第23話

 保健室に向かう途中、女子生徒が正面からぶつかってきた。


「ごめんな……あっ」

 そう言って顔を上げたのは華縞はなじまだった。


「走ってきたってことは、足は大丈夫みたいだね。あの怪しい薬が効いたのか。ドクター・クラスメイトも復活だな」


 ボクがそう言うと華縞は俯いたまま首を振る。

 そして伺うように視線を上げて言った。


「もう終わりにします。折れちゃいましたから」

「治ったんだろ? 普通一晩で治らないと思うけど」

「心が」


 そう言って華縞はボクの横をすり抜けて走っていった。

 何かあったんだろうな、という想像はついた。


 華縞の目から涙があふれていたからだ。


 保健室に入り、代山だいやまのベッドに向かう。

 代山は何事もなかったかのようにタブレットを見ていたが、乱れた毛布、倒れたままの椅子、ポーカーフェイスを決めるには雑然としすぎていた。


「女を泣かせるなんてやるじゃないか」

「そうでもないよ。うちの母親は俺が小さい頃から泣きっぱなしだ」

「新しい立候補者がでたんだ。末洞まっどっていうやつ。知ってる?」

「知らない上に興味もないな」

「なかなか面白いことになってるよ。次、動画持ってくるな」

 そう言ってボクは立ち去ろうとした。


「聞かないのか?」

 去り際のボクに代山が声をかける。

 ボクは振り向いて言った。

「聞いて欲しいの?」

「本当、お前って嫌味なやつだよ。そうやって人の出方を伺って、自分は傷つかないように安全な場所にいてさ」

「どうした? リラックスしようぜ。別に聞かないとは言ってないだろ。詮索されるのが嫌かと思って聞かなかっただけだ。ボクなりに配慮したんだけどな」

「まぁ、話さなくてもわかるか。限界が来ただけだ」

「限界? なんの?」

「俺はお前ほどいい加減じゃないんでな、むき出しの好意に対して気づかぬふりをするのも限界があるんだ」

「なんだ、気づいてたのか。だったら答えてやりゃよかったのに」

「俺は元気なやつを見ると虫酸が走るんだよ。かと言って弱ってるやつを見てもそれはそれでむかつく。自分以外のあらゆる人類が嫌いなんだ」

「その割には気づかないふりをしてやる優しさはあるのか」

「優しさじゃない。面倒くさいから結論を先延ばしにする逃げだ。もっとも、そんなもんは長くは持たなかったがな」


 代山は決して善良な性格というわけではない。

 かと言って口で言うほど残酷なわけでもない。

 今も、面と向かって華縞を傷つけてしまったストレスから饒舌になっているのだろう。

 代山はドクター・クラスメイトのマスクを投げてよこした。


「華縞が置いていったのか?」

「返しておいてくれ。なんで俺なんかに。まったく腹が立つ。人類など滅んでしまえばいいのに」


 呪詛の言葉を吐き捨てる代山を置いて、ボクは保健室を出る。


 ドアを開けたところで巨大な毛玉とぶつかった。

 よく見ると、それは末洞だった。

 そういえば、前にも保健室の中を伺っていた。


「代山に用か?」

「違う! なんで代山くんのこと知ってる? 痴漢!」


 まだ痴漢行為は何一つしていないというのに、まったく身に覚えのない疑いをかけられて悲しいことこの上ない。


 ボクに暴言を吐いただけで、末洞は逃げるように走り去っていった。


 ボクは再び保健室に戻り、代山の横のパイプ椅子に座った。

「末洞をけしかけたのはお前だったんだな」


 ボクの言葉に代山は自嘲気味に唇の端を上げる。

「なんだよ、正義の味方。俺を裁くつもりか?」

「まさか、ボクにそんな権利はない。相変わらず面白いやつだなと思っただけ」

「その余裕のある態度、やめてくれないかな」

 代山は心底不快そうにため息を吐く。


 元々、末洞が甘噛魔あかまに対して抱いていた火種を盛大に燃え上がらせたのだろう。

 代山ならそのくらいはやりかねない。


「全く良くやるよ、片一方では華縞をけしかけといてな」

「つまらなかったからな。秩序なんて糞食らえだ。勝者が次の日には転落する、そんな危うさこそが人を駆り立てるんだろ? 混沌の中でこそ、人は真価を問われるんだ。足掻かないで身奇麗にしてるようなやつは死んだほうがマシだ。お前みたいなヤツのことだよ」

「ほう」


 代山との付き合いは長いが、ここまでむき出しの敵意を向けられたことは初めてだった。


「お前のその日和見の態度。いつも距離をとって客観的に自分だけ傷つかないように冷静に見つめているっていうその態度。それ自体が勝ち組の発想なんだよ。何もしなくても悪くはならないという贅沢の上にあぐらをかいた考えだよ。だが運命は望む望まないに限らず傾く。何もしなければ悪くなる。どんどん状況が悪くなる。気がついたら取り返しがつかないことになってる。だから人はあがくんだ。あがいたほうがいいんだ。たとえみっともなくても、馬鹿みたいでも。あがかなきゃいけないんだよ。人生は無常だ。きっと人はあがくために生きてるんだよ。お前も本気になってみっともないあがきを見せてみろよ」


 なんだか代山の言葉は非常に興味深かった。

 もちろん、醜い嫉妬であるとは思う。

 でも彼は本気なのだ。


 今までボクに対して表面上は取り繕っていた。

 それがこれほどまでに直接的な非難をするとは。

 なるほど、末洞の気持ちも代山なら気づいたのかもしれない。


 酷く醜い悪意だ。

 しかしこれは病んでるんじゃない。

 狂ってるんじゃない。

 正常なんだ。

 正常であるがゆえにこうするしかないんだ。


 生まれた時から望んだわけでもなく身体が弱い。

 自分の存在は、この世界に存在する一般的な存在に比べて明らかに劣っている。

 そしてその事実を彼だけが受け入れなければならない。

 他の者が見なくてもいいものを見て、傷つく必要のないことで傷ついてきた。

 彼にとっては世界が狂っている。

 その中で必死に正常であろうとしてるのだろう。


 だったら誰がこいつを救えるっていうんだ。

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