第22話

 休み時間になるやいなや、華縞はなじまは教室から駆け出していった。


 500%とは言わないまでも、120%くらいまで表情をキリッとさせていたのでどこに向かっているのかは大方見当がつく。

 邪魔をするつもりはないけれど、ドクター・クラスメイトのことが気になってボクも保健室に向かった。


 保健室の前では毛むくじゃらの生物が一匹、ドアの隙間から中を伺っていた。

 よく見ると、異常に毛量の多い女子生徒の後ろ姿だった。


「入らないの?」

「ギャー! ち、ち、ちー!」

 女子生徒は振り向くなり大声を上げてボクに乱打を浴びせた。


「落ち着け。リラックスリラックス。はい、大きく息を吸ってー」

「ス~~~~!」

「吐いてー」

「ハ~~~~!」

「落ち着いたか?」

「あい。あ、あ、ありがとう、痴漢の人」

「痴漢じゃないけどね。怪しいのはむしろ末洞まっどさんの方でしょ」

「な、な、な、なんであたちの名前を! さてはストーカー」

 末洞は猫背になって、顔を覆う前髪の中からこちらを伺うように睨みつける。


「今やクラスの者は全員が知ってる」

「あ、確かあなたは……真秀呂馬まほろばくん?」

「全然違う。猫丸ねこまだ。猫丸琉平りゅうへい

「そんな人、知らない。怪しい。ひょっとして、あたちにしか見えない霊的な存在かも」

「生きてるよ! 割とクラスには打ち解けてるつもりだよ。末洞さんとは話したことはなかったけど、ちゃんと知ってる。甘噛魔あかまの友達だよな」


 末洞は大きくヘッドバンキングして多い髪の毛を揺らすと、ボクの袖を掴んでズンズンと歩いていく。

 強い力ではなかったけど、ボクは引かれるままに末洞についていった。


 階段の脇の薄暗い空間にまで連れ込まれ、末洞はキョロキョロと辺りを見回す。


「ここなら人に聞かれない」

「おいおい、こんな人気のないところまで連れてきて。ひょっとして不純な交遊をそそのかそうっていうんじゃなかろうな」

「痴漢! 初対面のくせにそんな殺したくなるようなこと言う!」

「殺したくなっちゃったか。初対面じゃないけど」

「なんで志乃しのとのこと知ってる?」

「クラスのことでボクに知らないことはない。あらゆる生徒のスネの傷をチェック済みだ」

「なんてこって。なら志乃が誰を好きだか知ってる?」

「プライバシーに関わることだから言えないけど、同じクラスの名前にネがつく男子という噂はある」

「ネ……ネルソン・マンデラ?」

「惜しい! クラスにいないことを除けばほぼ正解だ。ボクは甘噛魔とは割と特別な関係なんだ」

「どうせ、どうせ、選挙にでたから注目し始めたくせに。それまで志乃のこと変な忍者だと思ってたくせに。あんたみたいのばっかりで嫌になる」

「ボクは選挙の前から注目してたよ。あのフィジカルは世界を狙える器だ」

「エロい目で見てる! 痴漢!」

「性別は関係ない。ボクは人間の可能性を信じてるだけだ。今だって末洞のことをチェック中だ。前髪を上げてくれるか? 美点を隠すのはもったいなさすぎる」

 そう言ってボクは末洞の顔を下から覗き込んだ。


 末洞はおずおずと前髪を少しかきあげた。


 そこから覗いた顔は、やたらとスッキリしていた。

 ドラマチックに可愛いわけでもなく、目を背けたくなるほど醜いわけでもない。

 バランスは悪くないけど、パーツの一つ一つが大きく美しいという感じでもない。

 素朴というのだろうか。

 形容する要素があまり見当たらない。

 逆に言えば悪く言えるような特徴もなかった。


 クラスでも割と人気のある女子生徒は化粧をしている。

 化粧をしてます! とわかりやすいものでなくても、現代の多くの女子高校生はそのくらいしている。


 末洞はまったく化粧っけがなく、あどけない小学生の女子のような顔だった。


「どうせブスだって思ったんでしょ! 知ってる!」

 末洞はボクの顔を押しのけると、しきりに前髪を直していた。

「そんなことない。現にクラスでは末洞さんは人気だったじゃないか。あの声援忘れたのか?」

「みんなバカにして、からかってるだけ! ブスだと思って。陰キャだと思って!」

「リラックスしろよ。末洞さんへの声援は本物だぞ。みんなかわいいって言ってたじゃないか。そうだな、髪型をもうちょっと変えてみたらいいんじゃないか? せっかくのいい顔がもったいない」

「あんたみたいに、何の気持ちもなくかわいいとか言える人間にあたちの気持ちわかるわけない!」

「かわいいとは言ってない。いい顔と言ったんだ。正直ボクは他人の美醜なんて大して興味もない。でも末洞さんの顔には末洞さんが表れてる。それは悪いもんじゃないだろ」

「ブスっていうの! 痴漢! あんたなんかにはわからない。誰にも好かれない苦しさなんてわからない」


 末洞の声は鼻にかかった僅かに水っぽい震える声に変わっていた。

 激昂し、感情を抑えられずに、泣き出しそうになってしまったのだろう。


 地味で個性などない生徒だなんて思っていたけど、これほど感情表現が豊かだったとは驚いた。

 確かにその感情の表し方はつたない。

 しかし、取り繕うことだけ上手くなり、他人とぶつかり合わないことを一番に考えて立ちまわる小賢しい者なんかよりずっと好感が持てた。


「ボクの言葉は信用出来ないかもしれないけど、甘噛魔なら信用できるだろ? あいつは君の友だちなんだから」

「あたちが思ってるほど、志乃はあたちを思ってない。だから追いかけても嫌がられる。つけあがるなって思われる」

「そんな風には思ってないよ」

「ダメなの。一度ずれてしまったらもうダメなの。修復不可能。あとはじわじわ嫌われていくだけ。そんなの耐えられない! だから、だから、あたちの方から嫌われた方がいい」

 末洞の声は甲高くガラスをひっかくような高音の悲鳴となった。


 そこの部分での発想の飛躍が理解できない。

 ただ理解できないなりに、わかる部分もある。

 追い詰められていっぱいいっぱいになってるせいだろう。

 彼女の論理では、もう取り返しの付かない袋小路まで追い詰められているのだ。


 誰だってそう言うことはある。

 はたから見ればいくらでも違う道が見えるのに、本人にとっては見えないものなのだ。


 それを愚かだとか、浅はかだとか言いたくない。

 必死にあがいている者を、そんな言葉で切り捨ててしまったら甘噛魔と同じになってしまう。


「落ち着こうよ。末洞さんにとって甘噛魔は大切な人だろ。好きなんだろ」

「大切だから振り向かせるの。ずっとこっちを向いているように。敵ならずっと見てるでしょ。志乃はあたちのことだけ見てればいいの!」


 理屈はむちゃくちゃだ。

 目的のために、そのアプローチが正しいとも思えない。

 だけどそれは彼女に出せる唯一の答えなのだ。


 他人から間違ってるなんて言われて納得するくらいならこういう思考には陥ってないだろう。

 その誰も幸せにならない行動に対して、どうにかしてやりたいとも思うけど、ボクにはどうにもできない。

 気の毒だと思うくらいだ。


 いや、むしろ華縞のこと、それに甘噛魔のことを考えると、末洞は敵なのだ。

 それも強敵だ。


 選挙におけるキャラクターの問題。

 ずっとつきまといつつも、あまり真正面から捉えなかった問題だ。


 甘噛魔はクラスの誰もがその特異なキャラクターを知っている。

 面白がる者もいれば、毛嫌いする者もいる。


 ドクター・クラスメイトと甘噛魔との対立構造は、このキャラクターの問題も含んでいたはずだ。

 ドクター・クラスメイトは、正体不明の謎のクラスメイトなおかげで、人格が知られていない。

 かつて、どんな言動をしたのか、成績はどうだったのか、クラスのヒエラルキーの中での地位は、など。


 今までの大きなイメージを引きずった甘噛魔と、まったくイメージがついていなドクター・クラスメイト。

 二人の選挙において、キャラクターの問題というのは、有るか無いかという問題として考えなくてはならなかった。


 しかし、ここに来て現れた第三の勢力、末洞流星子ながれぼしこ

 彼女はこの問題の根幹を揺るがした。


 キャラクターが、良いか悪いか。である。


 もちろん、そんなものは良い方がいいに決まっている。

 それは選挙じゃなくてもすべての人間の生活において良いほうがいい。


 だけど、ボクたちは必ずしも良いキャラクターとして認知されるわけじゃない。

 やはりそれは、持って生まれたもの、常日頃の行動、ふとした際に現れてしまうもの、そういった要素で他人が見て決めることだからだ。


 自分はこういうキャラです。というアピールは、結局のところ痛々しいキャラとしか見られないし、良いキャラであるというのは、相当高度な作りこみか、天然さが要求される。


 ドクター・クラスメイトと甘噛魔は、強烈な個性であるが故に、その繊細な問題に入り込まずにいられた。


 選挙にとってキャラクターというのは、おそらく何よりも大きい。

 有名芸能人が立候補すれば、その政策がどんなものかも知らずに投票する人はいる。

 その人が清廉なイメージの俳優であったり、知的なアーティストであったなら尚更だ。

 政治にとって、選挙にとって大事なのは政策だと言ったところで、それを理解しない人が人気者に投票するのだから。

 自分たちの代表を選ぶというのは、自分の意見の代弁者を選ぶということなのだ。

 しかし、多くの者は自分の意見なんてものはそもそも持っていない。

 そういった者は、少なくとも自分にとって悪いことはないだろうと、好みの人気者を選ぶだけだ。


 末洞はコミュニケーションが苦手らしい。

 だから、コミュニケーションの力だけであらゆる問題を片付けようとする者に恨みを抱いている。


 確かに、コミュニケーション能力というものは彼女には備わっていない。

 本来、キャラクターをアピールする上で決定的な弱点となるはずが、ああいう形で武器にする方法があったとは。

 その恐ろしい敵は、ボクの前で闘志を燃やしながらこう言った。


「ほ、本当に髪型変えた方がいいと思う?」

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