第24話
目の前にいるのは女性と言ってもランだ。
あの初対面でいきなり紅に染まる流星膝蹴りを繰り出してきてボクをノックアウトした女。
考えてみればボクはランに出会ってから、女の子の前で避けた方がいい失敗を網羅している。
全然誇れることではないけれど、今まで一度も格好良い印象をあたえる機会がなかったのだから、ここで格好つける意味などもう無いのだ。
幻滅されるだけされ、評価は底の底まで落ちて、でもまだボクはランの前にいる。
話をしてくれと言われている。
きっとヴィッチがあふれる世界でなければこうはならなかっただろうけど、こうなってるんだから開き直るしかない。
「あのさ、これ誰にも言ったことないんだけど。ボクの腕のここのところ、すごい長い毛が生えてるの。ほら、これ長くない?」
秘密を共有し合った仲は深まるんじゃないかという、ボクの深い策略をランは真顔で受け止めた。
表情がピタリとも変わらない。
凍りついたように冷たい目でボクを見ている。
しまった。
この話題もダメだったか。
万策尽きて肩を落としたボクにランは言った。
「ジャックはあたしのお兄さんじゃないですよ」
「え?」
「なんか勘違いしてるみたいですら。あたしたち、兄妹じゃないんです」
「だって、ジャックが妹だって」
「うん。ジャックはそう思ってます」
「どういうこと? なにかその、ギャルゲーのように突然自分のことを好きな妹が現れて俺の生活どうなっちゃうの! みたいな妄想とか?」
「それはちょっと違いますけど、あたしの兄ちゃんと義兄弟になったからって。ほら、一緒に逃げてたって言ったでしょ。ロメオって言うんですけど。だからあたしのこと妹扱いしてるだけです」
ランはそう言って少し悲しそうに笑った。
ロメオの話はジャックから聞いていた。
ボクに似ているとジャックは言っていた。
「ボクってロメオさんに似てる?」
「え? 全然似てないです。メガネだけ。あと髪の長さも同じくらいだけど。全然似てないです」
「あ、そ」
「でも一瞬見間違えた時もありました。お兄ちゃんの帽子被ってたから」
「あぁ……」
「ん~。でもちょっと似てますかね。心ここにあらずってところです」
「いや、ボクはそんなことないよ」
「お兄ちゃんはマンガ家になるって言ってたんです。ね、これだけでもう十分夢見がちですよね? でも、それも本気で、こんな世界になってまで思ってたんです。生き延びてマンガ描かなきゃって」
ランは思い出した兄の姿に、改めて呆れたように小さく笑った。
でもボクにはそのロメオの気持ちが少しわかった。
きっと現実を認めたくなかったんだ。
こんなひどい世界で生きていかなきゃいけないことを信じたくなかった。
だからバカみたいな夢だとわかっていても、それにすがるしかなかった。
それは、ボクも同じだからだ。
映画監督になりたいなんて、こんな世界で言ったら笑われる。
だけど、それを放り出してしまうと、もう自分の中には何も生きる気力が湧かなくなる気がして怖い。
「ランは、夢はないの?」
「そんなのあるわけないです」
あまりにも躊躇なく即答したので少し驚いてしまった。
確かに現実から目をそらすための逃避かもしれないけど、それでもどこかで生きる希望を持っていないと危ういからだ。
こうなると、急に体調を崩したことすら、その生きる希望の薄さに関係している気がしてくる。
「でも何か、体調が戻ったらさ」
「体調が戻ったら何です? いくら元気だってヴィッチに襲われたら死んじゃいます。将来どころか明日だって生きてるか保証もないんですよ。そんな中でどんなドリーム思い描けばいいんですか」
ランのリアリストさに言葉を失った。
それに対してボクは「生きていればきっといいことがある」なんて言えるほどこの世界を楽観もしていない。
むしろ、ランの抱えている絶望に引きずられそうになり、ボク自身の足元が揺らぎそうだった。
「ミサキさんなんかはどうなのかな?」
「ミサキさん……。夢じゃないけど、あたしの思いはミサキさんだったんです。ミサキさんがハッピーにしてくれなきゃ困るって思ってたんです。でもね、ミサキさんはミサキさんであたしとは関係ないんですよね」
「そんなことないだろ。ミサキさんもランのこと大切に思ってるはずだよ」
「違うんです。あたしはどうでもいいんです。あのですね、お兄ちゃんはミサキさんのこと好きだったんです。もうちょっ恥ずかしいくらい意識しまくってて。ミサキさんもきっとお兄ちゃんのことは好きだったと思うんです。だから、あたし、お兄ちゃんの……」
ランとミサキの二人に出会った時、仲の良い姉妹のように思った。
男性恐怖症の姉を、虚勢を張りながらも助けようとする妹。
それは二人の愛情や友情が育んだ素敵な関係だと思えた。
でも、本人たちにとっては、どこかで義務感に駆られ、脆い宝物を守り続けているような苦しみがあったのかもしれない。
兄の思いを背負いすぎて他の道が見えないランと、その気持ちに重圧を感じもがいていたミサキ。
結果から言えば、ミサキは成長して鎖を解き放った。
しかし、ランはどうなってしまうのだろう。
ランにとってはミサキのためという思いだけが支えだったのだ。
そしてそれが無くなった今、希望が見えていないのだ。
「ちょっと待って」
そう言ってボクはカメラを取り急いでランのもとに戻った。
「なんですか、もー!」
カメラを向けるとランは照れながら顔を隠した。
「やめてくださいよー!」
そう言いながらもランは笑いながら身をよじる。
カメラの中のランは、映像として切り取られて余計な情報が削がれたせいか、なんだか活き活きとして可愛らしい。
撮った映像をランに見せると、これでもかとばかりに恥ずかしがって直視していなかった。
「ボクは、もっとずっとランのことを撮っていたいよ」
「ひょっとしてエロい目的で大儲けしようと思ってるんじゃないですか?」
「ランにはエロい要素がないから平気だよ」
「ありますよ! フェロモン醸し出しすぎて小虫が寄ってきて困ってるんですから! 今度みせてあげますからね」
「うん、期待してる。だからゆっくり休んで元気になろう」
ランはコクリと頷いて口のところまで毛布を上げた。
「ハカセ、ありがとうです」
「大丈夫、すぐに良くなるよ」
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