第11話

 ジャックは荒く鼻息を吐いて、思い切りボクの頬を殴りつけた。

 二回も。

 床に叩きつけられる形になり、反射的な怒りでジャックを睨み返す。


「アホたれぇ! 死んだらどないするつもりや」


 ジャックは肩を震わせてそう叫んだけど、言葉の内容なんて頭に入ってこない。

 殴られた頬とその目がじんわりと熱く、涙があふれる。

 言い返そうとしても怒りのために頭の中がまとまらず、言葉にならない。


「人間同士で傷つけあってどうすんのよ」


 バールのようなものを肩に担いでジャケットの男が割って入ってきた。

 子猫同士の喧嘩を嘲笑する圧倒的な余裕を感じさせる。

 背が高く、ジャックに比べれば身体つきは細い。

 30歳まではいってないだろうけど、この中では一番年上に見える。


 ジャックの横暴さを大人の人が諌めてくれたのは、少しありがたかった。

 ボクは助けてくれた大男、少年、ジャケットの優男、エロい女を連れて、ジャックのいる飲食店に戻っていた。

 出会った経緯を、ボクの失態をなるべく控えめに報告したが、ランがボクがゾンビに向かって行ったことを告げるとジャックの表情が豹変した。

 ランとしてはボクの活躍を伝えたかったのだろうけど、短絡的なジャックの思考では、ただのボクの暴走にしか思えなかったのだろう。

 確かにボクが悪かったけども、だからと言ってジャックにまで暴力を振るわれる謂れはない。

 無事だったことを喜んでくれてもいいくらいだ。


「なんや自分、関係ないやろ!」


 ジャックが不機嫌そうにジャケットの男に言い返す。


「そういうジャックだってボクには関係ないくせに」


 頬の痛みがボクに悪態をつかせた。

 その言葉を聞いてジャックは目を見開き、拳を振り上げる。

 睨み返すボクの視線とジャックの視線が膠着し、その拳はしばらくしてカウンター・テーブルに叩きつけられた。


「なんもない秘密基地でヤンスね」


 大男の肩からパーマの少年が飛び降りて鼻を鳴らした。


「食べ物もあるんだろ? いや、もちろん俺たちだって自分たちの分はあるさ。でも多すぎて困るということはない」


 バールのようなものを担いだ男は、ジャックが集めた食料の入った袋を勝手に覗きこむ。

 ボクの家からも持ちだした分が入っているやつだ。


「なんや、勝手にさわんなや」

「俺はこう考えてるんだよ。確かに備えは必要だけど、明日がどうなるかわからない身。セコセコ貯めこむより、今の幸せを噛みしめる事こそ生きるという事じゃないかと」


 エロい女はミサキに近づくと、鼻にかかった声で見下すように言った。


「あら、化粧してないの? ほら、うちの見て。これなんかすごい高いんだから。盗り放題だったのよ」

「私は泥棒じゃありません」

「ダメよぅ。どうせなんだからうんと贅沢しなきゃ。化粧品だって消費期限があるのよ。誰かが使ってあげなきゃ腐ってくだけなんだから」


 無法地帯となったことを楽しんでいるように笑う。


 確かにエロい格好の女は、化粧をしっかりしているという顔だった。

 大人っぽい、というよりもケバいという感じだ。

 ただ、ゾンビのあの均一的な美少女顔を見慣れていると、この化粧で作り上げた美しさというのに、不思議と人間味を感じてしまう。


 ボクは女心に詳しいわけではないが、化粧の濃い女はいちいちミサキに対して上位であることをアピールしてる風にみえる。

 ミサキはその勢いに気圧されてるのか、怯えてるようにも見えた。


「わぁ! すごいです! でもこれ、おばさん向けの化粧品ですよね」


 ランが全く邪気のなさそうな感想を述べたが、その言葉に女の勝ち誇った笑みが一気に歪んだ。


 ジャケットの男がジャックの肩を柔らかく叩いて尋ねる。


「君がリーダーかな? いや、失礼。自分から名乗るのが礼儀だよな。俺はカンダ、リーダーって柄ではないけど、俺達の中では最年長なもんでね。で、こちらのレディがサクラさん」

「チェリーって呼んでいいわよ」

「俺は呼ばないけど、呼んでいいそうだよ。ミニスカートはいているからってヴィッチと間違えないであげて。ま、生きた人間とヴィッチを間違えるような人はいるわけないけどね」


 そう言ってカンダは高らかに笑った。

 その笑い声が嘲笑にしか聞こえないのは、ボクの考えすぎだろうか。


「こちらの無口な男はハルマくん。この世界では最高に役に立つ存在だ。大統領だって殴り飛ばせるくらいだよ。十年に一度しか口を利かないから、声を聞いた人間は幸せになれるという噂もあるとか。冗談だけどね。アーッハッハッハ」


 カンダの軽口にハルマは片眉をわずかに動かすだけのリアクションでやはりヒトコトも口を利かなかった。


 カンダという男は、世界がこんな状況にもかかわらずどこか緊張感を感じさせない、テキトーさがある。

 ただ、その笑いもわざとらしく、案外計算で無理に余裕を見せているのかもしれない。


「そしてこの子が」

「ただいまご紹介にあずかりました。ボクチンがチナミでヤンス。身の回りのお世話から情報収集、マッサージから小粋なジョークまで御用とあらばなんだってやるでやんす」


 チナミはキャスケットを脱いでペコリと頭を下げた。キャスケットに抑えられていたパーマがこんもりと巨大なブロッコリーのように膨らんだ。


「四人で、あてもなく彷徨っていたところなんだよ。そうしたら珍しく男女のカップルがヴィッチに襲われてるのを見つけてね」

「みつけたのはボクチンでヤンス」


 カンダの言葉に注釈をいれるようにチナミがつっこむ。


「そうそう。チナミが見つけて助けに駆けつけたって……」

「助けたのはハルマでヤンス」

「フフッ……。そう、ハルマくんが助けてね。で倒したのがこの俺」


 カンダは両手を開いて胸に当てて、自分の功績を誇る笑顔を見せる。

 なんだかそのわざとらしい仕草がいちいち胡散臭い。


 以前のような日常では絶対に近づきたくないタイプだけど、助けてもらった手前そんなことは言えない。

 ジャックも恐らく同じ気持なのか、決してカンダと目を合わせずに口の端を持ち上げて不快そうな表情をしている。

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