代山には、何らかの吐き出したい思いがあるような気がしたのだ。


「人間ってのは、なかなか変わったりできないもんだ。自分の選択する行動に慣性が働くっつーのかな? 思い切ったことをしようとしても、どこかで『俺っぽくないな』とブレーキを踏んじまう。そもそも変わったことをしないで生きる方が楽なんだ。今までと似たような選択肢を選ぶのは、MPマジックポイントの消費量が少なくてすむ」

「そうかもね」

 代山の訴えたいことの真意がまだ読めないので、当たり障りのない同意をしておく。


 代山は下からめつけるようにこっちの顔を伺った。


「……と俺は思うんだが。一方で人が変わったようと称される人間もいるわけだ」


 そう言って代山はボクにターンを渡すように黙った。


 なるほど、そう来たか。

 ある程度材料を揃えてきたのだろう、ここでとぼけるのも筋が良くない。


「ひょっとしてボクのことを言ってるのかな?」

「中学時代のお前を知ってるやつに聞いたら、随分とキミはがんばり屋さんだったようだね。成績も良かったらしいじゃない」

「成績なんてきっかけ一つで転落するし、それによって何もかもやる気が無くなるということだってあるよ」

「……病気か?」


 代山の質問にボクは即答できなかった。

 彼が使う病気という言葉の意味とはちょっとニュアンスも違う。

 別に彼は同類を探そうとしてるわけでも、同情しようとしてるわけでもないだろう。

 ボクとしては答えることで、誰にもなんの影響も与えたくないのだ。

 ただ単にこれはボクの個人的な感覚であって、共感なんかされたくもない。


 一生懸命なにかに取り組ものはいいことだ。

 世の中では広くそう信じられている。

 ボクだって昔はそう思っていた。

 そして全力でなにかに取り組むことは充実感がある。

 さらにそこに結果までついてきたらやめられない快楽になる。

 人はそうして自分に向いた道というのを見出していくのだろうし、成長していくのだろう。


 別にそれが間違った考えだとは思わない。

 というよりも、ボクがどう考えようが世界においてはその道こそ正しいものなのだ。


 しかしボクにとってはそうではなかった。

 楽しいことを見つけると集中してしまう。

 そして集中して物事をクリアしていく喜びに依存してしまう。

 さらに執着して周りが見えなくなっていく。

 その没入度が人より強かった。


 それ自体は悪いことじゃないはずなのだけど、どんどん集中して神経が鋭敏化していく。

 食事も取らず眠ることすら忘れていく。

 その結果、新しいアイデアが湧き出てきて、神の領域に近づいた錯覚すら覚えるのだ。


 しかしそんな都合のいい話はない。

 言ってみればそれは、それは躁状態でありブレーキが壊れたままどんどんスピードが上がってるようなものだ。

 順調に行っているときはいいが、一旦ハンドリングを過ってしまえば大事故につながる。


 それを病気と称してしまうのは、病気で苦しんでいる人たちに申し訳がない。

 調子こいて痛い目を見たというバカな話にすぎない。


「半年ほど寝込んでいた。現実ではそうなってる。でもボクにとっては違った。その間、ボクは異世界に転生して大活躍してたんだよ。そして異世界に平和をもたらしたボクはこの世界に戻ってきた。考えてもみてくれ、世界を平和にするほどの経験を経てるんだぞ、そりゃ人も変わる」

「一生懸命考えた答えがそれか?」

「テキトーに考えた答えがコレだよ」

「フッ……。しゃーない。俺には冗談を信じてやる優しさがあるってところも見せておかないとな」

「知ってるよ」


 代山とボクは悪巧みをするような笑みを浮かべあった。


 ボクの考えはそう変わってしまった。

 ほどほどに、自分をコントロールできる速度で楽しんで生きる。


 もしなにかに夢中になりそうな時は、あまり楽しくないこと、それほど興味もないこと、しかし退屈でもないことをして気持ちを沈静化させる。


 ソシャゲやSNSなんかはうってつけだ。


 一生懸命になるのは怖い。

 正直言えば、一生懸命な人を見るのも怖い。

 だからと言ってそれを注意するなんてできない。

 往々にして、そういう人は能力を活かして、結果を出している才能のある人だ。

 それに対して「活躍し過ぎだからセーブした方がいいんじゃない?」なんて言葉は、よくてやっかみ、悪く言えば狂ってると思われるだろう。


 今日も世界は真面目に一生懸命回っている。


 あらゆる人が、「もっとスピードを上げろ」と尻を叩き、自らももっと得るものが欲しいと止まることを拒絶している。

 そんな幻想から距離をとって、自分でコントロールできる小さな幸せを選ぶという道もあるのに。


 ボクからしたらこの世界は狂ってるのだ。

 もちろん世界からしたらボクには正しさの欠片もないだろうけど。


 狂乱から逃れられなくなっている学級委員長選は危険だ。

 ここで代山に会わなければ、華縞にあんなことを言われなければ、見て見ぬ振りだってできたはずなのに……。


 ボクは代山に尋ねた。

「簡単に人が変わる方法って知ってるか?」

「禅問答に答える気はない。それほど暇じゃないし、頭も良くないからな」

 代山が面倒くさそうに答える。


 ボクは一つ頷いてドクター・クラスメイトのマスクをかぶった。

仮面ペルソナをつけることだよ」

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