第32話
教壇の上で糾弾されているのはドクター・クラスメイトのマスクをかぶったボクだった。
悪人ですら幸せになるべきなのか。
ボクは深く息を吐き切り、肩に力を込め上下させる。
リラックスだ。
「俺は、悪人なんていないと思ってるぜ」
「それは拙忍に同意したということだな。悪人などいない、愚かな者がいるだけだと」
「違うよ。バカだってそんなにいない。猿はほとんどの人間よりだけ愚かだけど悪ってわけじゃないだろ? 虫なんて賢くはないぜ、だけど悪いか? このクラスで虫よりも頭が悪い奴なんて……せいぜい5、6人てところだろ」
「お前よりはマシだ!」
あえて大げさな身振りでそう言ったところに、ナイスタイミングでツッコミが飛んできた。
冗談だとクラスメイトも認識して次々に非難が飛ぶ。
最初にありがたいツッコミの声を上げた奴は、勢い余って吐血したのを袖で拭いていた。
クラスの盛り上がりを鼻で笑い甘噛魔が言った。
「夢見がちもたいがいにせい。人が人としての通念を解すことができないから愚かなのだ。確かに時代が変わり、国が変わり、法が変われば悪の定義も変わるだろう。しかし、そんなものはおためごかしにすぎん。世の中には足を引っ張ろうとする人間というのがいるぞよ。明確な悪意を持って生きている人間が。どれほど人を信じようと、そういう者は人類の
「いる。暗いとかキモいとか、レッテルを貼る人がいる。そして落ち込んでいるのを見て喜んでいる人がいる。そんな人とどう協力しろっていうの?」
末洞も声を上げて追従する。
確かにそういう人間もいる。
ボクだって何度も心当たりがある。
甘噛魔の言葉は極端だ。
でも理想論じゃない。
自分に出来る方法をと考え、模索し、絞り出した結論だ。
だからどんな発言でも胸を張って言えるし、自信に満ちている。
甘噛魔をひどい思想を持ったやつだと糾弾することはできる。
悪い独裁者だと決めつけることも。
だけど、知ってみるとそうじゃない。
彼女は全力で戦っている者だ。
末洞もそうだ。
こんな場所に立つのは辛かったはずだ。
嘲笑され、それでも逃げることをしなかった。
悪いやつなんかじゃない。
「俺は、やっぱり悪人なんていないと思ってるよ」
「世間知らずぞよ」
「世間知らずかもな。でもこう思ってる。悪人なんていないが、罪を犯す人はいる。人を傷つける人もでる。それが世界のあり方だと」
「それは拙忍と同じ、愚か者のことではないか」
「いや、バカかどうかも関係ない。賢くったって罪を犯す奴はいる」
「根は悪い人じゃない、とでも言うか。それはつまり、根以外は悪い人ってことぞよ。知能が高くても先の見えない愚か者は悪ぞよ。拙忍は悪を根絶させる。たとえそれが無自覚であったとしても。変な化粧をした地獄から来たプロモーターとかいう、人の尊厳を穢すような悪人など真っ先に叩き斬ってやる!」
「あいつだって悪人じゃないさ」
「あんなわかりやすい悪人がおるか! しかもあいつはエッチぞよ!」
甘噛魔は容赦なく攻め立てる。
彼女の苛烈な思想は揺るぎない。
ボクのこの覚悟がどれほどのものか、全力でぶつかってくる。
はっきり言って、こういうのが困るんだ。
ひりつくような感覚。
真剣に悩み、頭を働かせ、生命力を使っていく。
そこに楽しさを見出してしまうことが。
全力で挑むことの快楽に目覚めてしまうことが。
「悪い行為はある。だけど悪い人はいない。悪い状態があるだけだ。俺たちはそれなりに健康だけど、たとえばものすごくお腹が痛い時に隣で爆笑してる人がいたら苛つかないか? 寝不足の時に赤ちゃんがいつまでも泣いていたら腹が立たないか? お腹が空いている時にモタモタと緩慢な働きをされたら頭にこないか? 過去にひどい罪を犯したやつだって、満ち足りて余裕のある状態なら席くらい譲れる。機嫌の悪い時に気に喰わない奴が楽しそうにしていたらムカつくという人もいるだろう。何が悪い? その人の性格が悪いのか? 知能? 魂が汚れてるとでも言うのか? ――」
クラス全体に問いかけたが、別に答えを求めていたわけじゃない。
ボクはみんなが聞いているのを確認してそのまま続けた。
「――そうじゃない。余裕が無いのが悪い。機嫌を悪くするのが悪い。俺たちはお互いに気を使って、楽しくいられるようでいなければいけない。劣った者が足を引っ張る時、許せる度量を持っているのは善人じゃない。余裕がある人だ。そしてそういう余裕は自分たちで自覚して作っていかないといけない。――」
あまり一気にまくし立てても聞いている方が集中できないかと思い、笑顔を作った。
しかし自分がマスクをかぶっているという事実に気づいて、バカバカしいような気恥ずかしさがこみ上げてきた。
「――リラックスしてこうぜ。人は勝手に機嫌良くなるような簡単な生き物じゃない。自分たちの機嫌を自分で意識的にコントロールする。急ぎすぎたと思ったらちょっとスピードを緩める。ゆっくりしてるやつを咎めずに、大変そうだと思ったら手を差し伸べる。それをすることこそが満ち足りた生活に近づくことじゃないか? それは決して理想論じゃない。実現可能なことだ。ドクター・クラスメイトはこのクラスに舞い降りた医者だ。病気を発見することは出来る。でも治すのは自分自身だ。みんなの助けが必要なんだ。このクラスはみんなのクラスだからな」
考えながら紡ぎだしたその言葉は、どれほどの伝わったかわからない。
それを示すようにクラスはシーンと静まり返っていた。
そこに小さな破裂音が生まれた。
華縞が手を小さく叩いていた。
どこか満足気で、なかなか可愛い笑顔だ。
そしてその拍手はクラスの中で波紋のように広がる。
流石に全員とまではいかなかったが、半数くらいがこちらを見て手を叩いていた。
十文字が眼鏡の奥の目を細めて笑っていた。
代山はダルそうに頬杖をつきながら、腕の部分を緩慢に叩いている。
甘噛魔がボクの脇を通って教壇から下りながら言った。
「時間をくれ。拙忍の今の気分ではお主の意見を受け入れる余裕はない」
「今はその言葉で十分さ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます