第10話

 さっきの家具が崩れた場所を通ると、まだゾンビが家具に埋もれてもがいていた。


 ゾンビと言ってもあの美少女フィギュアのような外見ではある。

 なんだかジタバタとしている姿はちょっと可哀想にも思える。


 振り返ればミサキが不安そうな顔でゾンビを見ている。


 ここはパンティを降ろして引導を渡してあげたほうがいいんじゃないかという気になった。

 たった一匹、動けないゾンビ相手なら何も恐れることはない。

 それにたとえ一匹でも数を減らしておくことは将来のボクたちの生存確率を高めることにもなる。


「大丈夫、ボクに任せて」


 ボクは振り向いて余裕の笑み持って言った。


「ダメ」


 ミサキは眉間にしわを寄せ小刻みに首を横に振る。


「ミサキさん、ハカセに任せておけば大丈夫ですよ。なんてったって、ゾンビのことなら髪の先から指毛の数以外なんでも知ってるんですよ」


 まぁ、それはジャックが勝手に言ったことだけど、ボクはメガネを直し、眉に力を込めてキメ顔を作る。

 ボクのこの日の冒険譚がジャックに伝われば、なかなか使えるやつだと思われて対等になれるかもしれない。

 ボクは腰をかがめてタックルを仕掛ける体勢で近づく。

 一気にスカートを捲りパンティを下ろせば大丈夫だ。


 ゾンビは家具に挟まれて身動きがとれないまま顔だけゆっくりとこちらを向く。

 大きな瞳は焦点があってるのかわからなかったけど、ボクの方をじっと見つめるようだった。


 目が合うと急に胸の奥から不安と恐怖が湧いてきた。

 うつろな瞳は、それまでボクが見たことのない生物だった。

 どこか作り物めいた、壊れた人形のような、魂を持たない存在。

 本当にゾンビなんだ。


 改めてまじまじと見ると人間的ではない特徴に気がつく。

 肌の白さも、血の気がないだけだ。

 その細くゆらゆらと動く四肢は重力を感じさせない。

 正直言って、その異質さ、気持ち悪さに吐き気すらする。

 なまじ人間に似た姿形をしているせいで余計に違和感が増幅される。

 二次元の美少女フィギュアのようだと言ったけど、あれは人形だからこそ逆に躍動感を表現しようと活き活きとしている。

 見た目が美少女フィギュアなだけで、その躍動感も生命力も、魂も感じさせない存在は、ただただ不気味だ。


 このゾンビは以前はボクと同じように人間だった。

 そして今は、生きた人間ではない。

 直面すると、命の有無を感じさせる。

 たとえ動かなかったとしても、死体を見たら誰だって怖くなるだろう。

 それが動くんだから余計に怖い。


 素早く屈みこんでパンツを脱がせば大丈夫。

 それほど難しいことじゃない。


 ボクは足先に力を込めて勢い良く飛び出そうとした。

 けど、足が動かない。

 呼吸だけが荒くなる。

 鼓動が強くなる。


「ハカセ!」


 ランの声が飛んできた。


 心配しなくていい、大丈夫。

 ボクはできる。

 そう思い顔を上げると、そこにはゾンビがいた。


 ごく近く。顔は20cmほどの距離まで接近していた。

 伸ばした腕がボクの服を掴んでいる。


「うわぁ!」


 声を上げ、腕を振り回して離れようとする、そのままボクは後ろに尻餅をついた。


「イヤァーー!」


 ミサキが悲鳴を上げる。


 ゾンビは道に座り込んだボクに覆いかぶさるように近づいてきた。

 家具に挟まれたゾンビがボクの腕をつかもうと袖を引っ張った。

 そのゆっくりとした動きが余計にボクを慌てさせる。


 身体ごと転がりながら少しでも距離を置こうともがいた。

 荒いアスファルトの私道は、露出してる手や顔に遠慮無く擦り傷を生んでいたが、そんなことを気にする余裕はなかった。

 あまりにも取り乱し、自分がどこにいるのか、どこを向いているのか、どっちに逃げたらいいのかわからなくなる。

 周りを見ようと首を動かすと、ゆっくりと前に手を伸ばし、うつろな瞳でゾンビが近づいてくる。

 ただボクの命を貪り食うために。

 それだけのために。


 恐怖と後悔、生に対する未練。

 自分の中にそんなものがあったのか、と初めのナマの感情が湧き上がる。


 転がり、ただ距離を取るために考えなく後ずさった結果、民家の塀に追い詰められた。

 そしてその絶望と恐怖は、ボクの緊張の糸をたやすく引きちぎり、なんだかもうどうでもよく、諦めすら湧いてくる。

 ただ、目の前に迫ってくる終わりの時を直視したくなくて膝を抱え顔を伏せる。


 その時、足首をものすごい力で握られて引きずられた。

 そのまま持ち上げられ、気づいたら逆さ吊りで宙に浮いていた。

 どういう状況だかとっさに理解はできなかったけど、目の前にはまだ二匹のゾンビがいる。


 振り返ると、とてつもない大男がボクを吊り下げていた。

 太い足、そこからつながる太い胴体、太い首に、角ばった顔、そして太い腕はボクの足首へと伸びている。


 こんな状況でなかったら、ゾンビなんかよりも恐怖感を感じるだろう。

 それでも、その男は男なのだ。

 しかもかなりごつい。

 ということは、人間で、生きている。

 そんな当たり前のことが、なんだか救いに思えた。


 ごつい男は何も言わずにボクを見下ろす。

 見下ろすというよりはボクが宙吊りになっているのだからただ見ているだけかもしれないが。


「まったく命知らずでやんす」


 大男の影から、今度はサロペットジーンズの少年が顔を出した。

 少年はかがみ込み、ボクの顔を覗き込む。

 キャスケットを被った赤毛のパーマの顔が逆さのまま近づく。


 さらにその後ろから走りこんできたのは白いジャケットの男。

 手にはバールのようなものを持っていた。


「地獄に帰りたまえ!」


 そう叫ぶと男はバールのようなものを振り回し、ゾンビの頭を砕いた。


 古いオイルのような黒く粘度の高い血が飛び散り一匹のゾンビが倒れると、間髪入れずにもう一匹のゾンビの脳天にバールのようなものを打ち下ろす。


 映画の効果音のような迫力のある音ではなく、ただ鈍い、パイをぶつけたような音が鳴った。

 断末魔の声なのか、それとも空気が漏れただけなのか、ゾンビは「グゥ……」という声を上げて倒れた。


 大男はボクの身体に手を添えてゆっくりと地面に下ろす。

 上下が正常な視点に戻ったところで、現状を見回す。


 どうやら、ボクを助けてくれたらしい。

 大男は普通に立って見ると、最初の印象よりさらにでかい。

 ボクの視線が胸の辺になるほど。

 さらに巨大感をアピールするように傍らの少年を自分の肩の上に載せた。

 そんなマンガみたいな状態は見たことがない。


 バールのようなものを抱えたジャケットの男は顔にシワを寄せる微妙な笑顔でこっちを見る。


 そしてその後ろから髪をひっつめた女が腕を組んだままこっちを値踏みするように目を細めて見る。

 一瞬、ゾンビかと思って身を固くしたが、どうやら生きた人間らしい。

 ボンテージっぽいミニスカートで20歳は超えてそうな大人の女性だった。


「ハカセくん!」


 ミサキがそう言いながら抱きついてきた。


 首に細い腕が絡んで体重がかかる。

 女の人に抱きつかれたのは初めてだったかもしれない。

 でも、その時はそんなことを考える余裕はなかった。

 ただ、自分の命があるということをゆっくりと実感していた。

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