第8話

 学級委員長選まで6日。

 土日を挟むので、実質選挙活動できるのは4日だ。


 二人の立候補者は、その間に自らの政見を述べ、相手への質疑を叩きつける。

 停滞していたクラスも、学級委員長選挙というお祭りによってどこか浮足立ったムードが漂っていた。


 十文字じゅうもんじはあれ以来学校に来ていない。

 教室内でおしっこを漏らすというのは、彼女のような真面目な生徒にとっては死を意味するぐらい深刻なのだろう。


 彼女のいなくなったクラスは、まさに珍獣動物園のようになり、誰も歯止めをかける者がいなくなっていた。

 休み時間に立候補者が教壇に立つと、クラスメイトたちは注目し、時に声を上げ応援を始める。


 ボクはドクター・クラスメイトの横で地獄から来たプロモーターとして派手なメイクのまま「やれ」とか「うむ」など威圧的な雰囲気をまき散らす。


 ボクの役、本当に必要か?


 甘噛魔あかまとドクター・クラスメイトが二人で並び、舌戦を繰り広げるとなれば、全員が前のめりで食らいついた。


「諸君、甘噛魔が忍者なのは知ってるな。忍者、どんなイメージだ? ずるい、卑怯、目的のためなら手段を選ばない、騙し、傷つけ、時には殺しさえも行い、自分の命を優先する。そんな悪の塊、悪の権化にこのクラスの命運を託していいのか?」


 謎のマスクマン、ドクター・クラスメイトの正体は依然わからず、男なのか女なのかも不明だった。

 マスク越しの声がくぐもっていることに加え、言葉遣いはよく言えば勢いがある。悪く言えば粗雑。

 なによりも、誰なのかを明らかにするのは野暮だとい雰囲気がクラス中に蔓延し、ドクター・クラスメイトは誰でもなくドクター・クラスメイトであるとして受け入れられえていた。


 甘噛魔はドクター・クラスメイトの言い分を受け、ゆっくりと頷くと登壇して話し始める。

「ドクター・クラスメイトの忍者観が非常に古いことに驚きを隠せんぞよ。それは江戸時代より前のもの。現在の倫理観を元に、過去の所業を裁くなど、これこそが卑怯極まりない。そなたの先祖には、人を傷つけなかった者はおらんのか? 誰かを殺さなかった者がおらんと言い切れるのか? ないと言えないならば、そなたも同罪。いや、それ以下ぞよ。忍者は無駄な殺生はせん。きちんと理屈に則り、依頼主のため、共同体のために任務を遂行してきた。本当に恐ろしい悪とは、忍者でもないのに悪いことをしてきた先祖を持つそなたの方ぞよ!」

「先祖は関係ないぜ。今も忍者であることが問題なんだぜ!」

「確かに忍者はずるい卑怯だ散々言われて悪者の代名詞みたいに言われておる。もちろん忍者は偉大なる力を持った存在だ、多くのことを成し遂げてきた。しかし何百年も前の話。それを未だにネチネチネチネチと女々しく言われ続けて、忍者にとってはいい迷惑ぞよ」

「自らの行いが、そういう印象を喚起させてるんだぜ」

「拙忍はこれまで品行方正を絵に描いたような完璧な善人として生きてきたぞよ。もはや『忍者=超いい人』という図式さえ当てはまる。拙忍の過去に何か落ち度があるなら、それを具体的に教えて欲しい。経歴でも肩書でもない、己の行動こそが、人に見てもらえる点ではないのか?」

 甘噛魔はまったく淀みなく、ドクター・クラスメイトの意見を正面から受け、答えを返す。


 言っている内容よりも、その自信のある態度にこそ説得力を感じる。


 ボクは華縞はなじまを応援する立場のために客観的に見てるが、さすが甘噛魔の人を引きつける手口は上手い。

 ドクター・クラスメイトはマスク越しに表情は見えないが、やや劣勢であることは隠せなかった。


 それでも華縞は毅然と顔を上げ甘噛魔に意見をぶつける。

「じゃあ、暴力に関しては! 貴様の力は危険なんだぜ!」

「権力と武力は紐付いていないとならん。武力なき権力はクーデターに拠って簡単にひっくり返ってしまう。武力に脅されて操り人形になることもある」


 甘噛魔はドクター・クラスメイトの悔しそうな姿を確認し、さらに瞳を光らせて攻撃的な表情を作って続けた。

「忍者の能力の偉大さは拙忍が説明するまでもなく、ドクター・クラスメイトが認めてくれた。拙忍は暗殺されることはない。そして暴力によって脅かされることもない。なぜなら強いから。武力を持っているから。武力を持たないドクター・クラスメイト、そなたは学級委員長になった時、どうやって身を守るつもりぞよ?」

「それは……地獄から召喚したのバイトのマッチョ軍団にお願いする……ぜ?」

 ドクター・クラスメイトはこちらをチラチラと見ながら自信なさげにそう言う。


 ボクには地獄からの召喚能力はないので、ひょっとしたらマッチョ軍団もボクが担当しなければならないのだろうか。

 全然マッチョじゃないのに。

 これから頑張って鍛えなきゃいけないのか。


「もしそのマッチョ軍団が裏切ったらどうするぞよ?」

「マッチョ軍団は裏切らないぜ! 己の筋肉を追求する真摯な男だからな」

「しかし、マッチョ軍団が身を賭してそなたを守る筋合いはない。そなたは守ってもらう代償になにかを与えるはずだ。そう言った権力との癒着から政治は腐っていくのではないか」


 さすが甘噛魔。

 ウィークポイントを発見し次第、そこを執拗に攻め続ける。

 クラスの反応は、甘噛魔の圧倒的な弁に魅了される者、ドクター・クラスメイトの情けなさを笑う者、逆にドクター・クラスメイトの反撃を期待する者など、世紀の舌戦を観戦できた喜びに満ち溢れていた。


 黙りこんでいるドクター・クラスメイトに対して、甘噛魔は畳み掛ける。

「そなたは敵だ。しかし、同じ目的を持ち、意見をぶつけあうライバルぞよ。拙忍はそなたが立候補してきた時、嬉しかった。高き志を抱き覚悟を持って挑んできた者だからだ。そんなそなたが暴力に屈する姿を見たくない。そなたには平和に生きて欲しい。いや、このクラスのすべての者に傷ついてほしくない。そのために拙忍が盾となるぞよ!」


 危うく甘噛魔の主張に聴き惚れそうになった。


 ドクター・クラスメイトは悔しさを隠し切れないのか、拳を握りしめて苛立つようにつま先で地団駄を刻む。


 それに比べたら甘噛魔の立ち姿はどうだろう。

 背筋を伸ばし胸を張る。

 立派なものだ、それだけで人を惹きつける魅力があると言ってもいい。


 ボクは華縞を応援する立場だ。

 手を差し伸べなければならないのだろう。

 しかし甘噛魔の凛々しい姿を見ていると、ついつい心を奪われてしまう。

 自分の中に抑えている衝動が我慢できずに、ついつい甘噛魔の耳元で囁いてしまった。


 「さすがプシ千代さん、あの頃と切れ味は変わらないですね」


 その瞬間に、ボクは後ろに払い飛ばされ手裏剣苦無、あらゆる武器が現れた。

 カカカッという硬質な音が響き、壁に苦無で釘付けにされる。


「ななななな、なにを言うか! 意味のわからんことを」

「プシ千代さんのライブ配信も全部見てました」

「拙忍には全く関係ないことをなんでここで言うのだ!?」


 甘噛魔は両手で自分を抱きすくめるようにして隠し、壁に磔になっているボクを鼻息荒く見る。


 どうも甘噛魔の言葉によると、かつての動画配信者としての活躍は内緒だったらしい。

 サービス精神旺盛なくノ一くのいち配信者として個人的に注目していたのに。

 ほぼ無名ではあったが外国人におだてられ、鼻から牛乳を飲んでいる勇気ある姿はボクの心に刻み込まれてる。


 マスクをして声も変えていたけど、本人に会った時にすぐわかった。

 隠してるとは薄々感づいていたが、ついうっかりファン心理で声をかけてしまった。

 本当にうっかり。


「あの、関係ないことを言ってしまいました。悪魔がそう囁いたのでしょうがなく。我輩はあの、悪魔の言いなりなんで。死ねと言われたら死ぬ感じなんで、もうしょうがないんです。今言ったのは全部悪魔の囁きのせいでこの状況とは一切無関係です!」

「うぐぐぐ。そうだろう。悪魔のせいならしかたないぞよ。意味のわからない発言だったが悪魔のせいならよくあることぞよ」

「あくまで悪魔のせいです」

「徳川三百年の眠りを覚ますほどつまらんぞよ。そもそもお主は何者なのだ。キャラ設定がいまいちつかめない!」


 精神を打ちのめされてグロッキーだったドクター・クラスメイトは、ここぞという機を見たのだろう、背筋を伸ばして立ち大きく手を広げて甘噛魔を糾弾した。

「そこまでだ、甘噛魔。貴様はこの善良な一クラスメイトに暴力を振った。暴力を自分自身でも制御できないという証左だぜ」

「こやつが悪魔にそそのかされて世迷言を言うからぞよ!」

「何を言ったかわからんが、一言の失言に対してこれほどの暴力は過剰だとは思わないか?」

「思わんぞよ」

「ではなんと言ったのだ? それを発表して貰えれば我々も納得しよう」

「そ、それは……」

「暴力に値する一言、さっきのがそれだと証明できないのか?」

「ぐぅ……」

「言えないのだな。まぁそれはいい。俺たちは危険な力を持っている。それを制御する理性も兼ね揃えてる。しかし、そのバランスは非常に危ういものだ。絶対などということはない。だからこそ自らの力を過信しすぎてはならないんだぜ」

 ドクター・クラスメイトは、クラス中に響き渡る声でそう言った。


「おのれ、悪魔め……」

「クラスの諸君。俺は常に自らを戒め、正しい政治を心がけることを誓うぜ」


 ドクター・クラスメイトの宣誓にクラスメイトは歓声を上げて答えた。


 ボクは頑張って苦無を抜こうとしたが、全然無理そうだったので壁に磔になったまま華縞にエールを送った。

「さすが悪魔と契約したドクター・クラスメイト。その道がいばらと知りつつも進むつもりか。よろしい、見届けようではないか」

「おぬし、覚えておれよ。いや、覚えてるな。忘れろ、即刻全て忘れろ!」

 磔になったボクに甘噛魔は囁いた。


 甘噛魔とドクター・クラスメイト。

 二人の意見は対立しながらも新たなる理想へと向かう道を作っているようだった。


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