第5話

 まるでテレビ番組の討論会のように、教壇の上に立つ甘噛魔あかまと、教室のど真ん中で背筋を伸ばして意見をいう十文字じゅうもんじの姿は、絵になっていた。

「クラスはあなたの私物ではありません。みんなで協力して良いクラスを目指していくものです。あなたのやり方は自分のやり方を押し付けてるだけじゃないですか」

 十文字が眼鏡の奥から眼光鋭く問いただす。


「そうだ。それの何が悪いぞよ?」

 全く悪びれることなく甘噛魔は答えた。


「悪いに決まってるじゃないですか。力を合わせることこそ一番大事に決まってます」

「拙忍にはお主の考えこそ横暴に聞こえるぞよ」

「どうしてですか、そもそも学校というのは……」

「人間、気の合わぬ者もいるだろう。そんな者たちを無理矢理縛り付ければ、憎しみも湧いてくる。わざわざ争いの火種を生む必要はあるまい」

「それは一部の不真面目な生徒だけです。全員が真面目に取り組めばつまらないいさかいは起きません」

「はたしてそうかな? 真面目であることを強要するのは正しいのか?」

「真面目で何が悪いんですか。あなたの能力で人を差別するほうが悪いじゃないですか。能力は個人ではどうすることもできません。でも真面目さは心がけ次第で誰でもすぐに変えられるものです」

「拙忍には能力よりも気持ちの方がよっぽどたちの悪いものだと思うがな。人の精神は思考よりも複雑怪奇なものぞよ。お主はこのクラスをどうしたいのだ?」

「全員が心を一つにして真面目に取り組めばなんだってできます」

 十文字は虚勢を張るように大きな声で答えた。


 甘噛魔に比べると身体つきは華奢だ。

 痩せていてメリハリがない。

 年頃の女の子にとって痩せていることはかけがいのないステータスかも知れないが、細い首や腕、邪魔にならなそうな胸を見ると、どうにも不健康な印象だ。

 甘噛魔のどんな格好でも胸を張ってるように見える姿と見比べてしまうと、お互いの主張がどうあろうと十文字が劣勢に見えてしまう。


「つまり展望はないのだな。真面目でありさえすれば良い、それだけだ。結果のない真面目さを強要する。それはやらされる者にとっては辛いのではないか? 評価が真面目であることしかないのは残酷ぞよ。無能な真面目の努力を喜ぶ事になる。1時間で終わる課題を3時間掛けた者がいたとしよう。劣っているにもかかわらず真面目であったから尊いと褒め称える。では、それを10分で終わらせて遊んでる者はどうだ? 他の者が苦労しているのに不真面目だと文句を言う」

「だってそれはしょうがないじゃないでしょう。クラスで一丸とならないと」

「なぜだ? クラスは個人の集合である。劣った個人のために優れた者が足を引っ張られることを良しとするのはよくないぞよ」

「真面目に頑張ってる人はどうするんですか!」

「真面目だろうと不真面目だろうと、結果の出せない者は落ちてゆくだけだ」


 甘噛魔の断言は辛辣だ。

 十文字の言いたいこともわからなくはない。

『正直者ほど馬鹿を見る』という社会はやっぱり肯定しがたいものがある。

 とは言え、全然共感する気にはならない。

 やっぱりそれは時代遅れの考えな気がするのだ。


 真面目でコツコツやりさえすれば、誰でも幸せになれる。なんてのは、ボクたちの親の世代や祖父の世代の景気のいい時の思想だ。

 頑張ったところで報われない、という厳しい現実を知っているボクらの世代としては、そんな夢みたいなことは言ってられない。


 高校生というのは微妙な世代だ。

 ボクみたいにネットで情報を得る者は、自分とは違う世代の現実的な意見に触れることもできる。

 でも、ネットを友達と話すことにしか使わない者は、やっぱり未来はなんとなくいいものだと夢を見ているのだろう。

 十文字はきっと後者だ。


 それは悪いことではないけれど、ボクの立場からすると説得力に欠ける。


「高校生ならば、高校生らしく真面目であるべきです!」

 十文字は机に手をつき、前のめりになり主張した。


 その姿は高校生というより、大人たちが望む高校生らしい姿だ。

 現実のボクたちの精神はそこまで幼くない。


「チッ! いい加減にしろよ」

 教室の後ろ側から吐き捨てるような言葉が飛んだ。


「なんですか?」

「お前が真面目にやるのは勝手だけど、周りのモンにおしつけるなよ」

「なんですかその言い方、あなたたちみたいは不真面目な人がいるから……」

「普通でいいんだよ。お前は普通も許さないだろ。まじウゼェわ」

 十文字が振り向いて反応すると、二三人の男子生徒が声を上げた。


 ボクは不真面目な生徒ではあるけど、あそこまであからさまな野次を飛ばす気にはならない。

 好みはあるだろうが、そこまで十文字のことを疎ましく思ってるわけじゃない。

 野次を飛ばした者も、面白半分にちょっかいを出してるように見える。

 しかし、甘噛魔はその時の十文字の動揺を見逃さなかった。


「学級委員長は選挙により、クラスの者達によって選ばれる。己のやり方を信じるなら立候補するが良い。ただし、そなたのやり方を正しいと思う者が、この中にどれほどいるか周りを見てからのほうが良いぞよ」


 十文字は甘噛魔の言葉を受け、口元を歪め、震えながら教室内を見渡す。


 おそらくクラスの者の視線は今までと変わらなかったはずだ。

 しかし、甘噛魔の言葉に呪いをかけられた十文字は、赤くなった顔から色が消えていった。


 自分の信念が間違っていたのではないか。

 一瞬でもそう疑ってしまった彼女にとって、周囲の目は全て敵意に見えただろう。


 ガタタタッと十文字の周りの生徒が机と椅子を激しく動かして移動した。

 教室のど真ん中で広くなった空間の中、魂が消えたみたいに佇む十文字。

 その足元には、水たまりが広がる。

 スカートの奥から水滴が太ももを伝っていた。

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