第6話

 休み時間になり、保健室に行こうとしたところ、華縞はなじまが腰に強烈なタックルを仕掛けてきた。


「えっへっへ、例の約束。お忘れじゃありませんよね?」

「悪党の下っ端みたいなこと言うな。約束をした覚えはないけど、保健室には行くから一緒に行く?」

「え、そんな。それは無理です。ヤバイです。急に行ったらキモがられるじゃないですか! 猫丸ねこまさんてデリカさない人ですね!」

「デリカシてなかくて悪かったな。クラスメイトが保健室で休んでる様子を見るだけだろ。気にしすぎなんじゃないか? 代山だいやまだってそんなこと気にしないよ」

「さっすっが代山さん、心まで優しいんですね」

「いや、実際どうだかわからないけど、多分気にしないと思う」

「絶対ですね! 保証してくれますね!」


 華縞はたれた目を細めボクを見つめる。

 眉毛と目がちょうとXのように見える。

 行動が派手で遠慮という言葉を知らなそうなのに、好きな相手の前ではこんなになってしまうのか。

 かわいいと言う人も意外と多そうだが、かなり面倒くさい。


「そうだな、もしダメだったら……その時は、華縞の生き様を末永く語りついでやるから、思い残すことなく旅立てばいい」

「死ぬ前提じゃないですか!」


 保健室の奥のベッド。

 代山の定位置とも言える。

 身体の弱い代山は、具合が悪くなるとここで休んでいた。


「起きてるか?」

「起きてる」

 代山は気だるそうに答えた。


「そうか。授業というか甘噛魔あかまの演説がなかなかすごかったぞ、動画にとっておいた」

「いつも悪いな」

「あの十文字じゅうもんじが一蹴されて脱落だ。そこは残念ながら動画に撮ってない。あの場にお前がいたらどんな混乱が生まれたことやら」

「知ってるよ。さっき保健室に来たからな」

 枕を背中の下に入れて起き上がった代山は、その僅かな動きだけでも大きく呼吸を乱す。


 生まれてから一度も日光を浴びていないような白い顔。

 余分な肉がついていないためか、身体が細く、顔立ちも鋭い印象がある。

 柔らかそうな長髪が目にかかっていて、なんだか煩わしそうだ。

 その目も、薄茶色で唇まで色が薄い。


 代山が欠席した授業は動画に撮って届けている。

 クラスで代山と一番仲がいいのがボクだからだ。


 ボクとしては特別仲良くしているというわけでもないけど、すぐに授業を休んでしまい、いても具合の悪そうな代山を、クラスの者たちはやや距離をおいている。

 これがもっと大袈裟な病気だったら同情なども沸くのだが、慢性的に身体が弱いだけというところがあんまり心を揺さぶらないのだろう。

 別に嫌いじゃないけど、迷惑かけられても面倒だから、あんまり関わり合いにならないでおこうと考える人間の心理はわからなくもない。


 ボクの袖がピクピクと引っ張られる。


「そうだ。代山、喜びやがれ。女子がお見舞いに来たぞ」

 ボクがそう言うと、ボクの背中から華縞が顔を出した。


 それを見て代山は意外そうに声を上げた。


「あ、確か……ハカヤマさん」

「えー! 覚えててくれたんですか。そうです、ハカヤマです!」

「いや、ハナジマだろ」

 華縞は元気よく名乗ったが、思わずボクはつっこんでしまった。


「いいんです。代山さんがそう呼んだんですから。ちょうどあだ名が欲しかったところなんです」

「ごめん。ハナジマさんだ」

「そうです。ハナジマです。あ、言い難かったら別になんて呼んでもいいです。ハナちゃんでも、ウジ虫でも」

「ウジ虫と呼びはじめたら、それはイジメだろ」

「ちょっともう、猫丸さんは黙ってて下さい。あたしと代山さんがお互いの好感を高め合ってるんですから」

「わかった。黙ってるよ」


 ボクが黙ると、華縞はもじもじと指を弄び、首を傾げる。

 代山はそれをしばらく見て、飽きたのかさっき渡した甘噛魔の動画をタブレットで見始めた。


 ボクは華縞に耳打ちする。

「好感高め合ってるように見えないんだけど」

「そう思ってるならなんとかしてください!」


 なし崩し的に恋のキューピッドされてるけど、ボクとしてはあんまり関わり合いたくないのに。


 華縞はハッと顔を上げて、ゴソゴソとスカートの中に手をツッコんでホカホカの毛糸の塊を出した。


「あの。代山さん、これ……」

 そう言って華縞が出したのはニットの帽子だった。


 ただの帽子ではない。

 顔全体にかぶる目出し帽になっていて、プロレスラーのマスクのようなファイアトーンの模様がついている。


「おっ! それってドクター・デスサイドのマスク?」

「そうです。アレンジして自分で編みました。ひょっとして代山さんってドクター・デスサイド好きなんですか?」

「ううん、あんまり」

 代山の素っ気ない返事を聞いて、華縞はギャグマンガみたいにピョーンと80cmくらい飛び上がった。


「なんですってぇ!? いやいや、本当は好きなんじゃないですか? ドクター・デスサイドの写真がスマホの壁紙だったりするんじゃないですか?」

「俺が好きなのは相方のマイティ・ジャンプの方だから」

「オーマイガッ!」

 華縞はニットのマスクを握りしめて顔面をくしゃくしゃにして天を仰いだ。


 きっと事前に代山の趣味をリサーチして編んだのだろう。

 その調査方法はストーカーみたいでちょっと気持ち悪いが、こう空回った結果に終わってしまうと気の毒に感じる。


「すごいこと言うな、甘噛魔」

 代山が甘噛魔の演説の動画を見てそうつぶやいた。


「多分、学級委員長は甘噛魔で決まりだろうな、十文字じゅうもんじが陥落した今、他に出るやつなんていない」

「じゃ、俺出ようかな」

 そう言った代山の顔は冗談を言う表情ではなかった。


「代山さんならきっといい学級委員長になると思います。あたし、応援しますから」

 華縞がそう言うと、代山は微笑み、そして血を吐いた。


「吐血で返事とは気が利いてるな」

 いつものことと、ボクは苦笑いしながらタオルで代山の顔を拭く。


「ま、こんな身体じゃ選挙なんてでられるわけないけどな」

「当たり前だろ。死ぬぞ。立候補した瞬間に即死だ」


 ボクの言葉に、華縞は驚いた顔をしていた。

 こんな状態の代山に対して死ぬなんて不謹慎かもしれないが、ボクと代山《は、普段からこのくらいのことは平気で言い合ってる。


 あらかじめ代山がつけていた撥水性のよだれ掛けを拭きながら華縞が聞いた。

「代山さん、学級委員長になりたかったんですか?」

「俺? 全然。でも、甘噛魔のこのやり方は気に食わないから。俺は授業にもついていけてないし、成績だってよくない。劣ってるといえば、もう何から何まで劣った人間だよ。でも、別にそれは俺が望んでなったわけじゃない。怠けてなったわけじゃない。甘噛魔の言葉ははっきり言ってむかつくよ。それに猫丸だってそうだろ?」

「ボクは望んで怠けて成績が悪いんだ」

「そうだな。バカでクズでのろまで、存在がクラスにとってなにも貢献しないやつだ。もし甘噛魔が当選したら容赦なく切り捨てられてしまう側だな」

「もうちょっとオブラートに包めなかったか? いいところもたくさんあるぞ。顔がいいとか」

「顔はともかく、猫丸にいいところがないわけじゃない。甘噛魔はそういうのわからないんだろうな」

 代山はそう言うとタブレットに写った甘噛魔の静止画像を指で弾いた。


 華縞が飛び上がり、大きな声を出す。

「大丈夫です! あたしたちが食い止めます。甘噛魔さんの好きになんてさせません!」

「え? 華縞さんが?」

「そうです。あたしだって、ちゃんとバカですから!」

 華縞は胸の前で小さく拳を握って言った。


 自分がバカなことをアピールする人間は初めて見たけど、ボクはそれ以上に引っかかるところがあった。


「ちゃんとバカなのは薄々気づいてたけど、あたしたちって?」

「あたしと、猫丸さんです」

「やだよ。選挙なんて真面目なものに人を巻き込まないでくれ!」

「猫丸さんの意見なんて聞いてません!」

「聞いてよ。その強気の根拠は何なんだ」

「ここで誓いましょう。あたしたちの決意を。頑張って甘噛魔さんを倒すぞー!」

「やらないから。ボクは真面目なことは一切しないと、堅く誓ってるんだ」

「この期に及んで男らしくないですねぇ。いいんですか? あたし一人が立候補して即死しても」

「立候補して即死する法則はないからな。それにボクたちのバカさはクラスに知れ渡ってる。十文字ですら敵わなかった甘噛魔に、ボクたちじゃ二人がかりでも相手にはならない」

「だったら、これで出ます!」

 華縞はニットのマスクを勢い良くかぶる。


「我こそはドクター・クラスメイトなり! このクラスを救うために悪魔と契約した」

「その姿で立候補する気なのか? 本気で?」

「そうです。これであたしだとバレません。いままでどうして誰も思いつかなかったのでしょうか。史上初のマスクド学級委員長です。バレない以上、猫丸さんにもやってもらいます。地獄から来た大物プロモーター役とかいいんじゃないですか」

「はははっ。最高だな。やれよ猫丸。こんな不真面目なこと、お前以外の誰がやれるんだ?」

 代山は無責任に面白がって笑った。


 最近、こいつのこういう顔、見てなかったな。

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